4. ようやく意見が一致したね
まるで異世界のようだった。
宮廷からそのまま連れて来たかのような音楽家たちの調べに、色とりどりのランタンで浮かび上がる幻想的な庭園。アーガイル大公家の名に相応しい洗練された空間と、グラスを片手に語り合う紳士淑女で彩られた世界は、僕が大人の仲間入りを果たしたような誇らしい気分にさせてくれた。
まあ、エドワードはすでに成人していたけれど。
「キティ、帰るかい?」
「いいえ、お兄様」
リッチモンド公爵の代わりにエスコートを買って出た兄に手を引かれ、我が家とは比べ物にならない広大な庭園を進んでいく。僕らの後ろにはリッチモンド公爵夫妻が仲良く連なり、家族総出で花婿候補者の屋敷に押しかけているようで何やら気恥ずかしい。
「やっぱり気分が悪そうだ。引き返そうか?」
「……往生際が悪いですわよ。お兄様」
今夜のために何十枚もの衣装デザインに目を通していた時も、アーガイル大公からオーダーメイドのドレスが届けられた時も、宝石商が家にやってきた時も、馬車に乗る時も降りる時も、病める時も健やかなる時も、ここに来るまでの間ず――――っと、八つ上の兄はこの夜会に出席することを反対していた。
「そもそも花婿候補を招いた茶会を開いただなんて、私は聞かされていないよ」
「お兄様が王宮に入り浸りで、屋敷に寄りつかないからですわ」
「年頃の男女が、いつまでも同じ屋敷に身を置くわけにもいかないだろう」
「驚きましたわ。お兄様も冗談を仰ることがありますのね」
幼少の頃より真面目が服を着て歩いていると言われるほど、リッチモンド家の次期当主は謹厳実直に成長を遂げた。しかし、後継ぎという周りの期待が彼の人格形成に影響を及ぼしているかと思うと、僕はいつも複雑な気持ちになる。
「私が冗談を言うわけがないだろう」
眉間にしわを寄せながら立ち止まると、正装した真面目が僕の正面に回って言った。
「よくお聞き。今から敵陣に乗り込むわけだが、気を付けなければならないことが一つある。決して黒髪の男と会話をしてはいけないよ。目を合わせることさえダメだ。呪いが発動してあらゆる不幸が訪れる、リッチモンド公爵に」
「お父様に?!」
「困るだろう?」
「今宵の主催に挨拶もしない、礼儀知らずの令嬢と思われる方が困りますわ」
「大丈夫だ。私がキティの分も挨拶をしておこう」
にこりともせずそう告げて、再び屋敷に向かって歩き出した兄を横目に、僕はもはや言葉をかけることなく歩調を合わせることにした。
最近は特に顔を見せることが少なくなった兄が、勤め先の王宮から悪魔の形相で帰宅したのはつい先日のこと。ドレスを新調するため、王都で評判のデザイナーと打ち合わせをしていたところを、先ぶれもなく現れてこう言ったのだ。
「久しぶりだな、我が妹よ。ところでアーガイル家の夜会は中止になったらしい。せっかくなので、その新しいドレスを着て私と芝居でも見に行こう」
ここまで息継ぎなし。
目は大きく見開かれ、いつも淑女たちを射殺す青空のような瞳が、よどんだ深海のごとく光を失っていた。めちゃくちゃ怖い。
感情を揺るがすことのない賢人として評される兄が、少し見ない間に誤った方向へと成長してしまったらしい。もともと幼少期より僕を可愛がってくれてはいたが、ここまで極端ではなかった。相手がユージーン・アーガイル大公だからだろうか?黒騎士団と揉めた話は聞いたことがないのだが。
「あの、クリフォード・リッチモンド卿?」
聞き覚えのない声に足を止めると、淡いピンクの衣装に身を包んだ女性が、ある侯爵家を名乗りカーテシーで呼び止めた。
「不躾に失礼いたしました。でも、王家主催のパーティーでしかお目にかかれないリッチモンド卿がいらっしゃったので、驚いてしまいまして」
「驚かせて申し訳ない。すぐに失礼するのでご心配なく」
「いえ!あの、覚えていらっしゃらないかもしれませんが、先の王宮での舞踏会でもお話をさせていただいたことがあって、あの、ずっと気になっておりました」
「何か気に障るようなことを申し上げましたか?申し訳ない、早急にお忘れください」
「いえ、違います!あの時は、その、正しい短剣の持ち方を教えていただいて……感銘を受けました。あれから私、護身用に必ず持ち歩くようにしておりますの」
侯爵家の令嬢に一体何の話をしているのだ。
兄が妙齢の令嬢から人気があることは知っていたが、成人してもなお、特定の人がいない理由が分かった気がした。
「それであの、よろしければこの後、ダンスに誘っていただけませんか?」
さすがは短剣の話題など気にもしないご令嬢だ。僕は心底感心しながら、うんうんと力強くクリフォードを見上げた。
「あいにく、もう失礼するところでして」
「まだ屋敷にも入っておりませんわっ!」
思わず荒げてしまった僕の言葉に、侯爵令嬢は眉尻を下げ「ううっ」と涙声を漏らして足早に去ってしまった。
失敗した。クリフォードが断る口実に出まかせを言ったと思われてしまったかもしれない。
「おや……彼女も帰るところだったんだね。ダンスに誘われたのは社交辞令だったか」
誤解が誤解を生むさまに、僕はなんだか得体の知れない疲れを感じていた。「ワタクシも屋敷に戻りたい気持ちになりましたわ」と、思わず口からこぼれた言葉に、隣のエスコート係が歓喜の声を上げる。
「ようやく意見が一致したね。さあ帰ろう、今すぐ帰ろう」
「……まさか、私に挨拶もなく立ち去ろうってわけではないですよね?クリフォード・リッチモンド蒼騎士団団長」
いつの間に現れたのだろう。
今宵の月のような瞳に険悪な色を乗せ、ここ数日リッチモンド家の話題の中心だった男が微笑んだ。
「アーガイル家へようこそ」
【今話のクマ子ポイント】
王都の屋敷はタウンハウスと呼ばれる別荘です。
アーガイル家も領地内に本宅がありますが、ユージーン君は王国騎士団に勤務しているため、社交シーズン関係なく王都で暮らしています。ʕ๑•ɷ•ฅʔ