桜庭メル、捻らない
「面白いことが分かりましたよ」
エニスの仕事は実に早かった。
噂をすれば影、と言うべきか。エニスからの情報を待とうとカミノールと話し合ったその日の夜に、エニスがメルの泊まっている宿を訪ねてきた。
「結論から言いますと、ダガーに関しては思っていた以上に流通している数が多かったので、買い手を調べることはできませんでした」
「あら、それは残念」
「ですが隠者の仮面と転移系魔法具に関しては、カベンの流通が始まった数年前に、闇市で取引されたという情報が見つかりました」
「お~!すごいじゃないですかエニスさん!」
調べ始めてから1日と経たずに目的の情報を調べ上げたエニスは、流石は若頭を務めるだけはある有能さだ。
「隠者の仮面の購入者は20歳前後の若い男、鍵の形をした転移系魔法具の購入者は40代と思われる女、とのことでした」
「あれ?買ったの別々の人なんですね?」
「そのようです。ただ調べて見たところ、この2人にはある共通点がありました」
やけに勿体ぶった話し方をするエニス。拾ってきた情報の価値に余程の自信があるのか、それとも単にエニスがそういう話し方の人間なのか、メルには判断が付かなかった。
「20歳前後の男も40代の女も、闇市での取引を終えた後、去り際に『ご加護がありますように』と言い残していったそうです」
「……えっと、それってどういうことなんですか?」
「『ご加護がありますように』というのは母神教の別れの挨拶です。正確には『母神様のご加護がありますように』ですが、日常の場面では『母神様の』は省略するのが一般的です」
「ってことは、じゃあ……」
「ええ。隠者の仮面と転移系魔法具の購入者は、どちらも母神教徒だということです」
エニスからもたらされた情報に、メルは思わず息を呑む。
「母神教はペスカトピアで最大の宗教ですが、それでも教徒の数はそこまで多くありません。カベン流通の母体が母神教である可能性は充分考えられます。勿論ただの偶然という可能性も充分ありますが……」
「……いえ、偶然じゃないと思います」
「ほう?」
偶然ではないとメルが断言すると、エニスは興味深げに首を傾げた。
「実は今日、カミノールさんと母神教の教会に行ってきたんです。そしたら気付いたんですけど……」
メルはエニスに、教会のステンドグラスが「妻と義母」という絵画と似ていること、描かれている老婆が見方によっては若い女性にも見えること、その若い女性がアコレイドに似ていることを説明した。
「……ってことなんですけど、伝わりました?」
「なるほど、話は分かりました……が、正直絵の実物が無いとよく分かりませんね」
「ですよね~……」
メルも薄々分かっていたことだが、実物無しに「妻と義母」のギミックを説明するのは至難の業だ。エニスも説明を聞いている最中はずっと眉根を寄せていた。
「ですがあなたの言うように教会の硝子絵に若い女性の姿が隠されていて、その女性がアコレイドに似ているというのが確かであれば……母神教とカベンの関係は、ほぼ確定的と言えますね」
「ですよね!?そう思いますよね!?」
「ええ。母神教の人間がカベンを流通させているのであれば、カベン中毒者に宗教を持つ者が多いことも、数年間治安維持局の目を掻い潜り続けたことにも説明がつきます」
エニスの意見にメルも頷いて同意する。
「麻薬を売ってるのが教会なら、麻薬を買う人はきっと教徒が多くなりますよね」
「それに治安維持局内にも母神教徒はいますから、彼らが局内の情報を横流しすることで局の捜査も逃れやすくなるでしょう」
「……エニスさん、これは相談なんですけど」
「ほう、何でしょう?」
「これだけ状況証拠が揃ってるなら、1回母神教の人を問い詰めてみてもいいと思いませんか?」
メルがそう持ち掛けると、エニスはニヤリと悪人顔で笑った。
「確かにやってみる価値はあるかもしれませんね。地道な調査は性に合わなくて飽き始めていたところです」
「まだ確定的な証拠は何も無いですけど、私達治安維持局じゃないからそんなの関係無いですもんね」
「ええ。問い詰めて相手がボロを出せばそれでよし。仮に相手が麻薬と無縁の善良な市民だった場合は、脅して黙らせれば済む話です」
「わぁ!さっすがヤクザ、世の中全部力でどうとでもなると思ってますね!」
「ふふっ、褒めても何も出ませんよ」
「あははっ!褒めてないですよ!」
悲しいかな、この場にまともな倫理観の持ち主は1人もいなかった。
翌日。メルは早朝から宿屋を抜け出し、七番通りの母神教教会までやってきた。
「随分早くから動き出しましたね」
「教会に人が集まる前の方がいいかなって思いまして。エニスさん眠いですか?」
「いえ、私は数日眠らなくとも問題なく活動できるので」
同行者は恫喝のプロであるエニスと、それからもう1人。
「ところでメルさん……私はこの小娘が来るとは聞いていなかったのですが」
「あら、いたんですか反社さん。反社に早起きは似合いませんよ?反社は反社らしく陽が出ている内は薄暗いところでコソコソしていらしたらいかが?」
「カミノールさん落ち着いて。朝から反社って言い過ぎです」
昨夜の話し合いには同席していなかったカミノールも、メルからの招集を受けて同行していた。
「メルさん、治安維持局の情報を横流しする以外に能の無いこの小娘を招集した理由をお聞きしても?」
「言い過ぎですってエニスさん。カミノールさんもカベンの件で協力してくれてるんですから呼ぶに決まってるじゃないですか」
「ですがこんなのを連れていたら舐められるでしょう。いいですかメルさん、恫喝っていうのは舐められたら終わりなんですよ」
「カミノールさん連れて行って舐められるなら私がいる時点でもうダメだと思うんですけど……」
「確かにメルさんも外見だけなら可愛らしいですが、メルさんの場合は中身の無法者気質が若干雰囲気に滲み出てますから舐められはしません」
「中身の無法者気質!?」
言われたことがない部類の悪口に絶句するメル。
「ちょっと!メルさんのどこが無法者気質だって言うのよ!?撤回しなさい!あなたみたいなのと一緒にしないで!」
「麻薬の情報を得るために1人でヤクザの事務所に襲撃に来るような女ですよ?ヤクザよりも無法者でしょう。治安維持局員の娘にしては随分目が曇っていらっしゃる」
「あなたが一体メルさんの何を知っているというの!?知ったような口を利かないで!」
「ほう?まるで自分ならメルさんのことを熟知していると言いたげな口振りですね」
メルが絶句している隙に、カミノールとエニスは早速言い争いを始める。
「ちょ、ちょっと!私を使ってマウント取り合うのやめてください!ってか朝早いんですからあんまり公の場所で騒がないでください!」
この3人でいる時は、メルはおちおち絶句もしていられない。メルは慌てて2人の仲裁に入った。
「ほら、カミノールさんもエニスさんも、早く司教さんにお話聞きに行きますよ!これ以上騒ぐようだったら置いて行きますからね!」
「ご、ごめんなさい」
「申し訳ない」
メルが説教をしながらカミノールとエニスを引率し、3人はいよいよ教会に足を踏み入れる。
日中は休憩所として利用されている教会だが、まだ朝の早い時間帯ということで利用者の姿は見られない。同様に祈りに来た教徒の姿も見当たらなかった。
「誰もいないのかしら……」
カミノールがそう言って教会内を見回すと、エニスが軽く鼻を鳴らす。
「誰もいないということは無いでしょう。奥には司教がいるはずです」
「……奥に司教さんがいることを前提とした上で『誰もいない』と言ったつもりだったのだけれど、伝わらなかったかしら?」
「ああ、そうでした。それは失礼いたしました、てっきり教会に司教が常駐していることすら分からないのかと思いまして」
「あら、そうだったの?言葉足らずでごめんなさい、私ったらあなたの知性を高く見積もり過ぎていたみたいね」
「こらっ!喧嘩しない!」
全く油断も隙もあったものではない。
「すみませ~ん!誰かいませんか~?」
メルが教会の奥に向かって声を掛ける。
そのまま少し待つと、いかにも神職といった雰囲気の60歳前後の恰幅のいい男性が現れた。
その人物をメル達は知っている。この教会の司教、ポトスだ。
「おやおや、あなたは……メルさんでしたか?」
「えっ、私のこと覚えてるんですか!?」
ポトスが自分の名前を事も無げに呼んだことにメルは驚いた。
メルとポトスはたった1度短い会話を交わしただけの関係性だ。
日常的に多くの人と接するであろうポトスが、自分の名前を覚えているはずがないと考えていたメルだったが……
「長年司教をやっておりますもので、他人の名前を覚えるのは得意なんですよ」
そう言ってポトスは笑った。
「それでメルさん、今日はどうされました?私に何かご用事ですか?」
「ええ。ちょっとポトスさんにお聞きしたいことがあって、友達と一緒に来ちゃいました」
「友達……?」
ポトスがエニスを見て首を傾げる。
「ごめんなさい、こんな朝早くから。ご迷惑でしたね?」
「いえいえ、構いませんよ。年寄りの朝は早いですから」
ポトスは微笑みながらも、その目は決して笑ってはいなかった。メル達の用件が何であるかをおおよそ察しているらしい。
「それで、私に聞きたいこととは?」
「えっと、カベンのことなんですけど」
「ちょっとメルさん!?」
メルの何の工夫もない直接的な質問に、カミノールは目を白黒させる。
「訊くならもっと慎重に質問しないと……!」
「えっ、どうせ訊くんならいきなり訊いちゃった方が時間かからなくてお互いよくないですか?」
「あなた駆け引きって知らない!?」
メルからカベンの名前を聞いたポトスは、僅かに眉をピクリと動かした。
「……立ち話も何でしょう。こちらへどうぞ」
そう言ってポトスはメル達に背中を向け、教会の奥へと歩き出す。
メル達3人は一瞬顔を見合わせてから、ポトスの後をついて行った。
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