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イレイザー ─仁和歌者─  作者: 姫乃 只紫
『イレイザー ─仁和歌者─』
9/10

『移ろわぬ砦』

 ある昼休み、密ごころを抱く魔女二人。

 目を開けると、頭の芯がじんと痺れた。眼を閉じてしまう。赤い星がちらついている。小さな煌めきだが儚いとは思わない。どうせ消えはしないのだから。身体に染み付いて離れてくれはしないのだから。

 ゆっくりと身体を起こした。額に触ると、寝汗で前髪が張り付いていた。壁にもたれかかって天井を仰ぐ。保健室の天井は白かった。決して赤くなどなかった。

 ──まさか本当に眠ってしまっただなんて……。

 しばらく横になっているだけのつもりでいたが、そこまで身体にガタが来ていたということだろうか。わざわざ保健室に行くほどのこともないとささめには言っていたが、実際こうなってみると迷惑をかける羽目にならなくて良かったと思う。

 いや、もし教室で倒れるようなことがあれば、迷惑をかけるのは保健委員か。でも、一番に助けてくれるのはきっとささめだろう。誰よりも早く、傍に駆け付けて来てくれて──。

「誰、よりも──」

 呟いた唇にそっと触れる。

 それは──氷垣君よりも早く?

 と、引き戸の開く音がした。誰かを確認しようとベッドを仕切るカーテンに手をかけたところで、

「ああ、開けなくて平気よ。それでもお話はできるでしょう?」

 今一番耳にしたくなかった声に、手が止まった。

 年の割にどこか艶めいた、それでいて他者を明らかに睥睨(へいげい)しているとわかる、楽しげな少女の声。カーテンの向こう側にいる彼女に気取られぬよう、そっと息を吐く。気を落ち着けた。

「川田先生は?」

「川田──ああ、保健の先生。机でうたた寝していらっしゃるわ。いくら昼休み中だからって、職務怠慢もいいところよね」

 とぼけるように肩を竦める様子が、嫌でも目に浮かぶ。

「貴女、そんなこともできるのね」

「あら、まるで私が子守唄でも歌ったかのような文言だわ」

 幽かにベッドの軋む音がした。腰を落ち着けて話すほどの要件があるということだろうか。だとしたらひどく億劫──と眉を顰める一方で、今はまだ昼休みなのだと知る。もう随分と長い間、眠っていたように感じていたのだけれど。

「何にせよ、これで藤枝先輩と二人でお話ができるわね」

「貴女とお話?」

「ええ、それはもうじっくり──というのは冗談よ。長話が身体に障っては本末転倒だしね」

 ──本末転倒?

「それは──」

「貴女に地気を操る幻獣の力を託した者として、貴女の身を案じているということよ」

 一瞬我が耳を疑う。だが、すぐ腑に落ちた。珠置山で初めて彼女に会った夜、彼女から地宰を授けられた際、忠告されたことを思い出したからだ。

「そうね、貴女はまだ私に死なれては困るのだったわね」

「そういうこと。でも、流石に驚いたわ。結界を形成するために兎の死体を利用するだなんて」

 蘇子の肩が小さく震えた。

「アイディアを持ち出したのは貴女でしょう?」

「持ち出しただけで、強制した憶えはないわ。普通アイディアを与えられたところで、あんな残酷なこと中々実行に移せないものよ? 同じ恋する乙女としてそのひたむきさに嫉妬しそうだわ」

 極力衣擦れの音をさせぬよう、蘇子は自分を抱き締める。とにかく怯えている事実だけは、彼女に勘付かれたくなかった。

「要件があるなら、それだけ話してもらえないかしら」

「そう? じゃあ一つ質問。貴女どうして兎を手にかけるような真似をしたの? いいえ、どうして珠置山に邪の召喚を賦活する結界を創りたいと私に相談したの、と訊いた方がわかりやすかったかしら」

「ごめんなさい。質問の意味がよくわからないわ」

 素知らぬ振りをしたわけではない。確かな本音だった。得体の知れない不安が胸に募っていく。

「貴女が珠置山を牙城としたのは、偏に氷垣蓮太郎のため。彼が奪っていた命を無傷という檻に閉じ込め生かし続けることで、彼が犯した罪をあくまで貴女の善悪感情基準でなかったことにするため。でもね、藤枝先輩。私やっぱり無傷一匹を隠すのに、あの牙城は大き過ぎると思うのよ。貴女ほど利口な人間なら、もっと効率の良い牙城を築くことだって出来たはずなのに。ねぇ、本当はわかっているんでしょう? 兎を装置として生かした結界だって、あの山には過ぎ足るものだって。貴女から外敵でも作らない限り必要のないものなんだって。なら、何故貴女はそれを欲したのでしょうね」

 蘇子は両腕に力を込める。細い指が二の腕に食い込んでいく。

「想いは目には見えないもの。日毎に移り変わるもの。形がないと不安なのよね。それはもう嫌でも目につくくらい大袈裟な形が。そこに途方もない労力が費やされていればいるほど、貴女の心は救われるのよね。安心できるのよね。ああ、今日も私の一途な想いは変わっていないって」

 彼女がニタリと笑った気がした。


「ねぇ藤枝先輩。昨日の〈あれ〉を見ても貴女の想いは変わらなかった?」


〈あれ〉が何を指しているのか、蘇子にはすぐにわかった。

 昨日の夕方、稲荷神社にて仲睦まじく語り合う二人の男女。

 形だけなら良かった。形だけなら見て見ぬ振りをした。

 でも、自分は気付いてしまった。

 氷垣蓮太郎が大野木ココに向けるあの眼差しに。

 自分には一度だって向けられたことのない、あの瞳に込められた想いに。

「その様子だと、まだ氷垣に対する想いは色褪せていないようね」

 はっとして、隣を見た。当然カーテンは引かれたままで、こちらの様子など見えているわけがない。俯いて奥歯を噛み締める。まるで掌の上で踊らされているようだ。

「ああ良かった。安心したわ。もし貴女がその想いを捨ててしまったのならば、私は地宰を取り上げなくてはならなかったもの」

「その確認が、ここに来た理由なの?」

「さあ、どうかしら。貴女の容体が純粋に気になっていたのは事実だけれど」

 仮眠を取りたかったのも理由の一つねと言って、立ち上がる彼女。

「仮眠?」

「そう、私が隣で寝ていては落ち着かないでしょう?」

 ならどこで休むつもりなのだろう、ソファだろうかと蘇子は思う。足音が離れようとする。蘇子は目を伏せ、口の中で小さく、

「別に──」

 何故か──。

「隣で休んでくれたって構わないわ」

 そう呟いた。それは自分なりの抵抗だったのかもしれない。何か一つでも彼女の予測を裏切る行動が取りたい。今ならば彼女は目を丸くしているだろうか。

「あら、捉えようによってはそそられる台詞。それじゃあお言葉に甘えて」

 彼女に背を向けて寝転んだ。布団に潜る音が聞こえる。沈黙が降りて、息苦しくなった。

 ──落ち着かない。

「ねぇ、貴女にとってあの義姉妹は何なの?」

 どうしてこんなことを口にしたのだろうと蘇子は思う。返事はないが続けてしまう。

「私がどういう人間かはもう知っているでしょう? さっきの確認で、貴女が氷垣君と大野木ココさんの関係を念押ししたことで、私はあの娘に危害を加えるかもしれないのよ。そんな事態が想定できない貴女ではないでしょう?」

 自分は、一体彼女に何を望んでいるのだろう。何と答えてほしいのだろう。

「本当のところ、自分でもよくわかっていないのかもしれないわ」

 返って来たのは、無感動な声。

「でも、昔とは違う。だからもう──愛してはいないわね」

 危害を加えたいのならココでもささめでもご自由に、ただし勝ち目はないと思うけれどと彼女は付けたす。次いで寝返りを打つ音。見なくてもわかる。彼女はきっと私の何もかもに背を向けたのだ。

 蘇子は唇をほとんど動かすことなく、そう──と呟いた。

 あの砦さえそのままならば、きっとこの想いも変わらぬと信じて。

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