桜庭メル、身バレする
「それでは皆さん、また次回の配信でお会いしましょ~。バイバ~イ」
『ばいばい』『バイバ~イ』『またね~』『次の配信までどうやって生きたらいいんだろう……』
巡回を終えたメルは、6番通りで最も高いカジノの屋上で視聴者に別れの挨拶を告げる。
「ふぅ……」
配信を終了した途端、メルの目付きが一段と鋭くなる。
メルが素早くカジノの屋上から飛び降りると、そこには1人の男性の姿があった。
「それで?どうして私をつけ回してたんですか、エニスさん?」
地球のスーツに似た黒い服に身を包んだオールバックのその男性は、先日の賽寶会襲撃の際にメルの前に立ちはだかった、賽寶会若頭エニスに他ならなかった。
実はメルが配信をしつつカベンの取引が行われていそうな場所を巡回している間、エニスがずっとメルの跡を付けていたのだ。
メルがかなりアグレッシブに6番通り周辺を動き回ったため、それを追いかけていたエニスの顔には若干の疲労が見える。
「どういうつもりか教えてもらっても?」
メルとエニス、ひいてはメルと賽寶会は、少なくともメルの主観においては良好な関係ではない。メルが一方的にカチコミを掛けたのだから当然だ。
故にメルは牙のナイフをちらつかせ、エニスの一挙手一投足に目を配る。
「……おかしいですね」
エニスは顎に右手を添え、僅かに首を傾げる。
「私とあなたは初対面のはずですが」
「は?何を言って……」
「チェリーさんという方となら、先日知り合いましたが」
「……あ゛っ」
メルの頬に冷や汗が伝う。
先日の賽寶会襲撃の際、メルは正体を隠すため「チェリー」という偽名を名乗り、お嬢様風の演技をしていた。
つまりエニスと面識があるのはあくまでもチェリーであり、その設定を貫くのであればメルはこの場でエニスと初対面の体を保たなければならなかったのだ。
「あっ、いや、そのっ、なんていうか……」
「……そんなに慌てなくて結構です」
わたわたと狼狽えるメルの姿に、エニスは小さく溜息を吐く。
「チェリーの正体が狩猟者メルであることくらい、賽寶会も把握しています」
「えっ、どうしてですか!?私の変装は完璧だったのに……」
「……本気で言ってますか?」
もう1度溜息を吐くエニス。
「若い少女で、魔法を使わずに私を下す戦闘能力を持つ。それでいて堂々と賽寶会に接触してきたということは、戴冠者のような著名人と違って世間の好感度を気にする必要のない立場。これだけの条件を満たすのは、天寵ブラシオンを討伐し戴冠者ディラージと模擬戦で引き分け、それでいながらペスカトピアに来て日が浅いためにまだ知名度の低い狩猟者メルくらいのものです」
「た、確かにそうかもですけど……でもそれだけじゃ断言はできないんじゃ」
「まあそれらを考慮しなかったとしても、ドラゴンの牙を使ったナイフを使っている時点で自ら正体を明かしているようなものでしたけどね」
「ああそっかそこまで考えてなかった!」
メルは思わず頭を抱える。
ドラゴンの牙などペスカトピアでは滅多に市場に出回らない。ドラゴンの牙製の武器など携えていようものなら、たちまち身柄が特定されてしまう。
念入りに変装して賽寶会襲撃に及んだメルだったが、残念ながら武器から身バレする可能性にまでは頭が回っていなかった。
「というか……余計なお世話かもしれませんが、今のあなたが狩猟者メルとして振る舞うのも拙いのでは?」
「ああそっか!?」
メルがアサシンスタイルでカベンの調査をしているのは、動きやすいという理由からだ。
しかしそれ以外にも、賽寶会を「チェリー」として襲撃した時と同じように、メルの正体を隠すためという目的もある。
つまりメルはこの場ではエニスと初対面の体を保つだけでなく、そもそもメルとして振る舞ってはいけなかったのだ。
「いや、その、これは違くてですね……」
「今更言い繕おうとしなくて結構ですよ。チェリーが狩猟者メルであることも、あなたが狩猟者メルであることも、全て分かり切ってますから」
「全てわかり切ってるっていうのやめてくださいよ!?」
頬を赤く染めてエニスに噛み付くメル。正体が分かり切っていると言われると、変装している自分が途端に恥ずかしくなってきたのだ。
「んんっ!へ、変装のことはもういいんです!結局エニスさんはなんで私のことつけ回してたんですか?復讐するチャンスを窺ってたとか?」
「私個人としてはそれも吝かではないですが、残念ながら違います。機会があればあなたを支援しようかと思いまして」
「支援……?」
エニスが一体何の支援をするのかと、メルは首を傾げる。
「治安維持局のような真っ当な捜査では、カベンの売人を捕まえることはできない。それが分かっているからこそ、あなたも賽寶会の襲撃やカベン使用者への個人的な尋問など、真っ当ではない手段で調べているのでしょう」
「そうですけど……」
「真っ当ではない手段は我々の得意分野です。きっとあなたの助けになれることがあるでしょう」
「それは……ありがたい話だと思いますけど……」
エニスの申し出に、メルがまず抱いた感情は困惑だった。
「どうして私にそんなに親切にしてくれようとするんですか?自分で言うのもなんですけど、私って普通に賽寶会から恨まれて然るべきだと思うんですけど……」
「……私個人としては、あなたに思うところは色々とあります。ええ、それはもう色々と」
苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべるエニス。
「ですが会長は、あなたを支援する、いえ、あなたの力を借りる判断を下しました。賽寶会の面子を潰したあなたの力を借りることも厭わないほどに、会長はカベンを嫌っているのです」
「そうなんですか?まあ、手を貸してくれるなら助かりますけど……」
ヤクザと手を組むなど、倫理的には許されることではない。しかしメルは使えるものは何でも使う所存だった。
「でもそれだったら事前にそう言っておいてくださいよ。ずっと付け回されて何事かと思ったんですから」
「すみません。私のようなヤクザ者が、狩猟局や宿に足を運ぶとあなたに迷惑がかかると思いまして」
「……ホントにそれが理由ですか?」
エニスは見るからにニヤニヤしているので、事前の連絡なしにメルを付け回していたのはちょっとした嫌がらせに違いなかった。
そのちょっとした嫌がらせで疲れて汗をかいているところも含めて、何とも小物臭い。
「まあ手伝ってくれるって言うならありがたく手伝ってもらいます。私があのカベン持ってた男の人から聞き出した内容って、エニスさんも聞いてました?」
「いえ、距離があったのではっきりとは」
「じゃあ情報共有しときますね」
メルはエニスに、例の男性から聞き出した情報を掻い摘んで説明した。
「なるほど……カベン中毒者が時折口にするアコレイドという単語は、カベンを服用した際に現れる幻覚の女性の名前だと」
「はい、売人がそう言ってたらしいですし、マグっていうカベンの使用で捕まった狩猟者も私のことをアコレイドって呼んでましたから、アコレイドが女の人の名前っていうの間違いないと思います」
「しかし奇妙ですね、カベンの使用者が全員同じ女性を幻視するというのは……」
「全員が全員同じ女の人を見てるのかは分かりませんけど、少なくとも売人がカベンを買った人にアコレイドっていう名前を広めてるのは確かですもんね」
「……これはあくまでも現時点での私の妄想に過ぎませんが」
エニスは顎に手を当て、少し躊躇う素振りを見せながら口を開く。
「カベンという麻薬自体が、そのアコレイドという女の幻覚を見せるために開発された、という可能性も考えられますね」
「あっ、それメルも同じこと思ってました」
「……」
「何でイヤそうな顔するんですか」
奇しくもメルとエニスの考えが一致した……ことがエニスにはあまり気に食わなかった様子だった。
「しかしそのアコレイドというのは何者なんだ?存命の人物か既に死んでいるのか、そもそも実在するのか架空の存在なのか……」
「アコレイド『様』って呼ばれてるってことは、きっと偉い人ですよね」
「確かアコレイドという単語に関しては、治安維持局も把握していたはず……ということは真っ当に調べても、アコレイドの正体には辿り着けないということでしょう。となると早速我々の出番ですね」
エニスが唐突にメルへと背を向ける。
「えっ?エニスさんどうしました?」
「アコレイドの件に関しては一旦こちらで預からせてください。しばらく本腰を入れて調べてみましょう」
「……何するつもりですか?」
「勿論、真っ当ではないことを」
エニスは首だけでメルを振り返り、いかにも悪人らしく笑う。
「あなたは引き続き夜間の巡回をお願いします。あなたが売人を捕らえることができれば、それが1番手っ取り早いですから」
最後にそう言い残すと、エニスは路地裏の闇の中へと消えていった。
「……絶対碌なことしないじゃん……」
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次回は明後日の3日に更新する予定です