十四話 野宮の暴走
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5棟あるアパートは、全て鉄筋コンクリートの9階建て。
3000人以上は暮らせる規模である。――とはいっても、それは50年前までの話。
現在は至る所が崩れ落ち、廊下や部屋には当時の住民たちが残していった生活用品が散乱する荒れ果てた廃墟となっている。
武瑠たちはアパートの1階。
管理人室に身を寄せて、皆本の仮説を聞いていた。
「――というわけ~。確定したわけじゃないからアテにはしないでね~」
特徴的な語尾を伸ばす口調で、皆本はにこやかに指を立てる。
ボーリング場でバケモノと対峙した皆本は、触角を一本切り落としていた。
触角を失ったとたん、酔っぱらいのようにバケモノは足下がおぼつかなくなった。
「なるほどね~。そういうことなのかな~?」
そう言った皆本の言葉が気になった武瑠は、説明を求めていたのだ。
『バケモノの触角には目のような役割があるのではないか』
それが皆本の仮説だった。
触角を一本失ったことにより、標的の居場所や距離感にズレが生じ、度の合わないレンズがついたメガネをかけた時のようにバランス感覚も狂った。
その根拠として、武瑠が後ろから投げた角材をまるで見えていたかのように避けたにもかかわらず、触角を失った後は正面から振り下ろされた木刀を全く回避することが出来なかったことを挙げた。
「でもよ、ただの偶然かもしれないんだろ? アテにはできねぇよな」
鼻で笑った今河に対して皆本はため息をつき、
「だから確定じゃないからアテにはしないでね~って言ったでしょ~? 頭の悪いコは、本当に人の話を聞かないんだね~……」
肩をすくめる。
しみじみとバカにしてきた皆本に、
「なッ。てめぇ、ぶっとばすぞッ!」
モップの柄を振り上げた今河。
その腕を武瑠が掴む。
「やめてくれ今河! 皆本の話をもう少し聞きたい」
眼力と腕力に圧倒された今河は、渋々引き下がった。
今河の持つ棒は、直登の槍の柄だった。
錆びた包丁をモップの柄に縛り付けて作った槍だったのだが、「俺にも武器をくれ」としつこい今河に根負けして槍をバラしたところ、すかさずモップの柄を奪われてしまったのだ。
不快感をあらわにしたが、直登はなにも言わなかった。
自分や仲間の身を守れる確率を少しでも高くするには、武器を持っている人数が多いほど良いとわかっているからだ。
「皆本くん、触角が目になっているのなら……。あのバケモノの目は見えていないってことなのかな?」
苛立つ今河から一歩離れた桃香が、不安そうに質問した。
「それはわからないよ~。少しは見えてるのかもしれないけど、そんなの確かめようがないしね~」
肩をすくめる皆本。
「目は大きかったから視力はいいのかと思った」
由芽の言葉に桃香も頷いた。
「目があっても見えていない生き物なんて珍しくもないし、アレはそういう進化をしたってことなんでしょ~」
確かに、深海や土の中など光が届かない所で生息している生き物には目が退化して視力を失ってしまった種類も少なくない。
「顔はコウモリに似ていたから超音波でもいいようなものだけど、なぜ触角だったのかは不明だね~。あれじゃ、まるでコウモリ顔のゴキブリだよ~」
皆本は納得がいかないといった表情だ。
ゴキブリなどの触角を持つ昆虫は、そのセンサーで周りの状況を掴むことが出来るらしい。
長い触角を一本切ると、ゴキブリは混乱したかのようにその場でグルグルと回り続けることがあるという。
あの時、平衡感覚を失ったかのようなバケモノは、このゴキブリに似ていると皆本は言いたいのだろう。
「皆本ってすごいな……」
武瑠の感嘆のつぶやきに、今河を除く全員が頷いた。
みんなは、触角が目になっているかもという「発想」や、バケモノを倒したことについて皆本を称えている。もちろん、武瑠の「すごいな」という言葉はその意味も含まれている。
だが本当に「すごい」と思うのは、初めてあのバケモノと対峙していながら、短い時間でバケモノの特徴を捉えることが出来た、皆本の『冷静な観察眼』だった。
話だけは聞いていたとはいえ、見た目のインパクトが強すぎるバケモノを前にしながら、その特徴を分析した。
俺が病院で初めてバケモノを見た時は、
身体は動かず、何も考えられなかったのに……。
武瑠は、皆本との『格』の違いを思い知らされたような気がした。
触角についても、皆本に言われて「そういえば、そんなものがあったような……」と思い出したくらいだ。
「あとは~。少なくとも、アイツらは草食動物じゃないことは間違いないみたいだから気をつけないとね~」
皆本は「わかってるだろうけど~」と前置きしたうえで注意を促す。
草食動物の目は顔の横についている。これは、広範囲を見渡せることで脅威となる肉食動物をより早く発見することが出来るようにするためである。
しかし、バケモノの目は顔の前についていた。これは肉食動物の特徴だ。
前に並ぶ二つの目は、物を立体的に捉え、獲物までの距離を正確に把握するのに役立っているらしい。
「あんたがそんなに雑学好きだとは知らなかったわ」
由芽が、感心したような呆れたようなため息を吐いた。
「ほとんどは真治くんからの受け売りだけどね~。彼は雑学王だから……」
どうやら、皆本は聡美の〝通訳〟なしで会話が出来る、数少ない真治の友人らしい。その彼の言葉を遮って、
「おい、あれ見ろよ――」
何かに気がついた今河が窓の外を指差した。
「――あれ豊樹と野宮じゃねぇか? なにやってんだあいつら……」
まだ無事なクラスメイトがいた。
喜びで窓に張り付いた武瑠だが、信じられない光景を目にすることになった。
豊樹美砂江が足をもつらせ、何度も後ろを振り返りながら走っている。
その後を追うのは野宮一成。
信じられないことに、野宮はバットを振り上げながら美砂江を追いかけていた。
「な、なにやってんだよ一成は!? 一成を止めてくる! みんなはここにいてくれッ!」
武瑠は角材を手に、外へと飛び出した。
皆本も木刀を手に取った。
あきらかに野宮一成の顔は正気ではない。
武瑠は止めるのに集中し過ぎれば、バケモノの接近に気付かない可能性がある。
「いくらなんでも、ひとりで行くのはまずいよね~」
「だな。人手が多い方が止めるのも早い。今河、お前も手伝ってくれ!」
皆本と直登は武瑠の後を追う。
今河は――――動かない。
「バカかあいつら。あれじゃ、バケモノに見つけてくれって言ってるようなもんじゃねぇか……」
そう言って唾を吐き捨てた。
◇
「やめろ一成っ!」
武瑠が叫ぶ。
しかし美砂江に追いついた野宮は、後ろからバットで右側頭部を殴りつけた。
「ッ!」
頭を弾かれた美砂江は、走っていた勢いそのままに地面を跳ねて転がる。
仰向けに倒れた美砂江の頭に、止めとばかりに振り下ろされるバット。
だが、間一髪で武瑠の角材がそれを受け止めていた。
「くぅッ!」
伝わった衝撃は思った以上に強く、痺れた手から角材が落ちた。
それでも武瑠は、タックルを仕掛けて野宮に尻餅をつかせる。
「邪魔するな武瑠ッ!」
武瑠を跳ねのけて起き上がり、美砂江へ向かおうとする野宮。
それを阻止するために、武瑠は手を伸ばして服を引っ張った。
「があああああッ!」
野宮はイラ立ち声を響かせ、振り向きざまにバットを振って抵抗する。
バットを躱した武瑠は、そのまま前に回り込んで美砂江との間に立った。
「何考えてんだ一成ッ、豊樹さんを殺す気か!」
両手を広げる武瑠には目もくれず、野宮は倒れている美砂江を血走った目で睨みつけている。
「俺を見ろ一成ッ! お前どうしたんだよ? なぜこんなことをするんだッ!」
肩で息をする野宮が舌打ちし、
「武瑠、そこをどけよ。女は――」
バットを構えた。
「女は殺しておかなきゃいけないんだよぉッ!」
突進してくる野宮。
今度こそ押さえ込もうと、再びタックルをかける武瑠だったが野宮に受け止められてしまう。
そして、腹に強烈な膝蹴りを喰らった。
「ッぐぅ!」
胃液が逆流してくるような痛みで、武瑠の膝が落ちた。
やめろ一成、やめるんだッ!
声にならない叫びで手を伸ばすが届かない。
美砂江まであと数歩というところで、野宮の足が止まる。
「野宮~。キミ、どうしちゃたわけぇ~?」
木刀を肩にかけた皆本が行く手を阻んでいた。
「皆本、お前も一緒だったのか……」
野宮の歯ぎしりが聞こえた。
同じ剣道部同士。皆本がどれほどの実力者なのか、野宮は身をもって知っている。
野宮が止まったその隙に、直登が美砂江に駆け寄った。
「息がある……大丈夫だ! 豊樹はまだ生きてるぞっ!」
美砂江を抱き上げた直登は、何とも言えない表情を野宮に向け、管理人室へと向かう。
「ダメだ直登ッ! 豊樹は……女は危ないんだよッ!」
皆本が、追おうとする野宮の前に回り込む。
「事情がよくわからないな~。野宮、とりあえずそのバット下ろそうよ~」
木刀を下げる皆本に対して、野宮はバットを構えた。
「やめるんだ一成。皆本の言う通り、バットを下ろして少し落ち着いてくれ」
腹を押さえながら立ち上がった武瑠の横を、誰かが走り抜けた。
落としてしまった角材を拾い上げ、野宮と背中合わせになって武瑠と対峙したのは間下湧斗だった。
「か、神楽くん、一成の言う通りだよ。女の子たちとは、一緒に行動しない方がいいと思う……」
突然現れた間下にも驚いたが、その言葉にも驚かされる。
「ゆ、湧斗? お前まで何言ってんだよ!」
武瑠の声が震えている。
どういう理由かわからないが、ふたりとも女子に対して異常なほどの敵愾心を持っているようだ。
「湧斗、わかるように説明してくれ! 豊樹さんを襲った理由があるはずだ、話を――話を聞かせてくれよっ!」
野宮一成も間下湧斗も、決して暴力的な人間ではない。
特に、去年も同じクラスだった野宮の事はよく知っている。間下にしても、誰かを傷つけようとするような男ではない。
そんなふたりがなぜ、美砂江を殺さなきゃいけないといけないと思うのか。
武瑠には理解できない。
「そ、それは……」
「無駄だ湧斗ッ 言っても信じねぇよッ!」
口ごもる間下に、野宮は声を荒げた。
「話も聞かせてくれないのにさ、どうして〝信じない〟なんて決めつけちゃうわけ~?」
皆本に言われて、間下は戸惑いの表情を見せる。
「一成、湧斗。こんなことするのはあのバケモノに関係あるんだろ? 俺たちもアイツらに襲われたんだ。頼むから、何があったのか話してくれよ!」
必死に訴える武瑠を横目に、間下は小声で野宮に話しかけた。
そして、短い会話を交わした二人は武瑠と皆本から離れる。
「お、おい、どこへ行くんだよ? 俺たちと一緒にいよう。みんなで協力して、この島から脱出……」
野宮は、一歩踏み出した武瑠をバットで制し、
「B棟だ。B棟へ行ってみろ……」
低い声でそう言った。
「B棟? そこに何があるんだ?」
野宮は答えない。代わりに間下が口を開いた。
「悪いけど、僕たちは女子と一緒には行動出来ないよ……」
管理人室の窓からこちらを見ている由芽と桃香を意識している。
「なぜ……なんでだよ?」
武瑠の悲しい目から、間下は視線を逸らした。
「女子が悪いわけじゃないんだ。でも、女子はバケモノを増やすから……」
「バケモノを増やす~?」
その言葉に、皆本が眉間にシワを寄せる。
「僕たちだってあんなことしたくなかったんだ。B棟の302号室に行って。説明されるより、自分の目で見た方が理解出来るはずだから……」
なんて説明すれば良いのかわからない。間下はそんな表情をしている。
間下と野宮が走り去る。
「待てよ湧斗、一成ッ!」
止める武瑠の声もむなしく、ふたりは棟の角を曲がり姿を消した。
追いかけようとする武瑠を皆本が止める。
「神楽~、追いかけてるヒマはないぞ。今は豊樹の手当てをしなきゃ~。確か包帯持ってたよな、はやくそれ持っておいで~」
言われて、武瑠はポケットから包帯を取り出す。
病院で聡美のために探し出した包帯だ。
「だったら皆本はこれ持って……って、おい待てよ!」
皆本は武瑠を無視して、足早に管理人室へと戻っていく。
武瑠は、少しだけ野宮と間下が去った方を見つめたあと、
一成、湧斗、死ぬなよ。 生きて一緒にこの島を脱出するんだからな!
包帯をグッと握りしめながら皆本の後を追った。
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読んでくださり ありがとうございました。




