桜庭メル、退治する
「あれが……アコレイド……?」
ポトスの言葉を受けて、メルは今一度悪魔めいた女性を見上げる。
その女性はどう考えても、カベン中毒者への聞き取りを元に作成したアコレイドの似顔絵とは似ても似つかない。
だが現状、悪魔とアコレイドが似ていないことなどよりも遥かに気にすべき事柄が別にあった。
「アコレイドなのかは知らねぇが……とんでもねぇバケモンだな……」
この場において最優先で考慮すべき事柄は、今しがたエニスが口走った通り。
頭上に浮かぶ悪魔が、明らかに隔絶した戦闘能力を有していることだ。
メルが悪魔から感じている威圧感は、天寵ブラシオンやマサムネのそれとは比べ物にならない。
アコレイドか否かはともかく、神と言われれば「確かに神かも」と思ってしまうほどの存在感だ。
「ちょっとどうするんですかこれ……こんなの呼び出しておいて暴れられたら手が付けらんないですよ……」
メルが思わず呟いた、その言葉が引き金となったかのように。
突如として悪魔の体を中心として、教会内に赤色の暴風が吹き荒れた。
「あっヤバ、退避!!退避~~~っ!!」
赤色の暴風が秘める危険性を本能的に感じ取ったメルは、他の面々に避難を促しながら一目散に教会の出口目掛けて走り出す。
「っ、<銀盤>!」
「<煉血>!」
メルが走り出すのに一拍遅れて、カミノールは氷の道を作ってその上を滑り、エニスは身体能力を強化し、教会からの退避を始める。
しかしただ1人ポトスだけは、恍惚とした表情で悪魔を見上げたままその場を動こうとしなかった。
「っ、ああもう!!」
メルは苛立ちを露わにしながら素早くポトスの顎を殴って気絶させると、ポトスの襟首を鷲掴みにして諸共教会を脱出する。
「おいメル!何でそのジジイまで助けた!?」
「エニスさんうるさい!」
エニスの非難を一喝して黙らせるメル。
するとその直後、壊滅的な破砕音と共に教会の屋根が吹き飛び、赤い暴風に包まれた悪魔の姿が露わとなった。
「チッ!もう出てきやがったか!」
「エニスさん!それからカミノールさんも!2人はここから逃げながら、この辺りにいる人達も一緒に避難させてください!」
「私達はって……メルさんはどうするつもりなの!?」
「私はここで悪魔を食い止めます!」
メルは気絶したポトスをエニスに押し付け、悪魔の方へと向き直る。
「1人でなんて無茶よ!」
「小娘の言う通りだ!いくらアンタが強くても、あんなバケモンには敵わねぇ!」
カミノールもエニスもペスカトピアにおいては上位の実力者だ。
それ故に悪魔が隔絶した戦闘能力を有すること、自分達では手も足も出ないことを肌で感じ取っていた。
「私じゃアレに敵わない、ですって……?」
だがカミノールもエニスも、悪魔の強さを直感することはできても、メルという生物を真に理解できていなかった。
「何言ってるんですか……ペスカトピアだろうと地球だろうと、それ以外のどんな世界だろうと……1番強いのは私なんですよ!!」
メルが左右の拳を激しく撃ち合わせると、装着している天寵手羅から迸った雷の魔力がメルの全身に纏わりついた。
「てやあああっ!!」
雷を纏ったメルは地面を蹴って高く高く跳び上がると、空中でくるりと体を1回転させ、その勢いそのままに悪魔へと蹴りかかる。
それに対し悪魔は6枚の翼で自らの体を球状に覆い隠し、メルのキックは悪魔の翼に激突。
衝撃の瞬間に炸裂した雷の魔力が悪魔の翼を焼き、一体に焦げ臭い悪臭が広がった。
「メルさん!」
カミノールはメルの後を追って悪魔へ立ち向かおうとするが、その手をエニスが掴んで引き留めた。
「なっ、離して!」
「バカかテメェは!あんなバケモンにテメェが突っ込んでいって何ができる!?」
「っ……!」
言葉に詰まるカミノール。
「こうなっちまった以上あのバケモンはもうメルに任せるしかねぇんだよ!俺らにできることはメルがあのバケモンをぶちのめすと信じて1人でも多くの堅気を逃がすことだ!違うか!?」
「っ、反社のくせに……!」
カミノールの悔しげな表情は、エニスの言い分が正しいことの証左だった。
「分かったらさっさと行くぞ!」
「言われなくても……!」
都合がいいことに、教会が倒壊する音を聞きつけて、七番通りの民間人はそのほとんどが様子を見に屋外へと姿を現している。
「おいお前らさっさと逃げろ!死にてぇのか!」
「ここは危険です、一刻も早く避難してください!」
それらの人々に対して、カミノールとエニスは手分けをして避難誘導を開始した。
「ぅああっ!?」
民間人の避難が始まったのとほぼ時を同じくして、メルは地面に墜落した。
元より自力で空を飛ぶ手段を持っていないメル。空中の悪魔に手を届かせることはできても、空に留まり続けることはできない。
それでもどうにか悪魔自体を足場としてしばらくの空中戦を繰り広げていたメルだったが、それにも限度があり悪魔に叩き落とされてしまった。
「ふふっ……ざまあ見ろ、です……!」
だがメルも為す術無く叩き落とされた訳では無い。
メルは落下の直前、ドラゴンの牙のナイフを駆使して悪魔の翼を1枚斬り落とすことに成功していた。
正面から右上の翼を失い、悪魔は滞空姿勢が僅かに揺らいでいた。
悪魔は翼を1枚斬り落とされた対して、特に反応を示す様子は見せない。
だがそれまで悪魔が操っていた黒い暴風に加えて、悪魔の周囲に黒いエネルギーのようなものが渦巻き始めた。
「何やってくる気か知りませんけど……残りの羽も全部削ぎ落して、地面に叩き落としてあげますよ!」
メルが悪魔目掛けて再び跳び上がるのと同時に、悪魔の周囲に蟠る黒いエネルギーが10本を超えるビームとなってメルに放たれる。
「あぐっ!?」
ビームの内の1本がメルの左のこめかみの辺りを掠める。
攻撃を受けた場所を起点としてメルの顔の左半分が黒く染まり、髪もまた徐々に変色を始める。
同時にメルは神経を直接焼かれるような強い痛みに襲われるが、それでもメルは怯まない。
「てやあああああっ!!」
両手に持った2つの牙のナイフを目にも留まらぬ速さで振るい、メルは一息に3枚もの翼を斬り落とす。
直後、悪魔がメルの全身に赤い暴風を叩きつけた。
「いったぁ!?」
メルは火で炙られるような痛みを全身に受けながら地上へ向かって吹き飛ばされる。
が、メルは即座に落下地点に積み上がった教会の残骸を蹴って上昇、悪魔へと肉薄する。
悪魔は当然またしてもメルを撃墜しようとしたが、それよりも先に残された2枚の翼までもがメルによって斬り飛ばされた。
全ての翼を失い、悪魔の体が空中でぐらりと揺らぐ。
「落ちろっ!!」
そんな悪魔の脳天に、メルは渾身の踵落としを叩き込んだ。
悪魔の体は隕石のような速度で瓦礫の山に突っ込み、一拍遅れてメルも瓦礫の上に着地する。
「はぁ……はぁ……」
どうにか悪魔を地上に落とすことに成功したメルだが、そのために払った代償は決して小さくなかった。
黒く変色した顔の左側は未だに激しい痛みを訴え、左目はその機能を失っている。
悪魔の翼を斬り落とすのに貢献した牙のナイフは刃こぼれが酷く、最早刃物としては役に立ちそうにない。
だが、その程度ではメルの闘志は潰えない。
「……どうせ、この程度じゃ死なないんでしょ?」
墜落した悪魔が埋もれた瓦礫の山に向かって、静かに声を掛けるメル。
「さっさと出て来てください。決着つけましょう」
その言葉が届いたのは定かではないが、メルが言い終えると同時に瓦礫の隙間から幾筋もの黒い光が空に向かって伸びたかと思うと、直後に火山が噴火を起こすように瓦礫の山が吹き飛んだ。
「ひゃっ!?……もう、一々人騒がせな……」
自分の方へと飛んできた瓦礫の塊を、メルは無造作に蹴り砕く。
そして土煙が晴れて視界が戻ると、瓦礫の上に腕をだらりと垂らした悪魔が立っていた。
「ま~平然としちゃって……あったま来るなぁ……」
翼を失ったにもかかわらず、それを意に介した様子の無い悪魔。ともすれば傲慢ともとれる悪魔のその在り方に、メルは額に青筋を浮かべた。
「絶っっっ対泣かす!!」
メルが地面を蹴り、雷光のような速度で悪魔へと迫る。
「てやああっ!!」
助走の勢いを十全に生かし、メルは悪魔の頭部目掛けて鋭い回し蹴りを放つ。
だがその一撃は、悪魔が同じく繰り出した回し蹴りによって迎撃されてしまった。
「へぇ?あなた、意外とやれる口です、ねっ!」
メルは続けて拳を繰り出すが、それもまた悪魔が同じく繰り出した正拳によって迎え撃たれてしまう。
2人の拳が激突した瞬間、放たれた衝撃波が周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
「てやてやてやてやああっ!!」
気の抜けるような気合の声と共に蹴りと突きの連撃を高速で繰り出すメル。それに対し悪魔はメルの蹴りを蹴りで、突きを突きで迎撃する。
まるで鏡合わせのように、全く同じ攻撃を全く同じタイミングでぶつけ合うメルと悪魔。その様子はまるで息の合ったダンスを披露しているようにも見える。
「何なんですか貴方!?気持ち悪っ!?」
戦いが進むにつれて、メルは悪魔に対して怒りとはまた別の、言いようのない気味の悪さのようなものを感じ始めた。
悪魔が自分の攻撃を真似ているのであればまだよかった。だが悪魔はメルの攻撃を認識してからそれと同じ攻撃を繰り出しているのではなく、正真正銘メルと全く同じタイミングで全く同じ攻撃を悪魔も繰り出しているのだ。
戦っている内にメルは本当に鏡に映った自分自身を相手取っているような錯覚に陥り始めた。
「っていうかこれ私めっちゃ不利!」
気味の悪さ以前の問題として、両者が全く同じ攻撃を繰り出し続けているのであれば、当然最終的には肉体が頑丈な方が勝利することになる。
そしてここまでの戦闘からして、悪魔の肉体はメルのそれよりも数段強度が高い。
このまま無策で殴り合いを続ければ、メルの敗北は必至だった。
「こういう時は……!」
不利なこの状況を覆すため、メルは一か八かの作戦に打って出る。
「てやぁっ!」
悪魔の脇腹を狙った鋭い蹴りを繰り出すメル。
すると悪魔もまたこれまでと同じように、メルの動きを鏡映しにしたかのような蹴りを繰り出してくる。
悪魔の攻撃を並外れた動体視力で捉えたメルは、思惑通りと言わんばかりに口角を僅かに持ち上げると、
「ぁぐうっ!?」
メルは繰り出した蹴りを中断し、悪魔の蹴りを無防備に脇腹に受けた。
まるで脇腹で爆弾が爆発したかのような凄まじい衝撃がメルを襲い、肋骨が激しく軋みを上げる。
だがメルは額に脂汗を浮かべながらも浮かべた笑みを崩さない。
「かかりましたね……!」
蹴りの衝撃で吹き飛ばされそうなところをぐっと踏ん張り、メルは脇腹にめり込んだ悪魔の足を左腕で抱え込む。
「てやあああっ!!」
そして動きを封じた悪魔の喉元目掛けて、メルは雷を纏った右手で貫手を繰り出した。
メルの渾身の手刀が、悪魔の喉元に深く深く突き刺さり、そのまま悪魔の首を突き破った。
「うわ思ったより刺さった……」
思ったよりも自分の貫手の威力が高かったことに驚くメル。
メルが悪魔の首から右手を抜くと、首の千切れかかった悪魔の体がぐらりと揺らめき、その体が蒸発するように消滅していった。
「死んだ……?いや、逃げたのか……」
一見すると命を落として消滅したようにも見えた悪魔だったが、メルは悪魔が死んでいないことを直感的に確信していた。
元々あの悪魔はポトスによってこことは違う世界から召喚された存在。元居た世界に帰っただけなのだろう、とメルは考えた。
「まあ追い払っただけでも充分か……」
戦いを終えたメルは周囲の光景を見渡す。
既に母神教会が跡形もなく崩壊していることは言うまでもないが、被害はそれだけにとどまらなかった。
悪魔が無差別に放った赤い暴風や黒いビームによって倒壊した建物は今や数十軒にも上る。仮に民間人が取り残されていたとしたら、その生存はかなり厳しそうだ。
「カミノールさんとエニスさん、上手く避難誘導やってくれたかな……」
メルとしてはカミノールとエニスが民間人の避難を無事に完了していることを祈る他無かった。
「あ、やば……」
突如メルの視界がぐにゃりと歪む。
悪魔との戦闘によってメルが負った傷は、重症などというレベルではなかった。はっきり言って今まで立っていられたことが異常だ。
そんな立っていられないほどのダメージが、悪魔が去り気が緩んだことで一気にメルを襲ったのだ。
「ここで倒れたらだれも助けに来てくれない気が……」
嫌な予感を抱きつつ、メルは意識を失いその場に倒れ込んだ。
読んでいただいてありがとうございます