26. 襲って欲しかった?
順を追って思い出そう。
昨日、一足先にアーガイル家に到着した僕は、アルバートの手配もあって早々に食事と湯浴みを終えて客室に通された。先日の夜会とは違い、屋敷は少し陰鬱な印象を持つほど静かで警備兵の数も多かった。これは僕のせいなのかもしれないけど。
その後、母君のグレース夫人も帰宅されたが、ユージーンの計らいで面会謝絶にしてもらった。明日にはリッチモンド公爵家からドロシーが到着すると聞いているので、今日のところは休ませてもらおう。かなり疲弊していた僕はこうして深い眠りに落ちたのだった。
それがなぜこんな状況になっているのだろう?
真横で寝息をたてているのは紛れもなくユージーン・アーガイル大公で、彼の太い腕はがっちりと僕の腰に回され、この大きな体にきれいに収まった姿で僕は目覚めた。
僕の貞操は?!
慌てて布団の中を覗いてみたが、お互いの衣服に乱れはなく、身体に異常も感じられないので大丈夫だろう。そう言えばユージンは子を成しえない、つまり情交ができない身体だったはず。たっぷりと安心した後で、思いっきり隣の男の後頭部を殴りつけた。
「っ痛……ああ、おはようキティ」
「おはよう、ではございませんわ!どうすればいいのかしら。ワタクシの名誉を守るには、貴方に消えていただくしかないのかしら」
「心外だな。俺の隣が一番安全なんだから仕方がないだろう。ん?」
「こちらも心外ですわ!もー、全然動かない!この石像めっ」
甘ったるい目の前の顔を、思いっきり突っ張るもビクともせず。ユージーンは再び僕を抱きしめながら囁いた。
「昨夜は遅かったんだ。もう少し寝かせてくれ」
「たっぷり寝かせてさしあげますわよ、お一人で!……あ、狩猟大会はどうなりましたの?」
「んー、大会は滞りなく。どこぞの男爵同士の小競り合いがあって、誰も俺たちを気に留めていなかったと思う。陛下とリッチモンド公爵には、閉会後に報告しておいた。もちろん襲撃された件は伏せているから、公爵が近々見舞いに訪問されることで納得いただいたが……ただ、クリフォード団長が全然離してくれなくて、本当に」
「……お兄様は……それは申し訳ございませんわ」
大あくびをしながら長い上半身を折り曲げ、ユージーンが僕の首元に額を摺り寄せる。
「俺たちを射た矢は回収して出所を探っている。見た限り、ごく一般的に市場に出回っているものなので期待はできないが。当時、湖の近辺で狩りをしていた家門も調査中だ」
「さすがですわね」
「オースティン伯爵は不気味なぐらい静かだったな。お前からの手紙を渡したら」
「それは何よりですわ」
探るような視線に気づかないふりをしながら、僕はゆっくりと上半身を起こした。今度はユージーンも邪魔をしなかったが、彼の片手は僕の腹部に乗ったままだ。
「はぁ、俺も起きるか」
「……本当に何もしていませんわよね?」
「なに?襲って欲しかった?」
「は、は、恥を知れ――っ!」
部屋の前にいるであろう騎士にまで聞こえる怒声を上げ、僕の悪女としての初日が幕を開けたのである。
* * * * *
「あらまあ、ユージーンったら嫁入り前のご令嬢の部屋に……」
「まだ手は出していませんよ」
アーガイル家の朝食の席。
昨日、天幕でのお茶会に招待してくれたグレース夫人が、迫力のない声音でユージーンを咎めた。
「当たり前でしょう。まずは正式に婚約の申し込みをしないと、リッチモンド公爵にも申し訳が立ちませんよ」
「……そうですね」
他人事のような返事をしながら、ユージーンがパンを口に放り込んだ。
グレース夫人にも僕が命を狙われている話はしていないので、単純に滝つぼ転落事件の静養先として滞在していると信じている。その割に、屋敷中に警備兵が配置されていることはあまり気にしていないようだ。元来、おっとりとした性格なのだろう。
「あの、義姉上とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
グレース夫人の隣で瞳を輝かせるのはルーク・アーガイル、ユージーンの弟君だ。母親譲りの新緑がかった金髪がくるんとはねて、兄に似ず可愛らしい顔立ちの少年だ。まだ従騎士のため、昨日の狩猟大会の表舞台にはおらず、この席が初めての顔合わせとなった。
「キャスリンとお呼びください」
「……はい」
あからさまに項垂れる少年を前に、僕の良心が痛む。すんなりと悪女を歓迎してくれた二人の手前、契約恋人でしかない立場としては非常に居心地が悪い。あと、療養中の人間として不自然なく食べてもいい量はどれぐらいだろう。ご馳走を目の前にしてお腹が鳴りそうだ。
「ルーク、義姉上を困らせるんじゃないぞ」
だから義姉上じゃないってばっ。
いつもより澄ました顔でナプキンで口元を拭うと、アーガイル家当主は「王宮に行く」と告げて立ち上がった。
「あ、兄上!今朝は久しぶりに兄上と食事ができて嬉しかったです」
「ああ、夕食も一緒にとろう。お前も蒼騎士団に顔を出すんだろう?遅刻するなよ」
そして、彼の隣で料理を睨みつけていた僕に近寄り「行ってくる」と、こめかみにキスを落として出ていった。
わぁ、何しやがるんだコイツ。
「凄いです!義姉上」
ユージーン立ち去った後、ルークは僕に向き直ると天使のような微笑みでそう言った。心なしか、隣のグレース夫人も嬉しそうだ。あと、僕の呼び名を間違えている。
「ここ数年、兄上はお忙しくて食事をご一緒にできなかったのですが、義姉上がいらっしゃるだけでこんなにも違うのですね」
「客人に対するお心遣いを頂戴しているだけですわ」
客人という言葉に力を込めたが、誰も気にしていなさそうだ。そりゃそうだろう。ただの客人のベッドに、どこの当主が潜り込むのか。この屋敷の人間には、完全に未来の嫁として認識されてしまった気がする。
「それに義姉上は、あのクリフォード団長の妹君ですよね。幼少の頃より剣を教わったとお聞きしました。ぜひ僕ともお手合わせください」
正確には過保護なクリフォードに教わったことなど一度もないが、「体調が回復したら」と頷いた。ルークなら腕が錆びついた僕の相手にちょうどいいかもしれない。
それよりも、僕はいつ静養を終えるのだろう?どこまで弱ったふりをするべきだろうか?そして、静養中の令嬢は目前の肉を食べてもいいだろうか?やはりダメか?
僕がさまざまなことに頭を悩ませていると、リッチモンド公爵家から僕の荷物とドロシーが到着したとの一報が届いた。クリフォードを沿えて。
【今話のクマ子ポイント】
グレース夫人の監督不行き届きです。
不純異性交遊ダメ。ゼッタイ。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




