桜庭メル、腕がぐにゃぐにゃになる
しばらく空の旅を続けていると、眼下に広がる樹海では木々の密度が徐々に低くなり、代わりに岩肌がちらほらと見え始めた。
「この辺りでいいかしらね」
ディラージは岩場の比較的平坦な場所にコンドルを着地させる。
「今更ですけどディラージさん。深層の魔物の素材取りに来ましたけど、具体的にはどんな魔物を戦うんですか?」
「……そう言えばまだその話してなかったわね。半日近く時間はあったのに」
「私達ってさっきまで何の話してましたっけ……」
「1個も覚えてないわ……」
実に数時間にも亘る移動を、全て中身の無いお喋りに費やした2人だった。
まあおかげで親交は深まったので、全くの無駄という訳でもない。
「私そもそも深層にどんな魔物がいるのかもよく知らないんですけど……」
「この岩場の地帯は、爬虫類系や節足動物系の魔物が多いわね。ヘビとかトカゲとか大きいサソリとか」
「へぇ~、浅層じゃあんまり見ない魔物ですよね」
「そうね、浅層とは環境がまるで違うから。ちなみに深層はまだ全貌が明らかになってないくらい広いから、何日か移動すれば環境も生息する魔物もガラッと変わるわよ。海とか火山とか雪原とかね」
「そうなんですか?深層って岩場だけなのかと思ってました」
「機会があったら岩場以外にも連れて行ってあげるわ……って、また話が逸れてるじゃない!」
「ホントだ……!?」
最初は今回狙う魔物の話をしていたはずなのに、いつの間にか話題が深層という場所の説明へと逸れてしまっている。
移動中もこれと同じ現象が頻繁に繰り返されたために、数時間が無駄話で消費されてしまったのだ。
「このままじゃ日が暮れちゃうからはっきり言うわ。今回狙うのはドラゴンよ!」
「おお~!」
メルは思わず歓声を漏らす。
ドラゴンといえば、ファンタジーに馴染みの薄いメルでも知っているほどのメジャーなモンスターだ。
更にメルはこの世界へと転移した初日、空を飛ぶドラゴンの雄姿を目にしている。
そんなドラゴンといよいよ戦うことになると思うと、メルは何だかテンションが上がった。
「しかもただのドラゴンじゃないわ!ドラゴンの中でも特別強力な個体よ!」
「特別強力な個体?」
「ええ。最近この岩場地帯に住み付いたドラゴンで、左目に大きな傷跡があるの。私はこの間深層に来た時に初めてそいつを見つけて、討伐しようとしたの。だけどそいつは普通のドラゴンとは比べ物にならないほど強くて、結局仕留め切れなかったのよね」
「ディラージさんがですか!?」
ディラージは単体で都市防衛能力を持つ戴冠者にして、ペスカトピア最強の狩猟者だ。
そのディラージでも仕留め切れなかったとなると、ドラゴンの方も相当な強者であることは間違いない。
「でも仕留められないまま終わりじゃ悔しいじゃない?だから今回はメルも一緒に連れてきたのよ。あなたとならきっとあのドラゴンも仕留められると思うのよね~」
「あ~、そういうことだったんですね」
ディラージがやけに親切に武器の世話を焼いてくれることを、内心不思議に思っていたメル。
だがディラージにも目的があるのなら納得がいく。
「私でも倒せないほど強いドラゴンだもの。きっとその素材でナイフを作れば相当な性能になるわ。貴重さも考慮すれば国宝級ね」
「国宝級ってすごくないですか?」
「すごくすごいわね」
会話のIQが急速に低下していく。
「そのすごく強いドラゴン、どこにいるか分かってるんですか?」
「大体の居場所は把握してるから、探知魔法を使えばすぐに見つけられると思うわ。けど今日はもう日暮れまであまり時間がないから、ドラゴンを仕留めるのは明日にしましょう」
「あっ、今日って泊まりなんですね」
騙されて街から連れ出された挙句、街から遠く離れた岩場で一夜を明かすことが確定してしまったメル。
まあメルは野宿に対して特に思うところは無いが。
「でもこのまま明日まで何もしないのも暇だから、晩ご飯になりそうな魔物でも狩りに行きましょうか」
「いいですね」
「折角だから私とあなたで魔物を1体ずつ狩ってきて、どっちの魔物の方が美味しいか勝負しない?」
「楽しそう!やりましょやりましょ」
小学生が思いつくような遊びを考案し、メルとディラージははしゃぎ合う。
「戻ってくる場所の目印に、<万魔殿>でおっきいの出しておくわね」
「ありがとうございます!」
ディラージの頭上に二十面体が出現し、そこから巨大な象のような疑似生命体が現れる。
これだけの巨体であれば、遠くからでも目印として利用できる。
「日暮れまでに戻ってくることにしましょう」
「分かりました!負けませんよ!」
そしてメルとディラージは、夕食の魔物を求めて解散した。
「そうだ、配信しよ」
しばらく岩場を当ても無く進んだメルは、思い立ってスマホを取り出し配信を開始する。
「皆さんこんにちは、異世界系ストリーマーの桜庭メルで~す。いきなりのゲリラ配信ですけど、視聴者さん集まるかな?」
『メルちゃあああああん!!!!!!』
「わっ、早速来てくれましたね。ありがとうございます!」
『全肯定さん早すぎて草』『配信始まって3秒くらいでもう全肯定さんコメントしてる……』『普段どんな生活してたらゲリラ配信にその速度で駆け付けられるんだ???』
事前に一切の予告をしていない突発的な配信にもかかわらず、ちらほらと視聴者が集まってくる。メルは自然と頬が緩んだ。
「今日のメルはですね~、なんと……じゃ~ん!深層に来てま~す!」
メルはそう言って、岩場の様子をカメラに収めた。
『……深層って何?』『何その殺風景な場所』『特撮の撮影とかやってそう』
だが視聴者達の反応はあまり芳しくない。
視聴者達は「深層」と言われてもよく分からず、映し出されるも大小の岩が転がっているだけの面白みのない光景だ。その反応も当然と言える。
「深層っていうのは、いつも魔物と戦ってる森をずっと向こうに行ったところです。森とは全然違う魔物が出てくるそうですよ」
『へ~』『新しい魔物楽しみ』
「メルは今から晩ご飯の魔物を探さないといけなくて……」
『晩ご飯の魔物』『何だそのパワーワード』
「そういう訳なので、早速魔物を探していきま~す」
メルはいつものように瞼を閉じ、耳を澄まして魔物の気配を探る。
すると右手の方角から、何かが蠢く音が聞こえてきた。
「あっちの方に何かいそうですね。行ってみましょう」
制限時間が日暮れまでということで、あまり時間の猶予は無い。メルは普段よりも気持ち早足で音の聞こえた方へと向かう。
『そう言えばその深層って場所はどんな魔物が出るの?』『いつもの森と変わらない感じ?』
「爬虫類系と節足動物系が多いって聞きました」
『食用に適さなくない……!?』『トカゲとかクモとかってことだよね?』『どう足掻いてもゲテモノじゃん』『俺は食えないな……』
「クモとかサソリとかはメルもあんまり好きじゃないですけど、ヘビとかトカゲとかは結構おいしくて好きですよ」
『食ったことあんの!?』『ゲテモノ食えるってだけじゃなくてちゃんと好き嫌いがあるのがなんかすげぇわ……』『メルちゃんが好きなら私もヘビとトカゲ食べてみる!!』『全肯定さん推しのためにそこまでできるのは素直に尊敬するわ』
メルは毒があるものでなければ、何を食べるのにもあまり抵抗は無かった。
「そろそろですね……」
魔物の音がいよいよ近づいて来たので、メルは魔物に感づかれないよう忍び足へと切り替える。
『なんで忍び足でも普通に歩くのと同じくらい速いの……?』『そんな速度で忍び足できるなら普段からずっとそうやって歩けばいいのに』
「ヤですよ、普通に歩くより疲れますもん……」
視聴者との会話も、音を立てないようウィスパーボイスだ。
『うおっ急なASMR助かる』『メルちゃんの囁き声おいしい!!!!!!』『なんか全肯定さん音声を食べ始めてるんだけど』『共感覚が過ぎる』『メルASMR出してよ』
「地球に帰ったら考えますね……」
岩の陰に隠れるようにして進むこと約5分。
遂にメルの目の前に、初の深層の魔物が姿を現した。
「……サソリってあんなことなります?」
『地球だとならないね』『流石異世界』『デカすぎるだろ……』『地球にあんなデカいサソリいたら人類に勝ち目ねぇな』
そこにいたのは、全長5mに迫るのではないかという規格外に巨大なサソリだった。
黒々とした外殻は金属のような光沢を放ち、巨大な1対のハサミはさながら重機のアタッチメントだ。きっとあのハサミにかかれば、巨木も易々と切断できることだろう。
「……虫とかが苦手な人は閲覧注意です」
『遅え!!』『そういうのは虫が映る前に言わないと意味ないんですよ』『虫苦手だけどそれ以上にメルちゃん好きだから大丈夫!!』『全肯定さん強え……』
今のところ巨大サソリはメルの存在には気付いていない様子だった。
巨大サソリは両腕のハサミを器用に操り、驚くべきことに岩を切り分けて口へと運んでいる。
『ウソだろ岩食べてる……』『サソリって岩食べるっけ?』『食う訳ねぇだろ肉食だぞ』
「メルも岩は食べたこと無いなぁ……」
『言わなくても分かるわ』『食べたことあると思ってねぇよ』『人間は岩を食べられないんだよ』『岩塩 はい論破』『帰れよ気持ちわりぃな』
サソリの食性に驚かされたメルだが、サソリが何を食べていようとメルのやることは変わらない。
「とりあえずあのサソリを、メルの今日の晩御飯にしちゃいますね」
『正気か!?』『岩食うバカデカいサソリを食べる気でいらっしゃる!?』
「毒があったら食べませんよ~」
『毒無くても食う気にならねぇよ……』
「まだ気付かれてないですから、先手必勝で行きます!」
メルはサソリの背中側に移動すると、岩陰から素早く飛び出し、姿勢を低く下げながらサソリの下へと一気に駆け抜ける。
サソリの方もようやくメルの存在に気付いたのか、巨木の如き太さの尾がメルに向かって振り下ろされる。
「当たりません!」
メルは地面を蹴り、サソリの尾を躱しながら跳び上がる。
空を切ったサソリの尾は、先程までメルが身を隠していた大岩に叩きつけられる。すると大岩はたちまち粉々に砕け散った。
「ひゃああ……」
『なんつー威力……』『どんだけパワーあるんだあのサソリ』『デカい虫には人間は勝てないようにできてんだよ……』
サソリは一撃目が外れたと見るや、振り下ろした尾を即座に振り上げて空中のメルを狙う。
「ちょっ、速いですって!?」
巨体に見合わないサソリの俊敏さに悲鳴を上げるメル。
いくらメルといえど空中にいるところを狙われれば回避のしようがない。
メルは防御すべきか迎撃すべきか一瞬逡巡し、そして後者を選択した。
「てやぁっ!」
メルは迫り来る巨大な尾に対し、右手の拳を繰り出す。
踏ん張りの利かない空中で繰り出す拳の威力はたかが知れているが、それでもサソリの尾の威力が高いため、両者が激突した際の衝撃はかなりのものだ。
その衝撃に呼応して、天寵手羅から眩い雷光が迸り、サソリの尾を焼いた。
「ぴぎゅっ」
だが天寵手羅が雷の魔力を放出したところで、メルが受ける衝撃が軽減される訳では無い。
サソリの尾で殴りつけられたメルは、珍妙な悲鳴と共に空を舞う。
『メルちゃん!?』『死んだか?』
「いっ……たぁ……!」
『よかった死んでなかった』
全身が引き千切られるような痛みに顔を顰めるメルだが、幸い致命的な負傷は無い。最もサソリの尾と強く接触した右腕はとりわけ酷く痛んでいるが、それでもまだ使い物にはなる。
メルは涙の滲んだ瞳で地上のサソリを見下ろす。
メルが殴りつけた尾は外見上は傷が見られなかったが、まるで神経が通わなくなったかのようにだらりと地面に横たわっている。
メルの一撃は見るからに頑丈な外殻には傷を与えられなかったが、天寵手羅の雷の魔力はきちんと中身を破壊したようだ。
「よし……!」
雷の魔力が巨大サソリに通用したことにメルはほくそ笑む。
メルの体は既に落下し始めており、その落下地点には巨大サソリが居座っていた。
巨大サソリはメルに向けて両手のハサミを構えており、落ちてきたメルをそのまま仕留めるつもり満々だ。
巨大サソリがメルの落下地点から退くつもりが無いのであれば、それはメルにとって非常に好都合だ。
「てやああっ!!」
メルは落下の勢いも味方につけ、待ち受ける巨大サソリへと再び右の拳を繰り出す。
それに対して巨大サソリの方もメルへと右のハサミを繰り出し、両者の拳(?)は激しく激突した。
その瞬間、先程の数倍もの雷光が岩場の光景を塗り潰す。
『うわっ眩しっ』『何も見えねぇ』『すげぇ音したな今』『メル大丈夫か?』
雷光は数秒間岩場を照らし続け、やがて徐々に減衰する。
そして雷光が完全に収まると、そこには右腕がとんでもなくおかしな方向に曲がったメルと、明らかに絶命した様子で地面に這いつくばる巨大サソリの姿があった。
『メルちゃん勝った!!』『その右腕どうなってんの!?』『なんか関節2個くらい増えてるように見えるけど……』『R指定要るくらいの重症じゃん』
「いたぁい……!」
『いやいたぁいで済まないでしょそれ……』
メルは一旦スマホを地面に置き、懐から小さな容器を取り出す。
そして容器の中に入っていた黄金色の液体を一気に呷ると、グニャグニャになっていた右腕やその他の落下に伴う負傷はたちまち元通りになった。
『うわ一瞬で治った』『きしょっ』
「ふぅ~……高い傷薬買っておいてよかった~」
天寵ブラシオンを討伐して小金持ちになったメルは、何かあった時のために店売りの中で最も高価な傷薬を何本か買っておいた。
患部にかければ骨折すらたちまち治るというその高級傷薬が、早速役立った形だ。
傷を治したメルは、一旦地面に置いたスマホを回収する。
そして巨大サソリの死体の側に移動すると、巨大サソリの頭部と自分の顔が同じが核に入るように立ち位置を調節し、カメラに向かって笑顔とピースサインを向けた。
「……晩ご飯ゲットです!」
『総括それで合ってるか?』
読んでいただいてありがとうございます
次回は明後日の8日に更新する予定です