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うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい

リビングの一言坂と、我が家の『蜻蛉切』 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜

作者: 尾白景
掲載日:2026/02/19

 これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――



挿絵(By みてみん)


 三月のとある金曜日。

 中学校での六時間授業を終え、部活のない今日は久々に明るいうちに帰れるな、なんて思いながら玄関の扉を開けた時だった。


 中学生になった俺、たくみを待っていたのは、安らぎの我が家ではなく、緊迫した「戦場」だった。


「匠ッ! 止まりなさい! 靴を脱いだら、そこから一歩も動いちゃ駄目よ!」


 制服のネクタイを緩める暇もなく、リビングの奥から悲鳴のような鋭い警告が飛んできた。

 女子高生の姉、真綾だ。

 ただ事ではない気配に、俺は通学鞄を玄関に置いて、恐る恐るリビングを覗き込む。

 そこは、異様な光景だった。


 まだ外は明るいというのに、部屋の照明は全開で煌々と輝き、カーテンは全て閉め切られている。

 そして、部屋の中央にあるソファの上に、高校のジャージ姿の真綾と、愛犬のミニチュアダックスのきなこが、身を寄せ合って「籠城」していた。


「……姉ちゃん、何やってんの?」


 俺が呆れながら尋ねると、真綾はクッションを盾のように構えながら、涙目で叫んだ。


「見れば分かるでしょ! ここは今、『一言坂ひとことざか』なのよ!」

「は? 坂? 何言ってんの?」


「テストに出るわよ匠! 徳川家康公が生涯最大の敗北を喫した『三方ヶ原の戦い』の前哨戦! 撤退戦よ!

 武田信玄という巨星に挑み、敗走する徳川軍が、殿しんがりを務めて必死に浜松城へ逃げ込もうとする……今の私たちは、その徳川軍そのものなの!」


 真綾は悲痛な面持ちで、腕の中にいるきなこを抱きしめた。

 よく見ると、きなこの頭には新聞紙で折られた「兜」が被せられている。しかもマジックで、本多忠勝の特徴である「鹿の角」の前立が書き込まれている凝りようだ。


「きなこ、頭を上げちゃ駄目よ。流れ弾が飛んでくるわ」

「ワン?」


 きなこは状況を全く理解しておらず、短い尻尾をパタパタと振っている。

 俺はため息をついて、リビングの床――姉が言うところの戦場――を見渡した。


「で、その武田信玄……じゃなくて敵軍ってのはどこにいるんだよ」

「……テレビ台の下よ」

 真綾が声を潜め、震える指先で指し示す。


「出たのよ……あの『漆黒の彗星』が。カサカサって……あの乾いた絶望的な音を立てて、私の聖域(おやつ置き場)を蹂躙したの!」


 ああ、なるほど。

 黒い悪魔。G。アレが出たのか。


 真綾は重度の歴史オタクで、普段は「古代人の食生活を再現する!」とか言って、怪しげな木の実やサバイバルの文献を読み漁っているくせに、なぜか家庭内に出現するあの虫だけは、生理的に受け付けないらしい。


「なんだ、虫かよ。新聞紙丸めて叩けばいいじゃん。俺、着替えてきたいんだけど」


「甘いッ! 甘すぎるわ中坊! 家康公に『過ぎたるもの』と言わしめた本多平八郎忠勝公ですら、そんな無謀な接近戦は挑まないわ!」


 真綾はクッションを放り投げ、ソファの背もたれの裏に隠していた「何か」を取り出した。

 それを見た瞬間、俺は言葉を失った。


 長い。

 とにかく長い。


 掃除用のクイックルワイパーの柄に、ホウキの柄、さらに部屋干し用の突っ張り棒をガムテープでガチガチに連結させた、全長四メートルはあろうかという長大な「棒」だ。


 先端には使い古したスリッパが、ガムテープでぐるぐる巻きに固定されている。


「……何それ。図工の課題?」

「馬鹿ね。これぞ、我が推し・戦国最強の武将、本多平八郎忠勝様の愛槍『蜻蛉切とんぼきり』への現代的オマージュよ!」


 真綾はその不格好な連結棒を、まるで国宝でも扱うかのようにうっとりとした手付きで撫でた。

 ジャージ姿の女子高生が、スリッパのついた棒に陶酔している姿は、なかなかにシュールだ。


「いい、匠? 歴史の授業で習ったでしょ? 平八郎様は生涯五十七回の合戦に出て、かすり傷一つ負わなかったの。『無傷』! なんて甘美な響き……!

 私も奴の体液一滴たりとも浴びずに完全勝利したいの!」


「だからって、そんな長いの室内で振り回せるわけないだろ。天井に穴開くよ」


距離ディスタンスこそが愛であり、正義よ! 蜻蛉切の由来を知ってる? 戦場にて穂先を立てていたところ、そこに止まったトンボが、あまりの切れ味に自重で真っ二つになったの。なんて儚くて、鋭くて、美しいエピソードなの……尊い……」


 真綾の瞳が、恐怖と推しへの愛でカオスな色に染まっている。

 彼女は連結棒――現代版・蜻蛉切を構え、ソファの上で仁王立ちになった。


「奴は速い! そして不潔! 接近戦なんてもってのほかよ! 半径二メートル以内に近づかれたら、私はショック死する自信があるわ。だからこの四メートルの間合いで、一方的に蹂躙してやるの! これぞ一方的な平和的解決よ!」


 ◇


 その時だった。

 真綾が振り上げた長い棒を見て、きなこの目が輝いたのは。


「ワンッ!」


 遊んでもらえると思ったきなこが、ソファの上で跳ねた。

 ダックスフンド特有の短い足で、器用に真綾の足元にまとわりつく。


「ああっ、きなこ! 駄目よ、これはオモチャじゃないの! 天下三名槍の一つよ!」


「ワンワン!」


「違うってば! あんた、平八郎様の愛馬『三国黒みくにぐろ』の生まれ変わりとして、私を背に乗せて戦場を駆けるんじゃなかったの!?」


 真綾が慌てる。

 その騒ぎに反応したのか、テレビ台の下から『黒い影』が飛び出した。

「ひいぃぃぃっ!! 動いたぁぁぁ!」


 真綾の悲鳴が上がる。

 影は恐るべきスピードで、カーペットの上を疾走し、ソファの方へと向かってくる。


「くっ、掛かれぇぇぇ! 槍の基本は『叩く』こと! 戦国乱世の雑兵たちがそうしたように、脳天から叩き潰してやるわ!」


 真綾は目を閉じ、半狂乱で長槍を振り下ろした。

 一般的に、戦国時代の集団戦において、長い槍(長柄槍)は突くものではなく、上から叩いて相手を打ち据える打撃武器として運用された。彼女の歴史知識は正しい。


 だが、ここは広大な関ヶ原ではなく、日本の狭小住宅のリビングだ。


 ガガンッ!

「ああっ!」


 長すぎる柄が天井のシーリングライトの縁に接触し、盛大な音を立てる。

 さらに、振り下ろした先端のスリッパは、敵ではなく何もないフローリングを強打した。


「当たらない! 速すぎるわ!」

「姉ちゃん、適当に振り回すなって! 床が傷つく!」


「だってきなこが! きなこが足元でチョロチョロするから狙いが定まらないのよ!」


 興奮したきなこは「わーい! スリッパだー!」と、振り下ろされた槍の先端を追いかけ回している。

 これでは誤爆が怖くて攻撃できない。


「ワンワン!」

「駄目ぇぇぇ! きなこ、そのスリッパを噛むんじゃないの! そこは蜻蛉切の命(刃)よ! ああもう、戦列が乱れてるわ!」


 ――――カオスだ。


 虫への恐怖、推しへのリスペクト、そして愛犬の制御不能な可愛さ。

 全てが絡み合って、姉ちゃんは完全にパニックに陥っていた。

 そうこうしている間に、黒い影はソファの下――姉ちゃんときなこが乗っているその真下――へと潜り込んでしまった。


 ◇


「いやぁぁぁぁ! 直下! 直下に敵影あり! 本陣が突き崩されるぅぅぅ!」


 真綾がソファの背もたれによじ登る。

 きなこも真似してよじ登ろうとするが、足が短くて登れないため、クッションの上で「抱っこして!」とぴょんぴょん跳ねている。


「まずい、きなこが前線に取り残されたわ! 匠! 援軍! 援軍を要請する!」

「はぁ……もう、貸してよ」


 俺は観念して、学生服のままリビングに上がった。

 ソファの上で震える真綾から、四メートルの長槍をひったくる。


「こんなガムテープだらけの棒で、何とかしろって言うの?」

「お願い匠! きなこを守って! 奴は不潔の塊よ! きなこの鼻先が触れたら、一週間キス禁止の刑にするわよ!」


 それは困る(きなこが)。


 俺は覚悟を決めて、ソファの下を覗き込もうとした。

 だが、きなこが「なになに? かくれんぼ?」とばかりに、俺の顔の前に割り込んでくる。

 そして、その奥の家具の隙間に、黒い影が潜んでいるのが見えた。


 距離はおよそ二メートル。

 手前のきなこが邪魔で、上から叩くことはできない。叩けば間違いなくきなこの頭をスリッパでカチ割ることになる。


「……無理だよ。きなこが邪魔で叩けない」

「馬鹿ね! 誰が雑兵の槍(長柄槍)として使えと言ったの!」


 ソファの背もたれにへばりついたまま、真綾が鋭く叫んだ。

 その瞳には、恐怖に打ち勝たんとする、歴史オタクとしての矜持が宿っていた。


「いい、匠? よく聞きなさい。その槍は、選ばれし武将のみが扱うことを許された『大身槍おおみやり』だと思いなさい!」


「大身槍? 普通の槍と何が違うんだよ」


「そう! 一般的な長柄槍は叩くものだけど、蜻蛉切のような穂先の長い名槍は、その重さと切れ味で、刺突や斬撃にも耐えうる最強の武器よ!」


 真綾は身を乗り出し、俺の腕を掴んで構えを修正させた。

 姉ちゃんの手は冷たくて、小刻みに震えている。本当に怖いらしい。たまには、可愛らしいところもあるじゃないかと、妙に感心してしまった。


「叩くのは諦めて! 『突き』に切り替えて!」

「でも、こんな長い棒、先がブレて狙えないよ!」


「だから構えを変えるのよ! 左手は『筒』! スライダーを作るの!」



 真綾の熱血指導が始まった。


「長い柄を左手で軽く握って、ガイドレールにしなさい。強く握っちゃ駄目、滑らせるのよ。そして右手は、槍を弾き出すピストン! ビリヤードのキューを扱うように、あるいは攻城兵器のバリスタのように!」


「こうか?」


「そう! 脇を締めて! きなこの頭上、数センチの空間を滑らせて、ピンポイントで奴を狙撃しなさい! 外せばきなこがスリッパの餌食よ! 心眼を開け!」


 無茶苦茶な注文だ。


 でも、言われた通りに左手を添えてみると、驚くほど先端が安定した。

 重さを左手で支えつつ、方向を微調整できる。

 四メートル先の先端が、まるで自分の指先の延長になったような感覚。


(……いける)


 俺は息を止めた。

 視線の先、家具の隙間で触角を揺らす黒い悪魔。

 その手前で、無邪気に尻尾を振るきなこ。

 失敗は許されない。

 俺の右手――ピストンに力が籠もる。


 今だ。

 シュッ。


 風を切る音と共に、スリッパが射出された。

 きなこの頭上スレスレ、数ミリの空間を滑り抜け、一直線に家具の隙間へと吸い込まれる。


 ―――グチャ。


 嫌な、しかし確かな手応えが柄を通じて伝わってきた。


「……やった」

 俺はゆっくりと槍を引いた。

 スリッパの裏には、無残な姿になった黒い影が貼り付いている。

 壁も床も汚さず、完璧なピンポイント圧殺だった。

 静寂が戻ったリビングに、真綾の歓喜の声が響き渡った。


「やったぁぁぁ! 討ち取ったぁぁぁ!」


 真綾がソファから転がり落ちるように飛び降りてくる。

 そして、俺……ではなく、きなこを抱き上げた。


「無事だったのね、きなこ! 勇敢な戦士! 怖かったでしょ~?」


「ワンワン!」


「よしよし、いい子ねぇ。あんたが敵を誘い出す『デコイ』になったから勝てたのよ。これぞ徳川軍お得意の誘引戦術『野戦築城』の応用ね!」


 真綾はきなこの頬ずりを甘んじて受け入れながら、デレデレの笑顔を浮かべている。

 俺は長槍を持ったまま、ジト目で姉を見下ろした。


「……あのさ、一番頑張ったの俺なんだけど」

「分かってるわよ」


 真綾はきなこを抱いたまま立ち上がり、俺に向き直った。

 そして、満面の笑みでウィンクしてみせた。


「見事だったわ、匠。左手のガイドも、右手の押し出しも完璧。今の突き、全盛期の平八郎様の槍さばきに、一瞬だけ重なって見えたわよ」


「……それは褒めすぎだろ」


「ふふっ。我が弟ながら、筋がいいわ。もしかしたら前世は、徳川配下の直臣で槍働きをしていた足軽組頭くらいだったかもね?」


 姉ちゃんなりの、最大限の賛辞らしい。

 彼女はきなこを抱きかかえていない方の手で、俺の頭をワシャワシャと撫でた。


「ありがとう、匠。あんたのおかげで、私の聖域は守られたわ。……正直、腰が抜けるかと思った」


 最後の一言は、いつもの強気な歴史マニアの姉ちゃんではなく、ただの虫嫌いな女子高生の声だった。


 上目遣いで礼を言われると、まあ、部活のない日に急いで帰ってきてよかったかな、と思えてくる。



「はいはい。で、これ片付けるの誰?」


 俺がスリッパの裏を見せようとすると、真綾は「ひっ」と悲鳴を上げて後ずさりする。

 そして、ビシッと俺を指差して宣言した。


「見事な『一番首いちばんくび』よ、匠! よって、その栄誉ある『首実検くびじっけん』は、討ち取った武将自らの手で行いなさい!」


「は? 片付けろってこと? 汚い役回りだな……」


「これも戦の習わしよ! 私は軍監ぐんかんとして、奥のキッチンにて『論功行賞ろんこうこうしょう』の準備があるから!」


 言うが早いか、真綾はきなこを連れてキッチンへと逃走した。


「あ、そうだ匠! 冷蔵庫に、駅前のケーキ屋で買った高いタルトがあるわ! 二つあるから、勝利の報酬として一つ食べていいわよ! きなこにはササミジャーキーよ!」


「マジで? あの一個六百円くらいするやつ?」

「ええ。奮発したのよ。だから死骸は綺麗に片付けてね!」


 タルトにつられて、俺はスリッパについた『戦果』を処理し始めた。

 ティッシュで拭き取りながら、改めて手元の連結棒を見つめる。

 クイックルワイパーと突っ張り棒で作った、ガラクタの槍。

 でも、姉ちゃんの言った「左手の使い方」は、確かに理に適っていた。


「……これ、ソファの下の失くし物取る時とか、高いところの掃除に意外と便利かもな」


 俺は誰もいなくなったリビングで、もう一度、誰もいない空間に向かって槍を構えてみた。


 左手で支え、右手を引く。

 シュッ。

 鋭い突きが空を切る。


 こうして我が家の平和は守られた。

 戦国最強の武将・本多平八郎忠勝も、まさか自分の愛槍が、現代の住宅事情でミニチュアダックスを守り、高級タルトのために振るわれるとは思わなかっただろう。


 でも、平和な現代なら、こんな槍の使い方も悪くないかもしれない。

 キッチンから聞こえる姉ちゃんの鼻歌と、きなこの鳴き声を聞きながら、俺は苦笑して槍を分解し始めたのだった。

【お知らせ】

2月13日(金)から2月22(日)までの10日間、17時30分に毎日投稿しています。

スケジュール

13金曜:武器物語28話

14土曜:うちの姉ちゃん〜バレンタイン編

15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編

16月曜:武器物語29話

17火曜:うちの姉ちゃん〜雪玉編

18水曜:武器物語30話

19木曜:うちの姉ちゃん〜『蜻蛉切』編

20金曜:武器物語31話

21土曜:うちの姉ちゃん〜猫の日前日譚

22日曜:武器物語・特別短編


22日の『特別短編』は、劇場版エピソード0という趣きの作品で、武器物語をより深く楽しめる趣向を凝らしています。

ぜひ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。


 

本作をお読みいただきありがとうございます。

お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。


今後も同シリーズにて短編を投稿いたしますので、ご愛読いただけましたら幸いです。


【匠の「その後」の物語はこちら!】

本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?


匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!

本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。


ぜひ合わせてチェックしてみてください!

『転生式異世界武器物語』

https://ncode.syosetu.com/n3948lb/



※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。

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― 新着の感想 ―
我が家の光景かと思いました(笑) 私はもっぱら化学兵器メインで、家族の誰かに掃討戦をさせていますが…… 今回も面白かったです!
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