33. たまにはお前も役に立つな
いやー、最近めっきり涼しくなってきたもんだなぁ。
この間の狩猟大会で社交シーズンも無事に終わったことだし……いや、無事ではなかったな。我が親友、ユージーン・アーガイル大公閣下が、足を滑らせて滝つぼに落ちたんだっけ。……アイツが?足を滑らせて?
しかも、偶然にも巻き込んでしまったリッチモンド公爵令嬢を介抱するため、半ば強引に屋敷に連れ帰ってしまったらしい。……アイツが?令嬢を?屋敷に?
なんだか首を傾げる話題ばかりだけど、まあ世の中に不変なものなどないからな。
今まで女嫌いと噂されることもあった男が、公爵令嬢を迎え入れてからは王宮での生活をピタリとやめ、そそくさと屋敷に帰宅しているみたいだし。デートをしたと聞いた時も我が耳を疑ったが、これはさすがにアイツも年貢を納める気にでもなったのかなぁ。
そう微笑ましく見守っていた矢先に、まさかのエリザベート王女殿下との婚約ってね。
まだ正式に発表されていないとはいえ、王命を断れるヤツなどいるものか。だからこそ、この乱暴なやり方に違和感がありまくる。
エリザベート王女がユージーンに特別な感情を抱いていたのは幼少期からで、もはや周知の事実ではあるけれど、長期にわたり王女の恋心を後押しするような動きはなかったのだ。
それがユージーンがリッチモンド公爵令嬢と付き合い始めた矢先にこれだ。ライバルが出現したことで、王女が慌てたとか?しかし、いくらなんでも横やりが過ぎるし、新興貴族といえど力のあるリッチモンド家を敵に回すのはよろしくない。
まさか、俺の知らないところで何かの陰謀が?
そうなると黒幕説として浮上するのは、最近やり手と評判のシェラード外交官しかいない。彼が宰相の地位を狙っているのはもちろんのこと、手広い人脈でのし上がった実績から、王家に対してもせっせと貢物を納めては懇意にしていたはずだ。この婚約を彼が牛耳っていたとしたら、王女に対してかなりの恩を売ったことになる。
あー、やだやだ、だから貴族同士の付き合いは性に合わないんだ。
それにしても、ユージーンはどこにいるんだ?
昨日は俺との雑談中にルークが乱入してきて、ごにょごにょ耳打ちをしたかと思ったら血相を変えて出て行ってしまったっけ。年齢にそぐわず冷静沈着と名高い男が、あんな露骨に取り乱した姿を見せたのは初めてかもしれない。
そんなの俄然気になるに決まっている!
かすかに聞こえたのは「出ていく」って言葉だけ。
一体何が出ていくのだろう?まあ、アイツをあれだけ動揺させる人間だ。よほどの人物に違いな……リッチモンド公爵令嬢じゃね?それしかなくね?
なんだよ、前に「惚れたのか?」とからかった時は「それはない」とか言っちゃってカッコつけてたくせに!なんだ、やはりお前がベタ惚れだったのかよ。
なんかよく分からないけど、楽しくなってきたなー。
「言ってみろ、私があの令嬢よりも劣っているところはどこだ?」
「劣る劣らないの話ではないのですよ、エリザベート王女殿下」
突然はっきりと聞こえた馴染みのある声に、慌てて身を隠す。
「まさか本当に惚れているなどと言うわけではないだろうな?」
「さて、どうでしょう」
「私たちは正式に婚約したんだぞ?」
「これを『正式』と呼べるのか甚だ疑問ですがね。王太子殿下と対立するおつもりですか」
話のスケールがでかくなり、王女がたじろく空気が感じ取れた。確かに、王位継承権第3位のユージーンと王女が組めば、王太子に匹敵するほどの力を持つ。それが今まで二人の関係が発展しなかった理由の一つであり、すでに一部の貴族からも懸念する声が上がっている。
「それでも……お前は断らなかったじゃないか。子を成さない、という条件を呑めばいいんだろう?」
「仰るとおりです」
「構わん。私が欲しいのはお前であって、お前との子どもではない」
「そうですか」
あれ?意外と話はまとまりつつあるのか?
「心配するな。幼少期のように一緒に過ごしていれば、お前も私を好きになる」
「恐れながら、すでに殿下のことは妹のように大切に想っておりますよ」
「私にはすでに兄がいる!これ以上は必要ない」
「それは残念です」
絶対にそんな顔をしていないであろうアイツの姿を想像し、俺はわざと大きな足音を立てながら、廊下の角をゆっくりと曲がった。君たち、こんなところでセンシティブな会話は止めたまえ。
「おや?こんちわー、王女殿下」
「サミュエル、お前は王族への挨拶もまともにできないのか」
少し目の周りを赤くしたエリザベート王女が、顔を逸らしながら背を向ける。
「邪魔したね、婚約者殿。また話そう」
そう言って小さな台風が去ると、やれやれと言わんばかりにユージーンが苦笑した。
「たまにはお前も役に立つな」
「俺にとっても妹みたいなもんだ。あまり邪険に扱うなよ」
ちょうどユージーンの執務室の前だったため、そのまま勝手に中に入る。
「その可愛い妹が誰かに唆されているようだが、狙いが分からんので探りづらい。俺とエリザベートがくっついて、得する奴などいたか?」
「なんだ、お前も誰かの陰謀説を疑っているのか?」
卓上の書類を片付けながら、ユージーンが珍しく苛立ちをみせた。
「愚問だな」
唯一の女児であるエリザベート王女は、王の寵愛を受けている。だから、彼女に肩入れをして恩を売りたい輩がいることは何もおかしくはない。しかしそれは、リッチモンド公爵令嬢がアーガイル家に滞在しているタイミングでやるべきことではないだろう。
ところで愚問って、どっちの意味で?陰謀説を疑ってるの?疑ってないの?どっち?
――もしかして、本当の狙いはキャスリン・リッチモンドの方だったりして。
「おい、ユージーン。今夜は久しぶりにお前の家で飲み明かそうぜ」
「……何を考えている?」
「噂のキャスリン嬢に一目会わせてくれよ」
「断る」
心底嫌そうなヤツの顔が、俺の心に火を付ける。
「お前の伴侶になるかもしれない人なんだろ?俺とも長い付き合いになるわけだし、挨拶ぐらいさせてくれよ、未来のアーガイル大公夫人にさ」
幼稚な手を使ったつもりが、ドン引きするほど効き目があった。
頑なに耳を貸さなかった目の前の男が、急に考え込んだのだ。たぶん「伴侶」と「大公夫人」というキーワードがヤツの心をくすぐったのだろう。おいおい、本当にコイツは俺の知るユージーン・アーガイルなのか?まるで初恋を患ったばかりの少年じゃないか。
「……余計なことを喋らないのなら、会わせてやってもいい」
キャスリン嬢はアーガイル家の客人であり、コイツの所有物でも何でもないのに、よくもまあ保護者面ができるものだ。本人は気付いていないようだが、かなり重症らしい。
「お前たちの仲睦まじい様子を見たら、俺も身を固めたくなっちゃうのかなー」
「それは知らん。ただし、キャスリンには指一本触れるなよ。手を取って口づけなどしようものなら、腕ごと落としてやるからな」
ぐだぐだと屋敷に向かう馬車の中でも、口うるさい条件を突き付けられ続けた俺は、約束通りキャスリン嬢の手に口づけもしなかったし、余計なことも喋らなかった。
なんなら会えもしなかったのだ。
彼女がすでに大公家を出て行った後だったので。
ユージーンの呆気にとられたアホ面を拝めただけでも、足を延ばした価値はあったけれど。
【今話のクマ子ポイント】
サミュエルはリンジー侯爵家の後継ぎです。
リンジー家はアーガイル家と仲良くできるぐらいの権力を持っているので、エリザベート王女を交えた三人は幼馴染でもあります。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




