桜庭メル、スられる
「ホントに着替えただけで全然見られなくなりましたね……」
メルは拍子抜けしたようにカミノールに囁く。
カミノールの母が経営する服飾店で着替えて以降、メルに向けられる視線は激減した。
やはりメルの服装については知られていても、メルの顔を知っている人間はほとんどいないらしい。
「でもこの方法が効果があるのは今だけよ。メルさんの顔が広まったら、服を替えたくらいでは誤魔化せないわ」
「あはは、私の顔が広まることなんて無いですよ~」
「……そうね。そうだといいわね」
「えっ、何ですかその意味深な感じ」
現在2人は昼食を摂り終え、行き先を決めずに七番通りを散策しているところだ。
メルの見たところ、七番通りに立ち並ぶ店の多くは飲食店と服飾店だった。地球で言うところのショッピングモールやアウトレットの雰囲気に近い。
「食べ歩きなんかしたら楽しそうですね。今はちょっとお腹いっぱいですけど」
「そうね。食べ歩きはまたの機会にしましょう」
歩いている内に、2人は広場のような場所にやってきた。
広場は中央に噴水があり、噴水を囲むようにベンチが設置されている。そして広場の外周に沿うように食べ物の屋台がいくつも並んでいた。
「なんだかお祭りみたいですね」
「そう?ここの広場はいつ来てもこんな感じだから、あまりお祭りという感じはしないわ」
メルとカミノールは広場の外周をゆっくり歩いて屋台を一軒一軒見て回る。屋台ではいい匂いのする麺類や果物を使ったお菓子などが売られており、どれも美味しそうだ。
「カミノールさん、あれって何の集まりですか?」
広場を進んでいく内に、メルは前方に人だかりを発見した。
最初は人気の屋台に行列ができているのかと思ったメルだが、それにしては人の並びが無秩序すぎる。
「路上音楽家でもいるんじゃないかしら」
「路上音楽家って言うと、道端とかで楽器を演奏したり歌ったりしておひねりを貰う感じの?」
「そうよ」
要は路上ミュージシャンのことらしい。
「少し覗いてみましょうか」
「ですね」
メルとカミノールは人だかりに近付き、背伸びをして人混みの向こうを覗き込む。
するとそこでは、メルと同年代か少し年下と思われる3人組の少女が、歌を歌いながら可愛らしいダンスを踊っていた。
「あら、歌姫がいるなんて珍しいわね。新人の子達かしら」
「歌姫?」
「あの子達みたいに、歌と踊りを活動の中心とした芸能人よ。若い女の子が多いわ」
「なるほど」
地球で言うところの女性アイドルのようなものらしい、とメルは考えた。
「折角だから1曲見て行ってもいいかしら?」
「いいですよ。カミノールさん歌姫好きなんですか?」
「……嫌いではないわ」
結構好きらしい、とメルはカミノールの表情を見て思った。
3人組の歌姫がパフォーマンスしている曲は、メルの知っているような地球のアイドルソングと雰囲気が似ていた。観客も一体となって楽しめるノリのいい曲だ。
「聞いていただいてありがとうございました!私達は大闘技場での公演を目標に活動してます!よかったら応援してください!」
曲が終わると、3人組の中央で踊っていたリーダーらしい少女が聴衆に対してそう訴える。
「カミノールさん、大闘技場での公演ってどういうことですか?」
「街の中心の方に大闘技場っていう、狩猟局の闘技場を大規模にしたような施設があるのよ。大闘技場はその名前の通り本来は格闘技の大会を行うために建設されたのだけど、大会がある時以外は歌姫や音楽家の公演に使われることもあるのよ」
「へぇ~、ペスカトピアでもそういうのあるんですね」
要はドーム球場でミュージシャンやアイドルがライブをやるようなものだ。地球でもペスカトピアでも考えることは同じらしい。
「大闘技場での公演は、歌姫の頂点にしか許されない最高の栄誉なの。大きい夢だけど頑張ってほしいわね」
既にカミノールは3人組の新人歌姫にかなり肩入れしている様子だった。
歌姫達の路上公演は今の1曲が最後だったようで、3人の少女はそそくさとどこかへ去っていく。
「私達も行きましょうか」
「ですね」
メル達もまた散策を再開する。
広場を抜けて10分ほど歩くと、今度は教会のような建物が見えてきた。
「そう言えばカミノールさん、ペスカトピアの宗教ってどんな感じなんですか?」
教会らしきものを目にしたことでメルはふと気づいたが、ペスカトピアは宗教の気配がほとんど無かった。
例を挙げると、ペスカトピアには食前食後の挨拶の文化が存在しない。あくまでもメルの知る限りだが、大抵の宗教は食事の際には何らかの祈りを捧げるだろう。
それほど宗教の気配が薄いペスカトピアに、教会らしき建物が存在していることが、メルには不思議だった。
「宗教?いきなり妙な事を聞くわね」
カミノールはメルの質問に首を傾げつつ、考えながら回答する。
「ペスカトピアの住人は、無宗教の人がほとんどだと思うわ。私も信仰は持っていないし」
「じゃああそこの教会みたいな建物は、ホントは教会じゃないんですか?」
「あれは本物の教会よ、母神教のね」
「母神教っていうのは……」
「全ての生命の祖とされる母神を信仰する宗教、だそうよ。私は信者ではないから詳しくないけど」
当然のことだが、異世界の宗教はメルにはまるで聞き覚えの無いものだった。
「母神はかなり広く信仰されているそうだけど、ペスカトピアではほとんど信者はいないわ。だからあの教会も教会としての機能はほとんど果たしていなくて、今では七番通りの休憩所みたいなものね」
「世知辛いですねぇ」
「ちなみにあの教会、とても綺麗な硝子の絵があることで有名なの。よかったら少し見てみない?」
「へ~、見てみたいです」
という訳で2人は母神教の教会で少し休憩することにした。
教会の内装は、メルが地球の結婚式などで目にしたことのあるものとかなり近い。そしてカミノールが言っていたガラスの絵は、入口の正面にある祭壇の上に堂々と掲げられていた。
「どう?メルさん。綺麗な絵でしょう?」
「確かに綺麗、ですけど……」
色とりどりのガラスをふんだんに使って生み出された絵は、確かに見惚れてしまうほど美しい色彩だ。
だがメルが素直に美しいと言い切ることができなかったのは、描かれている題材が気になったからだ。
何色ものガラスを使用して描き出されているのは、顎の長い老婆の横顔だった。
「カミノールさん……あのおばあさんは誰なんですか?」
「母神の肖像らしいわよ」
「ああ……母神っておばあさんなんですね……」
何故わざわざステンドグラスで老婆を描くのかと思ったメルだが、その老婆が信仰対象ということならば納得だ。
「……ん?」
ここでメルはふと引っ掛かりを覚えた。
ガラスで描かれた老婆の姿に、どこか見覚えがあったのだ。
「メルさん、どうかしたの?」
「いえ……あの母神様の絵、どこかで見たことある気がして……」
「それは本当ですか?」
「わひゃぁっ!?」
突然背後から声を掛けられ、メルは軽く跳び上がる。
振り返るとそこには、神父然とした服装の恰幅のいい60歳前後の男性が立っていた。
「ああ、すみません。驚かせてしまいましたかな」
「いっ、いえ……あの、あなたは?」
「申し遅れました。私はこの母神教会で司教を務めております、ポトスと申します」
ポトスと名乗った司教は恭しく頭を下げる。
「えっと……メルです」
「これはこれはご丁寧に」
メルの名前を聞いても、ポトスは特に反応を示さなかった。
メルの噂を知らないのか、それとも知った上で知らないふりをしているのか。いずれにせよメルにはやりやすい。
「それで、メルさん。母神様の御姿をどこかで見た覚えがあると仰っていましたが……」
「は、はい。そんな気がして」
「それはこの教会とは別のところで、ということでしょうか?」
「だと思います。ここに来るのは初めてなので……」
「差し支えなければ、どこで見たのか教えていただいても……?」
「えぇ……?ちょっと待ってください……」
ポトスに請われ、メルは自らの記憶を浚う。
何故母神の肖像に見覚えがあるのか、どこで似たものを目にしたのか。その記憶をどうにか掬い上げようと試みるが……
「……ごめんなさいちょっと分からないです」
30秒ほど考え込んだが、記憶を発掘することはできなかった。
「そうですか……」
残念そうに俯くポトス。その姿を見ていると何も悪いことはしていないのに申し訳ない気持ちになってくる。
「その、ごめんなさい」
「いえいえ、お気になさらずに。この教会は休憩所としてご利用いただけますから、ごゆっくりどうぞ。母神様のご加護がありますよう」
そう言い残しポトスはどこぞへと去っていった。
「あのお爺さん、何であんなに私がどこで絵を見たのか聞きたがってたんでしょう……?」
「信者を獲得する機会だと思ったんじゃないかしら。さっきも言った通り、この街に母神教の信者は少ないから」
「ああ、そういうことですか」
だとしたらメルは母神教に入信するつもりはなかったので、思い出せなくてむしろ良かったのかもしれない。
「それで、どうする?少し休憩していきましょうか?」
「ん~……そのつもりでしたけど……」
メルは教会内を見渡す。
教会にはチャーチベンチと呼ばれるような木製の横長の椅子が何列も設置されていたが、そのほとんどは既に他の利用者によって埋まっていた。
一応メルとカミノールが並んで座れそうなスペースも無くは無かったが、かなり窮屈な思いをすることになりそうだ。
「……ここで休憩すると、なんか逆に疲れそうですね」
「私もそう思うわ。それに正直、休憩が必要なほど疲れてないわ」
「それはホントにそうです」
メルとカミノールは教会を後にした。
「この後はどこに行ってみる?」
「そうですね~、もう1回広場に行ってみませんか?今なら屋台のお菓子1つくらいなら食べられそうな気がします」
「いいわね、そうしましょうか」
教会から広場へと引き返し始める2人。
「……なんか、さっきより人増えてません?」
「そうね……お昼を少し過ぎて、昼食を摂っていた人達がまた動き出したのかしら?」
七番通りを行き交う人々は更にその密度を増し、今や擦れ違うのにも肩と肩がぶつかってしまいそうだ。
それでもメルは持ち前の身体能力を生かし、誰とも接触することの無いよう人混みの隙間を縫って歩いていたのだが、
「あっ、ごめんなさい」
どれだけ身体能力が優れていても限界はある。メルは前から俯きがちに歩いてきた男性と肩がぶつかってしまった。
「……」
男性はメルの謝罪に答えず、俯いたまま足早に立ち去ろうとする。
「っと」
その男性を、メルは腕を掴んで引き留めた。
「っ!離せよ」
「離しません」
男性はメルの手を乱暴に振り払おうとするが、メルの手はビクともしない。
「メルさん、どうかした?」
メルと男性のやり取りを訝しむカミノール。
「ええ。今ちょっとお財布を盗られちゃいまして」
「えっ!?」
メルの「財布を盗られた」という発言に、カミノールだけでなくたまたま近くを歩いていた何人かの通行人も男性へと視線を向ける。
「っ、適当なこと言ってんじゃねぇ!」
「適当なんて言ってません。素直にお財布を返してくれれば、治安維持局に突き出すだけで許してあげます」
それは裏を返せば、「財布を返すつもりが無いなら実力行使も厭わない」という脅迫だ。それを証明するように、メルは男性の右腕を掴む力を強める。
「ぎっ!?」
万力のような力で腕を握られ、男性の表情が苦痛に歪む。
「いてぇんだよふざけやがって!言いがかりつけてんじゃねぇぞ!?」
「これ以上グダグダ言うなら、無理矢理お財布を返してもらうことになりますけど?」
メルと男性のやりとりに、次々と通行人の注目が集まってくる。
足を止めた野次馬達によって、メル達の周囲にはちょっとした人だかりが形成されつつあった。
「いい加減にしろこのクソアマあぁぁ!!」
痺れを切らしたように男性が激昂し、掴まれていない左腕を振り上げてメルに殴りかかろうとする。
「てやっ」
だが男性が拳を振り下ろすよりも先に、メルの手刀が鋭く男性の喉に突き刺さった。
「がひゅっ!?」
男性の口から空気の抜けるような音が漏れ、その体がぐらりと後ろに傾く。
メルが掴んでいた右腕を離すと、男性はそのまま路上に倒れ込んだ。
その一瞬の攻防に、野次馬達から歓声めいたどよめきが上がる。
「全く、手間かけさせて……」
メルは周囲の反応を意に介さず、男性の上着に手を入れる。
「あったあった」
馴染みのある手触りを感じたメルがそれを掴んで手を引き抜くと、案の定それはメルの財布だった。
だが出てきたのは財布だけでなく、小さな容器のようなものがカランと音を立てて地面に落ちた。どうやらポケットの中で財布に引っ掛かっていたらしい。
「ああ、落としちゃった」
容器は地面に落ちた衝撃で蓋が開いてしまっており、中に入っていた飴玉のようなものがいくつか零れてしまっている。
「ああ、勿体ない」
スリが所持していたものとはいえ、飴玉に罪は無い。メルは食べ物を地面に落としてしまったことに罪悪感を覚えつつ、飴玉を1つ拾い上げる。
飴玉は星型の形状だった。5つある角が丸みを帯びているので、花型と見ることもできる。
すると突然カミノールが、飴玉を持つメルの右手をガッと掴んだ。
「ひゃっ!?カミノールさん?」
カミノールは険しい表情で飴玉をじっと見つめている。
「ど、どうしました……?」
「……この男、ただのスリじゃないわ」
「それって、どういう……」
カミノールがメルの耳元に唇を寄せ、野次馬達に聞こえないよう小さな声で囁く。
「これは麻薬よ」
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次回は明後日の16日に更新する予定です