桜庭メル、誤魔化す
「まずはこれを見てください」
エニスの右手に1枚の紙が出現する。
手渡されたそれにメルが視線を落とすと、そこには1人の女性の絵が描かれていた。
その女性は長い黒髪で、首にはネックレスを巻き、柔和な笑顔を浮かべている。
「誰の絵ですか?」
見覚えのある人物ではなかったので、メルは率直にエニスに尋ねた。カミノールも横から絵を覗き込んで首を傾げている。
「それは重度のカベン中毒者への聞き取りを元に作成した、アコレイドの似顔絵です」
「えっ!?」
驚きで目を見開くメル。
「アコレイド?」
一方アコレイドを知らないカミノールは、首を傾げる角度を更に深くしていた。
「えっと、アコレイドっていうのはですね……」
メルがカミノールにアコレイドについて簡潔に説明する。
「へぇ、カベンによる幻覚に必ず現れる女……この絵の人がそうなの?」
「そういうことですよね、エニスさん?」
「ええ。その絵は元々ウチの構成員だったカベン中毒者への聞き取りが元になっています。ですがそれだけでは不十分だと思いまして、他にも5人のカベン中毒者に聞き取りを行い、それぞれの証言を元に似顔絵を作成しました」
エニスが追加で5枚の紙を取り出し、それも同様にメルへと手渡した。
「全部よく似てますね~」
6枚の絵を見比べたメルがそう感想を零す。
それぞれの似顔絵には多少の差異こそあったものの、長い黒髪や首元のネックレスと言った大まかな特徴は全て一致している。
「私、この人に間違われたってことですよね?」
マグに「アコレイド様」と呼ばれながら縋りつかれた時のことを思い出すメル。
「こう見ると見間違えるほど私と似てなくないですか?」
「そうね……でも髪の色とか垂れ目なところとかは似ているかしら」
「カベン中毒者なら見間違えてもおかしくはない程度には共通点はありますね。奴らは正常な判断能力なんぞとっくに失っていますから」
「そういうものですか……?」
メルとしてはやはり自分に似ているとは思えなかったが、2人がそう言うならそうなのだろうと納得した。
「……ところでエニスさん」
「何ですか?」
「こないだアコレイドの情報を共有した時、アコレイドについて真っ当じゃない方法で調べてみるってエニスさん言ってましたよね?」
「ああ、そんなことも言いましたね」
「この似顔絵作るために何したんですか?」
証言を基に似顔絵を作成すること自体は至極真っ当な調査である。
であれば真っ当でなかったのは、この似顔絵を作成するための手段ということになる。
「別に大したことはしていませんよ。伝手を使って重度のカベン中毒者を見繕って、そいつらから話を聞いただけです」
「……ホントですか?」
「ただ重度のカベン中毒者なんていうのは、会話や思考もままならないようなクズばかりですから。いくらか正気を取り戻させるために、少し痛い思いはしてもらいましたがね」
「拷問してるじゃないですか!?」
案の定非人道的な手段で作成された似顔絵だった。
「何やってるんですかエニスさん……」
「仕方ないでしょう。しつこいようですが重度のカベン中毒者は会話すら碌にできないんです。だから治安維持局もこれまでアコレイドという単語自体は認知していながら、その実態については把握できていなかった。今回アコレイドの似顔絵を作成することができたのは、私が手段を選ばなかった成果です」
「っ……」
カミノールがエニスを睨みながら唇を噛む。
エニスが取った手段は許容し難いが、エニスのような方法でなくては新情報が得られなかったのもまた事実。倫理と真実との間で葛藤している表情だ。
そんなカミノールに対し、エニスは更に言葉を重ねる。
「それに相手を痛めつけて情報を引き出すことは、私だけでなくメルさんもやっていますから」
「はぁ?適当なこと言わないで!メルさんがそんなことするはず無いでしょう!?ねぇメルさん」
「……」
「メルさん!?」
実際エニスの言う通りなので、メルは何も言えなかった。
「どういうことなの!?メルさんは一体何をしたの!?」
「まあまあ、今は似顔絵の話をしませんか?私達の行動の是非についてはそれからでもいいでしょう」
「そ、そうですね!そうしましょそうしましょ!」
エニスの言葉に全力で乗っかり、カミノールの追及を逃れようとするメル。
「……後でちゃんと聞かせてもらうわよ」
カミノールは不満げに口を尖らせながらも、一旦は矛を収めた。
メルは安堵の溜息を吐きつつ、手元の似顔絵に視線を戻す。
「それにしても、みんなそっくりですね」
「ええ。これだけ似ていれば、多少の差異はあれど全て同一人物と見なしていいでしょう。つまりカベンの使用者が幻覚に見る『アコレイド』という女は、名前だけでなく姿まで共通しているということです」
「ですが……そんなことがあり得るのですか?」
エニスの質問に疑問を呈したのは、アコレイドを知ったばかりのカミノールだ。
「幻覚作用のある麻薬を使用した際に現れる幻覚は、使用者によって異なるのが普通のはずです。全ての使用者が同じ幻覚を共有するだなんて……」
「ええ、まず有り得ません」
エニスが頷く。
カミノールもエニスもようやく口論せず真面目に議論する気になってきたようで、メルは胸を撫で下ろした。
「全てのカベン使用者が同じ幻覚を見るなど偶然では有り得ない。これは恐らく必然です。カベンという麻薬は、使用を重ねることでアコレイドの幻覚を必ず見るように作られている」
それは以前にもエニスが口にしていた推測だ。複数の似顔絵を作成して検証したことで、その推測も俄然真実味を帯びてきた。
「でも……何のためにそんな麻薬を?」
メルは腕を組んで考え込む。
「そもそも、結局アコレイドさんって何なんですか?」
「それについては確たる結論は得られませんでしたが……興味深いことが分かりましたよ」
「興味深いこと?」
エニスが得意気に頷く。
「私が尋問したカベン中毒者は、皆一様にアコレイドのことを『アコレイド様』と呼んでいました。そして伝手を使って調べて見たところ、他のカベン中毒者もそのほとんどが『アコレイド様』と呼んでいることが分かりました」
「えっと……それがどうかしたんですか?」
メルにはエニスの言いたいことが、すぐには分からなかった。
だが対照的にカミノールは、エニスの意図をすぐに汲み取った。
「つまりアコレイドというのは、必ず様付けで呼ばれるほど身分の高い存在であるということ?」
「ええ。そういうことでしょう」
「あ~!そういうこと!?」
遅ればせながらようやく理解するメル。
これまでアコレイドに関しては、恐らく人名であること以外一切が明らかになっていなかった。
故に必ず「様」を付けて呼ばれるような身分の高い人物という情報だけでも、大きな進歩と言える。
「必ず様付けされるほど身分の高い人ってどんなだろう……ペスカトピアって貴族とかいるんでしたっけ」
「いないわ。政治的に立場が高いのはペスカトピア中央議会の面々でしょうけど……」
「彼らが様付けで呼ばれることはまずありませんね」
ペスカトピア中央議会の面々というのは、要は地球で言うところの政治家だ。
確かに政治家が様付けで呼ばれることはまずない。付けるとしても「さん」か「先生」だろう。
「じゃあおっきい会社の社長とか?」
「それだって様付けでは呼ばれないでしょう」
「私の母も一応社長だけど、社員から様付けで呼ばれているところなんて見たことが無いわ」
「え~?じゃあ必ず様付けされる人なんていなくないですか?私も誰かを様付けで呼んだことなんて1回も無いですし」
誰からも必ず様付けで呼ばれる立場というのが思いつかず、手詰まりになったメルはベッドに上半身を投げ出す。
「確かにそうですね。誰からも必ず様を付けて呼ばれるとなると、それこそ神くらいのもので……」
「……神?」
エニスの言葉に引っ掛かりを覚え、メルは体を起こした。
「……それ、意外と有り得るんじゃないですか?」
「何ですって?」
「ほら、さっきカベンと宗教に何か関係があるかもしれないって話したじゃないですか。だからもしかしたら、アコレイドって神様なんじゃないですか?」
「……アコレイドなどという神を崇める宗教は聞いたことがありませんが……無くはない話ですね」
熟考の末メルに同意するエニス。
「ですよね?カミノールさんはどう思います?」
「情報が少なすぎて何とでも言える、という面はあるけれど……可能性としては充分あると思うわ」
カミノールからも同意が得られた。
「じゃあアコレイドっていう神様がいるかどうか調べてみたいですね……ペスカトピアに図書館ってありますか?」
「ええ、中央の方にあるわよ。明日でよければ案内するわ」
「ホントですか?ありがとうございます!」
元々明日からは宗教関係を洗ってみるつもりだったメルとしては、図書館を案内してもらえるのは願っても無い話だ。
するとここでエニスが壁に掛かっている時計(ペスカトピアにも地球と似たような時計の魔法具が存在する)にちらりと目を向ける。
「私からの情報は以上です。もう夜も深いですし、そろそろ解散に……」
「あっ、ちょっと待ってください」
解散を切り出そうとしたエニスを、メルが慌てて制止する。
「私からも報告したいことがあって……」
今夜の出来事を思い出し、メルは表情を曇らせる。
「実は今夜見回りをしてた時に、カベンの取引現場を見つけて、そのまま売人と戦ったんですよ」
「えっ!?」
「本当ですか!?」
エニスとカミノールが驚いて立ち上がる。
「いい感じに追いついたと思ったんですけど、あと少しのところで鍵みたいな魔法具を使って逃げられちゃって……一応手掛かりになるかと思って、これを持って帰って来たんですけど」
メルはダガーと仮面の破片を取り出して机の上に並べた。
「こっちの武器は売人が落としていったやつで、こっちの欠片は売人が着けてた仮面の破片だと思います」
「少し見せてください」
エニスが2つの物品を手に取って観察する。
「……刃物の方はただの武器ですが、こっちの仮面は恐らく魔法具ですね。この模様と質感には見覚えがあります」
「どんな魔法具なんですか?」
「『隠者の仮面』と呼ばれるもので、装着すると声色が変化し、他者に自分の姿を記憶されにくくなります」
「それ、聞いたことがあるわ」
隠者の仮面という名前に、カミノールが反応を示した。
「確か禁制魔法具に指定されていたわよね?」
「ええ。今から約20年前に開発された魔法具ですが、窃盗などへの悪用が相次いだため、開発からひと月と経たずに製造及び販売を禁止された代物です」
「なんでそんな悪用されるに決まってる物作ったんですか……?」
「本来の目的は要人警護であったと言われていますが、まあそんなものは建前でしょう。ともかくそういう訳で表向きは一切流通していない魔法具ですが、裏社会では数少ない現品が高値で取引されています」
「数が少ないんですか?」
「ええ。さっきも言った通り販売期間がひと月にも満たなかった上、禁制魔法具に指定された直後に回収が行われましたから。市場には僅かな数しか残っていません」
それを聞いたメルは、とある可能性を思いついた。
「じゃあもしかしたら、その、隠者の仮面?の取引を辿っていけば、売人の正体に辿り着けたり……?」
「その可能性はあります」
どうやらエニスも同じことを考えていたらしい。
「こっちのダガーの方も、魔法具ではありませんがそれなりに高価な代物のようです。これも調べてみれば何か分かるかもしれません」
「ホントですか?」
「それとメルさん、売人は魔法具を使って逃げたと言っていましたね」
「は、はい」
「具体的にはどのように逃げていましたか?」
「えっと……」
メルは当時を思い出す。
「売人が何か鍵みたいなものを取り出して、転移って呟いたんです。そしたら売人がそこから消えて」
「なるほど……転移系の魔法具ですね」
「転移系?」
「離れた2点間を瞬時に移動することができる魔法具のことです。大抵は本体と起動用部品の2個1組になっていて、起動用部品を所持した状態で特定の呪文を口にすることで本体の場所に移動できる、という仕組みになっているものが多いですね」
「どこからでも一瞬でお家に帰れるってことですか?すっごい便利ですね~」
「ただ転移系魔法具は高価な上に絶対数が少ないものなので、余程の資産家でもない限り個人で所有することは不可能です。もし個人で所有しようと思えば、旧型のものが闇市に出回っているのを運良く見つけるくらいしか方法はありません」
「そうなんですね?」
個人所有が難しい移動手段ということで、メルは何となく自家用ジェット機を思い浮かべた。
「恐らく売人が使った転移系魔法具も裏の経路で手に入れたものでしょう。隠者の仮面とダガー、それに転移系魔法具。これだけのものが揃っていれば、入手経路を調べることで売人の身元を特定することもできるかもしれません」
「ホントですか!?」
「断言はできないのであまり期待しないでいただけると助かりますが。この武器と破片はお借りしても?」
「どうぞどうぞいくらでも持ってっちゃってください」
メルの許可を得て、エニスはダガーと破片をスーツの内側に仕舞った。
「もし他に連絡事項が無いようでしたら、事務所に帰って早速調べ始めようかと思うのですが」
「こんな遅くからですか?」
「ええ。早いに越したことはありませんので」
「ありがとうございます!私はもうお伝えすることは何も無いです。カミノールさんは?」
「私も持っている情報は全て話したわ」
「では私はここで失礼します」
エニスはメルに軽く頭を下げ(メルとカミノールに、ではない)、それを最後に部屋を後にした。
「じゃあ私もそろそろ今日はもうお暇させていただくわね。明日図書館で調べ物をするときに転寝してしまったら困るもの」
「えっ、カミノールさんも調べるの手伝ってくれるんですか?」
「当たり前でしょう。まさか図書館の案内だけしてさよならだと思っていたの?」
「それでもありがたいなぁと思ってたんですけど……」
はぁ、とカミノールがこれ見よがしに溜息を吐く。
「当然手伝うわよ。人手は多い方がいいでしょう?」
「ありがとうございます!カミノールさん大好き!」
「んんっ!……それじゃあ私も帰るわね」
「はい、おやすみなさい」
メルとカミノールは明日の朝狩猟局前で待ち合わせる約束を交わし、そしてカミノールも部屋を去っていった。
読んでいただいてありがとうございます