虹の飽和水溶液
硝子のビーカーに、いろいろなものを溶かすのが好きだ。
水が思っている以上に様々なものを溶かすことを知った私は、できるものを手当たり次第剥がしては放り込んできた。最初は色鉛筆、次は口紅、千代紙、薔薇に桃。いろんなものを溶かしては、広がる色にため息をついた。すでにこの手遊びは、私の日課となっている。
私は、空の端を千切ると、ビーカーの中へと落した。青色がみるみるうちに広がる。美しい青色。水溶性の空は、切り取る部分や時間でその色を変えるので、お気に入りだ。蝋燭の炎なんかは、どの色の蝋燭を使っても、結局は炎でしかなく、色はいつも同じになってしまい、つまらない。そうぼやいていたところ、金属を混ぜればいいと聞いて混ぜたこともあった。蝋燭の炎と、一円玉を水に入れて溶かしたのだ。綺麗だった。
けれど、そのほかの金属は手に入れづらくて、やっぱり空の色の種類や微妙な違いの方が好きだった。
次の日も、空を持ち帰った。
手を伸ばして、千切って。かけらはすぐに、ノートに挟み込んだ。毎回、毎回、違うページに挟み込んでいくので、私のノートは七色どころの騒ぎじゃない。持ち帰るころには夜になってしまったので、紐を引っ張る。つんつんつん……ぱ、と白色蛍光灯が部屋を明るくする。ベッドルームは橙で、アトリエは白色。そうでないと、ビーカーの中の正しい色が見えないから。
そっと水面に浮かべるように欠片を浸せば、じわりと水が染み込んで、濃い紫と群青の中間色が染み出てくる。下から覗き込むように、ビーカーの中の水が染まっていくのをじっくりと眺める。紅茶が抽出されるように、夜が抽出されていく。飲んでも美味しくないけれど。劇物だから、飲めないのだけれど。
長い時間をかけて眺め終わった私は、棚に置いてある、先生から貸してもらったカメラを手に取った。記録に取るために、ポラロイド写真を撮るのだけれど、私は写真と言うものが苦手。ポラロイドでどれだけ切り取っても、一瞬一瞬、瞬き、揺らめき、表情を変える水溶性のすべてが一枚ごときに収まる気がしないから。それでも撮るのは、ひとえに先生へと提出する義務があるからだ。
「先生、今週の写真です」
白衣の先生に私の研究成果として写真の束を手渡した。レポートとして、興味を惹かれた理由や、実験方法、結果、考察などもまとめなさいと散々口酸っぱく言われてきたけれども、私はずっと作っていない。私のこれは、単なる趣味なのだから。それに、提出用の研究は別で進めているからいいじゃないか、と心の中で舌を出す。
本当は、心の変化に合わせて色が変わる化粧品を作るのが私の研究。いろんなものをビーカーに溶かしているのは、趣味であり、実験の副産物なのである。だから好き勝手にしたいのだ、だから私の自由にするのだ。先生もそれを理解してくれたのか、諦めたのか、呆れたのか、最近では口うるさくなくなった。だから私も、せめて写真だけでも、という先生の言葉に従っているのだ。溶かす材料の提供もしてくれることだし。
スイカのときは面白かったな。上は赤色、下は緑と黒のマーブル模様。上の方はどうやら比重の軽いものだったのか、水と油のように二層にくっきり分かれてくれた。たまにぽこりとマーブル層から泡が浮かんではぱちんと弾ける。泡の様子を見せたかったけれど、ポラロイドではそれも叶わなかった。フィルムで撮るには高価すぎるもの。アイシャドウを溶かしたこともある。あれは単にその色が広がるだけで面白くはなかったな。発色が良くて綺麗ではあったのだけれども。
純粋な水はなんでも溶かしてしまう。今まで溶かせなかったものはなかった。
先生の部屋の壁紙を拝借して怒られてしまったこともある。溶かしてビーカーを覗き込んでみれば、透明だった水が曇りひとつない均一な白に染まっていて驚いた記憶がある。
先生の部屋は苦手だ。白と黒を基調にして、それ以外の色は最低限。直線で象られた家具たち。ぴっしりきっちり。楽しくない。どこを剥がしても、一色にしかならないだろう。ここに来るといつも、自分のアトリエが恋しくなってしまう。
私のアトリエは、先生とは真逆だった。ビーカーの中、透明だった水がどう変わるのかを見るために、机のところには白い紙を貼ってはいるものの、部屋は色彩に満ちていた。ぬくもり感じる木の家具に、感情ごとの色を描いた私の背丈ほどもあるポスター。白かったエプロンは当の昔にペンキだらけ! 転んで空をこぼしてしまったときもあって、その名残はラグで隠してしまっている。転居するときには修繕費がかかってしまうだろうことが悩みの種である。
「お疲れ様です。心と色彩の繋がりについてはどうですか?」
写真が返ってくることはない。私が写真に対して執着していないのを知ったうえでの行動。本当、この先生には敵わないなと毎回感じてしまう。ほら、今も、痛いところを突いてきた。
「うっ、む、むむむ……難しいです……。悲しいから泣くのか、泣くから悲しいと思うのか、どっちに絞ってもいい感じに色が変化しないんですよぉ」
助けてほしいけど言えないそんなときに悲しみの青色に変わるアイシャドウを! と思いついて研究してはいるのだけれども、どうしても神経を走るウィンクを捉えきれていないのか、うまく変わってくれないのだ。茶色から全然うんともすんとも言わない。
「感情の神経に反応するようにしているんでしたね。しかし表出するような感情であれば、作らなくてもいいのでは?」
「む、無意識ですか……また難しいこと言いますね……」
「そうですね。人は、難しいですね」
ふ、と先生が笑った。眼鏡の下の目は、少し優しそうだった。部屋と先生の顔はなんとなく合わない。私は、また写真が溜まったら来ます、と先生の部屋を後にした。
人は、難しい。
それは私もそう思う。人を分解することもできず、分解してもその緻密な出来栄えに私は圧倒されてしまうことだろう。どうすればいいのだろう。
私は、先生のアトリエを後にすると、研究家の密集地を歩き回る。一人に一つ、アトリエと寝室のセット。台所やお風呂トイレもちゃんとついている。ここは私たちにとっては天国のような環境だ。リフレッシュをしたい人が歩くこの小道。常緑樹が道狭しと植えられており、ぴちち、と小鳥が歌を歌う。あそこに咲く花は、私たちの先輩が創ったもの。普通の花とは比較にならないほどの酸素を吐き出す花。
私は人について考える。どうしたら私は人について理解することができるだろう。私と同じように何かしらについて悩んでいるのだろう、研究者らしき人が天を仰ぎながら歩いてくる。彼女に化粧品をつけたら何色になるのだろう? いや、今のままだと茶色だろう。ううん、どうしたものか。
「あ」
新鮮な空気のおかげか、歩いて脳が活性化されたのか、アイデアが出てきた。
「そうか、人を溶かせばいいんだ」
思いついてみれば、そのアイデアはとても輝いているように思える。怒った人を溶かせば、悲しい人を溶かせば、どんな色になるだろう。私は踵を返すと自分のアトリエに閉じこもることにした。扉の前には、集中します、の掛け看板。食料の備蓄もばっちりだ。
さっそく私は、私の一部をぺりり、と剥がした。紙で指を切った時のような痛みが走る。しまった今まで知らなかったけれども、こんな痛みがするのか、と目を見張る。これだと協力を頼むのは難しいかもしれない。と皮膚の色が赤くなってしまった部分を優しく摩る。氷で冷やしたほうがいいのかもしれない。一部をノートに挟んで、もう一部をビーカーに溶かす。
ビーカーの中、四百ミリリットルの純水が入っている。透明。一片の私は端から少しずつ糸が解けるように小さくなっていく。硝子の棒で水をくるりとかき回す。そうすると、みるみる間に私の一部が溶けていく。そうして、残った水は。
透明。
「あれ?」
色が全く変わらず、私は小首をかしげた。わずかにでも変化があってしかるべきなのだけれど、水は透明なまま、向こうの景色を映している。揺らしてみても、とぷりと音を立てるばかりでやっぱり何も変わらない。
私は新しい水を用意すると、また私を入れた。結果は相変わらずの透明さ。どうしようか、私は結果が出ないもどかしさに地団太を踏んだ。
なにか気持ちを表現しているようなものを、人間以外では? そう、例えば、絵とか、本とか……! 私は乱雑にものが置かれたアトリエ内を見渡す。机の上にはレポートばかり、床の上にはこびりついたペンキ、研究資料の本。棚のところはストックしてある溶剤や材料、それから以前に買った豆本。豆本! 私は深緑の表紙の豆本を手に取った。冬に閉ざされた村に、春を届ける喜びの話。私はそれを躊躇ったがビーカーの中に落とし入れた。
人の動きを描いた本ならば、その本に乗せられた感情を溶かしだしてくれるはず、そうでないと困る! 私の必死な祈りが天に届いたのか、恐る恐る目を開けてみれば、美しいグラデーションが精製されていた。柔らかな春の芽吹きの桃色。書物も溶け込み色を出すことを知り、私は震える手でポラロイドを構えた。じじっ、と吐き出される写真を机の上へと放り投げた。なるべくビーカーを揺らさないようにそっと持ち上げて、上下左右から観察する。いくぶんか溶けきれていないのか、陽炎のように濃い桃色が揺らめく。
別の漫画を手に取る。うっかり巻被りをさせてしまった漫画。いくつもいくつも小さなビーカーと純水を用意する。私は、大ゴマのページを選んで破り取ってビーカーの中へと入れ込んだ。
怒りの形相は燃えたぎる色、涙をこぼすシーンの欠片は深い海の色、決意は煌めく朝日の色、恋にときめく乙女の顔はほんのり色づく頬の色。
私の色は透明。
空は水に溶け込んで水を変える。火も、金属も、本も。
しかし私を溶かしても、水は色を変えない。私は溶けない、溶け込まない。
溶かしきれない?
私は、はた、と手を見た。それから部屋に積まれた本の数々を見た。その一冊の本に詰め込まれた感情と、私たちが今まで生み、育て、運ばれてきた感情の総量とだと、どちらの方が多いだろうか。
六千五百七十日分の感情は、残念ながら、五百ミリのビーカーの水程度では収まりきらないようだ。
「人は、難しいなぁ」
赤い痛みに氷を当てようと、私はアトリエから退出する。机の上のビーカーは、五色と二つの透明を抱えて、太陽光を反射させている。
純粋すぎる水はとてもいろいろなものを溶かすと知って、書きました。
とりあえず十個集まりましたので、一度ここで区切らせていただきます。




