出会い
長年統一された天下は、いずれ分裂せねばならない。
古来より、その事実は必然的に繰り返されてきた。
尊和七年。大陸の覇者たる華国が崩壊したのは、もう遥か昔の出来事である。
汚職。
天災。
軍事的敗北。
権力者たちの野心。
これらすべてが王朝を蝕み、崩壊させ、何百とも言える小勢力を生み出した。
大地は火の海と化し、血は川のごとく流れ、空気は腐敗と火薬の悪臭に侵された。
尊和七年、何百も存在していた勢力の内、生き残っていたのはたったの二十七だった。野心、権力、運に恵まれなかった者たちには、歴史の流れに忘れ去られるか、この残酷な世界に粉砕されるかの選択肢しか無い。
直に、これらの勢力も大地から消え、争いの連鎖を断ち切る何かに取って代わられるだろう。
長年分裂された天下は、いずれ統一されねばならない。
古来より、その事実は必然的に繰り返されてきた。
それはそれとして、地獄のような世界に新たな希望の時代を切り開く男女だが、二人の思いは一言で要約できる。
「隠居したい」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
あばら家の扉と雨戸を雪が軽く叩く。
中央の火鉢の小さな焚火が、あばら家の泥レンガの壁を照らしながら、外の冷気を必死に押し返そうとする。
華国の辺境の沛龍県、そのまた辺境の小さな村。
少年は、手元の本を読みながら目をこすった。
彼の髪は、外の夜空のように黒く、彼の瞳は、反射する焚火の色と対照的に青い。
手元の本は、長年読みつぶされたせいか、文字がぎりぎり読み取れるかどうかの状態まで劣化していた。しかし、少年にとって、それはどうでもいいことだった。
この本をこうして夜な夜な読んだのは、これで何回目だろう。
この本に限った話では無い。少年が自宅と呼んでいるこのあばら家の約五分の一を埋め尽くす本、その全て読んだことがある。
何度も。何度も。
紙で作られた本。布切れに書かれた短いメモ。木簡に書かれた古い巻物。全てである。
少年は、溜息を漏らしながら、手元の本を閉じた。
単騎が雪まみれの道を進む。
血まみれの上品な衣の上には薄片鎧の胸甲、そこから針鼠のごとく矢が無数に突き刺さっていた。
馬が立ち止まると、騎士は、乗客の少女を道連れに馬上から転落した。
幸い雪で落下の衝撃は緩和できたが、その雪は既に血で赤く染まっていた。
少女は、騎士に立ち上がるよう促そうとするが、瀕死の騎士にはもうそのような力は無い。
彼は、優しく少女を突き放した。
故に、少女は歩いた。衣に雪が少しずつ積もりながら、血で染まった足跡を一歩一歩残しながら。
寒い。
上手く歩けない。足に力が入らない。
少女は、雪で埋もれた地面に倒れこんだ。
正面から足音が聞こえて来る。
追手の者たちだろうか?いや、違う。方向が真逆である。
では地元の民だろうか?もしくは盗賊か?
少女は、必死に立ち上がろうとする。だが、無駄なことだった。意思があっても、身体にそれを実行する力は、もう残っていなかったのだ。
全てが闇に溶け込む。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「蓮。おい、蓮!聞いてんのか?」
手元の本を読んでいた青い瞳が、一瞬瞬きで隠れる。少年、蓮は、視点を手元の本から斜め前に立つ人物に向けた。
少々蓮より年上の彼は、先ほど罠で捕まえたであろうウサギを三匹肩からぶら下げていた。
「すまない、善雲。なんだって?」
年上の彼、善雲は、首を横に振りながら蓮の隣に座った。
「だから、城の様子が良くないって話だよ。お前の言った通りにな」
「そうか」
「県令が米と麦を配給制にするって宣言してた。自分も配給に従うってな」
「そんなに酷いのか」
「ああ」
軽く溜息をつきながら、蓮は立ち上がり軽く背伸びをした。
「まあ、他の県令に比べたらマシな判断だろうな」蓮が読んでいた本から埃を掃いながら言う。「だろう、美奈」
蓮が視線を移す。その先にいる少女、美奈は、手元の別の本に目を通し、そろばんを弾きながら蓮の問いかけに頷いた。
「穀物の輸入が去年に比べて二割減ってる」淡々と美奈が報告する。「また」
「県内生産は?」
「難民たちを労働力として投入したから、少し上がってるけど、大して変わりは無い。土が合ってない。『先生』の輪作方法を使っても補えない」
「『先生』が持って来たあの新しい作物は?」善雲が問う。「いい感じに育ってるっぽいぞ?」
「あのねぇ」美奈が呆れたような表情を浮かべる。「たしかに去年は豊作だったけど、それでも里のみんなを養うのに精一杯なの。沛龍県全体を養えるわけ無いでしょ」
「他の村とかにも植えればいいだろ」
「それができれば苦労しない!ホント、善雲って馬鹿じゃないの?」
「馬鹿は余計だろ!」
善雲と美奈が、今週に入って十回目の口喧嘩を始めた。
それを見届けた蓮は、再度溜息を漏らすと、気分転換に周囲を見渡した。
泥レンガでできた住宅が、綺麗に整然と縦横に並んで、眼下の森の空き地を埋め尽くしていた。多くの住宅の煙突からは煙が立ち、蓮が立っている場所からでも、男女の話し声や鍛冶屋が鉄を打つ音が、かすかにではあるが、蓮の耳に届いてきた。
(『先生』がこれを見たら、どう思うだろう)手元の本に一瞬視線向けながら蓮が思う。
溜息が漏れた。今まで何度溜息を漏らしたか、もう記憶に残っていない。どうでもいい。
気づけば、善雲が蓮を現世に呼び戻した。
「そう言やぁ、蓮。お前がナンパしてきた女の子、どうしてる?まだ寝てんのか?」
蓮は、呆れたように目を転がした。
「善雲、言い方。あと、彼女は寝てる。今蘭華が面倒見てる」
少女がゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が目に飛び込んできた。手足には鋭い痛みが走り、全身の筋肉が疼いていたが、一つだけ確かなことがあった。
彼女はまだ生きている。
体を起こそうとしたが、痛む筋肉が脳の命令に従わず、結局、寝ていた藁の敷き布団の上に倒れ込んでしまった。
ちょうどその時、小屋の扉が開き、同じくらいの年頃の女性が、粥のようなものが入った器を慎重に抱えて入ってきた。
彼女は、患者が目を覚まし、ベッドから起き上がろうと苦戦しているのを見て、思わず食べ物をこぼしそうになった。
「蘭華、彼女の様子は?」
「自分で訊いてみればいいでしょ?」
溜息を漏らす蓮。視線の先にいた一つ年上の女性、蘭華は、薬草の在庫を漁りながら蓮の問に答えた。彼女の茶髪が、たまに外から吹き込んで来る風に揺れる。
「医療的に、だ」と蓮。「あのお姫様がこの里に長居すると厄介だ」
「だったらなんで彼女を助けたの?」
蘭華の反論に対し、蓮は黙り込んだ。
クスッと笑う蘭華。
「まともに歩けるまで一週間は必要かな?遠出は無理ね」
「一週間か……」
蓮の表情が曇りはじめたその時、蘭華が突然蓮の耳を弾いた。
痛みで蓮の意識が現世に戻る。
「色々計画とか立てる前に、やるべきことがあるんじゃない?」蘭華が蓮の耳元で言う。「あの子にも発言権はあると思うよ」
蓮は、再度溜息を漏らすと、隣の家へと足を運んだ。
少々ぎこちなく玄関の扉を叩く蓮。
「……はい?」
少女の声が恐る恐る返事をした。不安そうな声だったが、少しばかり決意のような物が混ざっているように聞こえた。二日も寝たきり状態だったにしては元気のようだ。
一瞬、蓮は戸惑った。
少女の持ち物、特に腰から下げていた剣、から察するに、彼女は恐らく高貴な家柄の者か、それに使える者だろう。周囲の人物が礼儀作法に則って行動するのを機体しているだろう。
となれば、蓮はどう行動すればいいのだろうか?
今まで読んだ本にそのような知識は無い。「先生」の教えにも無いが、それは彼の宮廷嫌いが原因だろう。
蓮の後ろから溜息が聞こえた。
すると、突然蘭華が蓮を玄関に押し込んだ。
蓮が家の中に転げ込む。
同時に、蓮の青い瞳が、部屋の奥の赤い瞳と合った。
少女は、まだ藁の敷布団の上に横たわり、困惑した表情を浮かべていた。身に着けているのは、本来着ていた絹の服の代わりに、あちこちを繕った農民の衣だった。蓮が彼女を見つけた時の雪のように白い髪は、窓から差し込む日差しの中で輝いているように見えた。衣越しであっても、その細身で背の高い姿はひときわ際立っていた。
最初雪の中から助けた時には気付かなかったが、目の前の彼女は一言で表せた。
美しい。
無論、声に出して言えることではない。特に今の状況を考えれば。
「ごめんなさいね」蘭華が玄関を通りながら言う。「お茶持って来た。少しは元気が出ると思うよ」
部屋の隅の机にやかんと何種類かの薬草を置く蘭華。
「そうそう、この子がさっき話題に上がってた蓮君」
蘭華の言葉に対し、少女の目が丸くなり、視線を蘭華から蓮に映す。
「蓮君は、そうね、ここの村長みたいな存在かな?」蘭華が蓮の紹介を続ける。「なにかあったら彼に相談してみて」
「蘭華……」
蓮が「余計に面倒ごとを増やさないでくれ」と言いたそうな表情を浮かべながら蘭華を睨みつけた。
クスッと笑う蘭華。
「じゃあ、蓮、後は任せるね。あ、それと」蘭華が視線を蓮から少女に移した。「蓮は貴方に何もしないから安心して。そんな度胸無いから」
そう言い残すと、蘭華は玄関の扉を閉めながら家を出た。
蓮とアルビノの少女の間に、気まずい静けさが降り立った。
「……あの」
最初に沈黙を破ったのは、少女の方だった。
「あなたが私を助けてくれたと聞いています。本当にありがとうございます。ですが、見ず知らずの私を何故……?」
少女の声から、蓮は緊張と警戒を感じ取れた。
蓮は、近くにあった椅子に座り込みながらまた溜息を漏らした。
「……人助けをするのに、理由なんて必要?」
少女は、自分の事を「銀」と名乗り、高貴な家の出であることを認めたが、それ以上は明かさなかった。
それでいい。
蓮からしてみれば、詮索するつもりは無かった。彼女になんらかの事情があるのは明白であり、余計な面倒を回避するための処置だった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
蓮は、定期的に銀の様子を確認しに行った。
正直、彼女とは必要以上に接触したくは無かった。
理由は既に述べた通りだが、何故か足が勝手にそうさせる。
ある日、銀の見舞いに来た蓮は、数冊の本を抱えながら玄関を通った。
「調子は?」
「蘭華さんによると、予想より早いそうです。今日は自力で立ち上がることが出来ました」
「そいつは良かった」
先日も、似たようなやり取りをした気がする。
少々気まずい静けさが二人の間に降り立った。先日も似たような現象が起きた気がする。
「……これ」蓮が銀に抱えていた本を銀の枕元に置いた。「いや、その、ずっと寝込んでいると暇かなぁと思って」
銀は、渡された本を手に取った。表紙もページも黄ばんでいて、文字がかすれて所々読みにくい。
「本当は小説とかの方がいいのかもしれないけど」少々焦った様子の蓮が言う。「ここにはこれぐらいしか無くて」
「大丈夫。ありがとう」 銀は、少し首を横に振ると、蓮に優しい笑みを見せながら本を開いた。「すみません、色々ご迷惑をおかけして」
「だから礼は要らないって」
このやり取りも、前にしたような気がする。
蓮が銀を助けてから三日後、彼女は、まだ杖を使いながらではあったが、自力で歩けるほどに回復していた。
彼女は、歩けるようになるや否や、里の見学をした。
畑や工房、住宅街、そしてそこに住む民、全てに興味があったよう。
蓮からしてみれば、彼女の身体を案じて見学に反対していたが、最終的には折れた。
とは言え、銀の見学中の輝くような瞳を見るなり、内心「まあ、いいか」で済ませてしまった。
「蓮君」見学の後、銀が気になっていた事を訊ねて来た。「この里は、ほとんどの地図には載っていないほど新しい物です。なぜここまで人口が多いのですか?外からの移民だという事は理解できますが」
蓮は、銀の問に対し、口元まで持ち上げかけていた茶碗を止めた。
「……罪人だから」
蓮の返答に対し、銀の身体が一瞬固まる。
「盗賊、詐欺師、物取り、債務者、逃亡した農奴や奴隷、脱走兵、色々いる。どんな罪状を思い浮かべても、その罪を犯した人間がこの里に一人はいるはず」
蓮が視線を銀に向けた。
「でも、彼らは悪い人間じゃない。少なくとも、今はね。この里の住民は皆、生き残るにはそれしかないと考えた末、ある時点で犯罪に手を染めたんだ。でも、別の生き方があることを知ったから、変わることができた」
「……なるほど」ホッとした表情を浮かべる銀。「『賢者の里』と呼ばれる理由がわかりました」
「……ん?」 解せぬ事を聞いた蓮。「今なんて?」
「『賢者の里』です。この里を乗せていた勇逸の地図にはそう記載されていました」銀が頭を傾けながら言う。
益々解せぬ蓮。
「僕はここの第一村人同然だけど、ここに賢者なんていなかったような」
「心当たりはありませんか?」問い詰める銀。「魔法のような力を振るう仙人とか、異界の知識を持つ占い師とか」
一瞬考え込む蓮。
「……あぁ、『先生』の事か」
結論に至った蓮は、席から立ち上がると銀に手を差し伸べた。
「会う?」
一つの墓石が立っていた。
台座の上にそびえ立つ高い寺院のような形をしており、屋根の部分は苔に覆われていたが、それ以外の部分はきれいに手入れされていた。墓石の表面には、まるで異世界から来たかのような文字が刻まれていた。
「『先生』は、僕たちに全てを教えてくれた」墓石の前にしゃがみながら、蓮が語る。「読み書き、算術、農業、哲学、全て。素性は、結局明かしてくれなかったけど。この里では実現できたけど、『先生』は、生きるためだけのために殺し合う必要の無い世界を夢見てた。ずっと、この世界がなぜこのような戦国の世になったのか議論してた。毎度毎度負かされてたっけ。結局、結論には至らなかったけど。」
銀は、それまで墓石と蓮を交互に見つめていたが、ため息をつくと、視線を里の他の場所へと移した。
「……蓮君は、変えようと思った事は?」囁くように問う銀。「この世界を」
蓮は、彼女の問に対し目を細めた。
銀の瞳から、決意のようなものを感じた。
会話の方向は、察しがついている。
「貴方はそうしたそうだね」
蓮の推測に対し、銀がクスッと笑う。
「皆、この壊れた世界を受け入れているか、元通りに直そうとしています」蓮の方を向きながら語る銀。「私は、新しい物を作りたいのです」
「どうやって?」蓮が反論する。「理想と気力だけなら限界がある」
銀は、これに対し黙り込んだ。
蓮の見たところ、彼女の決意自体に変わりはなかった。ただ、蓮の反論のせいで、別の何かが揺らいでいるように見えた。
無意識に、蓮は口を開いた。
何が言いたかったのだろう。謝罪?助言?言い訳?
溜息と共に口を閉ざし、視線を逸らした。
(……そんなこと言える立場じゃ無い)考え込む蓮。(僕は、世界の事なんか忘れて……)
その時、遠くから聞こえてくる蹄の音が、彼の思考を遮った。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「善雲、状況は?」
善雲たちが集合していた里の中央広場に、蓮が駆け込んだ。
善雲が蓮の下に駆け寄る。肩から弾薬盒をぶら下げ、手には長い鉄砲を持っている。
「騎兵だ。百騎ほどこっちに向かって来てる」
「旗は?」
「見当たらない。装備はある程度整ってたように見えたけど。多分盗賊じゃぁ無い」
一瞬、蓮が考え込む。
「狙いは姫様か?」善雲が問う。」
「多分ね。問題はその理由だ」
ちらりと、銀に視線を送る蓮。銀は、蓮の意を察したのか、蘭華に支えられながら近くの小屋へと非難した。
「仕方がない。なんとか切り抜けるか」嫌そうな溜息を吐きながら呟く蓮。「美奈、里のみんなにはいつも通り行動するよう伝えてくれ」
「うん」
「善雲、猟兵たちを森の中へ。何かあったら速攻で片付けたい」
「任せろ!雷銃隊!続け!」
装甲騎兵の一人が、里の入り口のすぐ手前で立ち止まった。
全員が黒の鱗甲を全身にまとっており、戦傷による修理の跡がところどころに見られるものの、どれも精巧に作られ、手入れが行き届いていた。槍を携えている者もいたが、大半は腰に剣を下げていた。中には兜を被っている者も数名いた。
百戦錬磨の強者の風格が、彼らから漂う
「これはこれは、皆様、どのような要件でございましょう?」
蓮は、腰を低くし、怪しい商人のように両手を揉みながら彼らに近づいた。
騎兵を率いていると思われる先頭の老将軍が、蓮のわざとらしい態度に対し軽くあざ笑うと、自ら馬を降りた。
「人を探している。雪のように白い髪と肌、薔薇のように赤い瞳を持った少女だ」偃月刀を片手に近づく老将軍。「引き渡せ」
(やっぱり)
蓮は、不安な笑みを浮かべたまま、内心溜息をついた。
「白髪赤眼の少女、ですか」可能な限り鬱陶しく聞こえるような声で答える蓮。「記憶にございませんなぁ。何故その少女を探しておいででしょうか?」
老将軍の片方の眉がピクッと動いた。
「それを知る必要は無い。言う通りにしろ、下民、さもなくば痛い目に合うぞ」
蓮の中で、堪忍袋の緒が切れるような感覚が脳裏を走った。
溜息と共に、演技を辞める蓮。
「なるほど。よくわかりました」背筋を正しながら言う蓮。「……だが断る」
「何……!?」
目の前の老将軍を、怒りの目で睨みつける蓮。
「貴殿は高貴なお方と思って接していたつもりだったが、どうやら勘違いだったらしい。貴殿、いや、貴様はそこら辺の盗賊より卑しい。遠くから、頼み事をするために、見知らぬこの地へやって来たというのに、ここに来ては武力と、貴様自身には何の功績もない先祖の偉業を盾に、我々を威圧するとは!礼儀というもの知らないのか!?ああぁ!?」
老将軍の頭の血管が怒りでピクピクと動いた。
「貴様……!!」
怒りのあまり、老将軍は、年不相応の筋肉を使って偃月刀を振り下ろした。
しかし、蓮は、一切避けようとはしなかった。
鉄が鉄を叩く音が、里中に響いた。
蓮は、騎兵らが激怒し彼を切り捨てようとすることは一切心配していなかった。
視界の外ではあったが、善雲が森の中で伏兵を配しているのを、蓮は承知していた。
彼の腕を持ってすれば、長距離から老将軍の右手首を撃ち抜き武装解除させることは容易と思っていた。
それなのに、蓮は、目の前の光景に対して目を見開いた。
農民の服を身にまとい、包帯を巻いたままの銀が、蓮の前に立ち、老将軍の一撃を自らの剣で受け流した。その瞬間、彼女の白い髪が優雅に風になびき、衝撃で包帯の間から少し血が飛び散った。
老将軍は、一撃を防がれ、素早く無意識に数歩距離を置き、臨戦態勢を取った。
しかし、銀を見ると、目を見開いた。
「……姫様?」
銀は、姿勢を正すと剣を老将軍に向けた。
「控えよ、改将軍!」険しい表情を浮かべながら、銀は叫んだ。「私の命を救ってくれた人たちに、そのような脅しや侮辱を口にするとは!」
老将軍、改 何両は、最初、呆然として立ち尽くしていたが、突然武器を地面に投げ捨て、自らも地面にひれ伏した。
「とんでもございません!そんなつもりなど微塵もありません、姫様!」
将軍の行動を見るなり、残りの騎馬兵たちも、将軍同様に下馬し、銀の前にひれ伏した。
そんな中、銀の後ろから恐る恐る足音が近づいて来た。
「状況を説明してもらえますか?」少々イライラした表情を浮かべた蓮が問う。「姫様?」
銀は、蓮の皮肉まみれの質問に対しクスッと笑うと、申し訳そうな笑みを浮かべながら蓮を向いた。
「改めて自己紹介を。私は李 銀獅。武林公の娘です」銀の表情が少しだけ和らいだ。「ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
二人はまだ気づいていなかったが、まさにその瞬間、革命の波に乗って天下に平和をもたらすことになる公女は、その夢を実現するためにまさに必要としていた人物:有能でありながら消極的で、しばしばため息をつく戦略家と出会ったのだった。




