8. 絶対にバレたくない
コルセットがいらない町娘のような衣装に袖を通し、髪を左右に分けて結わえられながら、僕は気難しい顔のまま紅茶を一口含んだ。
「動かないでください、お嬢様」
同じく眉間にしわを寄せたメイドのドロシーが、緩やかなカーブを描く金朱の髪を手際よくまとめていく。
アーガイル大公家の夜会から数日が経ち、夜会から戻ってもうるさかったクリフォードも王宮に戻り、再びリッチモンド家に穏やかな日常が訪れた――かと思われた。
「お、お嬢様――!オー、オー、オースティン伯爵家から婚約の申し込みが届きましたぁ」
またしても落ち着きのない執事長によって、リッチモンド家の静寂は破られる。
騒ぎを聞きつけた僕は、早速レナードがやらかしたことを悟ると、ギリギリと奥歯を嚙みしめながら白魚のような手で机を叩いた。アイツは!本当に!昔から!僕の言うことを全然聞かないっ!あと手が痛い!
「それは誠か、ギルロイ?こちらへ、その書状を私に見せ……これはまぎれもなくオースティン伯爵家の紋章。――え?なぜに?オースティン家?この前のお茶会にも招待はしていなかったはずだが」
さすがのリッチモンド公爵も、書状を見るや首をひねる。
「うーむ。オースティン家は今や飛ぶ鳥を落とす勢いだし、家柄としても申し分ないが、伯爵には男色の噂がなかったか?」
「所詮噂に過ぎなかったのでございましょう、旦那様。あの方は色男ですし、事業が成功すればするほど、足を引っ張る輩が現れるものです」
「確かにな。うーむ、しかし、うーむ、大公家からは何も届いてはいないのか?」
「今のところは……」
我がヴァンダル王国を含めた周辺諸国では、貴族階級制度はほぼ共通で、上から公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続いていく。一見、公爵と伯爵には大きな格差があるようにも見えるが、どちらも上級貴族に属するため一概には判断できない。
たとえ公爵家であっても事業に失敗して領地を手放す者もいれば、オースティン家のように潤沢な資産を元に貴族社会に大きな影響力を持つ伯爵もいる。つまり、爵位だけでなく家門の歴史や業績も含めて力関係が決まるのだ。
その中でもやはり大公家は別格だ。王族にも連なる名家なので、リッチモンド公爵も諦めきれないのだろう。
「アーガイル大公からは何も届きませんわよ、お父様」
「やあ我が娘。なぜか平民のような装いだが、その愛らしさは健在だね。……何か心当たりでも?」
「もともと大公は私との婚約をお考えではなかったということですわ。お茶会への出席も、お父様が昔のよしみで先代大公夫人に働きかけたそうではないですか」
「ぐぅ……なぜそれを」
今まで目立って異性と交流をしなかった大公が、なぜリッチモンド家の招待に、しかもあからさまな公爵令嬢の花婿探しに参加したのか不審に思って調べたのだ。口の軽そうな使用人にあたったところ、リッチモンド公爵から先代大公夫人宛に親書が送られていたことが分かった。
若かりし頃、リッチモンド公爵とアーガイル大公夫人は愛し合っていた――わけではなく、同じ音楽教師に師事していたことから、演奏会などで交流を深めていたらしい。
あの時、母君への挨拶を促した大公の真意がようやく見えた気がする。
「大公は断れないお茶会に出席したうえ、律儀にお誘いを返されただけですわ」
「しかし、男は気のない女性を夜会に誘ったりはしないものだが……」
さすがにファーストキスを奪われた詫びだったとは言えず、僕はわざと公爵の呟きを無視して大公の話を終らせた。
「あと、オースティン伯爵からのお申し出もお断りください」
「大公に脈がない今、オースティン家はかなりの良縁だが」
「お父様、ワタクシもリッチモンド家に生まれたからには、家門にとって有益な方と婚約でも結婚でもいたしますわ。でも、オースティン家は候補者にも入っていなかったではないですか。あんなおじさん、絶対にイ・ヤ・で・す・わ!」
そう啖呵を切ってから数刻後、僕はそのオースティン伯爵の誘いで市街地へ出向いている。知り合いに見られても困らないよう、町娘のような変装までして。
――エドワードが殺された。
衝撃の一撃がレナードの口からこぼれ落ちた後、キャスリンの名を連呼するクリフォードの叫び声で我に返り、僕たちはそれ以上会話をすることができなかった。
結果、誠に不本意ではあったが、約束を取り付けたのだ。レナードが提案したデートとやらの。
密会には王都でも有名な「E.Rカフェ」を指定された。オースティン家が出資する店の一つで、貴族の利用も多いらしい。我が家まで迎えに行くと言い張るレナードに対し、「来たら二度と会わない」と脅して実現した待ち合わせ場所である。
よりによってその当日、迎えの代わりとばかりに婚約の申し込みを送ってきたのだ、アイツは。
「護衛は誰を?」
「モンフォール卿を連れて行くわ。もちろん貴女もよ、ドリー」
うちの騎士団の中では比較的無口な者の名をあげ、僕は一つの計画を立てていた。
* * * * *
貴族御用達のE.Rカフェは、想像以上に繁盛していた。落ち着いた淡いブルーを基調とした建物に、レース模様をあしらったテキスタイルは、若い女性だけでなくご婦人方にも好まれそうだ。
リッチモンドの家門が入っていない馬車をわざと離れたところに止め、店の入り口に差し掛かったところで、僕は一枚の紙きれを取り出した。
「ドリー、悪いけどモンフォール卿と一緒にここにある品物を調達してきて」
「困ります、お嬢様」
ドロシーの代わりに声を上げたのは、名を呼ばれた僕の護衛だ。
「買い物が終わったら、ここで落ち合いましょ。二人が戻るまで、私はこの店から一歩も出ないと誓うわ。それならいいでしょう?」
王都で知らない者はいないと言われる有名店の中だ。普通に考えれば危険にさらされることなどないだろう。たっぷりと無言で僕を見つめた後、モンフォール卿はしぶしぶ首を縦に振った。
よし、作戦成功だ。
二人は僕がここに来た目的を知らない。いくら口が堅いと言っても、主人であるリッチモンド公爵相手にはそうもいかないだろう。万が一にでも、僕がレナード・オースティン伯爵と会っていたことが知れると、瞬く間に縁談が結ばれてしまう危険性がある。
絶対にバレたくない。
だから、特定の店でしか手に入らない品をいくつか羅列したリストを用意したのだ。すべてを揃えて二人が戻る頃には、僕たちの密会も終っているだろう。
モンフォール卿にエスコートされた入り口で、給仕長らしき初老の男にうやうやしく出迎えられた。小さく名を告げると「お待ちしておりました」と、カウンターの奥へと促される。賑やかなホールとは逆方向になるので首をひねったが、すぐに現れた階段を見つけて合点がいった。なるほど、一階は社交の場として万人に解放し、二階はプライベート空間として使い分けているのだろう。人目を忍ぶ商談や密会には重宝されそうだ。
給仕長は二階の一番奥の扉の前で立ち止まると、僕の目を見て頷き、何も言わずに立ち去ろうとした。
「待って。先ほどの二人が戻ってきたら、一階で待たせておいてくださらない?お茶と一緒にお茶菓子も出してくださいな。決してここまでは通さないで欲しいの」
「かしこまりました」
さて、用心に用心を重ねたのだ。これで収穫がないわけはあるまい。
軽くノックをすると、名乗る間もなく内側から扉が開かれた。
「会いたかったよ!エディ」
満面の笑みで抱きつくレナード・オースティン伯爵の姿に、僕はもう一度心の中で呟いた。
――収穫がないわけはあるまい。
【今話のクマ子ポイント】
「E.Rカフェ」はパトロンが付けた店名です。
大切な人のイニシャルらしいです。ʕ๑•ɷ•ฅʔ