桜庭メル、夕食
「こんにちは、狩猟証の提示をお願いできますか?」
狩猟局の受付窓口で、メルは女性職員に狩猟証の提示を求められた。
「はい、お願いします」
メルが狩猟証を女性職員に見せると、女性職員は驚いた様子で目を見開いた。
「メル、さん……もしかしてあなたが、狩猟者試験の模擬戦でズーロさんを倒したっていう……?」
「あっ、はい。そうですけど……」
女性職員のその反応に、メルの方も驚かされる。
「えっ、その話ってそんなに広まってるんですか?」
「勿論です!」
「勿論なんだ……」
「ペスカトピア狩猟局でも屈指の実力者であるズーロさんに、狩猟者でもなかった受験生が勝ったんですよ?そんなの話題にならない筈ないじゃないですか!」
女性職員は目を輝かせ、メルにぐっと顔を近付ける。
「どんな人なんだろうって思ってましたけど、まさかこんなに可愛らしい女の子だったなんて……」
「あ、あの……ちょっと、近いです……」
「あっ、申し訳ございません」
直接的に「可愛らしい」と言われたせいで、メルの頬は薄ら赤く染まっていた。
「メルさん、本日のご用件は?」
「えっと、魔物の買取をお願いしたいんですけど」
「かしこまりました。では貯蔵札の提出をお願いします」
「は~い」
メルが10枚の貯蔵札を取り出して女性職員に手渡すと、女性職員は再び驚きを露にする。
「10枚全部使いきって来られたんですか!?」
「そうですけど……ダメでした?」
「いえいえ!魔物を多く狩ってきていただけるに越したことはありませんから!ただ狩猟者になりたての方は、魔物を見つけるのにも苦労することが多いですから。新人さんが貯蔵札10枚を使い切るのはなかなか難しいんですよ。私が担当した新人の方で初日から貯蔵札を使い切ったのは、メルさんの他にはカミノールさんだけです」
「カミノールさんもなんですか?」
メルは昨日の模擬戦で戦った、水色の髪と目の少女の姿を思い出す。
模擬戦ではメルが不意打ちのような形で一瞬で決着をつけてしまったために、カミノールの実力はあまりよく分からなかった。しかしズーロや職員の話からして、カミノールが優秀な狩猟者であることに疑いの余地はない。
「カミノールさんは確かメルさんと同年代ですから、気が合うんじゃないですか?」
「私もカミノールさんとは仲良くなれたらと思ってるんですけどね~」
「……あっ、申し訳ありません。つい無駄話を」
話が逸れていることに気付いた女性職員は、改めてメルが提出した貯蔵札に視線を落とす。
「わっ!この貯蔵札に入ってるの、全部中型以上の魔物じゃないですか。ブラシオンが5体にディリジアが4体、それにウルサージが1体……これだけで私のお給料3ヶ月分くらいの金額になりますよ……」
「そ、そうなんですか……」
女性職員の月給3ヶ月分の金額を1日で稼いだという事実。それを聞かされてメルは何だか気まずくなった。
「……はい、では魔物10体確かにお預かりいたしました。買取金額の査定には1日かかりますので、お支払いは明日になってしまいますが問題ありませんか?」
「はい、問題ないです」
「それでは明日、買取金額をお渡しいたしますので、またこの受付窓口にお越しください」
「は~い」
魔物素材の買取手続きを終え、メルは受付窓口を離れる。
「さてと……ご飯食べて帰っちゃおうかな」
現在時刻は日暮れの少し前。夕食には少し早めの時間帯だが、だからこそ狩猟局に併設されている食堂は空いている。
メルは宿屋に帰る前に食堂で夕食を摂ることにした。
「あっ、ズーロさん」
食堂に入ったメルは、早速見知った顔が座っているのを発見する。
「ああ、メル。こんにちは」
「こんにちは~。ズーロさんそれ何食べてるんですか?」
ズーロの目の前のテーブルには、ステーキのような料理が置かれていた。大きさはメルの目算で500gほど。中々のボリュームだ。
「これはブロートのステーキだ」
「ブロート?」
「ペスカトピアで最も一般的な食肉だ。旨いぞ」
「へ~、私もそれにしよ。ズーロさん一緒に食べていいですか?」
「ああ」
メルはカウンターに向かい、恰幅のいい中年女性にブロートのステーキセットを注文する。小中大とサイズを選べたので、メルは小にしておいた。
代金を受け取り、ステーキにパンとスープが付いたセットを受け取る。メルはそのトレイを持って、ズーロのいる席に戻った。
「お邪魔しま~す」
ズーロの正面の席に腰を下ろす。
「君も仕事帰りか?」
「そうなんです。今日初めて狩りに行ってきて~」
メルはズーロと雑談しながら、「いただきます」と手を合わせて食事を始める。
ブロートのステーキは、地球のポークソテーとほぼほぼ同じ味がした。
「初仕事の成果はどうだった?」
「結構狩ってこれましたよ。ブラシオンが5体にディリジアが4体と、後ウルサージが1体」
「いきなり10体も狩ってきたのか。しかも今日もまたウルサージを狩ったのか?」
「そうなんですよ~、たまたま見つけられたので、また目に枝刺して殺しました」
「そんな気軽に狩れるような魔物ではないはずだが……」
巨大な熊の魔物であるウルサージは、やはりディリジアやブラシオンとは一線を画した強さを持つ。
ペスカトピア近郊の未踏領域において最強と称されるのが、ウルサージという魔物だった。
「それだけ狩ってきたのなら、1日でかなりの稼ぎになるだろうな」
「受付の女の人は、自分のお給料3ヶ月分の金額になりそうって言ってました」
「確かにそれくらいにはなるか」
「明日お金貰ったら、今度は私がズーロさんにご飯奢ってあげますね。こないだのブラシオンのパンのお返しです」
「余計な気を遣うな、君みたいな小娘が」
「小娘って言わないでください!」
むくれたメルの視界の端に、ちらりと水色の髪が映る。
視線を向けると、食堂の入口にカミノールの姿があった。
「あっ!カミノールさん!」
メルが名前を呼びながら手を振ると、カミノールの方もメルの存在に気付いた。
「っ、メルさん……」
「カミノールさんも仕事終わりですか?」
「ええ……」
メルの会話に、どこかぎこちなく応じるカミノール。
「カミノールさんも今からご飯なら、私達と一緒に食べませんか?ズーロさん、いいですよね?」
「俺は勿論構わないが……」
カミノールとの親交を深めたいメルは、カミノールを同じテーブルに誘う。
「……ごめんなさい、食事を摂りに来たのではないの」
しかしカミノールは断りの文言と共に、メルに背中を向けた。
「えっ、じゃあ何しに食堂に……」
「……さようなら」
「あっ、さようなら……」
そのままカミノールは食堂から去っていってしまう。
「……あの、ズーロさん」
カミノールの背中を見送ったメルは、恐る恐るズーロに尋ねた。
「私ってもしかして、カミノールさんに嫌われてます……?」
「……嫌ってはいないだろう。ただ明らかに避けてはいるな」
「それってもしかしなくても、昨日の模擬戦が原因ですよね?」
メルがカミノールに避けられる理由としては、昨日の模擬戦以外には考えられない。というよりメルとカミノールは昨日の模擬戦以外に関わりがない。
「……カミノールは2年前から狩猟者を始めたんだが、その頃からカミノールは素晴らしい才能の持ち主だったんだ。俺の知る限り、狩猟者になって初日から10枚の貯蔵札を全部埋めて帰ってきたのは、カミノールが初めてだった」
「あっ、私もそれさっき聞きました」
「カミノールはこの2年間、常に狩猟者として最上級の成果を上げてきた。狩猟局の将来を背負って立つ人間と期待され、いずれは『戴冠者』も夢じゃないとすら言われているんだ」
「戴冠者……?」
聞き慣れない単語が出てきたが、メルはそれについて尋ねるのをひとまず後回しにした。
「だがそんな将来を期待されたカミノールが昨日、君に敗れた。まだ狩猟者ですらなかった君にだ。はっきり言って、あの模擬戦で狩猟局が受けた衝撃は計り知れない」
「あ~……受付のお姉さんも知ってましたもん」
「だろうな。恐らく狩猟局の職員で昨日の模擬戦の結果を知らない者はほぼいない」
それはつまり、カミノールの敗北が狩猟局中に知れ渡ってしまっているということだ。
「……もしかして、狩猟局でカミノールさんの評価下がっちゃってたり……?」
「いや、それは無いだろう。君にはカミノールだけでなく俺も負けたからな。君の強さは知れ渡ったが、カミノールの評価が下がることは無いだろう」
「ならいいんですけど……」
「ただカミノール自身は、当然思うところはあるだろうな」
ズーロが心配の表情を浮かべる。
「俺もカミノールと親しい訳では無いから知ったような口は利けないが、きっとカミノールはこれまで挫折らしい挫折は経験してこなかっただろう。そんな彼女にとっての初めての挫折が、昨日の君との模擬戦だ」
ズーロは右手のカトラリーでメルの顔を指し、メルはその仕草に顔を顰める。
「お行儀悪いですよ」
「ああ済まない。とにかく君はカミノールにとって、初めての挫折を与えられた相手ということになる。彼女が君との接し方に戸惑うのも無理はないと俺は思う」
「じゃあホントに嫌われてるわけじゃないんですか?」
「多分な。何度も言うが俺はカミノールと親しくないから断言はできない。ただカミノールは自分に勝った相手を逆恨みするような精神性ではないと思う」
「じゃあとりあえず嫌われてはないって思っておきます。その方が私の精神衛生上いいので」
この場にカミノールがいない以上、どれだけ考えても結局は妄想に過ぎない。だからメルはズーロの言葉を信じておくことにした。
「ところでズーロさん、さっきチラッと言ってた『戴冠者』って何ですか?」
「ん?……そうか、君は街の外の人間だから知らなくて当然か」
ズーロのその言い方は、逆にペスカトピアの人間であれば「戴冠者」を知っていて当然とも取れた。
「戴冠者というのは、定義としては単身で都市防衛能力を有する存在だ。自然災害や魔物の大量発生などの、ペスカトピアが存亡の危機に晒されるような事態を、自分自身の力だけで終息させられるような圧倒的な戦闘能力の持ち主。それが戴冠者だ」
「えっ……そんな人ホントにいるんですか?」
戴冠者の定義を聞いて、メルは俄かには信じ難い心持ちだった。
自然災害を単身で終息させるというのは、地球で言えば地震を生身で止めるようなものだ。いくらここが異世界とはいえ、メルにはあまりにも非現実的に思える。
「いるんだよ、恐ろしいことにな。戴冠者はこの街に全部で7人いるんだが」
「7人もいるんだ……」
「実を言うとその内の1人は狩猟者なんだ。今は未踏領域の深層に行っていてペスカトピアにはいないがな」
「え~、どんな人なんですか?」
「少し待ってろ」
ズーロは立ち上がり、隣のテーブルの狩猟者に声を掛けにいく。
「なあ、ディラージの絵札を持ってたら貸してくれないか?」
そしてズーロはカードのようなものを借りて戻ってきた。
「これは絵札と言って、街の有名人なんかの似顔絵を手頃な大きさの札にした商品だ」
「ブロマイドみたいなものですね」
「ぶろまいど?」
「こっちの話です」
ズーロは首を傾げながら、借りてきた絵札をメルに差し出す。
「これはディラージの絵札だ。戴冠者はこの街でも屈指の有名人だからな、絵札もかなりの人気商品だ」
メルが絵札を覗き込むと、そこには20代後半と思われる金髪の妖艶な美女が描かれていた。
「女の人なんですか?すっごく美人……」
「狩猟者を続けていればその内会うこともあるだろう……それが君にとっていいことかは分からないが」
「えっ?」
意味深長な言葉を残し、ズーロは絵札を持ち主に返しに行く。
「まあ何だ、カミノールと親交を深めたいのなら、積極的に話しかけてみるのがいいんじゃないか?」
「話を逸らすついでにアドバイスをするのはやめてください。信憑性が無くなります」
とはいえズーロの助言自体は真っ当なものだ。
「とりあえずカミノールさん見かけたら声掛けてみようかな。ありがとうございました、ズーロさん」
助言をくれたズーロにお礼を言い、メルはステーキの最後の1欠片を口に含む。
こうしてこの日のメルの夕食は終了した。
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次回は明後日更新する予定です