桜庭メル、装う
昼食を摂り終えたメルは、少し食休みをしてから再び狩りに出るというカミノールと別れ、狩猟局を後にする。
続いてメルが向かったのは七番通り。先日カミノールに連れられてワンピースを購入した、カミノールの母が経営するという服飾店だ。
「いらっしゃいませ~……あら、メルさん!」
メルが入店すると、たまたま入口の近くで陳列をしていた唯一の顔馴染みの店員が声を掛けてきた。
前回メルがワンピースを購入した際、試着室で散々メルを着せ替え人形にした店員だ。
「今日はどうされました?」
「えっと、とにかく黒くて動きやすい服が欲しいんですけど」
メルが服飾店を訪れた目的は、カベンの調査の際に着用する新しい服の購入だ。
普段着の地雷系ファッションはペスカトピアにおいてメルのトレードマークになりつつあるため、調査の際の着用を局長から禁じられている。
地雷系ファッション以外で唯一持っているのが先日この店で購入したワンピースなのだが、白を基調としているため夜だと目立ってしまう。
故にメルは夜の活動の際に目立たない黒色で、尚且つ動きやすい服を探しに来たのだ。
「黒くて動きやすい服ですね~、でしたらこちらにどうぞ」
店員に先導され、メルは店内を進む。
「まずはこちらなどいかがでしょう?」
店員が最初に紹介したのは、ホットパンツの様な形状の黒色のボトムスだった。
「こちらは野外での活動を想定したものなので、かなり動きやすいと思いますよ~」
「わぁ、いい感じですね」
そのホットパンツはメルが自分では決して選ばないであろうデザインだったが、だからこそメルの正体を覆い隠すのには適している。
店員は他にもいくつか動きやすさを重視したボトムスをメルに勧めたが、メルは最初に勧められたホットパンツを購入することに決めた。
「上に着るものも見せてもらえますか?」
「勿論です!こちらへどうぞ~」
メルは再び店員の後に付いて店内を移動し、主にトップスを取り揃えた区画にやって来る。
「黒色で動きやすいものですと~……こちらなどいかがでしょう?」
店員がメルに持ってきたのは、地球で言うところのタンクトップに似た形状の商品だった。
「え、っ……」
そのトップスを見てメルが言葉を失ったのは、それがあまりにも布面積が少ないように思えたからだ。最初は水着を持ってこられたのかと思ったほどである。
一応スポーツウェアと考えればギリギリ無しではない程度の布面積ではあるが、それでもメルの感覚ではそれを着て街に繰り出すのは躊躇われるデザインだ。
「これはちょっと……おへそ出ちゃいますし……」
「でもこれとっても動きやすいですよ~」
「これだけ布が少なかったら確かに動きやすいとは思いますけど……」
「はい、お体の動きを布が邪魔することが無いので、とっても動きやすい造りになっております~」
「でもいくら何でも布が少なすぎるっていうか、胸とかもこれ結構……」
「けどとっても動きやすいんですよ~」
露出の多さから否定的な態度を見せるメルに対し、動きやすさ1点のみのセールストークを繰り返す店員。
メルにその服を買わせたいのなら、「動きやすさ」という単一の長所を繰り返しアピールするのではなく、値段や材質など様々な特長を多角的に宣伝すべき……というのは凡人の思考だ。
実は店員はこの時、一定のリズムで同じ文言を繰り返すことにより、軽度の洗脳のような催眠効果を発生させていたのだ。更に店員は自らの声に意図的に独特の周波数を含ませることで、催眠効果を更に強化している。
「と~っても動きやすいんですよ~これ」
「確かに……とっても……動きやすそう……」
これは魔法の類ではなく、店員が自らの趣味を叶えるために独自に編み出した技術。故にメルもその催眠効果に気付くことはできなかった。
声という見えない毒牙に、メルの思考は徐々に誘導されていき……
「……じゃあ、それにしてみます」
遂にはその布面積の少ない黒のトップスの購入を決意した。いや、決意させられてしまった。
「ありがとうございま~す!」
店員が心の中で快哉を叫ぶように拳をぐっと握り締めるが、メルはその仕草にも気付かなかった。
「どうしますか?お会計の前に、1度ご試着なさいますか~?」
「そうですね……あっ、あとそれと、ついでにあのマントみたいなやつもください」
最後にメルは、先程から視界の端に映っていた黒いフード付きのマントを手に取った。
これは機能性関係なく、フード付きマントが格好良かったためだ。メルのセンスは時々男子小学生なのだ。
「それでは試着室にどうぞ~!」
店員はメルが選んだ服3点を抱え、半ばメルの腕を引っ張るようにして店の奥にある試着室へと移動する。
メルがこの店員に試着室に放り込まれるのはこれで2度目だが、試着室の構造は地球のものとほとんど変わらない。入って正面には大きな姿見があり、隅には脱衣籠が置かれている。
メルはまず黒のスカートを脱いで脱衣籠に入れ、黒のホットパンツに足を通した。
「うん、いい感じ」
程よいフィット感と優れた伸縮性に、メルは思わず小さな笑みを浮かべる。
続いてメルはピンクのブラウスを脱ぎ、トップスを手に取ったのだが、
「……いややっぱり布少なくない!?」
少し時間が経ったことで店員による催眠の効果が若干薄れ、メルは正常な判断能力を取り戻し始めていた。
ただもう既にホットパンツの方は試着してしまっているということもあり、メルは躊躇いつつもトップスに袖を通す。
「確かに動きやすいのは動きやすいけど……」
いざ試着してみると着心地は悪くなかった。上半身を軽く捻ってみても、服が邪魔になるような感覚は無い。
まあ胸周りにしか布が無いので邪魔にならないのは当然と言えば当然だが。
「この上にマントも着てみて……」
最後にメルはトップスの上からフード付きのマントを羽織る。
そして試着室の姿見で自らの姿を確認すると……
「……あれ?」
メルが首を傾げたのは、鏡に映った自分のファッションが思いの外悪くなかったからだ。
トップスとホットパンツだけでは流石に露出が多すぎるように思えたが、その上からフード付きマントを羽織ることによって、まるでアニメに登場する暗殺者のようなクールな雰囲気に仕上がっている。
気がかりだった露出の多さも、セクシーさという長所に早変わりだ。
「か、カッコいい……!」
暗殺者めいたファッションも街を歩くにはどうなのかという話だが、少なくともメルにとって今のアサシンコーデは魅力的に映った。
「お客様~?いかがですか~?」
「あっ、は~い!」
外から店員に声を掛けられ、メルは試着室のカーテンを開く。
「わ~!お客様とってもお似合いです~!」
メルの服装を一目見るや否や、店員が感嘆の声を上げる。
「全身を黒でまとめた落ち着いた雰囲気が、お客様にピッタリですね~!」
「そ、そうですか?えへへ……」
店員の称賛がセールストークであることはメルも理解している。ただメルも今のファッションを気に入っていたため、例え嘘でも褒められて悪い気はしなかった。
この後メルがホットパンツとトップスとマントの3点セットを購入したことは言うまでもない。
服飾店での買い物を済ませ、メルは1度宿に戻った。
帰宅途中でついでに購入してきた消耗品を然るべき場所に収納し、メルは着替えを始める。
地雷系ファッションを脱ぎ捨てたメルが代わりに身を包んだのは、先程購入したばかりのアサシンコーデ……ではなく、現状メルが持っている唯一の普段着と言える白を基調としたワンピースだ。
メルはこれから、夜に行うカベンの調査の前に、1つ用事を済ませるつもりだった。そしてその用事は、メルがメルであると気付かれない方が都合がいい。
ワンピースに着替えたメルは、更に先程服飾店にて思い付きで購入したつば広の白い帽子を被る。
「わぁ……これは誰が見てもお嬢様でしょ」
メルは洗面所の鏡で自らの姿を確認し、ご満悦に頷く。
白のワンピースに更につば広帽子が加わったことで、メルの深層の令嬢感は格段に増していた。
今のメルを見て、日頃から未踏領域で魔物を蹂躙している狩猟者だと見抜けるものはまずいないだろう。これならメルの正体がバレることはまずないと考えていい。
「武器は~……どうしようかな」
着替えを終えたメルは、ベッドの上に並べた天寵手羅と牙のナイフ、それとナイフホルダーを前に悩み始めた。
これからメルが向かおうとしている場所は武装可能地区の外だ。本来ならば武器は置いて出掛けた方が規則に則っている。
だがこれからメルがやろうとしていることを考えると、武器は所持しておいた方が安全だ。
「ん~……ナイフだけ持ってこ」
しばしの逡巡の末に、メルはベッドに腰掛けて自らの太腿にホルダーを巻き始める。
ワンピースのスカートはかなり長いので、余程の強風でも吹かない限り、メルがナイフを所持していることは第三者には気付かれない。武装可能地区外でも武器を剥き出しにしなければ武器の所持は禁止されていないので、規則違反にもならないはずだ。
「よしっ、準備OK!」
両足の太腿にナイフを装備し、メルはいよいよ部屋を出る。
「あっ、メルさん」
泊まっている2階から1階のロビーに下りると、店番をしていた宿屋の看板娘が声を掛けてきた。
メルはこの看板娘とすっかり顔馴染みであり、メルが出掛ける際にはロビーで看板娘と軽く会話をするのが日課になりつつあった。
「狩猟局にお出かけですか?って、その服ってことは違いますよね」
「はい。ちょっと街の方に」
メルが何か特別な事情の無い限り常に地雷系ファッションを身に着けていることは、看板娘もよく知っている。そしてペスカトピアでは馴染みのないメルの地雷系ファッションを、看板娘は内心「何であんな変な格好してるんだろう……?」と思っている。
「何時頃帰ってこられるか分からないので、遅くなっちゃったらごめんなさい」
「大丈夫ですよ~、お気を付けて」
看板娘に見送られながら宿を出発したメルは、普段よりも小さな歩幅を意識してゆっくりと歩き始める。
今のメルの装いは深層の令嬢風。その姿で普段通りの身体能力を発揮して歩こうものなら、異常な脚力を持つお嬢様として必要以上に人目を集めてしまう。
メルは周りからきちんとしたお嬢様に見えるよう、殊更にお淑やかさを意識しながら歩く。
「おい、あの子見ろよ」
「……何だアレ、どこのお嬢様だ?」
「あんな子がこんなところに何しに来たんだろうな……?」
しかしお嬢様然と振る舞ったところで、結局メルは通行人の視線を集めてしまっていた。
基本的に狩猟者とその関係者しかいない武装可能地区において、清楚なワンピース姿のお嬢様というのは異物以外の何物でもない。故に不自然な振舞いをせずとも、存在しているだけで目立ってしまうのだ。
ただ深層の令嬢がメルであることは一切気付かれていない様子なので、正体を隠すという目的は果たせていると言える。
「あ」
ここでメルは前方から歩いてくる見知った顔を発見した。
「ズーロさ~ん」
メルは近付いてくるズーロに向かって、お嬢様らしく控え目に手を振る。
「……?」
だがズーロはメルを一目見ると、怪訝そうに首を傾げた。
「ええと……どこかでお会いしましたか?」
「は?」
惚けたようなズーロの反応に、メルもまた首を傾げる。
「いや……何言ってるんですかズーロさん、私ですよ」
「…………………………あっ、メルか!?」
「嘘でしょ!?」
頻繁に顔を合わせるズーロの目すら欺けたとなると、今の姿のメルが正体を見抜かれる可能性はほぼゼロと言っていいだろう。
「どうしたんだ、そんならしくない恰好をして」
「らしくないって何ですか。今からお出掛けしてくるんですよ」
「へぇ、どこに?」
「六番通りです」
「六番通り!?」
メルの行き先を聞いたズーロは、通行人が振り返るほどの大声を上げた。
「ひゃっ、何ですかいきなり大声出して」
「いやだってお前……知らないかもしれないが、六番通りっていったら……」
「ああ、知ってますよ。教えてもらいました」
六番通りはいわゆる歓楽街で、酒場や賭博場、更には風俗店などが多数集まった夜の街だ。
あまり若い女性が1人で足を運ぶような場所ではないので、ズーロが戸惑うのも無理はない。
「……言っておきますけど、別にそういうお店に行く訳じゃないですよ?」
「そんなことは俺も思っていないが、何だって六番通りなんかに……」
「それはちょっと言えないですけど」
メルそう言うと、ズーロの顔に明らかな心配の表情が浮かぶ。
「……言えないなら俺も無理には聞かないが、1人で六番通りに行くのはあまりよくない思うぞ。六番通りはその性質上、どうしても他の地区に比べて治安が悪い。特に若い女性には色々と危険が……」
「ズーロさんそれ誰に言ってます?」
「……ああ、そうだな。君には無用の心配か」
仮にメルが普通の少女だったら、ズーロの心配は真っ当なものだ。若い女性が1人で歓楽街を歩くのはあまり勧められた行為ではない。
しかしメルはただの少女ではなく、戴冠者ディラージと同等の戦闘能力を有する狩猟者だ。六番通りで不埒な輩が襲ってきたとて、地獄を見るのは輩の方である。
「六番通りに何をしに行くのかは知らないが、危ない目に遭わないように気を付けろよ」
先程までの心配が嘘のように、ズーロはあっけらかんと手を振りながら立ち去っていった。
「……いいですけどね、別に」
心配を掛けたいという気持ちはまるで無いが、全く心配されないとそれはそれで釈然としないメルだった。
「危ない目に遭わないように、か……」
メルは再び歩き出しながら、ズーロから最後に言われた言葉を反芻する。
「無理な話だよね」
メルが面白がるように口角を持ち上げたのは、メルが危ない目に遭わずに帰ってくることが、確定的に不可能であるためだ。
何故ならメルはこれから六番通りに、ヤクザにカチコミをかけに行くのだから。
読んでいただいてありがとうございます
次回は明後日の24日に更新する予定です