38. もういいよ
「俺がギャンブルになんか手を出さなければ、お前はあんな場所で命を落とすことはなかったんだ……頼む。俺が代わりに地獄にでも行くから、エドワードを連れて行かないでくれ!」
僕から抜け落ちたあの日の出来事を聞かされて、僕もレナードもしばらく口をはさむことができなかった。――そうか。ジャックを止めるために、僕は貧民街などにいたのか。パメラにも内緒にして、穏便に片付けようとしたのか。
自分の行動を他人から聞かされるのは変な感じだが、エドワードの性格からして不審な点は何もなかった。つまり僕はジャックと別れた後、事故で馬車に轢かれたのだろう。
殺した殺されたなどの、物騒な話とは無関係だったことが僕をひどく安心させたが、一方で、僕の亡霊に囚われていたのがレナード一人ではなかったことにいたたまれない気持ちになった。
「ジャック、お前ギャンブルはやめたのか?」
「当たり前だろ。二度と楽しめるわけがない」
「じゃあ、もういいよ」
「……な、に?」
「お前が直接手を下したわけでもないのに、僕の天命だったんだろう」
「何言ってるんだ!お前の命があんなところで終っていいはずがない!」
それはそう。
僕が死ななければパメラに悲しい思いをさせることなく、今頃は子宝にも恵まれた幸せな未来が待っていたかもしれない。
聖人君子ではないので僕だって悔しい気持ちはあるが、十四年も前の話なのだ。忘れるには早すぎるが、蒸し返すには遅すぎる。
「ジャック、安心してください。私も貴方と同じ気持ちですよ」
いつの間にか、レナードがゆらりとジャックの目の前に立っていた。飄々とした翡翠のタレ目に、生気が宿っていないように見える。いつもは商団の長らしく武器など身に着けてはいないが、最近は自衛のために帯刀している。その柄に手がかかった。
「貴方がギャンブルなどに現を抜かすから?エディが私の前から消えただって?そんなくだらない理由を許せるわけがないでしょう」
「やめろ、リオっ!」
ガンッ――
レナードがジャックに向かって抜刀した瞬間、教会の扉口が勢いよく開け放たれた。星がきらめく夜空に浮かぶ月光が、幾重もの見知らぬ人影を教会の身廊に落とした。
さすがに元王国騎士団に所属していたと言うべきか、レナードは反射的にジャックを長椅子の足元に突き飛ばすと、自身も入り口の正面から身を翻した。
と同時に、キンッ――と馴染み深い金属音が辺りを震わせる。
思わず「うまい」と褒めたくなるような間合いで、正面からの攻撃を防いだレナードが、体勢を崩して転がった。そこへ侵入者が二手目を振り下ろす――直前に背後からジャックが切り付け、そのまま背中を蹴飛ばした。その間にも他の侵入者たちが、レナードとジャックに殺意を向けて襲いかかる。
剣と剣が交わる鈍い音が神聖な空間を汚しているようだ。
ざっと確認しただけでも動いている影は六人。統率が取れていないので傭兵か日雇いの用心棒だろうと推測できたが、人数的に分が悪い。
なんとしてもドロシーが隠れている中庭へ近づかせるわけにはいかないし、僕も出た方が多少は戦力になるだろう。懐に隠していた双剣を握りしめると、浅く吐き出していた息を大きく吸い込んだ。
「出るな!」
びりびりと肌に刺さる声が、すぐ隣から聞こえた。ドロシーがいた中庭への出入口だ。そして、祭壇から少し飛び出していた僕の頭が、何者かの大きな手のひらで押し戻される。慌てて視線を上げるが、すぐさま闇を纏った外套が視界を覆い、何も見えなくなった。何も見えなくなったが、代わりに馴染み深い香りが僕の鼻腔をくすぐった。
ああ、もう大丈夫だ。
驚きよりも先に安堵してしまった僕は、強張っていた肩の力を抜くと、大人しく元の位置に収まった。僕に外套を投げつけた犯人、ユージーン・アーガイルは、驚愕するロビンソン卿に的確に指示を飛ばし、瞬く間にこの場を制圧した。
再び静けさを取り戻した聖堂に、男たちの荒い息使いと呻き声が響く。久しぶりに剣を振るったからだろう、肩で息をしながらレナードがジャックを睨みつけた。
「こいつらは何だ?アーガイル副団長まで招いて、黒騎士団の訓練でもしているつもりか?」
「落ち着け、オースティン伯爵。ロビンソン卿は何も知らない。俺を招待したのは別にいる」
「ロビンソン卿、まずはこいつらを捕縛しろ」
「……は、い」
いきなり現れた上官にジャックも困惑しているらしい。それでも身に付けていた腰袋から縄を取り出すと、手際よく床に転がる侵入者たちの腕と足を縛り上げた。影たちは深手を負っているのか、痛みを訴えるだけで抵抗はしていない。
「分かっているとは思うが、黒騎士団は関係ない。狙われたのはロビンソン卿だけじゃない。オースティン伯爵、貴方もだ」
「…………」
そう。影たちがここを襲撃した際、一番初めに攻撃を受けたのはレナードだ。二人はほぼ同位置にいたので、もしジャックがターゲットであれば迷わず彼を狙っただろう。
「見たことない顔だな。ロビンソン卿、君はどうだ?」
「はっ、私も面識はありません……が、この刺青は見たことがあります。ツァーリ共和国を母体とする傭兵団です。ご覧の通り個人主義者の集まりで、徒党を組んだりはしませんが」
「念のために言うけど、私も初めましてだよ。ツァーリ共和国とは商売の取引もない」
少し落ち着いたのか、いつもの調子を取り戻したレナードが、剣を鞘に納めて転がっていた角灯を拾い上げた。
「ロビンソン卿、警備兵を連れてきてくれ。君とオースティン伯爵がばったりと出くわし、昔話に花を咲かせていたところ、物取りと思われる盗賊団に襲われ、教会へ逃げ込んだと伝えるんだ」
「……はい」
ゆっくりと立ち上がると、ジャックは名残惜しそうに天井を見回していたが、彼が望むものは二度と現れることはなかった。深くため息を吐き、渋々ながら教会を後にする。
「キティ」
「…………はい」
観念した僕が、のっそりと祭壇の下から姿を現した――と同時に、大股で近づいたユージーンが、僕のか弱い両肩を力強く掴んだ。
「怪我はないな?」
「ありませんわ」
「オースティン伯爵、彼女はここにいるべきではない。分かるな?」
「さすがに同意せざるを得ませんね」
レナードが苦々しく呟くと、ユージーンがおもむろに外套に包まれたままの僕を抱え上げた。さながら大荷物を肩に担ぐような体勢で。
「我慢してくれ、キティ。このまま俺の馬車まで運ぶ。いい子だから動くんじゃないぞ」
「ひゃあ!待って、ドロシーは?」
「彼女は中庭から脱出させた。護衛騎士のモンフォール卿と合流した後、リッチモンド家の手前で落ち合う予定だ。――俺にこの場所を教えてくれたのもドロシー嬢だ」
は?ドロシーって、あのドロシー?
主人にまったく興味がない僕のメイドの?
誰にも見せられない、淑女からほど遠い格好で運ばれながら、僕は今世紀最大に首を捻っていた。
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