桜庭メル、凍える
「<銀世界>」
前回と同じ轍は踏まないとばかりに、カミノールは剣を構えるよりも先に魔法を唱えた。
瞬間、カミノールを中心として凍てつくような猛吹雪が発生し、闘技場が白一色に染まる。
「ひゃっ!?」
雪を含んだ激しい風が吹きつけ、メルは反射的に両腕で顔を覆う。
「うおっ何だ!?」
「カミノールちゃんの魔法だ!」
「うわっ寒っ!?」
「ちょっと魔法強すぎるって!」
吹雪に巻き込まれた観客達が口々に悲鳴を上げるが、その声は風音に掻き消されてメルの耳には届かない。
「考えましたねカミノールさん……!」
カミノールが初手で吹雪を発生させた狙いを理解し、メルは頬を引き攣らせる。
凄まじい吹雪によりメルの視界は白く染まり、1m先すら満足に見ることができない。視覚の代わりに聴覚で周辺状況を把握しようにも、強風によってあらゆる音が掻き消されてしまう。
視覚と聴覚を奪われ、メルはたった数m先にいるはずのカミノールを完全に見失ってしまった。
「てか寒い!めっちゃ寒い!」
そしてこれはカミノールが狙ったことではないだろうが、雨に濡れた体に吹き付ける吹雪は、この世の終わりかと思うほど寒かった。
「じっとしてたら死んじゃうかも……!」
かつてない命の危機を覚えたメルは、動かなければ体温が失われる一方だと判断し、ひとまず動き出そうとする。
だがそれに先んじて、メルの膝から下が突如として氷に覆われた。
「えっ!?」
驚いたのも束の間、鋭く尖った氷柱がメルの顔を狙って飛来した。
「ひゃわぁっ!?」
メルは咄嗟に上体を逸らすことで氷柱を回避したが、勢い余ってそのままブリッジのような体勢になってしまう。
そして舞台についた両手も、足と同じように瞬く間に手首まで凍り付いてしまった。
「ちょっ……!?」
両手両足が凍り付いたことで、メルはブリッジの体勢のまま固定されてしまう。
更にそんな体勢のメルに向かって、再び氷柱が飛んできた。
「ちょっ、待ってくださいって……!」
メルは慌てて両足に力を込め、足を拘束する氷の破壊を試みる。
「あっ行けそう!行けるかも!」
幸い氷の強度はそこまで高くなく、ビキビキと氷に罅が入っていくのをメルは感じ取った。
「てやっ!」
最後に思い切り足を蹴り上げると、晴れて氷の拘束は粉々に砕け散る。
メルはそのまま逆立ちのような体勢となり、
「てやぁっ!」
飛来した氷柱を、ブレイクダンスのようなキックで撃ち落とした。
更にメルは自由になった脚を使い、両手を拘束する氷も破壊することに成功する。
「危ない危ない……ブリッジのまま串刺しにされて負けるところだった……」
仮にあのまま拘束を解くことができず敗北を喫していたら、メルの負け姿は相当無様だったに違いない。
無様な敗北を回避したことに安堵するのも束の間。再び地に足をつけたメルは、足元に氷が纏わりついてくるような感覚を察知する。
「っ!?」
咄嗟にメルが飛び退くと、その奇妙な感覚は消失する。
だが着地するとやはりまた同じ感覚に襲われた。
「これは……止まっちゃダメなやつだ」
動くのを止めた瞬間、足元が凍り付きその場に拘束される。その絡繰りをメルは直感的に理解した。
「これもカミノールさんの魔法かぁ……魔法凄いなぁ……」
止まってはいけないことが分かったので、メルはひとまず舞台の上を適当に動き回る。
どの道止まっていたら寒すぎるのでちょうどいい。
「このままだと私負けるな……」
氷による拘束への対処法は編み出したが、依然吹雪によって視覚と聴覚を封じられている状況は変わらない。
このまま模擬戦が長期化すれば、不利なのは圧倒的にメルの方だ。
メルはカミノールがどこにいるかも把握できていないのに対し、カミノールの方は明らかにメルを捕捉している。氷柱が的確にメルを狙って飛んでくるのがその証拠だ。
更にカミノールの操る猛吹雪が、容赦なくメルから体温を奪っていく。今はまだ何とかなっているが、戦いが長引けば長引くだけメルは凍えて動きが鈍くなる。
そうなってしまえば最後、氷柱の攻撃を避けることができずにメルの負けだ。
「負けるのはイヤだな……」
この模擬戦の目的はカミノールが納得を得ること。勝っても負けても何かある訳でもない。
しかしだからと言って、メルは負けるのは絶対に嫌だった。
「どうする……?私はどうやったらここから勝てる……?」
カミノールから勝利をもぎ取るために、メルは全力で思考を巡らせる。
戦況は既にカミノールの圧倒的有利。その上長期戦になればなるほどメルは更なる不利へと追い込まれる。
となればメルの勝ち筋は1つ。模擬戦が長期化する前に、一瞬でカミノールを倒すことだ。
そしてそのためには視覚も聴覚も役に立たないこの猛吹雪の中から、カミノールを見つけ出さす必要がある。
「どうやってカミノールさんを見つける……?匂い、は、無理か……」
視覚と聴覚の代替手段としてメルが最初に思い付いたのは、嗅覚による索敵だ。
メルの嗅覚は、目や耳ほどではないがかなり鋭い。平時であれば人探しくらいは余裕でこなせる。
だがメル自身も言ったように、この猛吹雪の中で嗅覚を頼りにカミノールを探すのは流石に無理がある。
「氷柱……も、当てにならないな」
次にメルが考えた手段は、氷柱の攻撃が飛んでくる方向からカミノールの位置を特定するというものだ。
だがこれは氷柱が飛んできた方向にカミノールがいるという前提が無ければ成り立たない。そして氷柱はほぼ同時に複数方向から飛んでくることもあるので、この前提は成り立たない可能性が高い。
「……そうだ!」
ここであることを思いついたメルは、地面を強く蹴って一気に速度を上げた。
吹雪すら振り切るような速度でメルが走る先には、
「……え?」
目を見開いて硬直するカミノールの姿があった。
この猛吹雪の中でメルが自らを捕捉したという事実に、カミノールは理解が追い付いていない。
「もらったぁぁぁ!!」
メルが高く跳び上がり、真っ直ぐにカミノールへと躍りかかる。
「くっ……」
カミノールは剣を振るってメルを迎撃しようとするが、それよりも先にメルの強烈なドロップキックがカミノールに叩き込まれた。
カミノールは悲鳴も上げないまま舞台の外へと吹き飛び、そのまま観客席の3段目に叩きつけられる。
それと同時に闘技場を覆っていた猛吹雪が嘘のようにピタリと止み、カミノールは観客席から起き上がってくる気配はなかった。
「そこまで!勝者メル!」
カミノールは戦闘不能と判断したズーロが、模擬戦の終了とメルの勝利を宣言する。
「終わったのか?」
「分からん……」
「何にも見えんかった……」
「てか寒すぎる……」
模擬戦の様子は吹雪のせいで全く見えていなかったため、観客は全く盛り上がっていなかった。
「寒い寒い寒い寒い寒い!!」
戦闘が終わって緊張が解けたメルを襲ったのは、濡れた体を吹雪で冷やされたことによる、死神を幻視するほどの寒さだった。
「ズーロさんズーロさん!毛布か何か無いですか!?私ちょっともう手足の先の方の感覚無いんですけど!?」
「も、毛布?受付で聞いてみたら貸してもらえるんじゃないか?」
「受付ですか分かりました!」
受付へと走るメルの速度は、模擬戦中の速度を更に上回っている。死に瀕したことによる火事場の馬鹿力だ。
メルが暖を求めて奔走している間に、ズーロは気を失ったカミノールを回収し、狩猟局内の医務室に運ぶ。
「ん……私は……」
しばらくして、ベッドの上でカミノールが意識を取り戻す。
「あっ、目が覚めました?」
付き添っていたメルがカミノールの顔を覗き込む。
「メルさん……どうしたのその恰好?」
「ちょっと寒くて……」
メルは計4枚の毛布で顔以外の全身を覆い尽くしており、その姿はどこかのマスコットキャラクターのようだった。
「あ……私の<銀世界>のせいよね。ごめんなさい」
「いえいえ、戦ってる時のことですから。模擬戦が終わったらもう言いっこなしです」
実際メルはカミノールに対して思うところは全く無かった。カミノールもメルの表情からそれを読み取り、安心して表情を緩める。
「……結局私は全てを出し切っても、メルさんには勝てなかったわね」
カミノールが天井を見上げながら呟く。その声色には悔しさが滲んでいるが、表情はどこか晴れやかだった。
「……ひとつ、訊いてもいいかしら」
「なんですか?」
「どうして<銀世界>の吹雪の中で、私を見つけることができたの?目も耳も役に立たなかったでしょうに」
「ああ、そのことですか」
メルは吹雪によって視覚と聴覚を封じられながらも、カミノールを見つけ出し、攻撃を加えて見事に勝利を収めた。
カミノールがその方法を知りたがるのも当然だ。
「あれは風向きを見たんです」
「風向き?」
「カミノールさんが<銀世界>っていう魔法を使った時、カミノールさんの体から吹雪が吹き始めたのを思い出したんです。だから雪が飛んでくる方向を見れば、その先にカミノールさんがいるんじゃないかなって」
「風向き……そんなこと考えたことも無かったわ」
カミノールが自嘲的な笑みを浮かべる。
「狩猟局の期待の星だとか、未来の戴冠者だとか言われていい気になっていたけれど、上には上がいるということね」
カミノールはゆっくりと体を起こし、メルに微笑みかける。
「でも、次は負けないわ」
「どうでしょう、私だって負けませんよ」
そしてメルとカミノールは、友情の握手を交わした。
「皆ざんごんばんは、異世界系ズトリーマーの桜庭メルで~ず……」
『うわとんでもねぇ鼻声』『どうした!?』『明らかに本調子じゃない声色なんですが』
夜になって宿の部屋で配信を始めたメルは、どう足掻いても看過できないほどに鼻声だった。
「実は今日、大雨で濡れた後に吹雪を浴びちゃって……」
『どういう天気???』『ペスカトピアの気象状況どうなってんの?』
「あっ、ペスカトピアの今日の天気はずっと大雨でしたよ?」
『尚更どういうこと?』『ペスカトピアから寒冷地に移動したってこと?』『濡れたまま???』
「まあ色々あったんです」
『おい説明めんどくさくなるのやめろ』
メルは説明を雑に打ち切り、ちり紙で思い切り洟をかむ。
「そういうことがあったので、メルちょっと風邪ひいちゃったみたいで……」
『メルちゃん大丈夫……?』『風邪なら配信止めた方がいいんじゃ』『無理せず早く休んで!』
風邪気味のメルに心優しいコメントがいくつも書き込まれる一方。
『メルって風邪とか引くんだ……』『メルに感染できるって相当ヤバいウイルスなんじゃ……?』『やっぱ異世界のウイルスは違うな』
メルが風邪を引いたという事実それ自体に驚いている視聴者も散見された。
「ちょっと!メルだって風邪くらい引きますよ、メルのことなんだと思ってるんですか!?」
『何だと思ってるって聞かれるとちょっと困るけど、少なくとも普通の人間とは思ってない』
「ひどぉい!メルは普通の女の子なのに……」
『木の枝で熊を仕留める普通の女の子がいるかよ』『辞書で普通の意味調べ直せ熊殺し』『最初に木の枝で熊殺した印象が強すぎるけど正真正銘の素手で鹿殺したのもかなり異常だと思うの』
「……まあ普通の女の子はちょっと言い過ぎだったかもしれないですね」
『草』『折れてて草』『認めるんかい』
「っていうかそんなことはどうでもいいんです!今日はみなさんにお話ししたいことがあるんです!」
メルが風邪気味でありながらも配信を中止しなかったのは、絶対に報告したいことがあったからだ。
「メル、このペスカトピアで、初めてお友達ができたんです!」
『お~』『よかったな』『メルちゃんにお友達ができると私も嬉しい!』『どんな子?』
「ちょっと待ってくださいね……じゃ~ん!」
メルが机の上から手に取ってカメラに向けたのは、カミノールの姿が描かれた絵札だった。
ペスカトピアの有名人や人気者の似顔絵をトランプ大のカードに描いたコレクションアイテムである絵札。その絵札の種類の中に、カミノールのものがあったのだ。
商品として展開されているだけあって、絵札に描かれたカミノールは本物そっくりだ。
「この子がメルの新しいお友達で~す」
『えっ……』『そのカードが、新しい友達……?』『まあ、うん、価値観は人それぞれだもんな……』『絵を友達って言い始めちゃうくらい友達少ないんだメルって……』『いや異世界でひとりぼっちなのがそれだけ寂しいってことだろ』『そんな寂しさを抱えながら俺達の前では気丈に明るく振る舞ってくれてたのか……』『メルちゃん……!』
「なっ、ちょっ、違いますよ!」
メルの説明不足のせいで、視聴者達の間にあらぬ誤解が生じていた。
「この絵の元になった人と友達になったってことです!異世界で寂しすぎてイマジナリーフレンド作った訳じゃないです!」
『ああなんだそういうことか』『それならそうと最初から言ってくれよ』『そんなに寂しいのかと思ってちょっと泣いちゃった』
「メルは寂しくないですよ、皆さんがいてくれますから」
『すき』『すき』
誤解が解けたことでメルは胸を撫で下ろす。
「話戻しますけど、この人はカミノールさんって言って、メルと同じ狩猟者の人なんです」
『職場の同僚か』『いいね』『めっちゃ美人じゃんその絵』
「本物はこれよりも美人さんですよ、メル初めて会った時ちょっと見惚れちゃいましたもん」
『メルちゃんも負けないくらい可愛いよ!!』
「ありがとうございます」
『ご満悦で草』
「という訳で、お友達ができて嬉しかったご報告の配信でした!それで、ちょっと早いんですけど、今日の配信はそろそろ終わりにしようかな~って思ってて~……」
『もうか』『でもメル風邪気味だって言うしな』『お大事に!!』『あったかくして寝るんだよぉ』
「多分寝れば治ると思うんですけどね~。それじゃ、おやすみなさ~い」
『おやすみ』『おやすみ~』『メルちゃんのおやすみなさい録音して毎晩寝る前に聞こ~っと!!』『きも』
メルはいつもより短めの配信を終了し、さっさとベッドに入って眠った。
読んでいただいてありがとうございます
次回は明後日更新する予定です