24. 本当に悪魔だ
「服は全部脱いで、絞った衣類で身体を拭け。ここの水温は今の季節でも危険だ」
有言実行とばかりに一糸まとわぬ上半身を晒したまま、ユージーンがこちらに背を向けた。
全部脱げって……僕は花も恥じらう乙女だぞ!
ここは滝の裏側にある小さな岩屋。
迷いなく滝つぼに飛び込んだ僕たちは、ユージーンに先導されるがままにここへ身を寄せた。この岩屋は陸路と繋がっておらず、滝つぼのある湖から直接乗り入れるしかない立地のため、追手が来ればすぐに分かる。
故にユージーンは僕から奪い返した剣を片手に、岩屋の入り口、つまり滝の向こう側に全神経を集中させていた――が、ほどなくして剣を鞘にしまった。
「どうやら諦めたようだな」
「こっちを向かないで!」
ぼすんと音をさせてユージーンの背中に薄手の毛布を投げつける。
「……奥で見つけましたの」
そう偶然を装ったが、毛布どころかそれなりの備品がここに貯蓄されていることを僕は知っている。すべてが衛生的とは言い難いものの、火打石と藁や薪も常備されていたので服を乾かすための火もおこせそうだ。
年に一度、四部隊からなる王国騎士団は合同野外訓練を行っている。
有事を想定した訓練はこの森を使って三日三晩行われ、赤蒼黒白それぞれの部隊が四つ巴となって戦い、敵陣の団旗を奪うことで勝者を決める。戦禍を想定しているだけに支給される物資も乏しく、戦い以外でも苦戦を強いられるのだが、まあ、つまりここは黒騎士団の秘密のアジトなのだ。
たまたまこの岩屋を見つけた先人の黒騎士団員たちは、毎年コツコツと備品を運び込み、由緒ある反則技として代々受け継いできたのだ。現代まで継続しているか半信半疑であったが、反応を見る限り同じく黒騎士団に所属するユージーンも知っていたらしい。
濡れそぼった服を脱ぐには苦労したが、なんとか肌着以外を剥ぎ取り、毛布をぎゅうぎゅうと身体に巻き付けた。背中の向こう側からも、衣擦れと水が滴る音が聞こえる。
「おい、そっち行くぞ」
毛布を民族衣装のように纏ったユージンは、僕から視線を外しつつ奥の貯蓄庫へ向かい、火おこしに使えそうな道具を抱えて戻ってきた。やはり考えることは同じらしい。
ほどなくしてぼうっという音とともに、前髪から雫を垂らすユージーンの顔が浮かび上がった。まだ太陽は真上にいるような時間ではあるが、岩屋の中ではかろうじて足元が見える薄暗さだったので助かる。
身軽になった僕も後に続き、服をかけられそうな大ぶりの枝を運ぶ。そして奥の木箱に無造作に保管されていた武器の中から細身の剣を手に取った。ユージーンのものと比べると格段に軽い。試しに鞘を抜いて数回振ってみたが、エドワードが愛用していた剣までは及ばずとも悪くない。タンッと小気味よい音を響かせて鞘に戻した。
とりあえず、これを手元に置いておこう。
そんな僕を横目に、ユージーンも奥から必要なものを運び出していたらしい。焚火で照らされた岩壁に毛布を積み重ねて腰を下ろすと、おもむろに両手を広げてみせた。
「おいで、キティ」
「お断りですわ」
何度でも言うが、僕は未婚の令嬢だ。しかも、今は毛布一枚しか身に着けていない。いくら緊急事態と言えども同じ状態の異性と接触できるわけがない。何を当然のように!この破廉恥野郎め、破廉恥野郎めがっ!
「駄々をこねるな。唇が真っ青だし、顔も白い。あと手首を怪我しているじゃないか。俺も寒いし、さっさと来い」
「……うう」
この湖の水温は夏でも低い。何かの事情で延期された合同野外訓練が晩秋に実施された年は、さすがの黒騎士団もここを使うことを断念したほどだ。
「し、失礼いたしますわ」
観念した僕はユージーンの腕の中――ではなく、彼の両足の間にちょこんと背を向けて収まった。パチパチと薪が爆ぜる音が近くなり、温度差にぶるりと身震いする。
「きちんと拭いていないじゃないか」
咎めるような口調の割には優しい手つきで髪を何度も拭われ、最後はフードのように頭から毛布で包み込まれた。そして、ゆっくりと、背後から僕の身体を抱きしめたユージーンが耳元で囁いた。
「手首を見せてみろ」
「そこで喋らないでっ」
「なんだ、さっきは俺に馬乗りになっていたくせに」
背後にいるので顔は見えないが、ニヤニヤと意地悪く笑っているであろう男は、用意していた塗り薬と包帯を片手に、手際よく僕の手首を固定した。正直、かすり傷程度だったので大げさなぐらいだ。
「これなら傷は残らないだろう、まったく無茶をす……」
急に言葉を切ったユージーンの視線が、一か所に注がれる気配がした。そして次の瞬間、彼の長い人差し指が、僕の耳から首元へ一直線に這う感触が身体に走った。
「――んっ!」
止まった指先を振り払おうとジタバタもがいたが、背中に張り付く男はぴくりとも動かない。そうだ、コイツは石像だった。
「モンフォール卿がやったのか?」
「は?何を?……ワタクシの護衛が何か?」
「お前がさっき助けを求めていただろう。この痕は何だ?」
「……痕?んあっ!」
突然、僕の首元に唇を当てがわれ、奇声を上げてしまった。
吸われた?舐められた?吸われて舐められた??
「心当たりがないなら、これで許してやろう」
「ワタクシは許しませんわよっ!先程から意味不明なことばかり言って何なのです?今度同じことをしたら、この剣で舌を切り刻んで差し上げますわ」
「はは、確かに。あの腕前なら冗談には聞こえない」
意味深な言葉にギクリとする。
「俺が聞きたいことは三つ。アイツらは誰だ?なぜ命を狙われている?なぜ剣を扱える?」
「彼らの素性はワタクシが知りたいですわ。理由もワタクシが知りたいですわ。剣は幼少期に習っていたからですわ」
耳元でふっとユージーンが笑った。吐息が耳にかかってぞわぞわする。
「命の恩人に対して、嘘はよくないな」
「う、嘘ではありませんわ」
「では、四つ目。なぜ毛布を見つけることができた?」
「……へ?」
思わず後ろを振り返り、真剣に僕を見つめる瞳の近さにたじろいだ。
「火がつくまでの間、入り口から遠ざかるほど視界は悪く、奥はもはや暗闇同然だった。ここは黒騎士団に馴染みのある岩屋で、奥の物資は俺たちが運び込んだものだ。騎士団特有の配列で置いてあるから、俺なら手元が見えなくてもだいたいの目星はつく。俺ならな」
ユージーンが力強く僕を抱きしめ、冷たくなった頬を僕の細い首に摺り寄せた。そして聞いたことがないほどの甘く優しい声で続ける。
「本当のことを言ってくれないと、守りようがないだろう?本気でお前を心配している」
きゅーっと何かが鳴った気がした。
本当のことを言えない現実に胸が締め付けられたが、僕にはどうすることもできない。エドワードの話をしたところで信じられる内容ではないし、それが先ほどの襲撃に関係しているとも思えない。
「……う、嘘はついていませんわ。ワタクシ夜目がききますの」
この答えを彼が受け入れないことは分かっていた。拒絶と取られて信用を失うことも分かってはいたが、そう答えるしかなかった。
静かな沈黙が訪れる。
「勃った」
「は?え?……はあ?最っ低!!」
「ほぼ裸の女が密着しているのに、反応しない方が失礼だろう」
「ちょ、やだ、離れて、ダメ……ダメ……」
「分かってる。くそ、可愛い顔してダメダメ言うな」
「……それでは、クリフォード兄様を思い浮かべてください」
「は?」
「お兄様にワタクシと口づけたことがバレてしまいました。怒り狂ったお兄様はジーン様に詰め寄ります」
「は?」
「『キティの口づけは僕が取り返す!』そう宣言したお兄様は、上着からシャツまですべてを脱ぎ捨てました。色白ながらも筋肉質な肉体には、緊張のためか汗が光っています。お兄様は少し頬を染めながらジーン様に詰め寄ります」
「は?」
「突然のことに腰が抜けてしまったジーン様へ屈み込むと、その首筋を片手でつかみ、力強く顎を引き寄……」
「やめろっ!想像したくもない!今まさに恐怖で腰が抜けるわ」
「萎えまして?」
「……お前は、本当に、本当に、本当に悪魔だ」
ユージーンは心底嫌そうな表情を浮かべていたが、しばらくして「なぜクリフォード団長は服を脱いだんだ?」と呟いた。
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