家
人間の適応力は意外と高いらしく、数日もすれば私はこの世界に慣れていました。
この世界が、一人で生きていくのに向きすぎているからかもしれません。
まず、スーパーやコンビニには商品がそのまま残っていて、水も電気も普通に使えます。
誰かが掃除しているわけでもないのに町にはゴミひとつ落ちておらず、私が出した生活ごみもいつの間にか消えているのです。
スマホは圏外でしたが、動画サイトや漫画サイトにはアクセスができるため、娯楽にも不自由しません。ただ、誰もいなくなった日を境にどの動画も更新されなくなっていました。
まあ、誰もいないのだから当然かもしれないですけれど。
パチリと自然に目が覚めた私は、まず携帯電話で時間を確認します。
今日の起床時間は11時すぎでした。
普段であれば3時間ほど前にお母さんに「早く起きて朝ごはん食べちゃいなさい」と起こされますが、お生憎様、この世界に私の眠りを邪魔する人はいません。
好きなだけ惰眠をむさぼることができます。
ほくそ笑みながら、私は部屋の換気をします。
起きた後に部屋の空気を入れ替えるのは、この世界に来てからの私のルーティンです。
目を瞑り、ひんやりと冷たい空気が頬を撫でていくのを感じます。
冬にしては暖かい風で、身体を冷やしすぎないのが特にお気に入りでした。
ひとしきり風を味わった私は、「よし」と軽く気合を入れ、顔を洗って適当に冷蔵庫からパンと牛乳を取りだします。
朝ごはんというよりもブランチに近い時間ですが、朝ごはんです。
手抜きにもほどがありますが、誰に見られているわけでもないし、食べるだけ偉いということで。
なんて、誰にするわけでもない言い訳を頭の中で唱えながら、私はスマホで気になる動画を再生してパンをもくもくと食べます。
パジャマから動きやすいジャージに着替えて、愛用の自転車の鍵と水筒、それから大きなショッピングバッグを手に持ち外に出ました。
私は大きなスーパーに行き、好きなだけお菓子を手に取ってどんどんバッグに詰めていきます。
いつもなら我慢しているちょっとお高いお菓子も、いくつも食べたいけれどカロリーが気になるお菓子も、ええいこの際だ!とバッグに突っ込みます。
何度か家とスーパーを往復し、家のお菓子棚をお菓子やジュースでぱんっぱんにしてやりました。
型崩れに気を付けて運ぶのが本当に大変でしたが、冷蔵庫の中にはケーキが所せましと敷き詰められており、まるで宝石箱のようです。
うっとりと何度も冷蔵庫の扉を開け閉めしてしまいます。
ピピーッという警告音にハッとなり、気を取り直して私はリビングのセッティングにうつります。
いつもはお父さんが占領しているテレビも、いまや私専用。使いたい放題です。
今まで見たかったけれど見れなかった映画も、リビングでは恥ずかしくて見れなかったアニメも見放題。
お腹がすいたら先ほど大量に調達してきたお菓子を好きなだけ食べることができます。
時間も、電気代も、近所迷惑も考えず、ただただ好きなように振る舞うことができました。
つい上機嫌になって、にやにやと口角があがります。
かなりだらしない顔になっている自覚はあるけれど、誰に見られるわけでもないのだから、顔を整える必要もありません。
(これが自由ってやつなのかも)
なんて思いながら、リビングにあるソファを広々と独り占めして、大きく伸びをします。
映画がつまらなくなったらアニメを見よう。
ああ、せっかく動画が見れるのだから、気になっていた配信者の実況を一気見するのもいいかもしれない。
あ、本屋さんに行ってあの漫画の最新刊も読みたいな。あの作者の小説も新刊が出ているはず。
私は溢れ出す『やりたいこと』を想像して、ほこりがたつのも気にせずにソファで足をバタバタとさせます。
結局、この日は一日中ごろごろして毛布にくるまりながらお菓子を食べてえへえへと笑い、アニメを再生したまま電気も消さずにソファで寝落ちしました。
自分らしく生きられるこの世界で、私を縛り付けていた鎖が解けていくのを感じていました。