女ボスとヒーローと怪人
「げほっ、」
ううう、全身が痛い……。
叩きつけられた床の上で身悶えする。あちこち打ち付けて、どこが痛いのか分からない。っていうか、なに?何事?
なんとか目を開けると、店内は滅茶苦茶になっていた。テーブルや椅子が扇状に凪ぎ払われて、ぽっかりと空き地と化したそこに二つの影が立っている。
あれほど居た他の客たちはどうしたんだろうか。無事だといいんだけど。
影の一つは例の大食漢の青年だ。
なんということでしょう。こんな状況だというのに、彼の右手には食べかけのバーガーが握られていた。なんという食への執念。恐ろしい。
青年に相対すはのは一人の怪人だった。
立派な体躯のリザード系怪人だ。長ーい尻尾は青年の左手に巻き付いている。なるほど、どうやら私はあの尻尾にぶっ叩かれて吹っ飛ばされたみたいだ。
どこの結社の構成員だか知らないが、白昼堂々単独で襲撃に出るなんて随分と豪快な怪人だ。パッと見そんなに強くはなさそうなのになぁ。
しかし、並の怪人だとて身体能力はニンゲンの数倍はある。その怪人の尻尾が腕に巻き付いているのに、平気な顔をしているあの青年は何者なのか。
や、大体の想像はつくけども。
「探シタゼェ、そにっくはんまー」
聞き取りにくい怪人の言葉に、確信を得る。
ソニックハンマー。
この辺で有名なヒーローの一人だったと記憶している。確かアダマギの領土を奪われた戦いにも参加してたとか。
「…………が」
「ア?」
(ん?)
よく見るとソニックハンマーの体が小刻みに震えている。なんだなんだ、どうしーー
「僕のご飯が!!」
それは、悲痛な叫びだった。これでもかと絶望が込められている、聞いた者に痛ましさを与える叫びだった。……内容がアレでもそう感じさせるのだから、叫んだ当人はそれこそこの世の終わりもかくやという心境に違いない。
「まだ、まだ四つしか食べてなかったのに……まだバーガーは三つ残ってたのに……!」
ブルブルと震えながら、ソニックハンマーは続けて叫ぶ。怪人を睨み付ける目には若干涙が溜まっている。
「なんてことするんですかぁ!」
叫び。
轟音。
ーーなにが起こったのか。
怪人が店の壁にめり込んでいる。さっきまで怪人が立っていた場所にはソニックハンマーが。
状況から考えて、ソニックハンマーが怪人を殴り飛ばした、んだと思う。多分。
吹っ飛ばされた衝撃で千切れてしまったんだろう。ソニックハンマーは左手に巻き付いたままビチビチしている怪人の尻尾を嫌そうな顔で外してから、壁に埋まったまま気絶している怪人に歩み寄った。
「逮捕する」
今までバーガーのことで騒いでいたとは思えない声と表情だった。それは紛れもなくヒーローのもので、さっきまでご飯がどうのと騒いでいた食いしん坊の面影はどこにもない。
怪人は未だ気絶したままで、逃げることは出来ない。ソニックハンマーの手がゆっくりと怪人に伸びていきーー
「あ!?」
大変なことに気づいた私は、状況も忘れて思わず声を出していた。
わ、割れてる……!
戦闘能力皆無の癖に秘密結社のボスなんかやってる私を心配して、幹部たちが持たせてくれた防犯ジュエルが割れている。きっと、あのリザード系怪人に吹っ飛ばされた時に割れたに違いない。
なんてことだろう。誰が来るかによるけど、誰が来たってややこしいことになりそうだ。せめてシルフィア!シルフィアだったら!
「迎えに来たよー」
その甘い声音が耳に届いた時、私は思った。
神はいたのだ!
思わずガッツポーズする。今日の防犯当番はシルフィアだったようだ。
シルフィアは店内を見渡して、私を見つけると少し眉を寄せた。そんなシルフィアに向かって、私は必死にアイコンタクトを試みる。
なんとか穏便に済ませてほしい……!
「もー、そんなことばっか言って。やられたらやり返すのが普通なのに、甘いんだから」
だって、これが元で目をつけられたりしたら面倒じゃないか。巻き込まれただけなのに、そんなことになったら大損もいいところだ。私は面倒事は徹底的に避けたいの!
「はいはい。それがボスの意向なら、従いますよー」
軽く肩をすくめて、シルフィアは警戒心も露に自分を注視するソニックハンマーに向き直ってニッコリと笑って見せた。
「こんにちは、いー天気だね」
ソニックハンマーの返事はない。まあ、当たり前といえば当たり前だ。誰が見たって怪しすぎる。
「もー、ノリ悪いなぁ。そんなんじゃ女の子にモテないぞ」
「余計なお世話です」
そこに反応しちゃうんだ!?
思わず心の中で突っ込む。ソニックハンマーの顔はそんなにマズくない。ニンゲン的には上位に入るんじゃないだろうか。ヒーローをしているだけあって引き締まった体をしているし、モテそうなのに。敵かもしれないと警戒する相手に思わず突っ込んじゃうくらいモテないんだろうか。
「女の子はユーモアのある男の人が好きなんだよ、頑張って?」
「だから、余計なお世話だと言っているでしょう」
「ごめんごめん。つい老婆心が」
シルフィアはソニックハンマーをからかいながら、壁にめり込んでいた怪人を引きずり出した。
「うわっ、顔面グッシャグシャじゃん!グロ~」
「なにをする気ですか」
服に血がつく、などと愚痴をこぼしながらシルフィアが怪人を担ぎ上げる。ソニックハンマーが警戒心も露にそう問いかけるけれど、シルフィアはあっけらかんとしたものだ。
「え?連れて帰るんだよ。穏便に事を済ませたいっていうのが私のボスのお望みらしいから」
「そんなことを許すと思っているんですか。人に危害を加えた怪人は例外なく逮捕します」
「ねー。もうホント、実力もないのに無駄に騒ぎを起こすヤツなんかどうなってもいいんだけど。っていうかむしろ恥さらしにも程があるからそっちに処理任せたいんだけどさー。ボスのお願いだから仕方ないよねー」
「なっ……!?」
言い終わるなり、バサッ、とシルフィアの背中から真っ赤な翼が現れる。相変わらず綺麗な翼だ、思わず見とれてしまう。
「やはり怪人ですか!」
リザード系の怪人とは格が違うと察したのか、ソニックハンマーは変身しようとした。けれど、それを察していたらしいシルフィアは慌てず騒がす、私の側に近寄ってきてギュッと首根っこをわし掴んだ。
「え」
「はいストーップ。この一般人が目に入らぬか~」
「ちょ!?」
思わず暴れる。痛くはないが、首を掴む力は強い。シルフィアに危害を加えられるとは微塵も思わないけれど、条件反射だ。
「このオンナノコの命が惜しければ大人しくしていろー!でないと命の保証はしないぞ」
「くっ、卑怯な!」
「なんとでも言うといいわー。で?ほらほら、どうするのー?」
いきなりなにをするのかと思ったが、少し冷静になって考えてみるとシルフィアのとった行動は利にかなっていた。帰るなら一緒に帰った方が安全だし、私としてもいちいち歩かなくて良いので楽だ。
苦渋に満ちたソニックハンマーの顔は、ここで怪人を逃す訳にはいかないという正義感と、人質を見殺しにはできないという正義感に苛まれて歪んでいた。
「わか……った」
そうして、ついにその一言が絞り出された。
「よしオッケー!交渉せーりつ!」
「待て!」
飛び立とうとしたシルフィアをソニックハンマーの鋭い声が引き留める。しかし、シルフィアがやって来たのは前提として私の救護と回収の為で、その私はもう腕の中にいるわけで。
義理は通したのだからこれ以上かまってられない、とばかりに鼻を鳴らすと、シルフィアは一気に飛翔した。
「シルフィー」
「なに?姫ちゃん」
腕の中の私を見下ろしたシルフィアのピンク色の瞳は甘く輝いている。怒ってはいなさそうだ、良かった。面倒なことをさせてしまったという自覚があるだけに、少し気まずかったのだ。
「ん。いや。迎えに来てくれて、ありがとね」
「えー?いいよぉそんなことでいちいちお礼なんてー」
「うん、でもありがと」
「姫ちゃんってば、律儀ぃ」
シルフィアの飛行スピードはとても速い。
空の旅は瞬く間に終わって、基地に着いてほっと一息ついた私たちを出迎えたのは非常に機嫌の悪いヴィンセントだった。