桜庭メル、目を付けられる
「ふわぁ……」
狩猟局に向かう道すがら、メルは欠伸をかみ殺す。
珍しいメルの寝不足の原因は、天寵手羅を使いこなすための練習だ。
昨日狩りと配信を終えて帰ってきた後、メルは視聴者のアドバイスに従い、早速天寵手羅を使いこなすための練習を開始した。
すると殊の外練習に熱中してしまい、結果就寝が普段よりも遅くなってしまったのだ。
しかし就寝時間を代償としたことで、メルの天寵手羅を扱う技術はそれなりのものとなった。
もう昨日のように魔物を黒焦げにすることはないだろう。
ただメルは今日、狩りに行くつもりはなかった。狩猟局に向かっているのは、昨日売却した魔物の代金を受け取るためだ。
「おはようございま~す」
「メルさんっ!!」
メルが狩猟局の扉をくぐるや否や、カミノールがメルの下へと飛んできた。
「メルさん昨日は大丈夫だった!?病み上がりなのに1人で狩りに行くなんて無茶をして……」
「お、おはようございますカミノールさん。大丈夫でしたよ、勿論……」
「本当に?昨日はずっと心配してたのよ?本当ならついていきたかったくらいなのに、母に用事を頼まれてしまって……」
「心配し過ぎですよ。それからあんまり体を撫で回さないでください……すっごい見られてるので……」
カミノールはメルの体の至る所をペタペタと触り、本当にメルが怪我をしていないかを入念に確かめている。
ただそれを狩猟局の入口という人の多い場所でやっているせいで、周囲の視線を不必要に集めてしまっていた。
「……よかった、本当に怪我は無いみたい」
「でしょ?心配しなくても大丈夫ですよ、私結構強いですから」
「そうね……私もメルさんが強いことは分かっているけれど、それでも心配になってしまうの……」
カミノールはようやくメルの体を撫で回す手を止めると、僅かに潤んだ瞳でメルを見つめる。
「メルさん、今日もまた狩りに行くの?」
「いえ、今日はお金貰いに来ただけで、未踏領域には行かないつもりですけど……」
「そう……」
メルの答えを聞いて、カミノールは安心したように表情を緩める。
メルが受付に行こうとすると、何故だかカミノールも付いてきた。
「どうしました?」
「メルさんに何かあったら大変だから」
「この短い距離で何があるって言うんですか……?」
困惑したメルだが、一緒に受付の列に並ぶ分には何も問題が無いので気にしないことにした。
「それにしても、なんか今日いつもより人多くないですか?」
メルは狩猟局内を見回し、カミノールに尋ねる。
今日の狩猟局には、平時と比べて1.5倍ほど人の数が多いように思えた。
「ああ、今朝ディラージさんから、帰ってくるって連絡があったからよ」
「ディラージさん?って、確か……」
ディラージという人物について、メルは以前ズーロから教わったことがあった。
「戴冠者っていうすごく強い人ですよね?」
「ええ。ペスカトピアに7人しかいない戴冠者の1人にして、ペスカトピア最強の狩猟者。狩猟局の顔のような存在よ」
「確か今は未踏領域の深層に行ってるんでしたっけ?私この間絵札を見せてもらいましたけど、すっごい美人さんですよね~」
「実物は絵札よりももっと美人よ」
「ホントですか!?」
「だからディラージさんが狩猟局に顔を出す日は、決まって人が普段より多く集まるのよ。それに加えて今回はディラージさんの帰還が予定よりも遅れてて、皆が心配し始めていたところだったから、余計に人が集まっているのね」
「なるほど~……」
その時メルの背後から、「うおおおおおっ!!」と大歓声が上がった。
「ひゃあっ!?」
メルは悲鳴を上げながら反射的に耳を塞ぐ。
「ディラージさん!」
「ディラージさんだ!」
「ディラージさん帰って来たぞ!」
「相変わらずすっげぇ美人……」
周囲の狩猟者達が色めき立つ。
噂をすれば影、というべきか。メル達が話題に出していたまさにそのタイミングで、件のディラージが狩猟局に帰還したのだ。
メルは実物のディラージを一目見ようと背後を振り返るが、入口に殺到した群衆にメルの視線は遮られる。
「どいて?」
かと思うと人混みの向こうから、色気を孕んだ女性の声が聞こえてくる。決して大きくないはずのその声は、普段よりも騒然としている狩猟局の中において、不思議と掻き消されること無くメルの耳にまで届いた。
その妖艶な声を切っ掛けとして、人混みがざあっと真っ二つに割れる。
そして人混みが割れたことで、遂にメルはディラージの姿を目の当たりにした。
純金を糸に加工したかのような金髪に、最高級のルビーのような鮮やかな色の赤い瞳。
その特徴はメルが以前絵札で目にしたものと同じだったが、カミノールが言っていた通り、実物は絵札とは比べ物にならないほどの美しさと存在感を放っている。
だが最もメルの目を引いたのはその容姿ではなく、ディラージが身に着けている服だった。
胸元が大きく開いた華美な色のドレス。いわゆる夜の蝶と呼ばれる職種のような服装だ。
「わぁ~……えっちなお姉さんだ……」
というのがメルのディラージに対する第一印象だった。
カミノールは威風堂々とした態度で受付に向かって歩いていく。
元々受付にはメルを含めてそれなりの人数が列を成していたのだが、ディラージの威容に全員が思わず順番を譲ってしまった。
ディラージがメルの目の前を通ると、ふわりと甘い香りが漂った。
「わ、いい匂い」
メルが小さくそう呟くと、カミノールは困った様子でメルの耳元に唇を近付ける。
「あまり嗅がない方がいいわ。ディラージさんの体臭には惚れ薬に近い性質があって、嗅ぎすぎると魅了されてしまうの」
「何ですかそれ怖い……」
匂いを嗅ぐだけで魅了されるとは、恐ろしい体臭もあったものである。
「やっと帰って来たのかい、ディラージ」
ディラージが受付の前に立つのと同時に、カウンターの向こうから局長が現れる。
「予定よりずいぶん遅かったじゃないか。何か問題でもあったのかい?」
局長がそう尋ねると、ディラージは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「深層でドラゴンと戦ったけど、殺しきれなかったのよ。イライラしたからその後海に行って何日か遊んできたわ」
「はっ、相変わらず勝手な女だねぇ。きちんと依頼した分の仕事はこなしてきたんだろうね?」
「愚問ね。私が仕事を果たせないとでも?」
ディラージの右側の空中に、突如として直径30cmほどの黒い穴が出現する。
ブラックホールを彷彿とさせるようなその穴に、ディラージは無造作に腕を挿入する。そしてディラージが腕を引き抜くと、その手には10枚の貯蔵札が握られていた。
「深層の魔物10体、きちんと仕留めてきたわよ」
「流石だね」
局長はご満悦といった様子でディラージから貯蔵札を受け取る。
「私がいない間、何か変わったことはあった?」
「ああ、あったさね。ついこの間、天寵個体が浅層に出たのさ」
「天寵個体?珍しいこともあるものね……」
ディラージがルビーのような目を見開く。
「けど街に被害の跡が見当たらなくて、住民が普段通りの生活を送ってるってことは、天寵個体はもう討伐済みってことよね?」
「ああ、そうさね」
「誰が討伐したの?ズーロ?ロベリー?もしかしてカミノール?それとも他の戴冠者の力を借りたのかしら?」
「いんや」
局長は首を横に振り、それからゆっくりとメルのことを指差した。
「そこの小娘さね」
ディラージは局長の指さす方へと視線を動かし、そこで初めてメルとディラージは視線を合わせた。
「……あの子が?」
「そうさね」
ディラージが早足でメルへと近付いてくる。
「えっ?えっ?」
迫り来るディラージの存在感に、メルは反射的に半歩後退する。
ディラージがメルの目の前に立つと、身長差からメルはディラージに見下ろされる形となった。
「ふ~ん……?」
ディラージの無遠慮な視線が、メルの全身を舐め回す。
「……あなた、見ない顔ね?誰?」
「あ、えっと、メルって言います。この間狩猟者になったばっかりで……」
「あなた新人?新人が天寵個体を討伐したっていうの?」
「まあ、はい……」
ディラージの視線からは不信感が感じられる。
「あなた、魔法使えないわよね?」
「は、はい」
「魔法も使えない人間が、天寵個体を討伐できるとは思えないけど?」
「えっと、一応、こんなものあるんですけど……」
メルは懐からメダルのようなものを取り出し、ディラージに見せた。
それは先日、天寵個体の討伐という功績を称えてペスカトピアから授与された、「覇王花章」という勲章だ。
「覇王花章……じゃあ、本当にあなたが天寵個体を討伐したのね……」
流石は街から授与される勲章なだけあって、ディラージの疑いを一発で晴らすことに成功した。
「疑ったことは謝罪するわ」
ディラージはメルに向かって頭を下げる。
女王然とした風格を放つディラージが謝罪に抵抗を見せなかったことに、メルは少し驚いた。
「私はディラージ。知ってるかもしれないけど戴冠者の1人よ。あなたは?」
「メルっていいます」
「メルね、いい名前じゃない。ねぇメル、私と戦ってみない?」
「はあっ!?」
驚きの声を上げたのはメルではなく、メルの隣で話を聞いていたカミノールだった。
「どうしたのよカミノール、いきなり大きな声出して」
「なっ、何を言っているんですかディラージさん!?メルさんと戦うだなんて……」
「だって新人の子が天寵個体を倒したなんて聞いたら、どれくらい強いのか気になるじゃない?」
「だからっていきなり戦う必要はありませんよね!?」
カミノールはメルとディラージの間に割って入り、メルを背中に庇うようにディラージと向かい合う。
「何よぅ、別にいいじゃないちょっと戦うくらい」
「ディラージさんと戦ってメルさんに何かあったらどうするんですか!?ただでさえメルさんは病み上がりなんですよ!?」
「……ありがとうございますカミノールさん。でも大丈夫です」
メルはカミノールの肩に手を置き、カミノールを下がらせる。
「実は私、ズーロさんにディラージさんのことを教えてもらった時から、ずっと気になってたことがあるんです。たった1人で災害からこの街を守り切ることができる戴冠者って、どれくらい強いのかな……」
ディラージの顔を見上げ、メルは犬歯を剥き出しにして笑った。
「……戴冠者って、私よりも強いのかな、って」
「……へぇ、面白いじゃない」
メルの言葉を受け、ディラージもまた獰猛な笑顔を浮かべる。
「それなら決まりね。闘技場へ行きましょう」
「ええ」
こうして急遽、メルとペスカトピアの最強とのマッチングが決定した。
前回「天寵手羅」にルビを振るのを忘れていました
申し訳ありませんでした
読んでいただいてありがとうございます
次回は明後日の31日に更新する予定です