桜庭メル、傾聴する
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「ここなら外に声が漏れることはありません」
メル達が案内されたのは、応接室のような部屋だった。
内装はシンプルで、木製の低いテーブルが1つと、そのテーブルを挟んで左右にソファが1つずつ、それと部屋の隅に棚が1つ置かれているだけだ。
「どうぞお掛けください」
ポトスが入口から見て左側のソファに腰掛けたので、メル達3人は反対の右側のソファに並んで腰掛けた。
「さて、メルさんのご用件は……カベンのことについて、でしたね?」
内心の読めない微笑みを浮かべながら、ポトスがそう切り出す。
「はい。率直に聞きますけど、ポトスさんがカベンをペスカトピアにばら撒いてるんですか?」
「メルさん!?」
「ひゃっ!?ちょっとカミノールさん急に耳元で大声出さないでくださいよ」
「そ、それはごめんなさいだけど……」
カミノールはメルにだけ聞こえる声量の囁き声に切り替える。
「さっきから質問に工夫が無さ過ぎるわよ!犯罪の自白を引き出すならもっと上手に駆け引きしないと……」
「いいんですよ駆け引きなんて、代わりに脅迫とか暴力とか使えばいいんですから」
「……メルさん、この件が終わったらエニスとはすぐに縁を切りなさい」
メルの反社会的気質はエニスや賽寶会との交流で培われたものではなく生まれつきのものであることを、カミノールはまだ知らない。
「……私がカベンをばら撒いている、ですか……」
ポトスが膝の上で両手を組みながらメルの質問を反復する。
「隠し立てはあなたのためになりませんよ」
エニスがドスの利いた声で脅迫しながら、数枚の紙をテーブルの上に投げる。
それらは全てアコレイドの似顔絵だ。
「それらはカベン中毒者への聞き取りを元に作成した、カベン使用時に幻覚として現れる女の似顔絵です」
「ほう……」
「教会に掲げられているあの母神の硝子絵、よく見たらこの女にも見えますね?」
ポトスはエニスの問い掛けには答えず、アコレイドの似顔絵を次々と手に取って眺めている。
「他にも、カベンの売人が使用していた『隠者の仮面』と転移系魔法具。この2つをカベンがペスカトピアに流通し始めた数年前に、闇市で母神教徒が購入していた事実も突き止めています」
エニスが新たな資料、闇市での取引について纏めたものをテーブルに投げる。
ポトスはそれをチラリと一瞥したが、またすぐにアコレイドの似顔絵に視線を戻した。
「ポトスさん。これだけ状況証拠があって、母神教がカベンと全くの無関係というのは無理筋でしょう」
ぐっ、とエニスがポトスに向かって身を乗り出す。
「知っていることを正直に話していただければ、こちらも手荒な真似はしません」
エニスのその言葉は、裏を返せば口を割らないのであれば実力行使に出るという脅迫だ。
いかにもヤクザらしいエニスの尋問にカミノールが眉根を寄せるが、それでも口を挟むことはしなかった。
「……どれもこれも、実によく描けていますね。教会に飾らせていただきたいくらいです」
だが似顔絵を眺めながら感心した様子で息を漏らしているポトスは、エニスの脅しを全く意に介していなかった。
エニスの額に青筋が浮かぶ。
「おいジジイ。こっちは真面目な話してんだ。いつまでも女に見惚れてんじゃねぇぞ童貞司教」
「ああ、これは失礼しました」
口汚い恐喝の言葉に、ポトスはようやく似顔絵をテーブルの上に戻す。
「カベンの売人は私です」
そして今日の天気の話でもするかのような気軽な口調で、ポトスがそう自白した。
「……え」
あまりにも唐突に告げられた衝撃的な事実に、メル達は少しの間硬直する。
「やはり私に辿り着いた最大の決め手は、先日のメルさんとの戦闘でしょうか?メルさんの目の前で転移系魔法具を使ってしまった上、武器や『隠者の仮面』の破片まで現場に残してしまいましたからね。あれは失敗でした」
「えっ……えっ、ほ、ホントにポトスさんが売人なんですか?」
「ええ、その通りです」
こんなにあっさりとポトスが自らの犯行を認めることはまるで想定しておらず、メルはどうしていいか分からない。
左隣ではカミノールもメルと同じように困惑しながら、メルとポトスの顔を何度も見比べている。
そんな中、この場でいち早く動き出したのはエニスだった。
エニスは鍔の無い日本刀のような武器、『百侠大業物』を取り出すと、その刃を素早くポトスの首筋に添える。
「ちょっ、エニスさん!?」
「大丈夫です、まだ殺しはしません……おいテメェ、どういうつもりでカベンなんかばら撒きやがった?」
少しでもエニスが刀を動かせば頸動脈が切り裂かれるという状況に置かれているにもかかわらず、ポトスは不気味なほど泰然としていた。
「アコレイド様のためですよ」
「はぁ?」
「そもそもカベンとは私が開発した、アコレイド様への信仰を高めるための薬なのです」
ポトスの語り口は、まるで小さな子供に絵本を読み聞かせるかのようだ。
「カベンは使用することで多幸感と幸福な幻覚が生じると同時に、必ずアコレイド様の御姿の幻覚が現れるように作られています。カベンを使い続けることで、使用者の中では徐々にアコレイド様の御姿と多幸感が関連付けられ、やがてはカベンによって得られる多幸感をアコレイド様からもたらされるものと認識する
」
「……そもそも、アコレイドってのは何なんだ?」
「神様ですよ。母神などという空想上の偶像とは訳が違う、正真正銘本物の神様です」
「何だと?」
ポトスの言葉は、母神を偽の神と言っているに等しい。それは母神教の司教としては有り得ない話だった。
「私は今から10年ほど前、事故で死にかけたことがありましてね。肉体が生死を彷徨っている間、私の意識は暗い闇の中に閉ざされていました。ですがある時その闇の中に一筋の光が差し込み、その光の向こうから1人の女性が現れたのです。それが私とアコレイド様との、初めての出会いでした」
ポトスは恍惚とした表情を浮かべている。
「アコレイド様は光の中から私に向かって手招きをされました。気が付くと私は夜の街灯に吸い寄せられる蛾のようにアコレイド様に向かって歩き出していて、そしてアコレイド様がいらっしゃる光の中に1歩足を踏み入れた瞬間、私は意識を取り戻していました。死に行くはずだった私の命を、アコレイド様が救ってくださったのです」
「そんなのはただの夢だろうが。お前を救ったのは神じゃなくて治療院の治療師だ」
エニスはポトスの臨死体験を妄言だと斬り捨てるが、
「いいえ、私はアコレイド様に救われたのです」
ポトスの狂信は揺るがなかった。
「それから私は残りの生涯を全てアコレイド様のために費やすことを決めました。私が真に信仰を捧げるべきは、母神などではなくアコレイド様であると確信したのです」
「狂信者が……!」
エニスが吐き捨てる。メルも全く同じ心境だった。
「私がカベンを開発し、ペスカトピアに流通させたのは、ひとえに私と同じくアコレイド様に信仰を捧げる者を増やすためです。その試みの甲斐あって、アコレイド様を信仰する者はかつての母神教徒を中心として着実に数を増やしています」
「そうやって増やした狂信者どもを利用して、更に手広くカベンをばら撒いたって訳か」
「ええ。と言ってもカベンの直接の売買は必ず私が行っていましたので、彼らの力を借りたのはそれ以外の部分です。特に治安維持局員の同士などは大いに貢献してくれました」
一切悪びれることなく淡々と犯行を自白するポトス。それに対しメルは怒りを感じると同時に、徐々に違和感を覚え始めていた。
何故ポトスはこうも素直に自らの犯行を認め、その詳細を詳らかに語っているのか。
メル達は言い逃れができないほどの確固たる証拠を持ってきた訳でもなく、エニスの刀を用いた脅迫もポトスには効いていない。本来ポトスを自白に至らしめるものは何も無いはずなのだ。
にもかかわらずポトスが大人しく自白を続けている理由は何なのか。もしかしたら今ポトスが語っている内容は全てデタラメで、ポトスはメル達の調査を攪乱しようとしているのではないのか。
そんな疑念がメルの中で膨らみ始める。
「私が素直に取り調べに応じていることが不思議でしょうか、メルさん?」
メルの内心を見透かしたように、ポトスがメルに視線を向ける。
感情の読めない濁った沼のようなポトスの瞳に、メルは表情を引き攣らせた。
「……正直、あなたが言ってること全部嘘なんじゃないかとは思ってます」
「そうでしょうね。あなた方からすれば私が正直に全てを話す理由は無いはずです」
知った風な口を利きながら頷くポトス。
「ですが私が真実を口にしている理由は至極単純です。私にはもう、嘘を吐く必要が無いのですよ」
「必要が、無い……?」
「ええ。私の目的は既に果たされていますから」
そしてポトスは、人間のものとは思えないような薄気味悪い笑顔を浮かべた。
「本来ならもう少し機が熟すのを待ちたかったところではありますが……カベンの流通によって、アコレイド様の信徒の数は今や1000人に届きつつある。それだけの信仰が集まれば……アコレイド様がこの地に降臨なされるには充分でしょう」
「はぁ?それってどういう……」
メルがポトスを問い質そうとした、その瞬間。
ドォン!!という激しい音と共に母神教会が激しく揺れた。
「ひゃあっ!?じ、地震!?」
「ば、爆発じゃないかしら!?」
轟音と揺れに驚き、咄嗟に抱き合うメルとカミノール。
「おいジジイ!今のはテメェの仕業か!?」
エニスはメル達に比べると幾らか冷静で、音と揺れの原因について即座にポトスを問い詰めている。
「はてさて、私には何のことやら……」
百侠大業物の刃が首に食い込み、少なくない量の血が流れ始めているというのに、ポトスは余裕の態度を全く崩さない。
「しかしあれほど大きな揺れとなると……硝子絵が心配になりますねぇ」
「っ!」
メルは応接室を飛び出して一目散にステンドグラスが掲げられている祭壇の下へと向かう。
ポトスの言葉は、ステンドグラスに何かが起きたと言っているも同然だ。
メルは驚異的な脚力で後続のカミノールやエニスを大きく引き離し、いち早く祭壇の下へと辿り着く。
「え……」
そしてメルはステンドグラスを見上げて絶句した。
ステンドグラスは見るも無残に割れていた。
母神の姿(アコレイドの姿でもある)が描かれていた部分はそのほぼ全てが粉々に砕け散り、色とりどりの硝子は破片となって床に散乱している。ガラスで描かれた顎の長い老婆の面影はもうどこにも残っていない。
しかしメルが絶句したのは、ステンドグラスが割れていたからではない。
メルの言葉を失わせたのは、割れたステンドグラスの目の前に浮かんでいる異様な存在だ。
「何、あれ……」
それは一言で形容するならば、「悪魔」のような存在だった。
外見は人間の女性に近く、長い髪は黒とピンク色の2色に分かれており、顔は不気味な黒いマスクのようなもので覆われているため伺い知れない。
そしてその女性を悪魔たらしめているのは、背中から広がる3対6枚の蝙蝠に似た翼と、頭部に聳える大小合わせて7本の洞角だ。
悪魔のような女性は胎児のように膝を抱えながら、未知の力で空中にぷかぷかと浮かんでいる。
「えっ……何よ、あれ……」
「何だアレは、悪魔か……?」
遅れて祭壇へとやってきたカミノールとエニスも、悪魔のような女性を見上げて呆然としている。
ペスカトピアにおいても、蝙蝠のような翼や頭部の洞角は悪魔らしい特徴と感じるらしい。
「おお……!」
最後に祭壇へと現れたポトスが、歓喜に打ち震えるような声を上げながらその場に膝をついた。
「再び御目文字が叶うこの時を、心よりお待ちしておりました……アコレイド様……!」