22. 一番穏便な方法にするぞ
パメラと別れた直後、狩猟大会の始まりを告げる角笛が響き渡り、レナードも慌てて持ち場に戻って行った。「後で絶対に私の天幕に来て!」と言い残して。
行方知れずだったパメラと会えたことは、まさに奇跡だ。
彼女の雇い主、マコーリー侯爵がアーガイル一門だったとは知らなかったが、おかげで当初の目的であるエドワードの話を聞くことができた。
正直、聞かなくても良かった話もあったが、彼女を見る目は変わっていない。心から愛した人だし、今でも大切な人だ。ただ、今日の彼女が本当の姿だとしたら、ローズベリー伯爵夫人だった頃は随分と無理をさせていたのかもしれない。
そう思うと胸が痛んだ。
「エディが亡くなる前の行動?……公爵令嬢まで巻き込んで一体何を言い出すのかと思えば。異変があれば、当時の衛兵に話しているわよ」
いまだエドワードの死を受け入れていないと勘違いしたのだろう。パメラは眉間にしわを寄せ、レナードに憐みの眼差しを向けた。
「当時、エディが外出する頻度は多かったと思うわ。夜遅くに帰宅することもあったし。どうせ私との結婚が面白くなかった黒騎士団の連中が、彼を連れ回していたんでしょう」
「では、エディ様は酔っておられましたか?」
「……あら、確かにそう言われると酔ってはいなかったわね。彼はお酒に弱かったけど、一杯ぐらいは飲めたでしょうし。じゃあ、アイツらの仕業ではないのかしら」
記憶がなくても自分らしからぬ行動には違和感がある。いくら仲間に誘われたとして、新婚で飲み歩くほど酒好きでもなければ、薄情な夫でもない。
十年以上の歳月をかけて、かつての同僚たちの濡れ衣は晴らせたようだが、ここで新たな疑問が残る。
では、エドワードはどこへ出かけていたのか。
「私にも内緒で一体誰と会っていたんだい?」
パメラには聞こえない音量で、ぼそりと呟くレナードの視線が痛かったが、本当に何も覚えていないのだから仕方がない。もちろん浮気などは絶対にしていないと言えるが、どこへ行っていたのか、誰かと会っていたのか、何も思い出せないのだ。
「新婚だったのに、私は伯爵夫人としての生活にいっぱいいっぱいで、彼のことを何も見ていなかったのね。ほんと、あんな場所に何しに行ってたんだか……」
寂しそうに俯くかつての妻を、力いっぱい抱きしめて「君は悪くない」と慰めたかったし、辛い思いをさせたことを謝りたかった。同時に、それは絶対にしてはいけないことだとも思った。
エドワードはこの世にいないのだ。亡霊を蘇らせるようなことをしては、パメラの今の生活を……幸せを脅かすことになる。エドワードは十四年前、彼女を置いて逝ってしまったのだから。
パメラと会ったことで、心がエドワードに引っ張られてしまったようだ。
「頭を冷やすには散歩が一番ですわね」
自分にそう言い聞かせて、森に向かって歩き出した。
僕のような観戦者や給仕たちが誤って紛れ込まないよう、狩猟場へと続く道には赤い紐が張ってある。この広大な森林地帯は王家が保有する土地で、狩猟だけでなく王国騎士団の訓練場としても使われているため、僕にも土地勘があるのだ。立ち入り禁止区域ではない、右端の道を進めば獣道が整備されていて、しばらく歩くと小さな滝つぼがあったはずだ。
散歩ついでに、エドワードの記憶がどこまであるか遡ってみよう。まずは、パメラとの結婚式。当時の黒騎士団長にもご出席いただいて、それはそれは盛大に……
パシュッツ
聞き覚えのある不快な音に、反射的に音が途絶えた方角へと視線を落とす。案の定、右側の大木に突き刺さる弓矢を発見した僕は、大きく息を吸い込んだ。
「ホウラ、ホウラ!ここは禁猟区ですわよ――!!」
「ホウラ」とは注意を促す狩猟時の合図だ。
たぶん、迷子になった新米参加者が僕を獣と間違って射たのだろう。正直、僕の身分からして大問題に発展する事案なのだが、幸運だったな若人よ。若人の未来を守るため、穏便に済ませて差し上げよう。面倒だし。
咄嗟にそこまで考えながら、顔面蒼白で現れるであろう若人を待っていた僕は、続けざまに空気を切り裂く音を二度聞いた。
パシュッ、パシュッ
一つはあさっての方向へ、もう一つは鋭い風を撫でつけて僕の髪を揺らす。
ふむ、なるほどなるほど。
若人の未来は僕に託されていないらしい。僕は再び大きく息を吸い込むと、滝つぼの方へ走り出した。
「ホウラ、ホウラ――!!」
え?なに?なんで?完全に僕を狙っていませんでした?
歩き回ることを考慮して、ブーツを履いて正解だった。感謝すべきはエドワードの経験から足が竦むことなく動けたことと、幼少より養われたキャスリンの基礎体力だ。
「ホウラ!助けてぇえええ――!!」
走りながら蛇行して叫ぶのは、かなり難しくて苦しい。
あと、普段こんなに大声を出すことがないので、何かちょっと恥ずかしい。
パシュッ、パシュッ
恥ずかしくないです!
恥ずかしくないです!
恥ずかしさより命が大事です!
誰か、誰か助け……誰かって誰?リッチモンド公爵?クリフォード?ユージーン?レナード?パメラ……ではないな。
「モンフォール卿――!!」
「キャスリン!」
果たして、白馬に乗った王子様が突如現れ、僕の二の腕と腰を掴んで一瞬で馬上まで引き上げた。かなり痛い。
「どんな状況だ、これは?!」
「分かりませんわ!少なくとも二人、森の中から弓矢で狙われています!姿は見てませんが、蹄の音を聞きましたわ」
白馬の王子、改め、ユージーン・アーガイルと正面から顔を合わせる体勢のまま、後方に目をやりつつ端的に告げる。その間にも矢をつがえる音を耳が捉えたため、ユージーンの腰にぶら下がる獲物に手を伸ばした。
「おいっ、お前!」
「ジーン様は手綱を!ワタクシは後ろを守ります」
するりと抜いたつもりの剣が想像より重く、慌てて両手に持ち替える。一瞬ふらついて馬上から身体が飛び出したが、戻る反動を利用して振り向きざまに矢を叩き落した――が、タイミングがずれた羽根が手首をなぞり、冷たい痛みが走った。
やはりキャスリンの身体では、思ったようには動けない。しかもユージーンの剣はエドワードのものより太くて重く、両手でも構えることが難しい。仕方がないのでユージーンに覆いかぶさるように中腰で立ち、彼に密着して自分の身体を固定した。
いきなり視界を覆われたユージーンが、顔を傾けながら「剣をよこせ」と怒鳴っていたような気がするが、後方の茂みに全神経を注ぎ、弓音と勘を頼りに早めに剣を振るう。
バチンと鈍い音とともに弓矢がはじかれる手ごたえを感じた。よし、今のタイミングで良さそうだ。
「おい、一番穏便な方法にするぞ!」
僕を抱きしめる腕に力を入れながら、ユージーンが叫ぶ。
彼の選択した道が、滝つぼの方角だと気付いた僕は「一番穏便な方法」の正体を悟った。
さて、キャスリンは泳げただろうか?
小高い丘の頂上で白馬を乗り捨てた王子様は、お姫様を小脇に抱え、見事滝つぼへと飛び込んだのである。
【今話のクマ子ポイント】
飛び込む前に剣は取り上げられました。危ないのでね。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




