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青い海、白い砂浜

 青い鳥は幸せを運ぶというけれど、その青い鳥に囲まれて過ごす私たちにとってはそう思えません。むしろ私たちの幸せを奪って、どこかの誰かに配っているんじゃないかと、そう思ってしまいます。青白い砂浜の上を、とっととっとと歩いていく青い鳥。かけている眼鏡は、あまり賢そうには見えません。

 薄水色の、きらきら輝くワンピースの裾を、人差し指と親指とでそれぞれ持ち上げます。そのまま裾が海水に浸からぬように気を付けながら、砂浜の白い泡と波を踏んで歩くのです。海の塩っぽい匂いがする。遊びに来た黒髪の人たちはそう言ってはしゃぐのだけれど、この匂いじゃない空気というものが、いったいどんなものなのかを私は、知りません。冷たい、冷たい、水。もうすぐ春が来るから、そうしたら、きっと、この冷たさが嬉しくなる。海の水も、温かくなる。

 海のニンフと言われたけれど、れっきとした人間なのです。ご先祖様たちは、ニンフと言われたおかげで殲滅はされずに済んだのだけれど、それでも誘拐事件などは起こったようです。人魚と言われないでよかった。人魚だったら、殺されたりしていたでしょうし、食べられてしまっていたでしょうから。

 白髪が珍しいのか、黒髪の男の子がこちらを指さします。金髪の男の子が、向こうでほかの私たちをいじめています。あぁ、だめよ、怒られちゃうわ。彼の親御さんが怒ってくれればいいのだけれど。怒らなかったら、私たちの大いなる母が怒ってしまうわ。


 冬だから人は少ないのだけれど、夏にはもっと観光客が増殖します。そのときには、ひっそりと物陰に隠れるようにして夏を過ごすのです。人の波にさらわれないように。ゆぅらりとくらげがやってくるその時期まで、しっとりとした岩肌の洞窟内で、ひそひそと噂話や夢物語に花を咲かせて、過ごすのです。緑の苔を踏みしめて、眩しい太陽の熱に頭を浮かせて。くすくすと忍び笑いをたゆたわせて、白いワンピースを水面に浮かせるのです。ぷかぷか、ぷかぷか、本物が来るまでのくらげごっこ。


 幸せの青い鳥が大量に空を飛び糞を落としていく、どこかへ行こうとも、持って帰ってくるものなどないのに、この鳥が一体何を運んでくれるというのでしょうか。

 青い鳥が運んできたのは、余計な客人たち。

 客人たちの持ってきたものは、弓矢に鉛に毒にごみ。どこからか青い鳥の噂が広がっていった結果です。青い鳥を手に入れようと、金に目のくらんだ狩人たちが、次から次へとやってきました。夏でもないのに、ご苦労なこと。その様子を好奇心旺盛な仲間は見に行ったけれど、あわや撃たれそうになったと、へらりと笑って大げさに怖がり、身を震わせるふりをするのです。怖がってもいないのに。むしろ、初めて向けられたその熱気と自ら感じたスリルに喜びを感じているくせに。


 娯楽の少ない私たちにとっては、人を誘ったり、嘲ったりしていたづらを行い始めることは不思議ではありません。それで痛い目をみる者もいるのだけれど、退屈よりはマシだとやめることはそうそうありませんでした。

 青い鳥はどんどん狩られていったのだけれど、狩人たちが満足した顔をすることはありませんでした。と、いうのも青い鳥は狩られて砂浜へと墜落すると、あの青さはどこへやら、白や薄汚れた灰色へと変貌してしまうのですから。狩人たちはそれはもう苛立って……。だって幸せは目の前にあるのに、手に入れようと殺してみたらただの汚い鳥だったんだもの。


 続く銃声、その数はどんどん増えていきます。最初のうちはきゃっきゃとはしゃいでいた私たちも派手で痛々しい音に辟易してきました。

 砂浜を覗き見ても、重装備の狩人に、あちこちに散らばった空の金属。それから汚い鳥の死骸が落ちていて、とても血なまぐさい光景でしかありません。海のニンフの中には、血の匂いにやられてげぇげぇと食べ物を摂取することができなくなった子もいます。私は吐くほどではなかったけれども、それでも食欲は落ちてしまいました。


 青い鳥が幸せを運ぶなど、ただの迷信だ。

 誰かがそう吐き捨てました。

 私たちは頷きました。

 流れる血を嘆こうとも、無残に打ち捨てられる死骸に眉をしかめようとも、状況は好転などしません。死骸を弔うことも、ましてや銃声を止めることもできずに、私たちは洞窟の奥で震えることしかできないのです。


「母様、母様、助けてください」


 幼いニンフがそう呟きます。

 溢れる一滴のような透明なその言の葉に、細いニンフは両腕を震わせ、幼いニンフを抱きしめました。そして彼女も幼いニンフに続くように願うのです。


「母様、母様、助けてください」


 祈りの言葉は伝染し、私たちは静かに囁きあわせます。


「母様、母様、助けてください」

「母様、母様、助けてください」


 狩人たちは嫌悪を表情で示しつつも、私たちに対して銃を向けようとはしませんでした。私たちは保護動物だからです。乱暴な彼らも至極権力には弱いのです。ああ、私たちにとってはまったく関与することのない権力とやら。愚かな彼らは知らないのです、世界には権力よりももっと大きなものが存在することを。


「母様、母様、助けてください」

「母様、母様、助けてください」

「母様、母様、助けてください」

「母様、母様、助けてください」


 囁きは漣となり、海へと伝わり波紋のごとく、海流の一部のように広がり流れて海を巡ります。青い鳥だったものの赤い血は、青い海へと注ぎ込まれる。白い私たちの緑色の涙も、青い海へと注ぎ込まれる。血と、涙と、海と。混ざり混ざって、ああ、どろどろと。

 美しかった私たちの世界は、黒く濁り始めました。

 そしてあろうことか、海の水がじわじわと少なくなっていったのです。私の膝まであった海が、くるぶしまでしかありません。どうしようもない不安に苛まれました。しかしそれはほかのニンフも同じだったらしく、私たちは一番長い髪を持つニンフのところへ集まってまるで幼子のごとく震え上がるのでした。このころになると、もう砂浜に遊びに行く者はおらず、ただ洞窟の奥にて、ああ、ああ、と喉を震わせ顔を覆うばかりです。

 相変わらず銃声が響き、鳥の小さな悲鳴が響き渡ります。

 何羽の鳥が倒れたでしょうか、何度舌打ちとともにその死骸を打ち捨てられたことでしょうか。恐ろしいことです、恐ろしいことです、恐ろしいことです…………。


 そしてそれは。唐突に訪れました。

 震え、白い吐息を零していると、私たちよりも大樹に近いニンフが慌てたように訪れました。


「お逃げなさい、お逃げなさい。ああ、母様がお怒りになられている。おいでなさい、父様のもとでしばし心をお安めになりなさい」


 深い緑の髪は美しく、汚れているようには思えませんでしたので、大海に近いニンフは洞窟の奥の閉じられた扉から、大樹のニンフの洞へと向かいました。


「あ」

「ああ」

「あああああ」


 母様が、深い海の水で形作られた大きな蛇が、砂浜にて大口を開けていました。ばくりと、ごくりと、金属を振り回す方たちを飲み込んでいきます。火薬も何も意味はありません。ただ母様は怒りに満ちた様相で人々を喰らい、砂を巻き上げ、塩辛い水を流すばかりでした。

 私たちでもあすこにいればただではおかなかったことでしょう。


 終わりはすぐにきました。

 砂浜の上にもう命はありませんでした。

 私たちは大樹のニンフに感謝を告げると、次々に砂浜へと戻りました。命はきれいさっぱりでした。私たちは緑の涙を流しました。

 はらはらと涙を散らす私たちの後ろから、幼いニンフが鳩を抱えて前へ出ました。

 彼女はすっかり落ち着きを取り戻した青い海へと足を踏み入れました。すると、不思議なことに薄汚れた、しかし確かに白かった鳩が、青い鳥へと姿を変えたのです。幼いニンフは、あっ、と声をあげて鳩を落としてしまいました。

 ぼちゃりと音を立てて、青い鳥は落ちて、白い鳥がただ、青い海へと沈みました。

 青い鳥なんていなかったのです。

 青すぎる海はその青を、真っ白な鳥へと映しこませていただけなのです。

 ああ、幸せの青い鳥など存在していなかったのです。

 平和の象徴が撃ち落された砂浜で、私たちはただ、青の感情のままに、涙をはらはらと落とすことしかできませんでした。

 白い静寂と、青い囁きだけが満ちていました。

幸せだと思っていたけれども、そんなことはなかったし、幸せは思っていたよりも作りやすいのかもしれない。

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