桜庭メル、しくじる
「相変わらず騒がしいですね~6番通りは」
『賑やかって言ってやれよ』『確かに騒がしいわ』『目がチカチカする』
夜。メルはアサシンスタイルに身を包み、カベンの売人を探しながらその様子を配信していた。
「見つかりませんね~それにしても……」
メルはこれまでに幾度となく6番通りを巡回し、酔客同士の喧嘩2件、男女間のトラブル3件、性犯罪未遂1件に遭遇、それら全てを秘密裏に力業で解決してきた。
だが本来の目的であるカベンの売人に関しては、未だにその影すら掴めていない。
『地図が間違ってるってことは無いの?』『当てにならないんじゃねその地図』
視聴者達が言っている地図とは、メルがアルノルディから譲り受けた、カベンの取引が行われている可能性の高い場所をピックアップした地図のことだ。
これまでメルはその地図に基づいて巡回を行ってきた。にもかかわらず成果が上がっていないとなると、視聴者から地図を疑問視する声が上がり始めるのも当然だ。
「ん~、あんまりこの地図を疑いたくはないんですよね……」
しかしメルは地図には一定の信頼を置いていた。
ペスカトピア最大級のヤクザである賽寶会の会長アルノルディが、「必ずカベンを潰せ」という言葉と共に託した地図だ。この地図の情報が誤りだとしたら、賽寶会の沽券に係わる。
『でもその地図くれた相手ってヤクザなんでしょ?』『ヤクザなんて信用できるの?』『いいように利用されてたりとか……』『そのヤクザが麻薬を嫌ってるっていうのも本当の話か分からないしね』
「メル相手にそんなことしないと思いますよ。だってメルがその気になったら賽寶会皆殺しにできるのは、会長さんが1番よく分かってたと思いますし」
『当たり前みたいな顔して皆殺しとかいうのやめなよ』『堅気とは思えない発言』『ヤクザ皆殺しなんてヤクザでもしないだろ』『もうヤクザよりヤクザじゃん』
メルは賽寶会襲撃の際、当時事務所にいたアルノルディ以外の全構成員を制圧した。つまりメルが賽寶会を壊滅させるに足るだけの戦闘能力を持つことを、アルノルディは知っている。
そんな相手を騙していいように利用しようとは、ヤクザと言えども考えないだろう。気付かれた時のリスクが大きすぎる。
それこそがメルがアルノルディと地図をある程度信頼している理由だ。
「ですけど……あんまり見つからないようだったら、地図で丸付いてないところも探してみなきゃかもですね」
『そうね』『それがいいんじゃない?』
「……ん?」
ここでメルの鋭敏な聴覚が、微かな会話の声を捉える。
「……で……を見て……」
「お……ございます……は、アコレイド……」
アコレイド、と。
メルは確かにその単語を聞き取った。
「っ!」
瞬間、メルは屋根を蹴って矢のように走り出す。
『うわ速っ!?』『エグい速度出てない!?』『日本新だろこれ』『世界新まであるぞ』『競技場じゃなくて屋根の上走ってるから記録なしだろ』『メルちゃんの脚力ワールドクラスで素敵!!』『素敵の一言で済ませていいのか……?』
異常な脚力で視聴者達を慄かせつつ、メルは会話が行われている場所に到着する。
そこはアルノルディの地図で丸印が付けられていた場所の1つ。6番通りの外れにある、知る人ぞ知る隠れ家的雰囲気の飲み屋の裏の路地だった。
そしてそこには2つの人影があった。
「それで……あの……またカベンが欲しくて……」
片方は若い女性。服装は地味だが化粧が濃い。恐らく仕事終わりの風俗嬢だろう、とメルは見当をつけた。
女性は人目を憚るように、しきりにあちこちへと視線を動かしている。顔には化粧が崩れるほどの多量の
汗をかいており、違法薬物の使用が疑われた。
「ええ、ええ。もちろんですとも」
そして女性が会話をしている相手は、何とも不審な人物だった。
その人物はお伽話の魔法使いが着ているような黒いローブを身に纏い、フードを目深に被って顔を隠している。声色はまるでボイスチェンジャーを使用しているかのようで、男か女か、若いのか年老いているのかも判然としない。
「じゃあ、えっと、これで買えるだけ……」
女性がやけに震えている手で財布の中から数枚の金貨を取り出し、ローブの人物に差し出す。
ローブの人物は受け取った金貨をしばらく検分してから、ゆっくりとした仕草で金貨を懐に収めた。
「では、こちらを……」
ローブの人物が金貨と引き換えに小さな容器を取り出すと、女性が半ば引っ手繰るようにしてそれを受け取る。
女性は容器の蓋を僅かに開けて中身を確認すると、安心したように笑顔を浮かべた。
「あれは……!」
女性は容器の中身が自分にしか見えないように蓋を開けていたが、それでもメルは容器の中身を見逃さない。
容器の中に入っていたのは、ぎっしりと詰まった星型の飴、カベンだった。
金貨と引き換えにカベンが入った容器を与えたということは、あのローブの人物こそがカベンの売人に違いない。
「やった……!」
ようやくカベンの取引現場を押さえることに成功し、メルは無声音で歓声を上げる。
だが暢気に喜んではいられない。取引は既に終了しているのだ。うかうかしていたら折角見つけた売人をみすみす逃してしまう。
「皆さん、ちょっとごめんなさいね……」
ここから先は配信に意識を割いている余裕はない。メルは画面の向こうの視聴者達に謝罪を入れてから、現在進行形で撮影をしているスマホをホットパンツのポケットに収納する。
『美少女のポケットに仕舞われるのってなんかえっちじゃね?』『何だろう興奮してきた……』
いくつか書き込まれた変態的なコメントも、もうメルの目には入らない。
メルは懐から硬貨を取り出し、売人に狙いを定めて親指で弾き飛ばす。
ライフル弾のような速度で空気中を突き進んだ硬貨は、ローブ越しに売人の足と思しき場所に命中した。
「っ!?」
痛みのためだろうか、売人がその場で跳ねるような仕草を見せる。
「きゃっ!?ど、どうしました!?」
売人の突然のリアクションに、カベンを買っていた女性が驚きの声を上げる。
その女性に対しても、メルは容赦なく硬貨を射出した。
女性もカベン取引の貴重な証人だ。逃す訳にはいかない。
「きゃあっ!?」
2枚目の硬貨は見事女性の額に命中、女性は気を失ってその場に崩れ落ちる。
そして2人の機動力を奪ったところで、メルは屋根から飛び降りて2人の間に着地する。
「ちっ!」
メルの存在を認識した瞬間、売人はメルに背中を向けて走り出す。
その動きはともすれば熟練の狩猟者以上に俊敏で、あっという間にその背中が遠ざかっていく。
メルは売人が数年間治安維持局の目を掻い潜り続けている理由の一端を理解した。あれだけ逃げ足が速ければ、大抵の治安維持局員では取り逃がしてしまう。
だが、メルが相手ではそうはいかない。
「待ちなさいっ!」
売人の背中を猛追するメル。2人の距離は見る見る内に縮まっていく。
そもそも売人はメルの先制攻撃により足を負傷している。その状態でメルから逃げ切れるはずもない。
逃走が不可能と判断したのか、やがて売人は足を止め、メルの方へと振り返る。
すると売人が伸ばした右手の中に、ダガーに似た刃物が出現した。
「斬り合おうって訳ですか……」
メルもまた足を止めるとスカートの中に右手を忍ばせ、ドラゴンの牙のナイフを取り出す。
「望むところです!」
メルが売人へと躍りかかり、売人もまたメル目掛けてナイフを振るう。
2つの刃が激突し、飛び散った火花が薄暗い路地裏を一瞬明るく照らした。
「くっ!」
メルは初手で売人のダガーを弾き飛ばすつもりだったが、上手く衝撃を受け流されてしまった。
その技術で売人がかなりの手練れであることが分かる。
「ふっ」
軽い吐息と共に、今度は売人の方から仕掛けてくる。
首を狙って突き出されたダガーの刃に、メルは牙のナイフを添わせ、攻撃の軌道を逸らした。
「てやぁっ!」
「ふっ!」
激しい斬り合いに突入する2人。
剣戟の度に飛び散った火花が、路地裏に散乱している壊れた木箱に降りかかり、ボウッと火の手が上がる。
「ロマンチックじゃないですか、炎の中でダンスだなんて!」
「……っ」
「あら、だんまりだなんて悲しいです!」
戦況はメルが優勢だった。売人はただでさえ片足を負傷しており立ち回りが制限されている上、メルの方が圧倒的に膂力で上回っている。
剣戟の回数が20を突破した頃、ガキンッという甲高い金属音と共に、売人のダガーが手から弾き飛ばされてくるくると宙を舞った。
「あらあら、武器が無くなっちゃいましたね」
無手となった売人に牙のナイフを突きつけ、メルは挑発の言葉を口にする。
「どうします?大人しく投降するならこれ以上痛くはしませんけど」
「……<光芒>」
メルの降伏勧告に対する売人の返答は、魔法による攻撃だった。
「ひゃあっ!?」
咄嗟に身を躱したメルの頬を、熱を持った閃光が掠めていく。
「あ~そういうことするんだ~……じゃあこっちもこうですぅうりゃあ!!」
怒りと共にメルが繰り出した反撃のハイキックが、フードに覆われた売人の顔面に直撃する。
すると売人の頭部から、バキッ!と何かが砕けるような音が響き、何か破片のようなものが零れ落ちた。
どうやら売人はフードの下に仮面のようなものを装着していたらしい。
「これは……」
売人が大きく仰け反りながら吹き飛んだ隙に、メルは蹴り砕いた仮面の破片を拾い上げる。
破片は白地に赤いアラベスク模様のような装飾が施されていた。
メルはその破片をホットパンツのポケットに押し込み、改めて売人へと向き直る。
強烈な蹴りの一撃によって、売人は周囲を取り囲む炎の間際にまで追い込まれていた。
「もう逃げ場はありませんよ?」
メルは売人にプレッシャーを与えるように、1歩1歩距離を詰めていく。
売人の後方は炎で塞がり、前方にはメルが立ちはだかっている。
メルの言う通り、売人に最早逃げ場はない……かに思われたが。
「……<転送>」
売人が鍵のようなものを取り出して何やら呟いた途端、売人の姿がその場から消えてしまった。
「えっ、はぁっ!?」
追い詰めた相手が目の前で消失するという理不尽な現象に、思わず声を上げるメル。
「はっ、えっ、ま、魔法!?魔法で逃げたってこと!?そんなのアリ!?」
アリかナシかで言えばアリである。ペスカトピアは地球と違って魔法が存在するのだから。
メルもこれまでに何度も魔法を目の当たりにしている以上、魔法を用いた逃走も考慮して然るべきだった。
物理的に追い詰めた時点で勝利を確信してしまったメルの失態だ。
「っ、ああっ!」
口惜しさのあまり地団駄を踏むメル。石畳の道に罅が走る。
「おい、こっち燃えてないか!?」
「火事だ!」
「治安維持局呼んで来い!」
ここで路地裏で上がった火の手が人目に付き始め、辺りが騒がしくなり始めた。
これ以上ここに長居するのは危険だ。
メルはせめてもの手掛かりとして、売人が使っていたダガーを回収する。このダガーと先程拾った仮面の欠片を調べれば、何か分かるかもしれない。
それと売人からカベンを買っていた若い女性からも話を聞きたいところだったが、売人を追いかけている内に取引現場からは離れてしまっている。
女性は気絶させてあるとはいえ、今から戻って女性を回収するのは難しい。
「今日はこれくらいで引いておくか……」
メルは炎の中から飛び上がり、近くの屋根の上に着地する。
数名の治安維持局員が路地裏に駆け込んできたのは、その直後のことだった。彼らは炎に驚きつつも、即座に魔法で水を放ち消火活動を始める。
「治安維持局員って警察だけじゃなくて消防も兼ねてるんだ……」
また1つペスカトピアの仕組みを知ったメル。
火は5分ほどで消し止められ、メルはそれを見届けてから現場を後にした。
読んでいただいてありがとうございます
次回は明後日の7日に更新する予定です