37. ただの同僚なんだから
「最近ご無沙汰ですね、旦那」
聞き覚えのある不快な声音に顔を上げると、名を覚えてはいないが顔見知りの男が黄色い歯をむき出しにこちらを見ていた。どうやら笑っているらしい。もう二度と関わらないと決めた人種。普段なら一瞥して通り過ぎるところだが、今夜は違った。
「面白い話でもあるのか?」
「面白いではなく、儲け話ですよ。新しいパトロンが現れましてね」
ヒヒヒと下卑た声を漏らし、男が手のひらに収まるぐらいの小さな紙切れを手渡してきた。無意識に、何の躊躇もなくそれを受け取ってしまった自分に驚いたが、捨てるつもりはなかった。
「かつてのお仲間も集まっていますぜ。ロッシの旦那なんて、高級娼館に行けるほどの大勝ちをしましてね。いかがです?ジャックの旦那も引退なんてまだ早いでしょう」
男はそう言い捨てると、再度紙切れに視線を投げ、意味あり気な会釈をして人ごみに紛れて消えた。手の中の小汚い紙片を広げると、簡素な地図と店名らしき言葉が書かれていた。懐かしい手口にふと笑ってしまう。これは店の名前ではなく、逆さに読めば合言葉になるのだ。
今日は訓練があったので王国黒騎士団の制服を着用している。間違ってもこのまま行ける場所ではない。
「またレナードの奴にハメられるのは勘弁だしな」
まだ子どもと言うべき従騎士の少年が脳裏に浮かび、ギリリと奥歯を噛み締める。同じ黒騎士団の同期であるエドワード・ローズベリーの周りをちょろちょろとする目障りな少年に、賭場に出入りしていることを上層部に密告されたのは一年前のこと。
結果、謹慎処分を受けた上に、エドワードにまで怒られて散々な目に合った。
夜会などでは紳士の嗜みとして公然とカードゲームなどに興じているくせに、ギャンブルの何が悪いのか正直分からない。夜会はよくて、賭場がダメな理由を教えて欲しいものだ。そう憤ってみても、騎士道に反すると言われてしまうと成す術がなかった。
「お前はすぐに顔に出るからさ、向いてないと思うよ」
同じ黒騎士団の同期であるエドワードにそう言われたのは、謹慎が解けてしばらくたった頃。賭場の話を団員にされる度に噛みついていたが、彼の言葉はすとんと落ちた。だからやめたのだ、ギャンブルは。
エドワード・ローズベリー。
同じ黒騎士団の同期であり、すでに家督を継いだ若き伯爵。彼は入団当時から注目の的だった。とにかく容姿に優れていて、顔だけでなく身体のバランスもすべてが完璧だった。同じく同期のコナーが「ヤバい奴がいる」と騒いでいた理由はこれだったのかと、すぐに納得がいった。
確かに周りがざわつくほどの美貌ではあったが、所詮は同じ男である。初めは世の中にはキレイな男もいるもんだな、程度にしか思っていなかった。
エドワードは剣筋も美しかった。
体格的に華奢だった彼は、指南役から細身の剣を勧められ、力ではなく技とスピードを磨くように助言されていた。俺とは正反対だ。重厚感のある剣を振り上げる俺を横目に「いいなぁ、ジャックの剣の方がカッコイイ」と言われて、少し得意になったことを覚えている。
その辺の令嬢が羨む美貌の持ち主ではあったが、エドワードは気さくで素直な性格だった。わざと男らしい口調を好むくせに、所作に品があり、良いところの坊ちゃんであることを伺わせた。実際、由緒正しい伯爵家の嫡男だったのだが。
「ジャック!僕と手合わせしようぜ」
鈴を転がすような心地良い声で呼ばれる度に、気分が高揚する自分に気付いたのは意外と早かった。彼に名を呼ばれることも、肩に手をかけられることも、俺を見つめるアンバーの瞳もすべてが好ましく思えた。
そんなエドワードが結婚したのはつい先日のこと、彼と出会ってから七年の月日が経っていた。
自分の彼に対する感情が友情なのか恋情なのか分からないまま、彼を見知らぬ女に奪われたと思った。あんな下心が見え透いた男爵令嬢に手玉に取られたエドワードにも腹が立ったし、自分のものにならないのであれば自分の手で息絶えるエドワードを想像したこともあった。奪われたと思っている時点で、それは友情ではないことなど分かっていたのだが、とにかく許しがたかった。
それで遅くまで酒場に入り浸っていたところを、あの男に呼び止められたのだ。
エドワードを失った憂さ晴らしが出来るなら、酒でもギャンブルでもどっちでも良かった。新しい賭場は治安の悪い地区に位置するものの、なかなか趣向を凝らしたものだった。数種類のギャンブル以外にも、盗品など表には出せない競売や異国の民による娼館まがいのサービスも提供されていた。
エドワード以外の人間には特に興味がなかったので、俺はもっぱらギャンブルだけに没頭した。自分で言うのも何だが、ここに通う客の中では健全に遊んでいた方だと思う。だからだろうか、慎重に行動していた気持ちに緩みが生じた頃、俺はエドワードに見つかった。
その日は負けが続いていたので、早々と賭場を後にしたところだった。
「ジャック、ここで何をしているんだ?」
突然名を呼ぶ声に、しかも俺が良く知る声音に、心底驚いて振り返った。こんな貧民街にいてはいけない青年が、真面目な顔をして俺を睨んでいる。
「驚かせるなよ、エディ」
「驚いているのはこっちだよ。どこに行ってたんだ?」
「……見逃してくれよ。たまたま偶然知って、立ち寄っただけなんだ」
「嘘つけ。最近頻繁に通っていたことは知っているんだ。僕に後を付けられていることにも気付かずに、何やってんだよ」
エドワードの台詞に言葉が詰まる。確かに彼に付けられていたことさえ知らなかった。
「お前こそ、新婚が何やってるんだ。俺じゃなくて新妻をかまってやれ」
「僕だってそうしたいよ。でも仕方がないだろう、お前を見つけてしまったんだから」
まるで俺のことが放って置けなかったかのような物言いに、歓喜してしまう自分が惨めだった。
――都合よく解釈するな、所詮こいつは他の女のモノになってしまったんだから。
「放って置いてくれないか。俺が何をしようがエディには関係ないだろう」
「お前、本気で言ってるのか?僕以外の奴に見つかったらどうするつもりだったんだ?今度は謹慎だけでは済まないかもしれないんだぞ」
「だから、お前には関係ないだろう。俺はお前のただの同僚なんだから!」
「ただの同僚を心配しちゃダメなのか?なんだその言いぐさは。ただの同僚以上だったら心配していいのかよ」
オーバルの双眸が鋭くなった気がした。彼が本気で怒っている時の顔を知っていたが、「そうだ」と答えた。いっそのこと嫌われたいとさえ思った。
「じゃ、いいよな。僕はただの同僚じゃないんだから」
そう言ってにっこり笑ったエドワードを見た瞬間、俺はすべてを諦めた。
どうあっても彼を嫌いにはなれないし、嫌われたくなかった。どれだけ邪な目で見られているかも知らずに、無邪気に俺の特別であることを信じて疑わない男。なんて傲慢で美しい生き物なんだろうと思った。
「……分かった、俺の負けだ。もう二度と行かないと誓う」
「うん。お前はすぐに顔に出るからさ、向いてないと思うよ」
既視感のある台詞に思わす俺も笑っていた。
「……帰るか、送ろう」
「おい、ジャックまで僕をお嬢様扱いするんじゃないだろうな?」
「いや、ここらは特に治安も良くないから……」
「僕は騎士だぞ?それに家も逆方向じゃないか、お前こそさっさと帰れ」
華奢な美青年がいていい場所じゃないのだが、騎士としてのエドワードの腕前を知っていただけに、俺は素直に彼の言葉に従うことにした。あまりしつこくナイト気取りをすると、彼の怒りを買うことになる。
「今度、飲みに行こう。奢らせてくれ」
「ああ、奢らせてやる」
やはりエドワードは美しい。
これが最後の会話になることを知らなかった俺は、彼の笑顔に満たされた気持ちになっていた。同時に込み上げる苦い思いには蓋をして、穏やかな気分で帰路に就いたのだ。
翌朝、世界が終わりを告げるまで、俺は確かに幸せだった。
お読みいただきありがとうございました。
続きが気になるよって方は、ぜひ「ブクマ」をお願いします。
あと、評価も☆☆☆☆☆(* ˊᵕˋㅅ)




