16. 好きって言われた
エドワード・ローズベリー。
オースティン領の隣に位置するローズベリー領の嫡男で、六つ年上の彼のことは物心ついた頃から知っている。念願の男児をもうけた我が父、オースティン伯爵から「ローズベリー家にだけは負けるな」と口癖のように言い聞かせられたからだ。
母上や五人の姉上は半ば呆れていたようにも思えるが、父上から直々に教育を受けていた私には周りを見る余裕もなく、12を迎える前には王都での人脈作りと称して、父に言われるがまま王国黒騎士団に入団した。
そこで件のエドワードを見つけた時は、どこまでが父の策略なのか背筋が震えたことを覚えている。驚くことに、彼と正式に顔を合わせたのはこの時が初めてだった。
サラサラの透き通るような金髪に、猫を連想させるアンバーの瞳。叙任式を終えた騎士には見えない華奢な身体付きはまるで令嬢のようだった。
だから初めて声をかけられた時に言ってやったのだ。
「お初にお目にかかります、エドワード嬢」
結果、殴られた。
彼は見た目にそぐわず男らしい振る舞いを好み、口が悪かった。今にして思えば、幼少の頃よりその容姿ゆえにからかわれ、わざと乱暴な言動を取るようになったのだろう。
思春期の男ばかりの騎士団において、エドワードの存在は確実に風紀を乱していた。
訓練の相手から食事のお供まで、彼に声をかける団員は後を絶たず、さり気なさを装っては彼に触れようとする輩も一人や二人ではなかった。私が入団した後もその名声はとどまることを知らず、当時、美少年の代名詞であった蒼騎士団員と並ぶとまで称されていた。
「さっき知らない奴らにノアって呼ばれたけど、何だあれ?」
「無知ですね。昔、蒼騎士団に所属されていた美少女(嘘)ですよ」
親切に教えてやったのに、また殴られた。
とにかく彼はすべてのことに無頓着だった。
自分が周りからどのような目で見られていようと意に介さず、好奇心旺盛なようで何事にも執着せずに飄々と過ごしていた。
明らかに自分を嫌っている私のことも、まったく気にしていないのだろう。
ライバル視する者を歯牙にもかけない、下心を秘めて群がる輩も意に介さない、その傲慢な態度が余計に私を苛立たせた。だからどれだけ月日が流れようとも、私たちの距離が縮まることはなかったのである。
「最近、ジャックの姿を見ないけど」
「ロビンソン卿は謹慎中です。賭博場に出入りしていたようで」
今日の訓練は午前で終わりだ。訓練着や武器を片付けたのち、休憩中の騎士たちの世話をするのも従騎士の勤め。珍しく一人で長椅子に腰掛けるエドワードに、私は手際よく簡易的な茶器を並べながら答えた。
「ふーん。ベタベタと暑苦しかったから、丁度いいな」
「暑苦しい輩は他にもいたでしょう」
「……お前の仕業か、リオ」
「な、んのことでしょう?」
明日の天気を聞くかのような口ぶりだったので油断した。
ここ最近の黒騎士団は謹慎者が後を絶たない。コナー、ローワン、トビー、ルーベンに続いてジャックで5人目。すべて邪な言動でエドワードの周りを飛び回っていた羽虫たちだ。
「え?マジで?すごいな、お前!」
微かな戸惑いの後、大口を開けて笑い出す彼の姿に、カマをかけられたことに気がついた。あっさり引っかかってしまった憤りよりも先に、正反対の感情が胸に満ちる。
それが余計に許せなかった。自分を嫌っている相手をいともたやすく賞賛する姿に、彼にとっての自分がちっぽけな存在であることを思い知らされる。
「お嬢様は悩みがなくてよろしいですね」
ただの八つ当たりだった。
しかし、いつものように拳を上げなかったエドワードは「そうだな」と一言こぼし、実に退屈そうな顔で紅茶を口に運んでいた。
そして翌日、珍しく稽古をつけてくれた彼に、齢12になった従騎士は手加減なしでやられることになる。
たぶんこの頃からだろう。
エドワードの父、ローズベリー伯爵の病状が悪化していたのは。
翌年、18歳という若さでエドワードは爵位を継承した。そして家督を継いでも王国騎士団を除隊しなかった。領地経営は先代伯爵夫人、つまりエドワードの母親が代理で引き継ぐため、成人するまでは王都に滞在することを勧められたらしい。
「まぁ、あれだ。伴侶を見つけてから帰って来いってことだよ」
信じられないことだが、出会ってから二年が過ぎようとしても、エドワードには浮いた噂がなかった。13歳になった私にさえ、ガールフレンドと呼べる存在が現れた時、彼は初めて悔しそうな顔を見せた。
このような状況下において、エドワードは自分が女性から好まれるタイプではないと信じていたようだが、実際は男女問わずの血みどろ牽制合戦の末、誰もが彼に近づけずにいただけだった。ちなみに、彼の従騎士である私にも近づこうとする輩はいたが、返討にしていたら誰からも相手をされなくなってしまった。
結果、孤立する美しい騎士とその従騎士は、何かと行動を共にするようになったのである。
先代であるローズベリー伯爵が亡くなったことで、我が父も憑き物が落ちたように大人しくなり、昔ほどエドワードを目の敵にする言動もなくなった。すでにこの時、私自身も父の恨みがお門違いであることに気付いていたので、もはやこの青年を嫌う理由はなくなっていた。
エドワードが毒婦に食われたらしい。
そんな噂が飛び交ったのは、彼が伯爵を継承して二つの季節が過ぎた頃だった。成人を前にして爵位と領地を保有する美青年は、結婚適齢期の令嬢たちにとってまさに黄金の果実。夜会の招待状は束となり、エドワード争奪戦は熾烈を極めていた。
しかしながら本人が自分の魅力を信じず、他者からの好意を感じ取る能力に欠けていたため、奥ゆかしい令嬢たちには成す術がなかったのだろう。
そこに登場したのが、厚顔無恥な男爵令嬢だった。恥ずべきことに、その女は酒場でエドワードに一服盛って一夜を共にしたらしい。まさに最悪の事態だった。
「初めて好きって言われた」
翌日、まるで生まれたての赤ん坊のような顔で、エドワードは毒婦、パメラ・メイナード男爵令嬢について惚気ていた。彼に心を寄せていた黒騎士団員はおろか、あまたの令嬢たちは涙に暮れたが、私は激しい怒りしか感じなかった。
易々と騙されたうえに、その好意の真偽さえ見抜けない男が、哀れであり憎らしかった。
「貴方は好きと言われただけで、誰にでも心を開くのか?」
当時、すでにエドワードに対しては敬語を使っていなかったのだが、それでもかなり失礼な物言いをしたものだ。それにも関わらず、「彼女の良さは僕にしか分からなくていいんだよ」と彼は笑っていた。きっと周囲からもかなり反対されたのだろう。
まあ、女遊びも紳士の嗜みだ。
彼の成長の糧になったと思えば、毒婦との一夜も悪くはない。そう自分を納得させ、黙って見守る日々が幾ばくか過ぎただろうか。自分がいかに傲慢であったか、ある日私は思い知ることになる。
「彼女にプロポーズしたよ」
世界が暗転した。
【今話のクマ子ポイント】
昔、蒼騎士団にいた伝説の美少年「ノア」君は、短編「蒼騎士団団長に告ぐ!今すぐ僕と離縁してください」の主人公です。
この長編の執筆中に、箸休めで生まれた短編なので少し設定が似ています。……嘘です、似てませんでした。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




