部活動 (前編)
「青木ぃ~~~……」
まだホームルームが始まる30分前。
ガランとした教室の一角で、坊主頭の黒崎雄三が机に突っ伏しながら、気の抜けた声を漏らしていた。
朝とは思えないほど、窓が風でカタカタと揺れている。
新学期が始まって一か月、雪解けもすっかり進んだ登園町は、ようやく春らしい朝を迎えていた。
「……朝から元気だな、黒崎」
教室の外からその声を聞き取った青木彼方は、小さくため息をつくと、鞄の肩ひもを軽く引き直しながらガラガラと引き戸を開けた。
「...来たか青木……ちょっと話あんだけどさ」
「その言い方、絶対ロクな話じゃない」
そう返しながらも、青木はいつもの席に座る――
窓から射し込む朝日が、机の上の荷物にほんのり照らされている。
「なあ……俺、野球部に入るかどうか、迷ってる」
ぽつりと告げた黒崎の声に、「何を言っているんだ」と青木が目を向けながらホームルームの準備をしている。
それは、意外な切り出しだった。
いつもなら、軽口か冗談から始まるはずの黒崎が、今日はやけに静かなのだ。
「野球部のやつらが昨日、放課後にさ……“坊主なんだから当然だろ”とか言って、勝手に見学に連れてかれてさ」
「……昭和かよ」
「だろ?でも、何だかんだで空気に流されて、少し見てたんだ」
「ほう...」
「守備練とかノックとか。……そしたら、ちょっと懐かしくなっちゃってさ」
青木は、少しだけ黒崎の顔をうかがった。
彼は本当に、悩んでいるらしい。
中学時代、放課後の校庭でキャッチボールしていた姿を、青木も何度か見たことがある。あのときの彼は、今よりずっと真剣で、輝いていた。
「入りゃいいじゃん。好きなんだろ、野球」
「……うん、でもな」
言いかけて、黒崎は口を閉ざした。
指先で机の端をこつこつと叩きながら、何か言いたそうにしている。だが、それがまとまらない。
彼の視線は窓の外へ向けられ、何かを探すように空を見ていた。
「俺さ、たぶん……怖いんだよ。入ったらもう、戻れねえっていうか」
「戻るって、何に?」
「……気楽な自分に、って感じかな」
茶化すように笑ったが、その声にはどこか影が差していた。
「野球って、頑張らないとダメじゃん?努力とか、根性とかさ。俺、そういうの長続きしたことないし……中途半端にやるくらいなら、やらないほうがマシって思っちゃうんだ」
その言葉に、青木はしばらく黙っていた。
自分はどうだろう。部活にも入らず、のらりくらりと過ごしている。
でも、そんな自分を“気楽”と思ったことは、一度もなかった気がする。
「それでも、迷ってるならさ」
―――静かに、青木は言葉を返した。
「お前の中に、“やりたい”って気持ちが残ってるってことじゃないのか?」
黒崎は、その言葉を反芻するように、黙って目を閉じた。
「……青木って、たまに真面目でうっとうしい」
「だったら相談するなよ」
苦笑しながら、二人は少しだけ肩を並べて、窓の外を見つめた。
春の光が、グラウンドをゆっくりと照らしはじめていた。
その先に、迷いながらも何かを掴もうとする誰かの姿が――