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桜庭メル、穏便に話し合う

 周囲の建物よりも頭1つ飛び抜けて背の高い、3階建ての賽寶会事務所。その最上階最奥の一室に、メルの目的の人物の姿があった。


 「ほお……お前みたいな小娘が、ここまで辿り着いたか」


 賽寶会会長、アルノルディ。

 彼は一見すると中肉中背で総白髪の老人だが、他者を威圧する覇気のようなものを全身から放っている。仮にもヤクザのトップを務めているだけあって只者ではない。


 「お初にお目にかかりますわ。わたくしはチェリー、何者でもないただのチェリーですわ」


 だがヤクザの親玉の覇気如きで怖気付くようなメルではない。メルは優雅にカーテシーをしながら堂々と偽名を名乗った。


 「お前がここまで来たってことは、エニスはお前に負けたのか」

 「エニスというのは、あの若頭の方のことでしたかしら?でしたら、ええ、今は事務所の前でおねんねしていらっしゃいますわ」

 「なるほどな……エニスを下してピンピンしてやがるとは、とんでもねぇ小娘だ」


 少女に負けたエニスを嘲るのではなく、エニスを下したメルを脅威と認識する。

 それはアルノルディがエニスの力量を正しく評価している証拠であり、またアルノルディが物事を論理的に判断する能力を持つ証拠でもある。


 「それでチェリーとやら、お前は何のために俺の下までやってきた?」


 アルノルディは見るからに高級そうな椅子に背中を預けながら、眼光鋭くメルにそう尋ねる。


 「お前の目的はなんだ?金か?それとも俺の命か?」

 「そのどちらでもありませんわ。わたくしが欲しいのは情報です」


 ここに辿り着くまで、メルは全ての障害を力尽くで退けてきたのだ。今更言葉を取り繕うような真似はしない。


 「情報?お前のような小娘が、俺達から何を知りたがる」

 「カベンの売人とその流通経路について、ですわ」

 「……なる、ほど、な」


 アルノルディはゆっくりと自らの顎を撫でる。


 「お前がカベンについて知りたがる理由はなんだ。カベンが欲しいなら、生憎俺に聞くのは畑違いだ。賽寶会は麻薬のシノギには手を出さないからな」


 そう告げるアルノルディは、嘘を吐いているようには見えなかった。

 カミノールからも治安維持局が把握している賽寶会のシノギは違法賭博だけと聞いていたので、カベンの流通に賽寶会が関与していないというのは信じていいのかもしれない。


 「わたくしはカベンが欲しいのではありませんわ。むしろその反対、わたくしの目的はカベンの流通経路を暴き、カベンをこのペスカトピアから根絶することですわ」

 「カベンの根絶、だと……?」


 アルノルディがメルの瞳をじっと見つめる。メルの言葉が本心か否かを、見定めようとしているのだ。


 「……どうやら本気みたいだな」

 「ええ、本気も本気ですわ」

 「……いいだろう。俺の知ってることを教えてやる」

 「あら、宜しいんですの?」


 あまりにも交渉がスムーズに進み、メルは拍子抜けする。

 若頭を含む多数の構成員を叩きのめしながらここに辿り着いた以上、メルは交渉が難航することを覚悟していた。何なら会長とも一戦交えることまでメルは想定していたのだ。


 「一方的に押しかけてきて好き勝手振る舞ったわたくしに、随分と好意的に接してくださるのですね?」

 「別に好意的なつもりはない。ただお前と俺の利害が一致するだけの話だ」

 「利害が一致?」

 「カベンを疎ましく思っているのは俺も同じ、ということだ。意外かもしれんがな」

 「……ええ、意外でしたわ。どういうことかお聞かせいただいても?」


 アルノルディは勿体つけるように、煙草を咥えて煙をくゆらせる。

 余談だがペスカトピアで流通している煙草は、地球のものよりも遥かに害が少ない。


 「……麻薬は人を腐らせる。人が腐れば街も腐る。街が腐っちまったら食っていけないのは、堅気もヤクザも同じだ」

 「だから麻薬を嫌っている、と?」

 「ああ。信じられないかもしれないが、俺達もカベンに関しては腹に据えかねてるんだ。あれは麻薬の中でも特に最悪の部類の代物だ」


 メルからすれば麻薬というだけで全て等しく最悪だが、まあアルノルディの言わんとすることは分かる。


 「賽寶会と正面から戦って俺の下まで辿り着くだけの力があるお前なら、カベンをぶっ潰すだけの力はあるだろう。だからお前がカベンを潰すって言うなら、俺達も手伝いくらいならしてやる。お前の知りたがってることで俺の知ってることなら教えてやる。何が知りたい?」

 「カベンに関してあなたが知っていることの全てを」

 「……そうか」


 アルノルディの口から、煙草の煙が細く吐き出される。


 「……この街にカベンをばら撒いてるのが何者かは俺にも分からない。だが、俺の立場から1つ確実に言えることがある」

 「何でしょう?」

 「カベンをばら撒いてるのはヤクザじゃない」


 アルノルディは煙草の火を灰皿に押し付けながら、力強くそう断言した。


 「……根拠をお伺いしても?」


 断言されたからと言って、はいそうですかと即座に鵜呑みにすることはできない。メルはアルノルディがそれを確信するに至った根拠を尋ねる。


 「仮にあなた方賽寶会が麻薬を取り扱わない主義だとしても、他の組の方までそうとは限らないのではありませんこと?」

 「確かに麻薬を売り捌いてシノギにする連中はいる。だがその連中が麻薬を売るのは、あくまでも金のためだ。そうだろ?」

 「え、ええ。それは勿論その通りですわ」


 ヤクザを始めとする反社会的な人間が麻薬売買に手を染めるのは、それによって多額の金銭を得るため。そんなことは今更確認するまでもない。

 何故アルノルディはそんな当たり前のことを、とメルは訝しむが、すぐにアルノルディの真意に気が付いた。


 「……カベンの売人の目的は、お金ではないということですの?」

 「ああ。お前もカベンを調べてるなら、カベンがガキのおやつと変わらないような金額で手に入ることは知ってるだろう。そんな値段で麻薬を売り捌いて、売人に利益が出る訳が無い。ヤクザがそんな商売をするはずが無ぇんだ」

 「……仰る通りですわね」


 カベンはデザートの果物代わりに購入できるほど非常に安価な麻薬のため、若年層を中心に広まってしまっている。

 だが冷静に考えて、そのような低価格で麻薬を販売して儲けが出るはずがない。

 アルノルディの言う通り、ヤクザが麻薬を取り扱うとしたらそれは収入源にするため。ヤクザが利益も無しに麻薬を売り捌くことは有り得ないのだ。


 「カベンの売人がヤクザじゃないことに納得できたか?」

 「ええ……ですが、カベンを流通させる目的は一体何なのでしょう?お金が目的ではない、となると……」

 「カベンをペスカトピアに蔓延させることに、金以外の何かしらの利益があるんだろう。カベンをばら撒く目的を明らかにしない限り、カベンの元を断つことは難しいだろうな」

 「カベンを売る、目的……」


 アルノルディから提示されたその疑問に、メルは想像力を働かせる。

 するとその過程で、メルはあることを思い出した。


 「アルノルディさん。アコレイドという名前はご存知でしょうか?」


 アコレイドとは、カベン中毒の狩猟者だったマグが発した単語だ。

 カベンの禁断症状によって狩猟局で錯乱したマグは、メルに縋りつきながらアコレイドという名前を連呼した。

 カベン中毒者の口から発せられたことから、アコレイドという単語はカベンと何かしら関係があるのではないかとメルは推測した。


 「アコレイド……聞いたことはあるな」

 「まあ、本当ですの?」

 「ああ。治安維持局の顔馴染みに聞いたが、重度のカベン中毒者の多くはアコレイドという名前を頻繁に口走るようになるそうだ。アコレイド様はどこだとか、アコレイド様に会いたいだとかな」


 賽寶会会長と交流のある治安維持局員がいるというあまり宜しくない事実がさらりと語られたが、今はそれは主題ではない。


 「会いたい……ということは、アコレイドというのは売人の名前なのでしょうか」

 「さあな。ヤク中の考えることなんざ、ヤク中にしか分からねぇよ」


 アルノルディは吐き捨てるようにそう言った。


 「でしたらアコレイドが売人の名前かどうかを知りたければ、カベン中毒者の方にお聞きするしかないということですわね」

 「そうなるな」

 「ちなみにアルノルディさんは、カベン中毒者の方に心当たりは……」

 「ないな。ウチの組のもんはクスリには手は出さねぇし、仮に手を出そうものならその場で斬り殺すのがウチの規則だからな」


 これまでの会話で薄々分かっていたことだが、アルノルディはヤクザとは思えないほど麻薬に対して厳しかった。


 「治安維持局の顔馴染みに話を通せば、逮捕されたカベン中毒者と面会くらいならできるかもしれないが……治安維持局の厄介になってるような連中は、とっくに壊れてるだろうな」

 「まあ……でしたらやはり、カベン中毒者を尋問するのは難しそうですわね……」

 「どうしても話を聞きたいなら、まだ壊れ切ってないカベン中毒者を探し出すしかないだろうな。そのために最も確実なのは、カベンの取引の現場を押さえることだ」

 「それができれば苦労はしないのですけれど……」


 そもそもメルがこのように地道な(?)聞き込み調査に精を出しているのは、カベンの売人を捕らえることが難しいからだ。

 カベンの情報を集めるためにカベンの取引現場を押さえる、というのは因果が逆転しているようにメルには思えた。


 「いや、単に取引を押さえるだけならそこまで難しいことじゃない」


 だがメルの考えを、アルノルディは首を横に振って否定する。


 「確かに治安維持局はカベンの売人を捕らえたことは1度も無いが、売人からカベンを買った直後のヤク中をしょっぴいたことは何度もある。ヤク中は所詮一般人だからな」

 「ああ、確かにその通りですわね」


 言われてメルが思い出したのは、カベンの調査を始めた日の夜に出会った、警邏中の治安維持局員の話だ。

 彼は以前警邏中にカベンの取引現場を発見し、売人こそ取り逃がしたものの、カベンを購入した青年は捕まえた、と言っていた。

 つまりアルノルディの言うように、カベンの取引現場を押さえること自体は決して不可能では無いのだ。


 「少し待ってろ」


 アルノルディはそう言ってペスカトピアの地図を取り出すと、その地図にいくつか丸印を書き込む。

 そしてその地図をメルへと差し出した。


 「この辺りでカベンの取引が行われそうな場所に印をつけた。そこは人気が少ない上に治安維持局の警邏経路からも外れがちだ。麻薬の取引には持って来いだろう」

 「まあ、ありがとうございますわ!」


 蛇の道は蛇、というべきか。ヤクザだけあって後ろ暗いことが行われる場所には詳しいらしい。


 「カベンについて俺が話せることはこれで全部だ。チェリー、必ずカベンを潰せよ」

 「ええ。必ず黒幕の顔をペスカトピア中に晒して見せますわ!」


 メルはアルノルディから地図を受け取り、当初事務所にカチコミを掛けに来たとは思えないような和やかさで賽寶会事務所を後にした。




 「……会長!」


 メルが賽寶会事務所を去ってから約30分後。アルノルディの元に慌ただしくエニスが現れた。

 エニスは事務所前の路上で気絶していたところをようやく意識を取り戻し、一目散にアルノルディの下へと駆けつけたのだ。


 「随分手酷くやられたな、エニス」

 「申し訳ございません……それで、あのチェリーとかいうアマは!?」

 「もう帰った。奴がカチコミに来ることはもうないだろう」


 アルノルディはエニスに、メルとの会話の内容を語って聞かせる。


 「あのアマがカベンを……!?」

 「ああ、潰すつもりらしい。単身事務所にカチコミを掛けてくる行動力と、お前を下すほどの戦闘能力があれば、あながち不可能でもないだろう。だから俺はカベンに関する情報は全てあいつに伝えた」

 「……そうですか」


 手痛い敗北を喫したエニスは、アルノルディがメルと手を組んだことに思うところはある。

 しかしヤクザの世界において上下関係は絶対。アルノルディが決めたことに、エニスが口を挟むことはできない。


 「ところでエニス。チェリーと戦ってみてどう思った」

 「……チェリーという名前が偽名なのは疑うまでもありませんが……恐らく奴の正体は、近頃噂に聞くメルという狩猟者でしょう」

 「ほう?」


 アルノルディが口角を吊り上げる。

 メルのお嬢様ロールプレイも虚しく、その正体はあっさりと賽寶会に看破されてしまっていた。


 「何故そう思った?」

 「<煉血>を使って尚歯が立たなかった戦闘能力もそうですが、何より奴が使っていた小太刀です。奴の小太刀は魔物素材で作られていて、尚且つ俺の『百侠大業物』を受け止めて傷1つ付きませんでした。それほどの強度を持つ魔物素材となると最低でも深層級、恐らくは竜のものです。狩猟者メルがつい先日戴冠者ディラージと共に深層で竜を狩ってきたことは狩猟局で話題になっていましたから……」

 「……流石だな、エニス」


 エニスの回答を聞き、アルノルディは何度か拍手をした。


 「お前の見立ては恐らく正しい。何故狩猟者メルが素性を偽ってまでカベンの調査をしているのかは分からないが、これはカベンを潰す絶好の機会だ。奴は戴冠者に匹敵する戦闘能力を持ちながら、名が知られていないために戴冠者ほど外聞を気にする必要がない。カベンを潰すのにこれほど都合のいい駒は無いだろう」


 そう言って何ともヤクザらしいあくどい表情で笑うアルノルディ。


 「この機会は逃す訳にはいかない。賽寶会は全面的にメルを、いやチェリーを支援するぞ。エニス、お前はしばらくこの件に付きっ切りでかかれ」

 「……はい」


 エニスは内心に去来する様々な思いを押し殺し、もう1度アルノルディに頭を下げた。

読んでいただいてありがとうございます

次回は明後日の28日に更新する予定です

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