桜庭メル、騙される
狩猟局から歩いて5分と掛からない場所に、「ノエルの狩猟よろず屋」という大きな店がある。
主に狩猟者向けの商品を取り扱うゼネラルストアで、 樹海での活動に適した服飾品や、矢や傷薬などの消耗品、遠征の際の携行食糧や野営道具など、狩猟に必要な道具はほぼ全てこの「よろず屋」で揃えることができる。
加えて武器や防具の修繕などのサービスも充実しており、この店を利用しない狩猟者はモグリとまで言われるほどだ。
「う~ん……」
そんなよろず屋の一角、刀剣の陳列棚の前で、唸り声を上げるメルの姿があった。
「あら、メルじゃない」
「わっひゃあ!?」
集中していたところに突然背後から声を掛けられ、メルは珍妙な声と共に跳び上がる。
「奇遇……って程でもないかしら。よろず屋で会うのなんて、狩猟者には当たり前だものね」
振り返るとそこには、つい先日凄絶な模擬戦を繰り広げたばかりのディラージの姿があった。
ディラージは相変わらず胸元が大きく開いた、夜の蝶のような恰好をしている。
「ディラージさん。こんにちは」
「こんにちは。あなた、さっきから何をうんうん唸っているの?そんなに顔を顰めたら皺になるわよ?」
「あ、あはは……実は、新しいナイフを買いに来たんですけど……」
メルは基本的に徒手空拳で狩猟を行うことが多いが、素手では対処できない魔物が現れた時のために、左右の太腿のホルダーに1本ずつナイフを忍ばせている。
だが今朝になって、その2本のナイフの刃がボロボロになっていることに気付いたのだ。
恐らく天寵ブラシオンと戦った際に、雷の魔力によって劣化してしまったのだろう。
その後もナイフを使う機会は何度かあったが、メルは基本的にナイフを「刺す」使い方しかしないため、「斬る」ための刃の劣化に気付くのが遅れてしまった。
だから今日、狩猟に行きながら配信をする予定を取り止め、新しいナイフを調達しに来たのだが……
「最初は前と同じナイフを買おうと思ってたんですけど……また強い魔物と戦ったら、すぐにダメになっちゃうかもと思って」
「まあ、よろず屋の武器は長く使うことは想定していないものね」
「えっ、そうなんですか?ズーロさんから武器はここで買うのがいいって教わったんですけど……」
今回ダメになったナイフも、メルがよろず屋で購入したものだ。狩猟者を始めるにあたって、先達であるズーロの助言に従った形である。
「確かに初心者が最初に武器を揃えるならよろず屋で充分だけど、メルほどの実力者にはよろず屋の武器では性能が足りないわ……まあ、お店の中で言うことじゃないけど」
「ホントですよ……」
ディラージの発言は、よろず屋の武器は性能が低いと言っているも同然である。メルは店員の目が気になった。
「ともかくあなたが武器を買い替えるなら、よろず屋じゃない方がいいわ」
「そうですか……ちなみになんですけど、どこで買うのがいいですか?」
「そうねぇ……私はあまり武器屋とは縁がないから……」
人差し指を顎に添え、考え込む素振りを見せるディラージ。
するとディラージはニヤリと口角を持ち上げ、悪戯っ子のような笑顔を浮かべた。
「……そうだわ、メル。私が知ってるとっておきの武器屋を、特別に紹介してあげるわ」
「ホントですか?わ~、ありがとうございます」
ディラージの誘い文句は怪しさ満点だったが、この時のメルには疑うという発想が無かった。
「じゃあ早速行きましょう。付いてきて」
「は~い」
メルとディラージはよろず屋から退店する。
ディラージはそのまま、未踏領域に出る門のある方向へと歩き出した。
「門の方に行くんですか?」
「ええ。とっておきの武器屋はこっちにあるの」
「そんな感じのお店あったかなぁ……?」
メルはペスカトピアに来てまだ日が浅いが、門の周辺は行く機会が多いのでそれなりに把握している。だがディラージの言う武器屋には心当たりがなかった。
程なくして門が見えてくると、ディラージはそのまま門へと真っ直ぐに歩いて行く。
「ディラージさん?」
「何?」
「門に行くんですか?」
「武器屋に行くのよ」
「でも門に向かってますよね?」
「こっちにあるのよ」
ディラージは門の脇にある守衛所に近付き、中の職員に狩猟者証を提示する。
「さあメル、あなたも早くしなさい」
「えっ?あっ、はい」
メルもディラージに続いて狩猟者証を提示し、2人は門をくぐって未踏領域へと足を踏み入れた。
「あの、ディラージさん?ペスカトピア出ちゃいましたけど」
「いいからいいから。こっちよ」
メルの質問を封殺し、ディラージは石畳で舗装された狩猟者道を歩いて行く。
流石にメルも明らかにおかしいとは思い始めていたが、それでも引き返すことなくディラージに追従した。
「……さて、この辺でいいかしら」
ディラージは狩猟者道を10分ほど歩き、少し開けた広場のようなスペースで足を止める。
「この辺でいいって何がですか?お店も何も無いですけど……」
「いいからあなたはそこで見てなさい」
ディラージが左手をひらひらと振る。するとその薬指に嵌っている精緻なデザインの指輪が、淡い紫色の光を放ち始めた。
「<万魔殿>」
そしてディラージの頭上に、見覚えのある玉虫色の二十面体が出現する。
「ディラージさん?なんで今魔法使うんですか?」
「まあまあまあ」
「まあまあまあじゃなくて」
<万魔殿>はディラージがイメージした通りの疑似生命体を生み出す魔法。
二十面体から生まれたのは、コンドルに似た巨大な灰色の鳥だった。
コンドルはまるでディラージに平伏するように姿勢を低く下げる。
「さあメル。この子の背中に乗って」
「えっ、何でですか?」
「大丈夫よ。この子は騎乗に特化してるから、私とあなたの2人で乗っても軽々飛べるわ」
「私『乗って大丈夫ですか?』なんて聞いてないです。『なんで乗るんですか?』って聞きました」
「まあまあまあ」
「まあまあまあじゃなくて」
ディラージは一足先にコンドルの背中に乗ると、メルの腕を掴んで無理矢理メルを引き上げ、自分の後ろに座らせる。
「落ちたら危ないから私の腰に掴まっていいわよ」
「あのこれ今どこに行こうとしてるんですか?」
「飛ぶわよ~!」
「飛ぶわよ~じゃなくて」
メルが降りる暇も無く、コンドルが翼を広げて空へと飛び立つ。
「ひゃあっ!?」
危うく転落しそうになったメルは、反射的にディラージの腰へと腕を回す。図らずもディラージが言っていた通りの形となった。
コンドルは地面に対してほぼ直角に上昇し、あっという間に高度数十mに到達する。
ペスカトピアを取り囲む大隔壁を、既に眼下に見る高度だ。
「うわぁ高~い……」
メルは別に高所恐怖症という訳では無い。だが何の安全装置も無しに地上数十mの高さまで連れて来られると、肝の冷える思いがした。
その後もコンドルは上昇を続け、最終的にその高度は100mを突破した。
充分すぎるほどの高度を確保したコンドルは一旦停止すると、今度はペスカトピアの正反対の方向へと飛行を開始した。
「んぅ~っ!やっぱり空を飛ぶのは気持ちがいいわ!」
ご満悦のディラージ。
コンドルの速度はメルの体感で時速80kmほど。全身に浴びる風は確かにかなり心地がいい。
「ディラージさん、いい加減どこに向かってるのか教えてくれませんか!?」
メルはディラージの耳元で叫ぶ。するとディラージは神妙な表情でメルを振り返った。
「そうね、そろそろ本当のことを伝えるべきかしら……実は私達が向かってるのは、私のおすすめの武器屋じゃないの」
「分かってますよそんなの。門出た時点でとっくに分かってましたよ」
分かり切った事実をさも重大な真実かのように告げるディラージ。メルは少しイラッとした。
「それでこれは今どこに向かってるんですか?ものすごい勢いで街から遠ざかってますけど」
「深層」
「えっ?」
「未踏領域の深層よ」
「……何で!?」
耳元で大声を上げたせいで、ディラージがビクッと肩を竦める。
「ちょっと!?耳元で叫ばないで!ビックリするでしょ!?」
「だって……なんで深層なんかに向かうんですか!?」
深層。それは未踏領域において、樹海よりも向こう側のエリアの総称である。
深層に到達するには、広大な樹海エリアを、襲い来る強力な魔物達を退けながら数日かけて踏破する必要がある。そしてそれを乗り越えた先に待ち受けるのは、樹海に生息するよりも更に強力な魔物達。
熟練の狩猟者であっても深層に到達して無事に生還できる可能性は相当に低く、ペスカトピアの狩猟者の9割9分は深層を拝むことなく引退を迎えると言われている。
そんな深層にメルは今、騙されて連れて行かれそうになっているのだ。そりゃ耳元で叫びもする。
「私は新しいナイフが欲しかっただけなのに!」
「だから深層に行くんじゃない。確かに行き先は嘘を吐いたけど、あなたの要望はちゃんと叶えるわよ」
「……どういうことですか?」
新しいナイフを手に入れるために深層に行く。
メルには話の繋がりがまるで分からない。
「さっきも同じようなことを言ったけど、あなたはちゃんと自分の身の丈に合った武器を使った方がいいわ。街の武器屋で手に入る鋼鉄製の武器とか、浅層に出る魔物の素材を使った武器だと、あなたの実力には全然見合ってない。それで言うと、その手袋はかなりいいわね」
ディラージはメルの両手の天寵手羅を見て微笑む。
「そ、そうですか?えへへ……」
メルは天寵手羅をかなり気に入っているので、褒められて悪い気はしなかった。
「天寵個体は並の深層の魔物よりも強力だから、その素材を使った装備品も深層の魔物由来のものに匹敵するわ。言い換えると、メルに相応しい武器には深層の魔物の素材が必要になってくるってこと」
「あ~……なるほど」
そこまで説明されて、ようやくメルにも話の流れが掴めてきた。
「私の武器を作るのに深層の魔物の素材が必要だから、それを取りに行こうってことですか?」
「そうよ。深層の魔物なんて滅多に市場に出回らないから、必要なら自分で取りに行かないと」
「じゃあ最初からそう言ってくれればよかったじゃないですか……まあまあまあとか言ってないで……」
ディラージが最初から「武器を作るための素材を取りに深層に行きましょう」とメルを誘っていれば、話がよりスムーズに進んでいたことは間違いない。
「っていうか、深層に行くのは全然いいんですけど、私この手袋とお財布くらいしか持ってきてないですよ?」
元々よろず屋で買い物をするだけのつもりだったメルは、当然の如く狩猟の準備などまるでできていない。
天寵手羅は着けていたので戦闘には困らないが、メルが気になるのはそれ以外の部分だ。
「確か深層って行くのに何日かかかるんですよね?私泊まりの準備とか何もしてないんですけど……」
「あら、そんなの平気よ」
メルの懸念をディラージは軽く笑い飛ばす。
「確かに樹海の中を歩けば深層までは何日もかかるけど、こうやって空を飛んでいけば半日もかからないわ」
「そうなんですね」
「というか空くらい飛べないと割に合わないから、深層まで行く狩猟者が私くらいしかいないのよね」
深層の魔物は浅層の魔物よりも遥かに高値が付く。
だが実のところ、数日かけて深層まで移動し、強力な魔物を死に物狂いで討伐し、また数日かけてペスカトピアまで帰還するよりも、同じ日数浅層で勤勉に狩りをした方が最終的な収支は大きい。
9割9分の狩猟者が深層を訪れないのは、危険性もあるがそれと同じくらいに「割に合わない」という理由も大きいのだ。
「やっぱりディラージさんって凄いですよね。空まで飛べちゃうなんて」
「けどいいことばっかりでも無いわよ。なまじ半日で深層まで行けちゃうばっかりに、局長から定期的に深層の魔物を狩りに行くように命令されちゃってるし……正直面倒なのよね~」
それを切っ掛けにディラージは狩猟局や局長に対する愚痴を語り始め、メルは適当な相槌を打ちながらそれを聞き流す。
なんだかんだで楽しく会話をしながら、2人の空の旅は続いた。
読んでいただいてありがとうございます
次回は明後日の6日に更新する予定です