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十三話  脱出するのか、残るのか

 □◆□◆


 ★


 船内は強くなってきた風で大きく揺れだしていた。


  武瑠くん、直登。無事でいるよね……


 一颯は、灰色の雲が流れだした空を不安気に見上げている。


「風が強くなってきたね。交代するから、一颯は少し休んで」


 貴音が、見張りをする一颯の肩に触れた。


 一颯が振り向くと、彼女は「おつかれ」と言って微笑む。

 いつもは屈託のない笑顔を見せる貴音だが、この笑顔はぎこちない。武瑠と直登を心配する心情が表れている。


 船に残った三人は、窓の外を監視していた。

 重そうな鉄の引き戸が壊れている何棟もの倉庫。その前には、積み上げられていたであろう木のパレットが、朽ちた残骸として山になっている。


 緊張感を持ち続けたまま、来るのか来ないのかわからないバケモノを警戒し続けるというのは、想像以上に精神的負担を強いられた。

 このままでは注意力が散漫になり、接近するバケモノを見逃してしまうかもしれない。

 それは命に係わる失態となりかねない。


 そこで三人は、交代で見張りをすることにしたのだった。



 貴音にお礼を言った一颯は、固いプラスチックの座席に座ると小さく息を吐く。


 武瑠と直登が出て行ってから、彼女たちの間にはほとんど会話がなかった。


 口を開けば、ふたりは無事だろうかという話になってしまう。

 しかし、それを口にしてしまえば本当にふたりの身に何か起きてしまうかもしれないという縁起の悪さがあった。かといって他の会話をしようと思えば、『みんなで無事に島を脱出できるのか?』という内容になってしまうのは目にみえている。

 それはただ待つことしかできない自分たちの不安を煽るだけだけでなく、必ず帰ってくると言った武瑠と直登の無事を疑う事にもなってしまうような気がした。

 結果、何を話していいのかわからず、だんまりとなってしまったのだ。


「高内くん大丈夫? 水しかないけど、よかったら飲んで」


 一颯はバッグからペットボトルを取り出し、顔色の悪い和幸に差し出した。


 和幸は船が揺れ始めてから船酔いに襲われていた。

 ただでさえ調子の悪い心臓に、張りつめた緊張という負担をかけたのだから無理もない。


 和幸は少し戸惑ったようだが、


「あ、ありがとう。助かるよ」


 そっとそれを受け取る。

 照れたのか気を使ったのか。

 和幸は飲みクチに口をつけずに水を少し流し込み、一颯にペットボトルを返した。


 突然、貴音が一颯と和幸へ向く。


「ちょっと、だれか来たよ!」


 緊張が張りつめる。


 一颯と和幸は、そっと貴音に並んで外を見た。

 たしかに、紺のスーツを着た誰かが船に向かって走って来る。


「あれって高崎先生だよね?」


 和幸がつぶやいた。



 高崎衛。富川学園に来ている、このクラスの教育実習生だ。

 生徒たちにも丁寧な話し方で接してくれる。かといって生真面目というわけでもなく、バカ話にも付き合ってくれる「近所のお兄ちゃん」のような好青年だ。似合わない丸メガネのせいで冴えない感じになってしまっているが、柔らかい物腰と爽やかな笑顔は、特に女子にウケが良く、一部の女生徒が彼のファンとなっている。



「先生っ! こっちです!」


 貴音が手を振った。


 飛び込むようにして船に入ってきた高崎。その呼吸は大きく乱れている。

 相当な距離を走ったのだろう、大粒の汗を流しながらへたり込んだ。


「先生、これ……」


 一颯がペットボトルを出すと、高崎はそれを奪うように取り上げた。

 彼が飲み口に吸いつくと、ペットボトルはメキメキと音を立てて変形する。


「あ――ありが――とう――ございます。 三島さん……でしたよね? 助かり――ました。ほんとうに――ありがとう……」


 荒い呼吸で、高崎は何度も頭を下げた。


「いいんですよ。 それより先生、血がでてる」


 高崎の、黒ぶちメガネの左のレンズにはヒビが入っている。

 頬には引っ掻き傷があり血が流れていた。なにがあったのかは明白だ。


「高崎先生、無事でよかったです」


「あんなバケモノに襲われて逃げきれたんだから、先生はラッキーですよ」


 一颯と和幸の言葉に、高崎は驚いたような感心したような顔をする。


「こ、高内くんたちもアレに会ったのですか? よく無事でいられましたね」


 悪気のない言葉だったが「無事」という言葉に、貴音の気が高ぶってしまった。


「無事じゃないよッ、聡美が死んじゃったんだから! 真治は行方不明になっちゃうし、みんながどうなったのかだってわかんないんだからっ! タケと直登だって……」


 貴音はこぼれそうになる涙をぐっ堪えて窓まで戻り、外を見張りながら目元を拭った。


 突然の乱叫に目を丸くした高崎。


 一颯は、これからどうするつもりだったのかを説明する。


「高崎先生、一刻も早くこの島を脱出するべきだと思うんです。ここは携帯電話も無線も通じないし……。まだ生きているみんなには悪いとは思うけど、誰かが脱出して、警察や自衛隊を連れて来たほうが助かる人が多いと思うんです」


 高崎は眉をしかめた。


「警察や自衛隊――ですか?」


 その反応に和幸が口を開いた。


「先生も襲われたんですよね? あんなバケモノ僕たちだけじゃどうしようもないですよ」


「いえ、いけないと言っているわけではないんです。ただ警察や自衛隊が、こんな話を信じてくれるか心配になったものですから」


「あ――」


 一颯たちの声が見事にハモり、表情が凍りついた。

 高崎の言う事はもっともだったのだ。



 「バケモノが出たから助けてくれ」と言って、本気で信じてくれる大人がいるのだろうか?

 どんなバケモノかと聞かれても、見たこともない生き物なのだ。『バケモノ』としか言いようがない。

 そして、大人は曖昧な情報では動いてくれない。「嘘をつくな」と相手にされない可能性の方が大きかった。



「そうかもしれません。それでも――」


 一颯は一呼吸して、困惑する高崎の目を見た。


「それでも信じてもらうしかないんです。みんなのために、助けを連れて戻ってこなきゃいけないんですっ!」


 強い意志のある言葉に、貴音と和幸も頷いた。


 何かを考えていた高崎が、覚悟を決めたような顔つきになった。


「そうですね、信じてもらうしかありませんよね。……でも、それならなぜ隠れているのですか? 早く……あ――」


 言いかけた口が止まる。


「そうですね、船の動かし方なんてわからないですよね。 任せてください、わたしが操船しますよ!」


 笑顔で立ち上がる高崎。


「先生、船の動かし方なんてわかるんですか!?」


「小型ボートの免許は持っています。基本は同じでしょうから、きっと動かすくらいは出来ますよ!」


 和幸に頷き、操舵室へ向かう高崎に一颯が声をかけた。


「まって下さい先生! 『カギ』がないんです。神楽くんと相模くんが、船長の中森さんを探しに行ってて……だから、もう少し待ってください!」


「大丈夫、わたし電気系は得意なんです。ちょっとイジればエンジンはかかりますから」


 胸を張って移動する高崎に対して、一颯たちは困惑する。


「せ、先生。もしかしたら神楽くんと相模くんが、もうすぐ帰ってくるかもしれないんです! 少し待ってもらえませんか?」


「そうだよ! タケと直登を置いていくなんて出来ないよっ!」


 一颯と貴音が後を追う。


「先生、ふたりは必ず帰ってきます! だから、もう少し待ってくださいっ!」


 和幸もそう訴えるが、操舵室で配線を引っ張り出した高崎は目を細めた。


「もうすぐって……いつ帰ってくるんですか?」


 ……誰も答えられなかった。

 武瑠と直登の無事を信じてはいるが、今どこにいるのかも、本当に無事なのかもわからない。


「逃げるなら早い方がいいです。それに、みなさんは助けを呼ぶためとはいえ、他の人達を置いていくという選択をしたのでしょう? なのに自分たちは例外なのですか?」


 高崎の言葉は一颯たちの心をえぐった。


「そ、それは……」


「私たちはただ……」


 一颯と貴音の言葉は続かず、和幸もなにも言えずに拳を握った。

 高崎はさらに続ける。


「ここが安全とは言い切れませんよね。神楽くんと相模くん、他の皆さんの無事を祈りましょう。私たちが助けを連れて戻ってくるまで、無事でいることを信じましょう!」


 ――――。


 反論がないならと、高崎は配線をイジりはじめた。



 三人は無言でその作業を見ているしかなかった。

 高崎の言葉は、さっきまでの自分たちの考えなのだ。

 命がかかっているこの状況では、自分たちだけが例外というわけにはいかない。

 それでも、命がけでカギを探しに出た武瑠と直登を置いていきたくもない。

 もちろん自分の身も可愛い……。

 いろんな考えが頭を廻っていた。



「よし、これで」


 高崎が船にエンジンをかけた。


「さあ、行きますよ!」


 舵を握る高崎に、一颯の顔色が変わった。


「ごめんなさい。やっぱり、ふたりを置いていくなんて出来ない!」


 操舵室を飛び出していく。


「三島さんダメだよ、戻ってッ!」


 和幸は手を伸ばすが、届かなかった。


「一颯待って、私も行くっ!」


 貴音も、一颯の後に続いて走り出す。


「さ、佐藤さんまで……」


 今度は和幸も止められなかった。本心は一颯や貴音と同じだったのだから……。


「仕方ありません。わたしたちだけでも脱出しましょう!」


 苦い顔の高崎が、まっすぐ和幸を見つめる。


「せ、先生ごめん、やっぱり僕も……」


 後退りする和幸の腕を高崎が掴み、


「ダメですッ! 高内くん、あなたは あなただけは脱出しなければいけないんですッ!」


ものすごい形相で、腕を握りつぶすかのように力を込める。


「え? ぼ、僕だけはってどういう事ですか?」


 高崎は、脅える和幸にハっとなる。


「そ、それは……。こ 高内くんは心臓が悪かったはずです。あなたが残っても皆さんの足手まといになるだけでしょう? あなたは、私と一緒に脱出するべきなんですよ」


 少し握る手の力が緩んだ。

 そのとき、室外から一颯と貴音の悲鳴が響いてきた。


「み、三島さんッ、佐藤さんッ!」


 和幸は強引に手を振りほどくと、置いてあったドライバーを手に取って駆けだした。


 和幸が操舵室から出ると、一颯と貴音がバケモノに襲われていた。


「さ、三匹もいるのっ!?」


 いつのまにか、船内にバケモノが三匹も侵入していた。

 一颯と貴音は、上手く座席を利用して逃れている。


 足がすくむ思いだが、和幸は止まらなかった。

 『一颯と貴音を護る』

 そう武瑠と約束していたのだ。


「こ、このぉぉぉッ!」


 声に反応したバケモノが振り向いた。

 それと同時に、和幸が突き出したドライバーが、バケモノの左目を突き刺していた。


 絶叫をあげてもだえるバケモノ。その暴れる尻尾が、鞭のようにしなり和幸に命中。


「あぐッ!」


 あまりの痛みに膝をつく。

 それが幸いし、飛びかかってきたもう一匹バケモノは和幸を飛び越えるだけとなった。


 しかし運悪く、操舵室から出てきた高崎がそのバケモノと対峙することになってしまう。


「ひ、ひぃぃぃッ!」


 高崎の目の前で、呼吸を荒くしたバケモノの身体が青白く発光しだす。


「あ、あれが神楽くんたちの言っていた……」


 和幸は目を見張った。沢部利春を感電死させたという攻撃の前触れだったのだ。


「先生逃げてッ!」


 和幸の言葉より速く、操舵室へと逃げた高崎を、発光したバケモノが追った。

 そして……



  バシュッ



 操舵室から閃光が走った。と同時に、


  ブゥゥゥゥゥ……ン……


 低い音を響かせて、船のエンジンが止まった。


「せ、先生……」


 高崎も殺されてしまった。と、和幸に緊張が走る。

 たが、泣きそうな声を上げながら操舵室から逃げ出してきた高崎を見て胸を撫で下ろした。


「船はもうダメです、電気系統が焼かれてしまいました! 早く外へ逃げましょうッ!」


 言いながら、高崎は外へ飛び出ていく。


「邪魔よアンタッ、どきなさいよッ!」


 貴音が、もだえながら目に刺さったドライバーを引き抜こうとしているバケモノを蹴り上げる。

 不意を突かれた攻撃に驚いたのか、飛び上がったバケモノは、偶然にも一颯を狙っていたバケモノに体当たりをする形となった。


「一颯大丈夫!? 今のうちに逃げるわよっ!」


「私は大丈夫! ありがとう貴音!」


 一颯の無事を確認した貴音は、和幸へと振り向く。


「高内、あんたは大丈夫っ? 今から走るよ、死ぬ気で走ってよね!」


「ぼ、僕だって大丈夫だよ!」


 叱咤するような貴音に圧倒されかけた和幸は気合いで立ち上がり、ふたりと船外へ飛び出す。


 二匹のバケモノが、船から出た一颯たちを追って来た。



  走る速さは同じくらい……


 一颯は、走りながら後方を確認して唇を噛んだ。


 こちらには心臓の悪い和幸がいる。

 今は大丈夫そうだが、バケモノを撒くだけの持久力には期待できない。何処かでバケモノをやり過ごす必要があった。


「とにかく、何処かに隠れなきゃ……」


 走りながら隠れられそうな場所を探す。


「わ、私について来て下さい!」


 高崎が皆に声をかけた。


「どこか隠れられる場所を知ってるんですか?」


 一颯の質問に、高崎は答えなかった。

 どこまで行くのかわからないが、いまは高崎について行くしかない。


 転んだり止まってしまえばもう終わり。

 バケモノの餌食になってしまうという最悪の鬼ごっこが始まってしまった――。



 □◆□◆

読んでくださり ありがとうございました。

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