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9. みんなで仲良く大切に愛でよう

「離れてくださらない?」


たくましく育った昔馴染みを押しやると、僕はささっと中央のソファに腰を下ろした。


五、六人がゆったりと過ごせそうな一室には、一階のカフェよりもやや高級な調度品で統一され、奥の小さなバーカウンターには酒類まで並んでいる。なるほど、こちらは大人の社交場としても使える仕様らしい。


「おかしいな?書状はまだ届いてない?」

「婚約の件を仰ってるのでしたら、お断りの返事を出している頃ですわ」


「……さて、それはどうかな?オースティン家からの申し出は、リッチモンド家にとって利益しか生まない。リッチモンド公爵閣下が簡単に差し戻すようなことはしないと思うけど」


にこにこと、小首を傾げる仕草に余裕がうかがえる。


「エディはどう思う?」


昔のレナードを知っている者がいたら、彼の転生を疑うレベルの穏やかな笑みを浮かべながら、転生野郎が僕に並んで腰を下ろした。


事実、リッチモンド公爵が率先して断りの便りを送ることはないだろう。本命だった大公家からは音沙汰がなく、他の上級貴族たちは大公に遠慮して雲隠れしている。そんな状況下において、群を抜いて良質な花婿候補が現れたのだ。


「向かいに座ってくださらない?」

「君を抱きしめることを我慢してるんだ。近くで見つめることぐらい許して欲しいな」


「それ以上近づいたら、ぶっ飛ばしますわよ、リオ」

「君は本当に変わらないね、エディ。公爵令嬢になっても口が悪い」


キャスリンの中にエドワードを見出したのか、うっとりした表情で呟くと、レナードは準備していたティーポットに自らお湯を注いだ。


ちなみに、エドワードが口が悪かったなんて事実無根である。


「伯爵自ら淹れていただけるなんて」

「よく言うよ。私がお茶を注ぐのは、エディにとって日常だったじゃないか」


従騎士だったレナードが、先輩騎士であるエドワードの世話役をしていた時代の話だ。軽口を続けているうちに、少し緊張が解けてきた。レナードといると、ついつい昔のように気さくな言葉が出てしまう。


しかし、今日はそんな思い出話をしに来たのではない。


「それで?エディが殺されたと言うのは?」


単刀直入な僕の問いかけに気分を害したのか、レナードは少し眉をひそめて「無粋だなぁ」と、ティーカップを僕の目下に置いた。


「エディが亡くなっていたのは市街地のはずれ、安酒場が並ぶお世辞にも治安が良いとは言えない路地だった。通常の君であれば、決して足を踏み入れることがない地域だよ。――エディは全身を強く打ちつけた状態で見つかった」

「…………」


「パメラ夫人を含め、誰しもがなぜ君があの場所にいたのか、何をしていたのかさえ見当がつかなった。誘拐されて連れて行かれたのか、何かしらの理由で呼び出されたのか、そしてなぜ馬車に轢かれたのか」

「馬車、に……」


「何か覚えているかい?」

「……残念ながら、まったくですわ。たった今、エディの死因を知ったぐらいですもの。でも、それだけで殺人を疑うには無理がないかしら?」


はっきりした口調とは裏腹に、軽くめまいを覚えた僕は、慌てて手身近なカップに口をつけた。少し甘い香りがする液体が口いっぱいに広がった気がしたが、正直味がしない。


「気持ちのいい話じゃなかったね、ごめん。顔色が良くない。ね、やましい気持ちじゃないから抱きしめさせて」


返事がないことを肯定と受け取ったのか、レナードは出迎えた時とは対照的に、壊れものを扱うようにゆっくりと僕を包み込んだ。


「覚えていないのなら、その方が幸せかもしれないね。余計なことだった」


耳元で響く聞き慣れた声と懐かしい匂いに、ふっと全身から力が抜ける。思っていたよりも体が強張っていたらしい。


エドワードの最期は完全に僕の記憶から抜けている。


もちろん彼の二十年間すべての出来事を覚えているわけではなく、エドワード自身が忘れていることはキャスリンになった今でも覚えていない。

ただ、死ぬ直前の記憶だけは、ナイフで切り落とされたように、まったく何も残っていない。酒場のことも、馬車のことも全てが初耳で、まるで他人事のようだ。


「恨みを買うような心当たりもありませんわ」

「そうだね、君は黒騎士団のアイドルだった。愛されることはあっても、恨む奴などいなかっただろう」


「……エディの話ですわよね?」

「もちろん」


「貴方の記憶はどうなっているのかしら。パム以外に好意を示されたことなどありませんわ」

「これだよ。当時の団員たちも浮かばれない」


レナードは諦めたように目を閉じ、過ぎ去りし日々を思い返した。


美少年だったエドワードの周りを悪い虫が飛び回っていたのは本当。訓練の相手から晩酌のお供まで、数え上げるとキリがないほど彼を取り合う団員たちに、呆れた当時の黒騎士団団長は不可侵条約を宣言した。


「エディは誰のものでもない。みんなで仲良く大切に愛でよう」


かくして協定は結ばれた。

ある田舎の男爵令嬢、パメラ・メイナードが現れるまでは。



* * * * *



「パムに会うしかないですわね」


ポツリと呟いた僕の言葉に、レナードが身体を強張らせて上から覗き込んだ。まだ彼の腕の中にいるため、思ったよりも顔が近い。反射的に彼を押し退ける。


「もう離れて」

「パメラ夫人に会うだって?」


プルプルしながら突っ張る華奢な腕を掴まれ、レナードが声を荒げた。彼は昔からパメラを好ましく思っていなかった。夫としては妻に懸想されるよりはマシではあるが、正直面白くはない。


「エドワードが亡くなる前から何か変わった様子がなかったか、いろいろと聞けることはあると思いますわ。彼の一番身近にいた人だもの、何か違和感があったはずよ」

「君の葬儀の時、私は一度会ったよ。いや、見かけた……が正しいかな」


「彼女は憔悴していて、話ができる状態じゃなかった。正直、意外だったよ」


不謹慎だが、自分が亡くなった後のパートナーの様子を知れることに少し感動してしまった。しかも自分の死を悼んでいたと聞けば、当時の彼女を抱きしめたいほど心が痛むと同時に、どうしても嬉しさがこみ上げてしまう。


しかし、レナードの含みのある言葉が僕の眉を吊り上げた。


「意外ですって?」

「彼女がそこまで君を愛していたことがさ」


「まだそんなこと。エドワードとパメラは大恋愛の末に結ばれましたのよ」

「そう思っていたのはエディだけさ。優しい君はまんまと彼女の策略にハマって結婚までしてしまった。当時の僕たちの絶望を教えてやりたいよ」


「僕たち?」

「そうだよ、お姫様。君は知らないことが多すぎる」


そう言って人差し指で額をつつかれムッとしたが、何となくこの話題は深掘りしない方が良さそうだと、人生の経験が鳴らす警鐘に従うことにした。


「とにかく、パムに会いたいですわ」

「うーん、参ったな。あれから彼女を社交界で見かけたことがないし。これは君の母上、ローズベリー先代伯爵夫人に、再婚先を聞くしかないよ」


――瞬間、眉間に深いしわを刻んだ不機嫌な顔が脳裏に浮かび、じくりと胸が痛んだ。


「ワタクシ……」

「分かってる。会いたくないんだろ?いいよ、近日中に私が領地の視察ついでに訪ねよう」


レナードが治めるオースティン領とローズベリー領は隣同士だ。

王都から馬車を数日走らせた北東の大地に両家の領地が広がっている。隣接する間柄だからこそ過去に仲違いした祖先の恨みが、代々オースティン家に受け継がれてきたのだろう。なぜか、ローズベリー家には何も伝わっていないのだが。


「まだ社交界シーズンが始まったばかりですわ。そんなに急がなくても」

「構わないさ。社交界での使命は、ついに果たされたことだし」


「使命?」

「花嫁探しだよ」


キャスリンを腕の中から開放すると、レナードは従騎士だった少年時代を彷彿とさせる表情でウインクをした。適齢期を逃した28歳の独身男とは聞こえが悪いが、彼の容姿を見れば女性に困っていないことは一目瞭然だ。


「エディを失ってから誰かの側にいることができなくて、すっかり男色家のレッテルを張られてしまったけれど、神様はいたんだね」

「ワタクシの記憶違いかしら、リオはそこまでエディを慕ってなかったですわよね?」


「確かにね」とレナードはあっさり同意すると、目の前で波打つ朱金の髪にそっと手を伸ばした。


「あの頃は気付いていなかったんだ。君が私の隣にいないことが、許せないほど辛いってことを」


ふわふわと長い指先で弄んでいた一房の髪に、そっと口づける。そして僕の顔を見て微笑んだレナードの目は、まったく笑っていなかった。


「今度は誰にも譲るつもりはないからね」

【今話のクマ子ポイント】

祖先が仲違いをした理由は不明ですが、ローズベリー家がオースティン家をライバル視していないことが、一番怒りを買っています。ʕ๑•ɷ•ฅʔ

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