表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

World of Unfinished

作者: 翠架

夜の帳の中に、一つの揺らめく炎が灯された。彼女は温かいミルクの入った、陶器で出来たコップを机の上に置き、窓辺に置かれた椅子に腰かけるこの部屋の主へと語り始めた……







今夜は何をお話し致しましょうか?あなた様にはたくさんのお話を今までしてきましたからね……。 飽きてしまってもおかしくありません ……え? あぁ、喜んでいただけたのなら光栄ですわ。

そうですね……なら、今夜は前にあなた様が聞きたがっておられた(わたくし)のことについてお話ししましょう。

そんなに期待したお顔をなさらないで下さいまし。 大した話ではございません。



……私は、〝正義〟というものがよくわかりません。正義は善、正義は弱きを助け、悪しきを挫くもの。ですが、悪しきモノとは一体何を指すものでしょうか?

戦争で人を殺せば英雄と崇め讃えられますが、日常で人を殺せば人殺しと罵られます。貧しい子供には手を差し伸べますが、敵の子供の手は払いのけます。何故、と問われれば十人中八人が「それが当たり前の、普通のことだから」と言い、二人は答える価値もないと去って行くでしょう。

そう、当たり前のことなのです。

人が人である限り全てを善に、正義にすることなど出来るはずがないのです。戦場で自軍が正義で、敵軍が悪と思うように、敵から見れば此方が悪と思うように……。あえて正義というのならば、敵は悪ではなく、別の目的を掲げた正義ではないかと思うのです。


……あぁ、話が変な方向へとそれてしまいましたね。つまり何が言いたいかと言うと、私にとって曖昧としか思えない正義を掲げる〝騎士道〟が解りえないという事です。いいえ、いいえ、決してあなた様の生き方について否定したわけではございません。ええ、決してそういうことではないのです。ただ、私にはまだ解りえないということなのです。……理解していただけたようで嬉しいですわ。

ここからのお話は、いえ、先ほどお話ししたことも含め、全ては一介の侍女の戯言と重いお聞き流しください。その方が都合がよろしいでしょう?私にとっても、あなた様にとっても……。

ところで、あなた様はクレチアン=ド=トワレによって書かれた物語を知っておいでですか? そう、騎士を志す者なら一度は耳にする、英国(ブリタニア)を舞台としたアーサー王物語。その物語の一説で、王は最愛の王妃(グニエーヴル)信頼する理想の騎士(ランスロット)に、不貞という形で裏切られます。そう、裏切られるのです! どんな高潔な誓いを立てようと、最後に人は己の世界を完成させるために! 未完成(・・・)なこの(・・・)世界から(・・・・)逸脱した唯一(・・・・・・)になる(・・・)ために(・・・)!!


……申し訳ございません。私、興奮すると声が大きくなってしまいますの。直そうと思っても、こういったことはなかなか直らないものなのですね。

え?ええ。もうお解りになられたのですね。……そう、です。私が幼き日に憧れを抱いていた〝騎士道〟が、〝善なる正義〟のあり方が解らなくなってしまったのは、父の行った裏切りが、原因です。

昔、よく父は夜に、私に対して騎士道は何たるかを語りました。女の身である私にですよ? おかしいでしょう? ……それとともに、まるで口癖のようにこういっておりました。

 『人は皆、未完成の世界に生まれ、未完成の世界で死んでいく。何も知らないほうが幸せなのに、けれど全てを知りたがる。だから、完成した世界(・・・・・・)を求める人々を導くのも、立派な騎士の役目なのだ。』

と。幼かった私は理解するまでには至りませんでした。ただ、父の言うことなのだから、きっとその完成した世界は、今まで見たことのないような、素晴らしい世界なのだと、漠然と思っておりました。


……そして、あの冬の日。父に手を引かれ、雪の降る中、ざくざくと音を立てながら伯爵家へと続く道を歩いたのを、今でもはっきりと憶えていますわ。父の付き添いとはいえ、伯爵家に行くことなんて、初めてでしたもの。とてもとても楽しみでしたわ……本当に。

その伯爵には、私と歳の近いお嬢様がいらして、父と伯爵がお話する間は二人で遊ぶ予定でしたの。

伯爵家につくと、すぐに暖炉のある客間に案内されました。気の利く侍女が、柔らかいタオルで体についた雪や水を拭ってくれましたわ。そのすぐ後でした。伯爵がお嬢様をお連れになって客間へお越しになったのは。

お嬢様は内気な方でした。伯爵の後ろから恥ずかしそうにこちらを伺っておりましたわ。伯爵と父が別室へ行き、二人きりになれば少しずつですがしゃべるようになり、幾分もしないうちにすっかり打ち解けることができましたの。

おままごとをして、お人形遊びをして……。楽しい時間というものはあっという間に過ぎていくもので、侍女が、父が帰ることを伝えにきました。帰らないで、とぐずるお嬢様とまた遊ぶ事を約束し、侍女に連れられ玄関へ向かいました。玄関には既に父も伯爵もいらっしゃり、そして馬車まで用意されておりました。どうやら待たせてしまったようで、その時の父はいつものようなのに、仄暗い闇色の瞳をしており、怒らせてしまったのではと内心恐々としておりましたわ。

でも、父は怒っていたのではありませんでした。そう解ったのは、馬車へ乗り込もうとしたその時でした。

私を見送ろうと屋敷から出てきたお嬢様を見て、父は、あろうことか斬り捨てたのです。お嬢様と、そして伯爵を。私の、目の前で。

二つに裂かれた少女だったモノ(・・・・・)が、真っ白な大地を真紅へと染める様をただただ呆然と見る私に、父は笑いながら、こう言ったのです。

  『異物は全て無くなった。たった今、私の世界は完成する(・・・・)! 私はこれを騎士として誇りに思う。見なさい、×××!! 私の世界が完成する瞬間を! 今、理解できなくともお前はいつかわかるだろう。そしていつか同じ道をたどるだろう。私と彼女の娘なのだから!』


それを最後に、父は自分の胸へその血に染まった剣を突き刺しました。

父の血が私の頬にかかるときも、父が崩れ落ちるときも、侍女のあげた悲鳴を聞いて人が来ても、私は雪の上に座り、ただただ呆然とその光景を目に焼き付けることしかできなかったのです。

これが、神と剣にかけて、伯爵に騎士の誓いを立てた父の裏切りです。あの時の父と伯爵の会合で何があったのかわかりません。何かがきっとあったのでしょうが、それを知ることはもう不可能なのです。

忠義を誓いながらも伯爵を殺した父が、騎士として罪なき少女を手にかけた父が、私にはわかりません。だから私は、その父が掲げた〝騎士道〟が、〝正義〟がよくわかりません。わかろうと思う気持ちすら、きっと私にはもうないのでしょう。




これが、あなた様が聞きたがっておられた私の胸の内でございます。……ふふ、大したお話ではなかったでしょう? ですから、そんなお顔なさらないでくださいまし。

ああ、もうすぐ世が明けるようですわ。ミルクも、すっかり冷たくなってしまいましたね。お下げいたしますわ。

……え? ええ、では、また今夜必ず。それでは、失礼いたします……。





扉が閉まれば、部屋は静寂に包まれた。

灯されていた炎は、いつの間にか消えていた。

部屋に差し込んだ朝日は、窓辺に置かれた椅子に腰掛ける青い瞳の人形を、ただ静かに照らしていた。








ほんとうの〝せいぎ〟って、なに?


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ