15. タルトタタンを食べに行きます
ユージーンとの外出から数日が過ぎた頃、リッチモンド家に一通の手紙が届いた。差し出し人はレナード・オースティン伯爵、あて先はもちろん僕。
運よくギルロイの目に留まる前に、メイドのドロシーが届けてくれたのだ。でかしたぞ。
「例のカフェに行くから馬車を用意して。護衛はモンフォール卿で」
「例のカフェ?」
興味がないことは聞こえないのは知っていたが、見えてもいないのか?例のカフェで無表情ながらもケーキを頬張っていたドロシーが首をひねる。毎度のことだが、もう少しご主人様に興味を持って欲しい。
「モンフォール卿にそう伝えれば分かるわ。お父様には市街へ買い物に行くと伝えてちょうだい。もちろんドリーも付いてきて」
「ああ、オースティン伯爵家のE.Rカフェですか」
覚えていてくれた!
「あそこのタルトタタンは絶品でした」という言葉は聞かなかったことにして、他のメイドに命じて簡素なドレスに着替えていく。身に着けていた宝石も外し、髪も二つに分けて結い上げる。最近の王都での流行りだそうだ。
さて行くか、と腰を上げた矢先、「旦那様がお見えです」の声とともにリッチモンド公爵が足早にやってきた。
「キティ!おや、またその格好か。お忍びか?お忍びなのかい?」
「違いますわ、お父様。市井の流行りを取り入れただけですわ」
妙に勘のいい公爵をあしらい、そのまま通り抜けようとしたが、大きな巨体で通せんぼをされる。ここ急激に、体格に厚みが増したように見えるのは気のせいだろうか。
「可愛い娘よ、アーガイル大公とはどうなっているんだい?」
「どうもこうも。彼とはただの友人で、婚約はしないと申し上げたではないですか」
「その割には毎日のように贈り物が届くのだがね?しかも服や宝石ではなく、珍しい食材ばかり贈られるものだから、わしまで幸せ太りだよ」
「……友情を大切になさる方なのでしょう。でも即刻止めさせますわね」
アイツ、何のつもりでこんな紛らわしいことをやっているんだ?しかも服飾ではないから、僕にまで情報が上がってこなかったじゃないか。最近の夕食がやけに豪勢だと思っていたが、曲がりなりにも公爵令嬢に食べ物を贈るなんて馬鹿にしている!
「では、オースティン伯爵とはどうだ?彼からも連日届け物があったはずだが」
「あれは止めさせ……いえ、最近は届いておりませんでしょう?」
レナードからの贈り物は僕を着飾るモノで溢れていたため、すぐに止めさせることができた。アイツが選んだドレスや宝石が、どれもエドワード好みであったことは僕を軽く震えさせたが、とくかく絶対に今日の目的地が公爵にバレてはいけない。
「彼ははっきりと求婚の意思を示してくれている。年齢差は多少あるが、あちらも初婚で浮いた噂も聞いたことがない。お父上の代から事業を拡大させる手腕もあり、伯爵と言えども今や公爵家にも匹敵する立場だ」
「彼も……友人ですわ。他には?他には求婚してくださる方はいませんの?」
「キティ。お前とアーガイル大公、ましてやオースティン伯爵との交流は社交界でも噂になっている。この二人の間に誰が入れると思う?王太子はご婚約中だから、第二王子か?第三王子か?」
ヤバい。僕が危惧していたことが現実になろうとしている。
「アーガイル大公に婚約の意思がない以上、わしはオースティン伯爵との縁談を進めたいと思っている。彼を友人と呼ぶからには、人間性が嫌いなわけではあるまい?」
確かに嫌いじゃない。嫌いじゃないが、エドワードだった僕を知っている男だ。何と言うか、あいつと恋愛をするとか、男女の関係になるとか、考えただけでも恥ずかしさで死にそうになる。ある意味、生理的に無理な相手なのだ。
しかし、どうやらそうも言ってられない状況らしい。
正直、リッチモンド公爵は娘に甘い。
本来なら僕の意見などおかまいまく、父親の判断で娘の嫁ぎ先は決まるものだ。よくここまで待っていてくれたとも思うが、あわよくばもっと待って欲しい。
ユージーン・アーガイル大公と、レナード・オースティン伯爵。
なんで二択なんだよ!
僕は天下の公爵令嬢だぞ?誕生日会の招待客の中にも、良いカードはたくさんあったはずだ。なぜ、このジョーカー二枚だけが残っているのだ?しかも、ユージーンが結婚を望んでいない以上、選択肢などないことは百も承知。
だからこそ言わなくてはいけないのだ。
「ワタクシ、モンフォール卿がいいですわ」
「彼を殺す気かい?将来有望な若者で、うちの大切な騎士だ。失うわけにはいかん」
「……わ、ワタクシ、本当はユージーン様のお心が定まるのをお待ちしておりますの」
「なんと!やはり本命はそちらか!そうか、大公はお前に好意を抱いてくださっているのだな?」
「将来の責任は持つと言われましたわ」
嘘ではない。
いろいろ端折っているだけで、嘘ではない。
「今は先代大公の喪が明けたばかりで、婚約を発表するには気が引けるのでしょう。我が家にとっても焦る必要はありませんもの。お父様にももう少し気長に、記念すべき日を迎えていただきたいですわ」
「そうかそうか!あの大公を落とすとは、さすが我が娘だな」
これだけでレナードからの求婚を退けてくれるとは思えないが、ひとまず首の皮はつながった。ユージーンの思惑通りになったことは面白くはないが、致し方ない。奴には今後、食材ではなく色めいたものを贈るように言付けよう。
「お嬢様、馬車の用意ができました」
タイミングよく、ノックとともにドロシーが姿を現した。
「おや、ドロシー。さて、お前たちはどこへ行くのかね?」
ヤバい。ここでレナードの名が出たら一巻終わりだ。僕が二股をかますような破廉恥令嬢でない限り、話がややこしく収拾がつかなくなる。頼むドロシー!と、大げさに瞬きをして合図を送るが、何やら左上を見上げて考え込んでいるようだ。
ダメだ、余計なことを思い出すんじゃない!
「タルトタタンを食べに行きます」
熟考の末、果たして彼女はそう告げた。
* * * * *
「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」
すでに顔見知りとなった給仕長に促され、僕は流れるように裏手の階段を登った。ドロシーとモンフォール卿には、レナードと会うことがバレているため、余計な裏工作はせずに一階で待たせている。好きなだけタルトタタンを食べればいい。
ノックをするまでもなく、奥に位置する扉が開いてレナード・オースティン伯爵が顔を出す。王都と領地の往復で疲れたのか、整った顔に少しの陰りが見えた。
給仕長がティーセットが乗ったワゴンをテーブル横に配置すると一礼して去っていく。そして扉が閉まると同時に、レナードが躊躇なく僕を抱きしめた。
「リオ。このようなスキンシップは止めてと言ったはずですわよ」
「大公とデートしたんだって?」
あ、忘れてた。
「そう言えばそんなことも……」
「よりによって私の店に来るなんて、宣戦布告もいいとこだよね」
「貴方が喧嘩を売るような真似をするからですわ。子どものすることに目くじらを立てないで」
「その子どもが権力を持っているから厄介なんだ。なぜ彼とデートを?」
そんなこと、僕が知りたいぐらいだ。
「ユージーン様は女除けが欲しいのだとか。彼を前にして頬を染めない女が、後腐れないとお考えなのでしょう。迷惑な話ではありますけれど」
その迷惑な話を利用したばかりなので罪悪感はあるが、レナードを刺激したくない。
「あら?この部屋、薄紫色じゃなかったかしら?」
「ああ、壁紙も調度品も全部変えたんだ。君たちが使った部屋だろう?何一つ思い出は残させないよ」
なるほど、それで以前レナードと密会した部屋ではなく、ユージーンと過ごした部屋に通されたのか。成長してもレナードはレナードらしい。この粘着質な感じが、妙に懐かしくて微笑ましい。
「とにかく離して。座って領地での話を聞かせてくださるのでしょう?」
「大公に何もされてない?美しい君を前にして、子どもの忍耐力など塵に等しい」
「……何もされていませんわ」
前回は。
ぺしっとレナードの手を打つと「忍耐力がないのは貴方でしょう」と言い捨て、ソファへ腰を下ろす。なぜ彼らはこんなにも気軽に僕に触れるのか。未婚の公爵令嬢だぞ?エドワードの時代は、婚約者でもない令嬢に触れるなど言語道断。そんなチャンスはエスコートや舞踏会ぐらいのものだった。
「そうだ、リオのせいでユージーン様がエドワードについて尋ねましたのよ。二度と人前でその名を出さないで」
「……さっきからさぁ。ねぇ、いつから大公を名前で呼ぶようになったんだい?」
僕の隣に腰を下ろしたレナードの声が、ことさらゆっくりと低音になった。語尾がうまく聞き取れなかった僕が顔を上げた瞬間、世界はぐるりと回転し、気が付けば真新しいシャンデリアと真顔のレナードが並んでいた。
どうやら僕は押し倒されているらしい。なんで?
【今話のクマ子ポイント】
デートで使われた部屋の壁紙まで交換するレナードのことを、微笑ましいと思えるエドワード(キャスリン)がヤバいですね。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




