45. 意外と執念深かったのかも
リッチモンド家の秘宝とも呼ばれるキャスリン公爵令嬢に、一抹の疑惑を抱いたのは偶然だった。
その日、どうしてもツァーリ共和国の間者と直接会う必要があり、わざと真っ昼間の市街地の路地裏で落ち合った。ちょうど人通りが途切れた瞬間を狙い、聞かれるにはいささか危険な内容を口にしたところで、こちらを直視する女と目が合う。
会話を聞かれた?
そのまま無表情に走り去る女を始末すべきか後を追うと、オースティン家が出資するカフェへ入って行くのが見えた。ただの偶然だと片付けるには、レナード・オースティンの名がそれを阻む。彼は最後までエドワード・ローズベリー伯爵の死に疑惑を抱いていたからだ。
どんな些細な憂いも残してはおけない。
その信念でのし上がってきたラトランド宰相にとって、これを偶然として流すことはできなかった。正直、間者に任せて立ち去りたいところだったが、自ら薄汚れたフードを深くかぶり、賑やかな通りの影から見張りを続けることにした。
ほどなくしてあの女が店から出てきた。お忍び姿だが貴族と思われし令嬢と一緒だ。どうやら女は令嬢付きのメイドらしい。
ただの偶然だったか。
深い安堵の息を吐きだす。
その後、突如姿を見せたアーガイル大公のことも特に気にはならなかった。なんなら、若き大公の逢瀬を知り得たことで政治的に利用できないかとさえ思っていた。レナード・オースティン伯爵本人が現れるまでは。
「何度か尾行させるうちに、令嬢がリッチモンド家のキャスリン嬢だと分かったが、オースティン伯爵と密会を重ねていることが気になってね。大公と交際中の令嬢が、噂を恐れず会いに行くのだから単なる浮気であるはずがない」
「密会ではなく逢瀬と言っていただきたいな」
レナードが余計な口をはさんだが、無視をする。
話を聞く限り、ラトランド宰相が目撃したのはドロシーだろう。初めてE.Rカフェに行った際、目くらましに買い物を頼んだ時だろうか。
よりによってドロシー、か。
ほんの少しだけ、宰相を気の毒に思ってしまった。だって、絶対に彼女は何も聞いていないし、たとえ聞いていたとしても記憶などしてない。現にタルトタタンの報告しか知らないのだから、僕は。
「私は令嬢が何者なのか知りたかった」
狩猟大会での各家門の動きを調査した結果、僕たちが襲われた小道から近い位置でラトランド一門が狩りをしていたことが分かった。ただし、リッチモンド公爵令嬢が襲われたという醜聞を避けるため、この事実は公表しないことにしている。
「令嬢に危険が迫ればオースティン伯爵が尻尾を出すかと思ったのだが、巻き込まれたのはアーガイル大公で、ますます訳が分からなくなった。とにかく大公を敵に回すことは得策ではない、そうだろう?」
「それで俺を引き離したのか。エリザベート王女を使って」
怒りをにじませるユージーンを一瞥すると、すでに対抗する気力のないラトランド宰相は自嘲気味に天を仰いだ。
「ここまでエリザベート王女がないがしろにされるとはな」
まるで王女を気遣うような発言に、ユージーンは勝ち誇ったように隣にいる僕の腰を抱いた。途端に反対側のレナードが対抗して僕の肩を抱く。これで愉快な三人組のできあがりだ。二人とも余計なことをしないで欲しい。
「まあ私の勘は正しかったのだろう。こうして君たちに断罪されているのだから」
宝石がひしめく指で顔を覆うと、ラトランド宰相は大きく息を吐いた。
「信じるか否かはどうあれ、ジャック・ロビンソン卿とオースティン伯爵を襲ったのは私の指示ではない。長年解決できなかった事件が、今更明るみに出るとは思えなかったのでね。それよりもツァーリ―共和国との繋がりを暴かれる方がまずかった。ゴーデンホーフ家は血の気の多い一族だからな。君たちを排除しようとしたのは彼らだろう」
立ち上がって扉に向かった宰相は、ゆっくりと振り向いた。
「いやはや、まさに彼の言う通りになった」
「彼?」
「エドワード・ローズベリー伯爵だよ」
十四年前、エドワード・ローズベリー伯爵と会ったのは本当に悪い偶然だった。
ゴーデンホーフ家からの強い要望で、人身売買にまで手を染めることになったのは正直荷が重かった。しかし今更この縁を絶てるわけにもいかず、仕方なく開いたばかりの賭博場まで足を運んだところを呼び止められたのだ。
「ラトランド外交官?」
そう声をかけられた瞬間、私はパニックになっていた。彼が何かを言っていたような気がしたが、何も耳に入ってこない。どう誤魔化そうか、人形のように突っ立ってると、突然ローズベリー伯爵が崩れ落ちたのだ。
背後に隠れていたゴーデンホーフ家の間者が、鈍器で殴ったらしい。ローズベリー伯爵は意識を失っていたが、命に別状はなさそうだった。
しかし、まずいことになった。彼は伯爵であり、黒騎士団の騎士でもある。つまり社会的地位がある人物をこのままにしておくには、野心家の外交官にとって恐怖でしかない。
――殺しましょう。
そう言ったのは間者だったか、自分だったか。
頭の外傷を隠すためにも、彼には全身に怪我を負わせる必要があった。酔っぱらいを介抱するかのように装い、間者と両側から抱える。月明かりもない闇夜だ。このまま表通りまで歩かせて馬車の前に投げ出せば始末できると歩き出した――瞬間、片腕に鋭い痛みが走った。
ローズベリー伯爵が意識を取り戻したのだ。
慌てて間者が剣を抜くが、足取りもおぼつかないはずの伯爵の剣筋が早くて見えない。賭博場にいた用心棒たちを総動員させるのが遅ければ、間者はやられていただろう。取り押さえられたローズベリー伯爵の歪んだ美しい顔が忘れられなかった。
「ローズベリー伯爵に睡眠剤を投与した際、彼は死期を悟ったのだろう。たとえ死んでも蘇って、私を裁いてやると言われたよ。まあ、裁いたのは貴女たちだったがね」
「……それはどうでしょうか。意外と執念深かったのかもしれませんわね、エドワード・ローズベリー伯爵は」
これが僕の知らないエドワードの最期だった。
【今話のクマ子ポイント】
私はプロットや起承転結を考えずに書き始めるので、「このあとどうなるの?」「犯人いるの?いないの?ねぇ?」と自問自答しながら書いていました。
犯人いたよ。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




