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21. 肉食獣の代表じゃないか

天幕の外は別世界のように賑やかだった。


幾つもの大きな長机が白いテーブルクロスに包まれ、ところ狭しと並べられた朝食からは湯気が立ち上る。家門ごとの狩猟服に身を包んだ男性陣が、忙しそうに挨拶回りをしたり、ゆったりと煙草をふかしたりと、各々が大会前のひと時を過ごしていた。


リッチモンド公爵家の男子にリボンを渡すという名目で、僕はようやく貴婦人らとのお茶会から解放された。リッチモンド家の天幕が近いことから護衛は断ったのだが、実は屋敷を出る前にリボンは渡しているので行く必要はない。


さて、散歩でもしながらしばしの自由を満喫しようかと考えた矢先に、見てはいけないものと目が合ってしまった。


「エディ!」


性懲りもなく昔の名を口にする不届き者に背を向け、慌てて天幕の裏手に回る。裏と言っても、こちら側にも簡易的な天幕が複数張られ、従者や侍女らの休憩所、または食料や資材置き場として使われている。


大会後の料理を準備しているのだろう。料理長らしき男がいる天幕では、侍女がメイドたちにテキパキと指示を出し、そのずっと奥には馬具の点検を行う厩役や草をはみながら出番を待つ馬たちの姿が連なっていた。こうして見ると、それぞれの家門からかなりの人員が割かれていることが伺い知れる。


「やっと見つけた!」

「こんなところまで来るなんて。アーガイル家の陣営ですわよ。ワタクシをふしだらな女に仕立て上げるおつもり?」


「つれないことを言わないで欲しいね。私の招待を断って、あの坊やを応援するだなんて。はらわたが煮えくり返って仕方がないよ」

「大公家からの誘いを断れるわけがないでしょう。表向きは彼と交際しておりますのよ」


「それだよ、それ。いつからそんな関係に?一度デートしただけだろう?」


ますます激昂するレナードを黙らせるため、僕はポーチの中に手を突っ込み、ぐいっと目の前の男に突き出した。


「ゴ武運ヲ、オ祈リシテオリマスワ」


「カタコトなのが気にならないくらいに嬉しいよ!まさかエディが僕のために刺繍まで……これは紅茶かい?」

「ホットチョコレートですわ」


「ハートで良かったんだけどなぁ」とブツブツ言いながらも、嬉しそうに深緑の狩猟服にリボンを巻き付けている姿を尻目に、僕はさっさとアーガイルの領域を通り抜けることにした。


足の引っ張り合いが得意な貴族どもが集結しているのだ。とにかく二人で話しているところを見られるだけでも面倒だ。ついキョロキョロと辺りを警戒していると、ふいに一人の侍女に視線が止まった。


ついでに心臓も止まった。


「嘘だろ、パメラ夫人じゃないか」


慌てて追いかけてきたレナードの声が、やけに遠くに聞こえる。


パメラ・ローズベリー伯爵夫人。

エドワードの妻だった人。行方知れずだった彼女が、アーガイル陣営の調理場で忙しそうに指示を出している。ほんの少しだけふっくらしただろうか。涼やかな印象を与えていた目元は柔らかくなったようにも見えるが、情熱的な黒髪もやや褐色を帯びた肌も艶やかで、その美しさは健在だった。


「どうする?声をかけるかい?」

「む、無理ですわ。ワタクシ、どうしていいか……」


「やだ、レナードじゃない!」


こちらの視線に気づいたのか、僕はかつての妻の声を十四年ぶりに耳にした。



* * * * *



「失礼、今はオースティン伯爵でしたっけ?」


やや含みのある口調で片目を閉じたパメラは、ソーサーもない大きなカップをドンっと木箱の上に差し出した。


劇的な出会いを果たした僕たちは、備品などが積み上げられた荷物置き場の片隅へ人目を忍んで移動していた。もちろん椅子などはないので、僕はレナードが木箱の上に敷いたハンカチに腰を下ろしている。


「貴族様のカップは無断で使えないからね、文句は言わないでよ」

「君だって貴族じゃないか」


なんだろう?

十四年ぶりの妻が目の前にいるわけだが、何か違和感を感じる。


「よしてよ。オースティン家とは格が違うもの。今はハットン子爵夫人としてマコーリー侯爵家に仕えているわ。今日はなぜかアーガイル家の手伝いを命じられてね」

「再婚したことは聞いていた。おめでとう……と言うべきかな」


「そりゃ、貴方からすれば私がローズベリーを名乗るのも嫌ですものね。お祝いに大金でも包みたい気分でしょうよ」


やはりおかしい。

彼女は本当に僕の妻だった人だろうか?


僕が記憶しているパメラはこのような話し方をする人ではなかった。見た目の艶やかさとは正反対に控えめで、口調は甘く、少しかすれた声音が非常に色っぽかった。こんなに率直に、ましてや棘を含むような発言は聞いたことがない。


「それで、こちらのお嬢様は?」

「キ、キャスリン・リッチモンドでございます」


「ああ、貴女が噂の!珍しく大公閣下がご執心だとか」

「人違いですわ」


「そうだよ。彼女は私が必死で口説いているところなんだ」


余計なことを言う隣の男に苛立ちつつ顔を上げると、パメラは琥珀色の瞳を大きく見開いてレナードを凝視していた。


「貴方、エディのことはもういいの?」

「どうだろうね。とにかく今は彼女しか見えないな」


パメラは少し小首をかしげて考え込むと、わざとらしく溜息をついた。


「キャスリン嬢、お相手は慎重に選んだ方がよろしくてよ。この男の心には、誰も勝つことができない想い人がまだ住んでいるようですから」

「……エディ、と貴女が呼ばれた方ですか」


「ええ、私の元夫ですの。当時から夫に付きまとって、本当に煩わしかったこと。領地まで隣だと知った時は、気が狂いそうでしたわ」

「こちらの台詞だよ。財産目当てで無垢な青年を嵌めるような女に、大切な友人は渡せないからね」


かなり失礼な言動にもかかわらず、彼女は反論しなかった。はなから相手にしていないのかもしれないが、ふっと空を見上げた横顔が、レナードの主張を認めているかのように見えて僕を不安にさせた。

彼女の言葉が聞きたい――。


「無垢な青年ね。確かに女慣れはしていなかったけど」


前言撤回。元妻による衝撃的な発言に顔が赤くなる。

どうかそれ以上は喋らないで欲しい。


「まったく。貴方たち黒騎士団が彼を神聖化するから、周りが『高嶺の花』扱いをするのよ。彼は人と一定の距離を取るよう教育されていただけで、本当は好奇心旺盛な年相応の青年だったのよ」

「……よくご存じだったのですね、ご主人のこと」


思わず言葉が口をついて出た。彼女からの愛を疑ったことなどないが、僕を深く理解してくれていたことに嬉しさがにじむ。


「彼を知れば知るほど愛さずにはいられませんでしたわ。今でもたまに夢に出てくるの。サラサラの髪と華奢な身体……」

「ムキムキですわ!」


驚いたパメラが口を閉ざし、レナードが緩む口元に手をやった。


「ふふ、面白い方ね。レナードが貴女に惹かれるのも分かる気がする。キャスリン嬢は少しエディに似ているかもしれませんわ。もちろん見た目じゃなくて雰囲気が。……ごめんなさい、元夫と似ているなんて、年頃の令嬢には失礼でしたわね」


しっとりとした彼女の手が、僕の甲に触れる。思わず身体が反応した。


「彼はとても純真な人だったの。だからこそお気をつけなさい、キャスリン嬢。貴女のその輝きはどうしようもなく他人を惹きつけてしまうから、そのまま飲み込もうとする肉食獣も中にはいますからね」


「君がその肉食獣の代表じゃないか」

「あら、私はもう37よ。とっくに引退したわ」


今日一番の衝撃が僕を貫いた。


エドワードが生きていたら今年で34だ。なぜ年下だったパメラが、僕の年齢を追い抜いているのだろう?

え?逆転生?逆転生って何?


「年齢も詐称していたのか」


レナードが敵ながらあっぱれとばかりに追及する。


「あら、そう言えばそうだったかしら。感心されたことではないですけどね。行き遅れの男爵令嬢が、年下の美少年伯爵に相手にされるわけがないでしょう」

「そんなことありませんわ!」


あっけらかんと、しかし自嘲気味に呟いたパメラの言葉に、僕は無意識に反論していた。


「パメラ夫人の魅力に、年齢など関係ありませんわ。太陽のように陽気で前向きな貴女だからこそ、エディ様は惹かれたのですわ!……や、たぶん、あの、少なくとも私は、そんな気がします。よく知りませんけども」

「ありがとう。なぜかしら、キャスリン嬢に言われると素直に嬉しいわ。まるで彼に告白された時の気持ちよ」


昔のように頬を染める彼女を見て、初めに感じた違和感は消え失せていた。


「でもこの気持ちは宝箱の中に仕舞っておかないと。今の夫も純粋でとても優しい人なの。外見はエディとは比べ物にならないですけどね」


ほほほと愉快そうに笑う彼女に、少し胸が痛んだけれど。「幸せなのですね」と告げると、パメラは柔らかく微笑んだ。僕がよく知る昔の彼女そのままの笑顔だった。

【今話のクマ子ポイント】

年齢を詐称していたパメラさんですが、エドワードに一服盛った事実はありません。真相は、彼がお酒で潰れただけです。ʕ๑•ɷ•ฅʔ

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