桜庭メル、仲裁する
あと少しのところで売人を取り逃がしてしまったことに肩を落としながら、メルは巡回を切り上げ宿に戻ってきた。
「……メルさん」
すると宿屋の陰から、メルを呼ぶ声が聞こえてくる。
視線を向けると、そこにはスーツのような服に身を包んだオールバックの男性が身を潜めていた。
「エニスさん?そんなところでどうしたんですか?」
「あなたの耳に入れておきたいことがあったので、失礼ですが待ち伏せさせていただきました」
「別にいいですけど……何もこんな夜中に待ってなくても。明日とかじゃダメだったんですか?」
「拙速を尊ぶのが私の流儀ですので」
エニスは周囲に人目が無いことを確認してから、メルへと近付いてくる。
「あまり余人の耳には入れたくない情報です。どこか込み入った話のできる場所に」
「ああ、なら私が泊ってる宿のお部屋はどうです?隣の部屋の音聞こえてきたこと無いですし」
メルがそう提案すると、エニスは露骨に眉根を寄せた。
「どうしました?」
「……差し出がましいですが、あなたのような若い女性がこんな夜更けに異性を部屋へ招き入れるのは感心しませんね」
エニスの懸念はもっともだが、それはあくまでも一般的な女性の話。
「あはは、私を力でどうこうできる気でいるんですか?」
「……それもそうでしたね」
メルには無用の心配である。
「じゃあ行きましょ」
という訳でメルはエニスを伴って宿に入る。
既に深夜なこともあってロビーには従業員の姿は無いが、宿泊者に限りどのような時間でも自由に出入りが許されている。
メルは当初防犯の観点からどうなのかと思ったが、その辺は魔法で上手いことやっているらしい。
「あれ?」
しかし従業員の姿は無くとも、ロビーは無人ではなかった。
卓上のランタン型照明の小さな光を頼りにして、水色の髪を持つ少女が本を読んでいたのだ。
「カミノールさん!?どうしてここに!?」
まさかカミノールが宿にいるとは想像だにしておらず、驚きの声を上げるメル。
「お帰りなさい、メルさん。私、ここの娘さんとはお友達なの。だから特別に待たせてもらったわ」
「待たせてもらったって……私をですか?」
「ええ。少しでも早くメルさんの耳に入れたい話があったのだけれど……」
カミノールの視線がメルからエニスへと移る。
「……この方はどなた?」
エニスを窺うカミノールの水色の瞳には疑心が滲み出ていた。
「あ~……」
治安維持局員の父親を持つカミノールに、「こちら賽寶会若頭のエニスさんです」とは紹介できない。メルは慎重に言葉を選ぶ。
「えっと……この人はカベンの件でちょっと協力してもらってる人で……」
「エニスと申します。以後お見知りおきを」
エニスも初対面の相手に賽寶会若頭と名乗るような馬鹿な真似はしなかった。そのことにメルも胸を撫で下ろした……のだが。
「エニス……?」
カミノールの目がスゥッと細くなる。
「賽寶会若頭と同じ名前なんですね。偶然でしょうか?」
「……えっ?」
「ほう。私のことをご存知でしたか。随分と情報通なお嬢さんのようだ」
一瞬にしてカミノールとエニスとの間に剣呑な空気が流れる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
宿屋のロビーで、それもこんな夜更けに問題を起こしたら色々とマズいので、メルは慌てて2人の間に割って入る。
「カミノールさん、何でエニスさんのこと知ってるんですか!?」
「父から聞いたの。この街のヤクザの有名な構成員の名前は、大抵父から教わっているわ」
「あなたのお父さん守秘義務って知ってますか!?」
前々から思っていたが、カミノールの父親は明らかに治安維持局の外の人間に話してはいけないことまでカミノールに伝えている。メルはカミノールの父親がいずれ懲戒を受けないかが心配だった。
「メルさん、どうしてヤクザなんか頼ったの?」
「そんなもの、治安維持局が役立たずだからに決まっているでしょう」
カミノールの質問に答えたのは、メルではなくエニスだった。
「ペスカトピアで流通している麻薬に関しては、我々賽寶会は治安維持局と同程度に、いえ治安維持局以上に精通しています。本気でカベンを潰したければ、数年を費やして何の成果も出していない治安維持局ではなく、我々賽寶会を頼るのが賢明でしょう」
「黙れ反社」
「カミノールさん!?」
初対面にもかかわらず、カミノールとエニスはこの上なく険悪だった。
治安維持局員の娘とヤクザの若頭だ。こうなって当然である。
「ああもう!こんなところでギスギスしないでください!2人がここでモメたら追い出されるのは私なんですよ!?」
「だけどメルさん、この反社が挑発して……」
「私は事実を口にしただけですが?」
「だから隙あらばすぐにモメようとしない!私ここ追い出されたら住むところ無いんですよ!?どうしてくれるんですか、カミノールさんのお家に置いてくれるとでも言うんですか!?」
「えっ……!?」
「『ちょっといいかも……』みたいな顔しない!」
6番通りを巡回している時よりも、カベンの売人を取り逃がしてしまった時よりも、今の方が精神的な疲労を感じたメルだった。
「とにかく!2人とも私に話があって会いに来たんですよね!?」
「ええ」
「はい」
「どうせカベン関係の話ですよね!?」
「そうよ」
「そうです」
「じゃあさっさと私の部屋行って話しますよ!いいですね!?」
「……」
「……」
「返事は!?」
「……は~い」
「はいはい」
「『はい』は伸ばさない!『はい』は1回!」
何だかお母さんのようになりながら、メルはカミノールとエニスを連れて自分が宿泊している部屋に移動した。
メルとカミノールは並んでベッドに座り、エニスはデスクの前の椅子に腰を下ろす。
「じゃあまずカミノールさんから聞かせてください」
「ええ。治安維持局が現状把握しているカベンの流通に関する情報を、聞けるだけ全部聞き出してきたわ」
「守秘義務ぅ……」
「と言っても、私が聞いてきたのはあくまでも父個人の見解よ。治安維持局の捜査方針では無いわ」
「ああ、その方が罪悪感少ないんで助かります」
治安維持局の捜査方針を聞いてしまえば完全なる情報漏洩だが、カミノールの父親個人の見解ならばまだ言い訳が利く。少なくともメルの感覚ではそうだった。
「まず父は、治安維持局内部に内通者がいる可能性を疑っていたわ」
「えっ!?」
のっけから爆弾発言である。
「内通者って……カベンの流通に加担してる治安維持局員がいるってことですか!?」
「あくまでも父の見解ではね」
カミノールは父親が内通者の存在を疑う理由について説明し始める。
「カベンの使用者の検挙率は、ここ数年常に微減を続けているわ。その理由は違法薬物取引の現行犯逮捕件数が減少していることにあるの」
「取引の現場が見つけづらくなってる、ってことですか?」
「ええ。カベンが流通し始めた頃は警邏中の局員がカベンの取引現場に遭遇して、顧客を現行犯逮捕することも少なくなかったの。けれど最近は警邏中に取引現場を発見することがほとんど無くなっているそうよ。まるでカベンの売人が、警邏の裏をかいているかのように」
「それって、カベンの売人が治安維持局の警邏ルートを把握してるってことですか?」
「父はそう考えているわ。そして情報が筒抜けになっているとしたら、当然情報を流出させている内通者がいるということよ」
「なるほど……」
メルは腕を組んで考え込む。
カミノールが語った推測は何の証拠も無いが、あながち無い話でもない。
麻薬の売人が数年間も捜査の手を逃れ続けるなど、治安維持局に協力者がいなければ不可能なように思える。
「その可能性は我々も考えていました」
エニスが会話に入ってくる。
「治安維持局から長期間逃れるには、ある程度の組織力と、治安維持局内部の協力者の存在が不可欠ですから」
「あなた達もそうやって逃げ続けてるという訳ですか?」
「こらっ!カミノールさんいちいち噛みつかない!」
「ええ、不真面目な局員が多くて助かっています」
「エニスさんも挑発しない!」
隙あらばカミノールとエニスは喧嘩を始めようとするので、メルは心労が絶えない。
「んんっ!父から聞いた見解はもう1つあるの。これまでカベンの所持や使用で逮捕された人間は、何らかの宗教を持っている傾向が多いそうよ」
「信心深い人ほどカベンに手を出しやすいってことですか?」
「ええ。と言っても宗教を持つ人が6割に対して無宗教の人が4割という程度らしいけれど」
「それは~……ちょっと関係があるかどうかは微妙ですね……」
6:4という割合は、関連性を疑うには少し足りない数字のようにメルには思えたのだが、
「いえ、そうでもありませんよ」
エニスがそれを否定した。
「ペスカトピアで宗教を持つ人間は決して多くありません。カベンの使用者の中で宗教を持つ人間が6割というのは、充分に高い割合です。それと先程メルさんが言った、『信心深い人間ほどカベンに手を出しやすい』というのも恐らく誤りでしょう」
「じゃあ、どういうことなんですか?」
「カベンの売人が、宗教を持つ人間を狙ってカベンを売り捌いているのではないでしょうか」
「ああ、なるほど!」
メルは思わず頷いた。確かにカベンの売人が宗教家を特に狙ってカベンを販売しているという方があり得そうだ。
「……父も同じことを言っていました」
カミノールが不貞腐れながらそう呟く。
不貞腐れているのは、治安維持局員の父親とヤクザの意見が一致したのが受け入れがたいのだろう。
「でもカベンと宗教に関係があるって分かってるなら、そっちの方も捜査してみればいいのに。母神教の教会とか……」
「それは難しいでしょう」
「どうしてあなたが答えるんですか!?」
メルの疑問にエニスが答え、それにカミノールが目をいからせる。
「エニスさん、どういうことですか?」
またカミノールとエニスが口論を始めて会話が停滞してしまう前に、メルはエニスに話の続きを促した。
「ペスカトピアでは宗教はあまり一般的ではありません。ですから治安維持局がカベンと宗教の関連性を公表したり、カベンとの関与を疑って宗教の関連施設の捜査に踏み切ったりした場合、ともすれば宗教への差別や偏見を助長しかねない」
「あ~……それはよくないですね~……」
「カベンと宗教との因果関係を示す確たる証拠があれば話は別ですが、そういうのは無いのでしょう、治安維持局員の娘?」
「なんて呼び方するんですか」
エニスに迂遠な肩書で呼ばれたカミノールは、不快害虫を見るような目をエニスに向けながら頷いた。
「……その通りよ。だから父も治安維持局内でその可能性を共有してはいないわ」
「賢明ですね。どの道憶測だけで捜査はできない以上、共有したところで内通者を徒に警戒させるだけです」
「でも……治安維持局には調べられなくても、私達ならできますよね?」
これまでの話を総合して、治安維持局が動けない理由は大きく3つ。証拠が無いこと、内通者がいる可能性があること、治安維持局の捜査によって宗教に対する差別や偏見を助長する可能性があることだ。
だがメル達であれば、これらの理由を全て無視することができる。証拠がなくとも疑わしいと思えば調べることができ、内通者の存在を考慮する必要も無い。その上治安維持局とは違って世間への影響力が無いので、差別や偏見を助長する可能性はゼロだ。
立場や世間体を気にする必要のない、アウトローの強みだ。
「宗教系は明日以降にでも調べてみるとして……じゃあ次は、エニスさんが持って来たお話を聞きましょうか」
読んでいただいてありがとうございます