29. 嘘がバレるぞ
現実と夢のはざまをふわりふわりと漂い始めた頃、ぱたりと物音がしてシーツが持ちあがる。心地よく僕を包み込んでいた温もりが身体から引き離され、代わりに冷たい外気が肌を撫でた。
「ん、さむ……」
「悪い、起こしたな」
そう言いながら身体を滑りこませたユージーンが、背後から僕を抱きしめた。
「最近、アルの仕事を手伝ってるんだって?」
「……手伝……ない、勝手に……聞いてく……」
眠くて働かない頭と、ろれつが回らない舌で答える。
「あの石頭がお前のことを褒めてたぞ。あれはかなり懐柔されつつあるな」
「……う……ん」
くるりと寝返りをうった僕は、奪われた熱を取り戻すように鼻先にある温もりに頬を摺り寄せた。一瞬、身体を強張らせたユージーンだったが、そのまま流れるように正面から僕を包み込んだ。
「俺が言うのもなんだが、俺が男だって分かってる?」
「ん……」
「わかってないな」
ちょいちょいと、顔にかかった僕の前髪をかき分けられる。
「療養中の演技は諦めたのか?ルークが手合わせをしてもらえると喜んでいたが」
「…………」
「いいのか?嘘がバレるぞ。お前はクリフォード団長には教わっていないだろう」
「…………」
「お前のフォームは黒騎士団のもので、蒼ではないからな」
「…………」
やっばーい!
いい気分で夢の国に出かけていたのに、強引に引き戻されてしまった。なに?剣のフォーム?
確かに同じ流派でも師匠が違えば型も変わる。元々は一つだった王国騎士団も四つに分かれた今、赤蒼黒白それぞれに特徴があることは知っていた。エドワードの経験から剣を握っている僕は、黒騎士団の癖を受け継いでいるのだろう。
どう思い返してもユージーンの前で剣を構えたのは、襲撃時と岩屋での素振りだけだ。
なんだコイツ、その時は流したくせに今頃になって聞いてくるなんて。そんなの答えられるわけがないだろう。もう寝よ寝よ、このまま寝たふりでやり過ごそう。
「さて、お前はいったい何者なんだろうな……おやすみ」
頭のてっぺんに温かく湿った感触を感じる。
また勝手にキスを落とされたのだろう。
――ユージーンは僕のことが好きなのだろうか?
すでに本人から否定されているので、幾度か湧き上がる疑問を打ち消してきたが、この屋敷に滞在してから毎日ベッドを共にしているし、何よりも僕に対する言動が甘い。社交界では冷淡と揶揄されるブルーグレーの瞳が、僕に向けられる時だけ柔らかくなるのは気のせいだろうか?
好きなら好きって言えばいいのに。
そんなことを考えながら、僕は再び意識を手放していた。
「おはようございます、ユージーン様」
翌朝、当たり前のように僕の部屋にやってきたアルバートの声で目が覚める。さすがに公爵令嬢の寝台には近づけないため、入り口に突っ立って、いつものように要件を伝え始めた。
「本日はマコーリー侯爵とフォスター公爵との面会のお約束が入っております。午後からは黒騎士団での訓練の後、宮廷での決裁会議があります。――あと、手紙が一通届いております」
「ああ、もう朝か……手紙?誰からだ?」
「……ここではちょっと」
「なんだ?いいから読め」
昨夜も帰りが遅かったのでまだ眠いのだろう。僕を抱きしめたまま額をこすりつけてくる当主様の背中をポンポンとあやしながら、僕も重い瞼をこすった。
「では、読み上げます。『愛しのユージーン様、お元気?最近ご無沙汰なので、私は寂しい夜を過ごしています。貴方の情熱的なキスで全身を熱くして欲しいわ。最近肌寒くなってきたので、二人でシーツにくるまってホットワインでも飲みたいわね。貴方の好きな銘柄を用意して待ってるわ。愛しのローラより』以上です」
衝立の向こうにいるアルバートはどんな顔をしているのだろうか、僕はすっかり覚めた頭でそんなことを考えていた。
* * * * *
「ま、参りましたぁ」
ルークの震える声を合図に、僕はタンッと剣を鞘に戻した。
今日は朝からアーガイル家の訓練所を使わせてもらっている。この屋敷の人間は、もはや僕が療養中の身だとは信じていないので、約束通りルークと手合わせをしたところだ。キャスリンの体力では勝負にならないかと思ったが、エドワードの太刀は速さ重視で極力動かないため、多少はサマになったようだ。
「何か、ご不快なことでもあったのでしょうか、義姉上」
「いいえ?まったく、全然?」
なぜか怯えたようなルークの姿に疑問を覚えながらも、同じく訓練所にいた騎士たちにも声をかけて練習に付き合ってもらった。おかげでずいぶんと勘を取り戻したような気がする。
「なぁ、あの令嬢を守る必要があるのか?」
「わかんねぇよ、なんかめっちゃ機嫌悪いし」
背後でそんなやり取りが聞こえたような気がしたが、僕は思いのほか動くようになった身体に満足していた。とは言え、やはり体力のなさが目立つので、午後は裏庭でも走ろうかと思う。
愛しのローラからの手紙に飛び起きたユージーンは、彼女が高級娼館で働く女性であることを告げたが、そんなことはどうでもいい。図らずして、彼の性機能に問題がないことも判明されたわけだが、そんなこともどうでもいい。
彼がどこで誰と何をしようが、契約恋人に過ぎない自分には関係のない話だ。彼には寒い夜にベッドを共にする人もいるし、僕は彼が好きなワインなど知らないのだから。
「キャスリン様」
諸悪の根源とも言うべき男が僕を呼び止めた。
いつもの嘘くさい笑顔はなく、少し気まずそうな顔をしているところを見ると、やはり今朝のことは彼も望んでいた展開ではないらしい。
「領地経営のことで、少しご相談したいのですが……」
「まあ、アーガイル家の部外者であるワタクシに相談など、アルバート様もご冗談がお好きですこと」
「お怒りはごもっともです」
「腹など立てておりませんわ。ワタクシとジーン様との関係は、貴方もご存じでしょう。そもそも貴方に目の敵にされる筋合いもございませんし」
僕の話をどこまで信じているかは別として、財務官のアドバイスをしたあたりから僕に対するアルバートの態度も柔和になり、何かと相談を持ちかけられるようになっていた。
そりゃ、エドワードは数年間だがローズベリー伯爵家の当主だったのだ。表向きは母が代理として領地に滞在していたが、エドワードも王都にいながら補佐役として働いていた。貴族の動向であれば、僻地にいる母よりもエドワードの方がよく知っていたのだ。
「ユージーン様の一方通行ってわけでもなさそうで、少し安心いたしました」
「何の話ですの?」
「いえ、それで以前お話した収穫した小麦の件ですが……」
スタスタと通り過ぎる僕の後方に従いながら、アルバートが要件を告げようとした矢先、青白い顔をしたジェイコブ執事長が廊下に飛び出してきた。
「ああ!アルバート、丁度良いところに。大変だ、大変なのだ」
普段の彼からは想像もつかないようなうわずった声で、ジェイコブは一通の封筒を差し出した。王冠を戴く鷹と二本の剣、どう見ても国章が施されたそれを手に取ると、アルバートが僕にも見えるように開いた。
「ユージーン様とエリザベート王女殿下のご婚約が発表されたのだ!」
まさに僕たちが封書を開けた瞬間、ジェイコブがそう言った。
あ、先に言うんだ。
【今話のクマ子ポイント】
「書状」ではなく「手紙」だったので、ユージーン君は嘆願書か招待状だと思ってました。「求められる俺」をちょっと見せたいお年頃だったのです。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




