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桜庭メル、降られる

 「ひゃあぁぁ……!」


 メルは小走りで狩猟局の入口のひさしに駆け込む。その体はずぶ濡れで、ブラウスやスカートがぴったりと体に張り付いてしまっていた。


 「すっっっごい雨……!」


 ペスカトピアはこの日、朝からゲリラ豪雨並みの大雨に見舞われていた。しかも雷まで頻繁に鳴り響いている。

 メルは用事があったために狩猟局にやってきたのだが、雨具を持っていなかったせいで雷雨に対してあまりにも無力だった。


 「うわぁすっごい……無限に水出てくる……」


 試しにスカートの裾を絞ってみると、濡らした直後の雑巾のように水がバシャバシャと滴り落ちた。

 流石にこんな状態で建物に入ったら迷惑になるので、メルは10分ほどかけて体中の水気を減らした。


 「はぁ~……さむっ」


 冷えた体に溜息を吐きながら、メルはようやく狩猟局の中に入る。


 「ああ、メル。おはよう」

 「ズーロさん。おはようございます」


 メルが最初に出会ったのは、暇そうに建物内を徘徊していたズーロだった。


 「この大雨の中よく来たな」

 「大変でしたよ~。っていうかやっぱりこんな天気だと、狩猟局にも人少ないんですね」


 今日の狩猟者は閑散としており、受付窓口の職員も手持無沙汰な様子だった。

 普段は暇な狩猟者達で賑わっている食堂も、いつになく客席がまばらだ。


 「流石にこれだけ雨が降っていたら仕事にならないからな。余程金に困っていない限りは、こんな日に働こうと思うやつはいないだろう」

 「未踏領域の地面とか今は多分ぐっちゃぐちゃですもんね~。メルも今日は狩猟者のお仕事はやめておこうって思ってました」


 ちなみにメルが休もうと思っているのは狩猟者の仕事だけで、配信の方は何かしらネタを探して後でやるつもりだった。


 「メルは何しに狩猟局に来たんだ?仕事をしないなら用事は無いだろう」

 「昨日買取に出した魔物の代金受け取りに来たんです」

 「何もこんな雨の中無理に受け取りに来る必要は無いんじゃないか?」


 狩猟者が買取に出した魔物資源の代金の受け取り期限は、買取に出した日の翌日から数えて7日以内となっている。

 普通であればズーロが言うように、こんな大雨の中わざわざ受け取りに来る必要性は薄い。


 「ズーロさんみたいなベテランの狩猟者だったら1日2日遅くなってもいいかもしれないですけど、私今あんまりお金持ってないんですよ?1日遅くなるだけでも割と死活問題です」


 ペスカトピアに来た初日に、ウルサージ1体の買取金額分の金貨をズーロから受け取ったメル。

 だがその後狩猟局に登録料を払ったり、狩猟者としての活動に必要な道具を買い揃えたりと出費が嵩み、現在メルの所持金は底が見え始めていた。

 それ故メルは今日、どうしても狩猟局に来なければならなかったのだ。


 「ズーロさんの方こそ、こんな雨の中どうして狩猟局に来たんですか?まさかお仕事しに来たんじゃないですよね?」

 「俺は日々の食事を全て狩猟局の食事に依存しているからな。雨が降ろうが槍が降ろうが、狩猟局に来なければ俺は飢え死ぬんだ」

 「胸張って言うことじゃないですよ……」


 メルはズーロの食生活に呆れながら受付窓口へと向かい、職員に用件を告げる。

 そして5分と待たずにメルは受付職員の給料3ヶ月分に相当する金額を受け取ることができた。


 「ふぅ……これでしばらくヒリヒリしないで済む……」


 財布の中身が再び余裕を取り戻したことで、メルはひとまず胸を撫で下ろす。


 「折角狩猟局来たし、ついでにご飯食べていこうかな」


 食堂の方に足を向けようとしたメルは、ここでまた見知った顔を発見した。


 「あっ、カミノールさん!」

 「……メルさん」


 水色の髪と瞳を持つ芸術品のような少女を発見したメルは、これ幸いと駆け寄っていく。


 「カミノールさんも来てたんですね。何か用事ですか?」

 「……仕事をしようと思ったのだけれど、この雨では無理そうだわ」

 「雨凄いですよね~。私雨具持ってなくてびっしょびしょになっちゃいましたもん」


 避けられていると思っていたカミノールが雑談に応じたことに驚きつつ、メルは言葉を続ける。


 「雷もずっと鳴ってますし。私今朝雷で目が覚めちゃったんですよ」

 「……雷は嫌ね。落ちないといいのだけれど」

 「この辺りの建物全部木造ですもんね~。落ちたら大火事になっちゃう」


 メルがそう言うと、カミノールは虚を突かれたように僅かに目を見開いた。


 「……確かに、街に落ちても一大事ね」


 カミノールのその言い回しに、メルは首を傾げる。

 街に落ちて「も」一大事、ということは、カミノールが危惧していたのは街への落雷ではないということだ。


 「街に雷が落ちたら危ないって話じゃないんですか?」

 「私は未踏領域への落雷の方が怖ろしいわ」

 「?……森林火災が怖いってことですか?」


 どうにもカミノールの言わんとすることが分からず、メルの困惑は深まっていく。


 「……そう言えばメルさんは、街の外から来たのだったかしら」

 「はい、そうですけど……」

 「それなら『天寵個体』のことを知らなくても無理は無いわね」

 「テンチョウコタイ?」

 「雷に打たれた魔物のことだ」


 メルとカミノールの会話に、横からズーロが口を挟んできた。


 「雷に打たれた魔物は、より強力な個体へと変異するんだ。体格の成長、保有魔力量の増大、更には全身から雷の魔力を放出する特殊能力まで獲得する。このように雷に打たれて強大な力を獲得した魔物のことを、ペスカトピアでは天寵個体と呼ぶ」

 「何でズーロさんいきなり入ってきたんですか?」

 「すまない、暇だったところに関われそうな話題が聞こえてきたものだからつい……」


 暇だからという理由だけで10代女子の会話に割り込む30代男性ズーロ。ある意味これ以上ない勇者である。


 「天寵個体となった魔物は、元の魔物とは比べ物にならないほど危険な存在だ。過去には天寵個体の出現によってペスカトピアの狩猟者が壊滅状態に陥り、戴冠者の出動を余儀なくされた事例も存在する」

 「戴冠者って、1人で街を守れるくらい強い人達なんですよね?そんな人達が戦わなきゃいけないくらい天寵個体って危ないんですか?」

 「その認識でおおよそ間違いは無い。だからこの街の住人は雷の音を聞くと、カミノールのように天寵個体の出現を恐れるんだ」

 「なるほど……」


 雷が落ちることで強力な魔物が生まれてしまう可能性がある。地球出身のメルには全くなかった発想である。


 「まあ魔物に直接雷が落ちるなんて滅多にあることじゃない。わざわざ気に病むようなことでもないさ。それより折角仕事もできない日に偶然会ったんだ、2人で食事でもしてきたらどうだ?」


 メルがカミノールと仲良くなりたがっていることを知るズーロが、雑に気を利かせてそんな提案をする。

 その雑さにメルは思わず苦笑したが、気遣いは有難く受け取っておくことにした。


 「メルはぜひお願いしたいですけど……カミノールさんは?」


 少し緊張しながらカミノールの様子を窺うと、カミノールは何やら考え込むような素振りを見せていた。


 「……メルさん」

 「は、はいっ?」

 「この後、何か予定はある?」

 「夜までは何も無いですけど……」


 さも夜には予定が入っているかのような口ぶりだが、実際には「何かネタが見つかったら配信しよ~」と思っているだけなので夜もフリーである。


 「それなら1つ、お願いがあるの」

 「なっ、何でしょう……?」


 カミノールからのお願い。その内容に予想がつかず、メルは戦々恐々と身構えた。


 「……もう1度、私と模擬戦をしてほしいの」

 「模擬戦、ですか?」

 「……私はこの間の模擬戦で、メルさんに何もできずに負けてしまった。ズーロさんにも勝ったメルさんの強さは分かっているし、何もできなかったのは私が弱かったせい。それはきちんとわかっているの」


 カミノールは悔し気に自分の両手を見下ろす。


 「けれど剣すら抜くことができずに負けてしまったのが、どうしても悔やみきれないの。私が負けたのは不意を突かれたせい、本来の実力を発揮できていれば負けることは無かった、そんなみっともない考えが頭にこびりついて離れないの」


 自らを恥じるように両手で顔を覆うカミノール。その姿は今にも泣き出してしまいそうに見えた。


 「カミノールさん……」

 「メルさんが私と仲良くしようとしてくれているのも分かってる。けれどメルさんの顔を見ると、私は模擬戦のことを思い出してしまうの。そして私はみっともない女だから、その度に『本当なら私が勝ってた』なんて考えてしまう。そんな自分が嫌で嫌で……だから」


 カミノールは顔を覆っていた両手を外すと、その水色の瞳でメルの顔を真っ直ぐに見つめる。


 「メルさん、もう1度私と戦ってもらえないかしら。私が嫌な私と決別するために」

 「……分かりました」

 「勝手なことを言っているのは分かっているわ。けど私にはもうこれしか無いの」

 「あのっ、分かりました」

 「勿論タダでとは言わないわ。私の都合でメルさんの時間をいただくんだもの、きちんとお礼はするわ」

 「分かりましたって」

 「お礼は何がいいかしら、模擬戦にかかった時間を持久に換算してお支払いする?いえ、直接お金を支払うのは品が無いわ」

 「もしも~し?分かりましたよ~?」

 「やっぱりお礼はモノの方がいいわよね。食べ物が1番かしら。でもメルさんの好きな食べ物は……」

 「カミノールさん!?私分かりましたって4回言いましたよ!?」

 「あっごめんなさい、私ったら……」


 どうやらカミノールはメルが思っていた以上に、天然なところがあるようだった。


 「ありがとう、メルさん。私の我儘に付き合ってくれて……」

 「いえいえ。私、カミノールさんと仲良くなりたいですから。模擬戦くらいお安い御用です。ところで闘技場って使えるんですか?」

 「闘技場は狩猟者なら誰でも使えるわ。他に使ってる人がいなければだけど……ちょっと聞いてくるわ」


 カミノールがそう言って受付窓口へと向かう。


 「よかったな、カミノールと仲良くなれそうで」


 カミノールがいなくなったタイミングで、ズーロがこっそりとメルに囁いた。


 「よかったです。ありがとうございます、ズーロさん」

 「俺は礼を言われるようなことは何もしてないさ」

 「……そう言えばそうですね」

 「……納得するのはやめてもらえないか?いや確かにその通りだが……」


 気まずい空気が流れたところで、受付に行っていたカミノールが戻ってくる。


 「今なら闘技場を使えるそうよ……どうしたの?」


 微妙な表情をしているメルとズーロを見比べ、カミノールが不思議そうに首を傾げる。


 「なんでも無いです。行きましょうカミノールさん。ズーロさんも来ます?」

 「……そうだな、行こう」

 「?……何も無いならいいけど」


 3人は受付の脇にある廊下を抜け、闘技場へと移動する。

 闘技場は屋内なので、雨天でも利用に支障は無い。


 「私は模擬専用の武器を取ってくるわ」


 カミノールの言う「模擬専用の武器」というのは、刃を潰して殺傷能力を落とした刀剣類のことだ。

 受付に言えば貸してもらえる他、闘技場の端に纏めて置いてあるのを勝手に使うこともできる。


 「メルさんの分も取ってきましょうか?」

 「私は大丈夫です。素手でやります」

 「そう?分かったわ」


 カミノールはシンプルな長剣を取ってきた。


 「ズーロさん、審判をお願いしてもいいかしら?」

 「ん?構わないが、審判が必要か?」

 「ええ。きちんと試合の形式をとって、きちんと審判を下してもらわないと、きっと私はまたたらればを考えてしまうわ。私は弱い人間だから」

 「……そうか。それなら僭越ながらこの俺が、審判を務めさせていただこう」


 メルとカミノールは舞台に上がり、ズーロは舞台の外から2人を見守る。


 「おっ、模擬戦やんの?」

 「カミノールちゃん対メルちゃんか」

 「カミノールちゃん、こないだのリベンジか?」

 「今日も可愛いなぁカミノールちゃんは」

 「は?メルちゃんも可愛いだろ」


 どこから話を聞きつけたのか、狩猟局にたむろしていた暇な狩猟者達が観戦に集まってくる。


 「メルさん、準備はいい?」

 「私はいつでも大丈夫です」

 「それじゃあズーロさん、お願い」


 ルミノールの要請にズーロは頷き、右腕を高く挙げる。


 「それでは……始め!」


 そしてズーロの合図と共に、戦いの幕は切って落とされた。


読んでいただいてありがとうございます

次回は明後日更新する予定です

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