36 嘘だ、嘘だ、嘘だ!
ユージーンとレナードががリッチモンド公爵家を訪れてから三日後、日が沈む直前の黄昏時に、僕は息抜きと称してE.Rカフェを訪れていた。
本日も護衛係であるモンフォール卿を一階で待たせ、僕とドロシーだけが二階へと進んで行く。もはや顔なじみである給仕長に促されるまま案内された先はいつもの部屋――ではなく、裏手の路地へと続く梯子がかけられた窓だった。
「お嬢様、本気ですか?」
さすがのドロシーもこの状況を飲み込めないようだったが、僕はいつもより面積と厚みの少ないスカートをまくると、窓枠を軽く乗り越え外壁へと躍り出た。そしてそのまま壁沿いに一階までするすると梯子を下る。
モンフォール卿と待つよう告げたにもかかわらず、今日に限って僕から離れないドロシーが、危なげな足取りで後に続いて着地した。
家族の監視もあるため、今日までレナードとは一切連絡は取っていない。――取っていないが三日前の別れ際、騎士団時代に使用していたハンドサインで伝えるべきことは伝えている。
三日後
17の刻
我ながらなかなかの機転だったと思う。
何も知らない者が見れば、僕が不安そうにドレスを触っていたようにしか見えなかっただろう。そして昔から、レナードが僕のサインを見落としたことはないのだ。
僕たちが降り立った裏通りは、E.Rカフェが面するメイン通りとは対照的に重々しい雰囲気が漂っていた。太陽が沈んだ直後にもかかわらず、辺りが暗闇に染まるのが一層早く感じられる。
亡霊が出るにはうってつけじゃないか。
「エディ、ここだよ」
取り壊されると聞いた教会の前で当然のごとくレナードと落ち合うと、人目につかないよう足早に中に入った。まずは神聖な場を使わせてもらうために礼拝堂へ向かったが、聖像はすでに移転済みだったので、中央祭壇に跪いて三人で祈りを捧げた。
軽い打ち合わせの後、ドロシーは中庭へと続く扉口の外に、僕は左側に位置する小祭壇の中に身を潜めることになった。外は薄い夕闇へと姿を変えていて、教会の中は祭壇を飾る蝋燭と、レナードが持つ明かりだけが頼りだ。
「アーガイル大公と本当に一緒に寝たの?何回?」「貞操観念って知ってる?」打ち合わせの間、レナードの小言がかなり鬱陶しかったが、完全無視を貫いたら大人しくなった。しかし、僕には分かる。アイツは絶対に水に流さないだろう。
僕とドロシーが身を隠してから半刻ほどが過ぎた頃、教会の正門が軋む音が聞こえた。
「こんばんは。来ていただけると思いましたよ」
言葉とは裏腹に愛想のないレナードの声が、人気のない聖堂内に響く。
「不本意なのは承知だろう?何だ、エドワードの遺言って。前にも言ったが、俺は彼の死とは無関係だ」
十四年ぶりに耳にするジャック・ロビンソンの声に、無意識に僕は身震いした。小型の角灯を手にした長身の男が、ゆっくりと身廊に姿を現す。
祭壇の隙間からだと見えにくいが、服装を見る限り相変わらず黒騎士団に所属しているらしい。そう考えると、ジャックはユージーンの部下ということになる。なんだか不思議な関係性だなとふと思った。
「ええ、あの日の質問はもういいのです。話があるのは私ではなく、エディなので」
「エディ?随分と親し気に呼ぶんだな。昔はアイツのことを嫌いだと言いながら、番犬のように付きまとう根暗野郎だったのに」
「否定はできませんね。当時はエディに惹かれていても、彼を嫌わなくてはいけない理由がありましたから。ふむ、ようやく本音を伝えることができる今の状況に、ますます感謝しなくてはいけませんね」
「ああ?それはエドワードの墓前で言えよ。伯爵様と昔話をしに来たわけじゃないんだ。馬鹿げたことを言うなら帰らせてもらうぞ」
感じ悪くない?
確かに当時からレナードとジャックは友好的ではなかったが、ジャックのこんな棘のある話し方は聞いたことがない。エドワードにはいつも優しくて過保護な兄のようだったが、あれから月日も流れているわけだし、彼も変わったのかもしれない。
あれ?本当にエドワード相手だと言うことを聞いてくれるんだろうか?不安になってきた。
「ま、待てよ、ジャック」
思わず気弱な声が出てしまった。
地声よりも少し低い声を意識したが、身体がキャスリンなので当時と同じまでにはいかない。なるべく誤魔化せるよう、よく反響する壁に向かって再び声を上げた。もちろんキャスリンの身体は祭壇に隠れたままだ。
「久しぶりだな、元気だったか?」
「なんだ?他にも誰かいるのか?!」
辺りをきょろきょろと見回すと、ジャックが背後のレナードを睨みつけた。
「おい、たとえ伯爵様でも俺を侮辱するならタダでは済まされないぞ」
「お好きにどうぞ。でもせっかくの機会ですし、昔話でもされてはいかがですか?私ではなく、エディと」
レナードの台詞にカッとなったジャックが大股で彼に近寄り、襟元に手をかけた。
「やめろよジャック。お前は今でも短気だな。それでコナーに怪我をさせたこともあっただろ、少しは学べよ」
まさにレナードの首元を締め上げようとしていた両手がぎくりと静止した。たぶんコナーに怪我をさせた時の状況を思い出しているのだろう。
あれは僕たちが従騎士時代に起こった事件だ。つまりレナードはまだ入団していない。
「レナード、お前……怪我のこと、コナーにでも聞いたのか?」
「コナー・何卿でしたっけ?世間話をするほどの仲だとでも思っているのですか?」
ジャックはレナードから手を離すと、礼拝堂の中を手当たり次第に探し始めた。やばい、神聖なる祭壇までは荒らさないと思っていたが、目が血走っている奴の顔を見ると心配になってきた。
「ジャック、落ち着いて話を聞いて欲しいんだけど。……まあ信じられないよな。じゃあ、もう一つ思い出話でもしようか。狩猟大会の赤いバラについて」
瞬間、鈍い音とうめき声が響く。
ジャックが礼拝堂の長椅子に足をぶつけたらしい。そしてそのまま膝から崩れ落ち「嘘だ、嘘だ」と擦れた声が聞こえてきた。
「あれ?忘れたのか?皆に内緒にしてくれって、バラが刺繍された……」
「嘘だ!!」
騎士団として参加した狩猟大会で、ジャックはエドワードに黄色のリボンを贈ったのだ。それには僕をイメージしたという赤いバラがほどこされていた。
一般的には令嬢から男性に贈られる伝統行事ではあるが、友人同士がダメというわけでもない。「お前の無事を祈っているだけだ」と照れながら手首に巻いてくれた姿が印象的だった。
「嘘じゃないだろ。驚きはしたけどお前の気持ちは嬉しかったから。大事に取っておいたんだけど、パムが処分しちゃったかなぁ」
「嘘だ、嘘だ、嘘だ!」
「二人で飲みに行った帰りは、必ずカフェに連れてってくれたよな。しかも女性向けの。アルコールが得意じゃない僕のためにさ、お前は甘い香りも苦手だったのにな」
「……嘘だろ。本当にエディなのか?……ああ、神よ!」
「泣くなよジャック、お前ももう34、5だっけ?老けたな、ははっ」
「エディ、エディ、エディ!」
大男が子どものように泣きじゃくる姿に、僕まで目頭が熱くなってきた。そして確信していた。ジャックがエドワードに危害を加えるわけがない。僕の死とジャックは無関係に違いないと。
こんな大がかりな罠にかけてしまったことを心底悔やみながら、この場をどう収めようか考え始めた頃、唐突にジャックが言った。
「すまない、すまない、エドワード。俺が、俺がお前を殺してしまった」
レナードが持っていたであろう角灯が、この小さな聖堂いっぱいに音を立てて転がった。
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