桜庭メル、燥ぐ
「わぁ~……おっきい……」
カミノールに案内されてやってきた図書館を見上げ、メルは思わず感嘆の声を零した。
ペスカトピア中央図書館という捻りの無い名称のその施設は、メルが地球で訪れたことのあるどの図書館よりも巨大だった。
「初めて来た時は大きくて驚くわよね。私も小さい頃父に連れられて初めてここに来た時は、あまりに大きいものだから怖くなって泣いてしまったのよ」
「何ですかそれ可愛い」
「この大きさなだけあって、蔵書数も凄いのよ。有史以来全ての書物が収蔵されていると言われているほどなんだから」
「有り得ますね」
「流石に無いわよ」
図書館に足を踏み入れると、早速10m近い高さの本棚と、そこにぎっしり詰め込まれた莫大な量の本の数々がメルを出迎えた。
「うわ~……すごい量……」
「これでも今見えてるのは蔵書のほんの一部よ。人間で言うと足の小指の爪くらいかしら」
「嘘ですよね?今見えてる範囲でも私の地元の図書館より本の数多いんですけど……っていうかこんなに本が多いと、目的の本探すだけでも日が暮れちゃいそう……」
「それを解決するのがあれよ」
カミノールが指差した先では、水色の石板のようなものが宙に浮かんでいた。
「あれは『検索召喚盤』という魔法具で、あれに探している本の題名を打ち込むと、その本が手元に召喚されるの」
「何ですかそれすっごく便利じゃないですか」
「それだけじゃないのよ。検索召喚盤にいくつか検索条件、例えば『恋愛小説』とか『随筆』とか『魔法具の研究書』とかを入力すると、その検索条件に合致する本をいくつか召喚してくれるの。探している本の正確な題名が分からない時や、好きな分野のまだ読んだことの無い本を探したい時に使える機能ね」
「何ですかそれすっごく便利じゃないですか」
利便性に関しては地球の図書館を遥かに上回っている。
「行きましょうカミノールさん!早く早く!」
「ふふっ、そんなに急がなくても検索召喚盤は逃げないわよ」
メルは目を輝かせながら検索召喚盤の下に早足で向かい、そんなメルを微笑ましく見守りながらカミノールがゆっくりと後に続く。
「カミノールさんカミノールさん、この文字盤で入力すればいいんですか?」
「ええ、そうよ。試しにやってみたら?」
「じゃあじゃあ、えっと……」
今日の目的は、カベンと宗教との関係性を調べることだ。
という訳でメルは文字盤を操作し、ひとまず直接的に「宗教」「麻薬」とキーワードを入力する。
「お?」
すると文字盤の脇にある台が淡い光を放ち始めたかと思うと、台の上に3冊の本が召喚された。
「わっ!ホントに召喚されましたよカミノールさん!」
「ふふっ、そうね」
新しい玩具を与えられた子供のようにはしゃぎながら、メルは召喚された3冊の本を手に取る。
「えっと……『母神聖典』と『メンタ特別任務 麻薬連合編』と『白昼夢』……カミノールさんこれ何の本ですか?」
「『母神聖典』は母神教の教典ね。『メンタ特別任務』は元治安維持局員の主人公メンタが悪の組織に1人で果敢に立ち向かっていく人気の冒険小説の続き物で、その『麻薬連合編』はメンタが巨大な麻薬密売組織と戦う話よ。『白昼夢』は聞いたことが無いけれど……どうやら元麻薬中毒者がその経験を綴った随筆のようね」
「あ~……どれもあんまり関係ないやつですね……」
宗教と麻薬との関係性についての記述のある本が召喚されるのが望ましかったが、やはりそう都合よく事は運ばなかった。
求めている情報を手に入れるには、もっと検索ワードを工夫する必要がある。
「もし召喚された本が目的の本とは違っていたら、すぐに元の場所に戻すのが規則よ」
「分かりました……って言っても、元の場所に戻すってどうやるんですか?結局本棚探さないといけないんですか?」
「いいえ。本を台の上に戻して、検索召喚盤で返却の操作をすれば、自動的に本が元の本棚に戻される仕組みになっているわ」
「何ですかそれすっごく便利じゃないですか」
検索召喚盤の利便性に再三驚きつつ返却の操作をしようとしたところで、メルはふと「母神聖典」の表紙に目を留めた。
「あれ?」
違和感を覚えたメルは返却の操作を取り止め、「母神聖典」を手に取る。
「カミノールさん、この表紙のおばあさんって……」
「母神聖典」の表紙には、こちらを向いて座る1人の老婆の姿が描かれている。
「ああ、多分母神の偶像だと思うわ」
「でもこの絵、教会にあるステンドグラスとちょっと違くないですか?ほら、特に顎とか」
メルが気になったのは、七番通りの母神教教会にある母神の姿を描いたステンドグラスと、「母神聖典」の表紙に描かれている母神の姿との差異だ。
「ステンドグラスのおばあさんは、もっと顎が長かったと思うんですけど……」
「そう言われてみればそうね。けれど単に描いた人によって思い描く母神の姿が違うというだけではないかしら」
「そうなんでしょうか……ん~」
カミノールの意見は一応筋は通っている。だが何となく納得できなかったメルは、検索召喚盤に「母神教」「偶像」とキーワードを入力する。
すると宗教画を集めた画集のような大判の本が3冊召喚された。
メルはその中の1冊を試しに手に取り、母神教の宗教画を流し読みする。
「……やっぱり顎が長い母神の絵は載ってないです」
「あら、本当ね」
カミノールも背中から画集を覗き込み、メルと同じように首を傾げた。
「どうしてかしら、教会のガラス絵には何か特別な意図があるのかしらね」
「気になりますね……」
「そんなに気になるなら、この後教会に行ってみる?司教から何か話が聞けるかもしれないわ」
「一緒に行ってくれるんですか?」
「ええ、勿論よ。でも調べ物に時間がかかったら、教会に行く時間はないかもしれないわね……」
「じゃあ調べ物に時間かかったら教会は明日にしましょう」
「全然時間かかりませんでしたね……」
「何も見つからなかったものね……」
図書館での調べ物で丸1日潰れる可能性も考えていたメルとカミノールだったが、いざ蓋を開けてみると半日もかからなかった。
その理由は単純、碌な資料が見つからなかったからだ。
「宗教と麻薬との関係性について記述した本ってこの世に存在しないのかしら……」
「200個くらいキーワード打ち込んで成果ゼロですもんね……」
半日使って何の成果も得られなかったことに精神を擦り減らした2人は、軽く昼食を済ませてから母神教教会へとやってきた。
七番通り事態は相変わらず盛況だが、休憩所を兼ねている教会の中は比較的空いていた。
「やっぱり顎長いですよね、この教会の母神様」
「そうね」
ステンドグラスを見上げると、そこに描かれていた母神はやはり、画集で見たどの母神よりも顎が長かった。
「……あっ!」
ここでメルはあることに気が付いた。以前この母神を描いたステンドグラスを初めて見た時に抱いた既視感、その正体に気付いたのだ。
「カミノールさん!これ、『妻と義母』ですよ!」
「えっ?」
「『妻と義母』!おばあさんにも若い女の人にも見える隠し絵です!」
「妻と義母」。そのタイトルこそあまり有名ではないかもしれないが、絵画自体は地球においてかなり有名なものだ。
横顔の年老いた女性と、向こうを向いている若い女性の2通りに認識することができる隠し絵である。
「おばあさんにも若い女性にも見える、って……私にはおばあさんにしか見えないけれど……」
「おばあさんの目を耳にして、おばあさんの口をネックレスにするんです。そうすれば若い女の人に見えませんか?」
「……ああ!言われてみれば確かにそう見えなくも無いわね」
当然ながらステンドグラスに描かれた絵は、地球の「妻と義母」と全く同一のものという訳では無い。地球で広く知られているものと比較して、ステンドグラスは老婆を認知しやすく、若い女性を認知しにくくデザインされている。
だからこそカミノールも、メルから女性の認知の仕方を教わるまで、老婆の方しか認識できなかったのだ。
「凄いわね、1枚の絵に1人の人物しか描かれていないのに、2通りの見方ができるだなんて」
「だから他の母神様の絵と比べて、このステンドグラスの母神様だけ顎が長かったんですよ!そうじゃないと若い女の人の方が見えなくなるから!」
「でも……どうして教会のガラス絵が隠し絵になっているのかしら?母神の姿に他の姿を隠すだなんて、ともすれば母神に背く行為と捉えられてもおかしくないわ……っ!」
疑問を口にしていたカミノールが、突然大きく目を瞠った。
「ねぇ、メルさん……」
「どうしたんですかカミノールさん?何か気付きました?」
「若い女性の方……アコレイドのように見えないかしら?」
それを聞かされたメルも、カミノールと同様に目を見開く。
「確かに!」
長い黒髪に首元のネックレス。その特徴は母神の姿に隠された若い女性と一致している。
「偶然……なのかしら……」
「流石に偶然じゃないと思います。偶然にしてはでき過ぎてる」
カベンと宗教との関係が疑われていたところに、母神のステンドグラスに隠されたアコレイドらしき女性の姿が見つかったのだ。
少なくともメルにはこれを偶然で片付けることは到底できない。
「けど……偶然じゃなかったとしても、今は何もできないですね……」
「そうね。口惜しいけれど追及するには根拠が弱すぎるわ」
心境で言えば今すぐにでも司教を問い詰めたいメルだったが、今それをするにはカベンとこの教会との関連を示す状況証拠が少なすぎる。
現状メル達の手札は、「母神のステンドグラスがアコレイドの姿にも見ることができる」という一点だけ。これを根拠に問い詰めたところで、「ステンドグラスが若い女性のようにも見えるのはただの偶然」と言われてしまえばそれまでだ。
「とりあえず今日のところは退いておきましょう、メルさん。もうしばらくすればあの反社が、メルさんが売人から回収した魔法具を調べた情報を持ってくるはずよ。動くのはその情報を受けてからでも遅くないわ」
「その意見には私も賛成なんですけど……カミノールさん、エニスさんのこと反社って呼ぶのやめませんか?」
「あら、事実でしょう?」
「事実ですけど流石になんていうか……」
カミノールとエニスとの間に隔たっている深い溝は、一向に埋まりそうになかった。
……まあ治安維持局員(の娘)とヤクザとの溝が、そう簡単に埋まっても困るが。
読んでいただいてありがとうございます