44. 取引をしようじゃないか
王宮に与えられたユージーン・アーガイル大公の執務室にノックの音が響いた。
「失礼する。伝言を聞きましてね。内密にご相談されたいことがあるとか?」
政敵ではないが味方でもない。
そんなアーガイル家当主からの呼び出しに、怪訝な顔を隠せない男が書類を手に入室する。
「ご足労かけて申し訳ない。どうぞ、おかけください」
「ほう、ローザンヌ王国の革張りですか。さすが大公家はお目が高いですな」
各国と親交が深いだけに目利きができるのだろう。自身が腰掛けたソファの原産国を言い当て、心なしか自慢気だ。
「さて、俺は貴方に随分と高く買われているようですね」
「何のことですかな?」
「俺とエリザベート王女の婚約に、かなりご尽力いただいたようで」
その言葉に、男はなんだと拍子抜けしたように息をついた。
「貴方の思惑通りにならずに残念でしたね」
「何やら誤解があるようですが、私は単純に王女殿下の初恋を支援したまでですよ」
「ヴァンダル王陛下に進言までして?その場で書状まで作成されたとか」
「大公家にとっても良いご縁だったと思いますがね。私まで恨まれるほどとは。王女殿下がお気の毒でなりません」
ユージーンに呼ばれた意図が分かったのだろう。男は大げさに嘆きながら、テーブルの上へ視線を投げた。しかし、紅茶が用意される気配はない。
「確かに貴方の杜撰な計画の一部にされたことは、嘆かわしいと思いますよ。エリザベート王女も、俺も」
「仰っている意味が分かりませんな」
「では、話を変えましょう。ラトランド宰相」
それが合図のように、レナード・オースティン伯爵が続き部屋から現れた。そして僕、キャスリン・リッチモンド公爵令嬢も。
ようやく執務席から腰を上げたユージーンが、僕をかばうように移動する。すると反対側のレナードが、不快感を露わに同じように僕の前に立った。
結果、宰相の姿は長身の男たちの隙間からしか見えなくなった。
「この状況が理解できませんが、ご友人とのお遊びはほどほどに。私はお付き合い致しかねますので、これで失礼して……」
「エドワード・ローズベリー伯爵をご存じですね?」
予期せぬ名前に、宰相の顔色が変わる。
「……黒騎士団の剣姫と名高い騎士でしたかな」
剣姫?なんだそれ?
聞き間違いかとレナードの方へ顔を向けると、肯定的に頷かれたので、こちらも力強く頷き返してしまった。
「その剣姫を葬ったのが貴方でしょう」
やはり剣姫って言ってるな。
「侮辱罪にならぬようお言葉にはお気をつけください。仮にも私はこの国の宰相で、貴方は王位継承権をお持ちなのですから」
鋭い言葉とは裏腹に、いつもは赤ら顔の宰相の顔色が白い。
――今から十四年前、ラトランド宰相は外交官だった。
今のシェラード外交官に負けず劣らずやり手と名高く、出世のためには悪魔にも魂を売る男と陰口を叩かれるほどの人物だった。
「ジャック・ロビンソン卿にも裏は取っている。当時、彼が通っていたのは、ラトランド外交官だった貴方が主催していた闇賭博だ」
「あれあれ、大昔の汚点をつつかれると私も困りますな。あの頃は隠れた大人の社交場というものが必要だったのですよ」
「それだけではないだろう。ツァーリ共和国との縁を結ぶため、お前は禁忌を犯した。奴隷売買にまで手を染めたのでは?あの賭博場で」
「なにを馬鹿な!妄想で話を進めるのは止めたまえ」
「しかし、お前が闇賭博の出資者であることは間違いないだろう?」
「十四、五年前の話を糾弾するなら、どうぞご自由に。私は確かにパトロンだったが、経営者ではない。万が一、あの場所で奴隷売買が行われていたとしても、私のあずかり知らぬところだ」
ユージーンにつられたのか、ラトランド宰相の口調も荒くなる。余裕がなくなってきた証拠だろう。
「なるほど。だが、エドワード・ローズベリー伯爵が亡くなった夜、お前が賭博場にいたことは立証できるがな」
「……それだけで、私を殺人者に仕立て上げるつもりか?」
宰相の声は少し震えているようだった。
「もちろん、宰相閣下の罪状はそれだけではありませんよ」
今まで静かに控えていたレナードが、おもむろに声を上げた。口調は丁寧だが、声色に隠しきれない怒りが見える。
「奴隷売買の功績かは分かりかねますが、ツァーリ共和国との縁を結んだ閣下は最近、かの国の傭兵を雇ったようですね。依頼内容は口封じのため、私とジャック・ロビンソン卿の殺害ですか?」
「いい加減にしたまえ!」
怒りと恐怖が入り混じったような恫喝を浴びせると、ついに宰相は立ち上がった。
「話は最後まで聞くべきだ、ラトランド宰相閣下。シェラード外交官のご息女が嫁がれたツァーリ共和国の元首一族とは敵対関係のようですね。閣下と仲の良いゴーデンホーフ家は」
まさか他国の家名まで暴かれるとは思わなかったのだろう。言葉を失った宰相はよろめいたように再び腰を下ろした。
ジャックの証言と僕の幼少期の悪夢を手掛かりに、ラトランド宰相にターゲットを絞った僕たちは、彼とツァーリ共和国との関係を徹底して洗い出した。しかし、交流の少ない他国の情報は入手が難しく、捜査は暗礁に乗り上げるかと思われた。
そこでレナードが、シェラード外交官を仲間に引き入れることを提案したのだ。シェラードとしては邪魔なラトランドを排除できる絶好の好機と捉えたようで、ご息女のコネを駆使して全面的に協力したらしい。
「ゴーデンホーフ家は貴方を切ることにしたようですよ。殺害を依頼する書状が見つかりました。もちろんラトランド家の印が押され、傭兵団に直接届けられたことになっていますがね」
「……そんな……馬鹿……な」
「ローズベリー伯爵の殺害、私とロビンソン卿の殺害未遂。たとえ人身売買の証拠が出なくとも十分に閣下を断罪できそうですよ。本音を言えば、私の手で直接地獄へ送って差し上げたいところだが、ラトランド一族が滅びるさまを見物するのも悪くないですね」
「妻や息子は関係ないだろう!」
「エディにも家族や彼を慕う友人がいたんだ!宰相閣下ともあろう方なら、この国の法律は熟知されていらっしゃるでしょう?」
ぞくりとするほど地の底から響くような声で、レナードが歪んだ笑顔を見せた。こんな恐ろしい顔で微笑むレナードを見たことがない――いや、あるな。従騎士の時もこんな悪い顔をしていた。
「では、取引をしようじゃないか。宰相殿」
再びユージーンが口を開いた。
「もし宰相夫人、ご子息、ご令嬢がこれらの件に何一つ関わっていないのであれば、彼らの処罰を軽減しよう。条件はお前の供述だ。十四年前から今まで、犯罪に関わった人物や一族を洗いざらい話してもらおう」
宰相はしばらくユージーンを見つめた後、それがどれだけ寛大な処置か、またどれだけ難しい取引なのか理解したのだろう。
他国と秘密裏に繋がり、自国の貴族の殺害まで企てた一族の罪が軽減、つまり極刑を免れることはありえない。しかし、ユージーンならそれができるだけの力がある。彼はそう結論づけたのだ。
「――すべては大公の仰せのままに」
まるで憑き物が落ちたように、ラトランド宰相が項垂れた。
「あのぅ、なぜワタクシまで狙われたのでしょうか?」
今まで蚊帳の外で大人しくしていた可憐な少女が、大男二人をかき分けて躍り出る。
ついに僕の番である。
【今話のクマ子ポイント】
犯人を追い詰める舞台を崖上にするべきか、
1%だけ迷いました。火サス。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




