14. お前は本当に口が悪い
どうやら「俺の前で頬も染めずに」は妄言ではなかったらしい。
劇場にいる間、開演前のマーガレット・フォスター公爵令嬢だけでなく、幕間の休憩時間も、閉幕後のロビーでも、ユージーンの周りには頬を染めた艶やかな蝶が飛び回っていた。
なるほど、これでは調子に乗るなと言う方が無理だ。
悔しいことに、ユージーンのエスコートも非の打ち所がなかった。絶妙なタイミングで飲み物を用意したかと思えば、令嬢たちの相手をしながらも僕を退屈させることはない。つまり僕の一挙一動をよく見ているのだ。経験不足という前言は撤回せざるを得ないかもしれない。まぁ、わざわざ言わないけれども。
「今日の演目はどうだった?」
王都でも人気の高いレストラン、もちろん事前にユージーンが手配していたであろう夕食を前に、僕は素直に感想を述べた。
「とても面白かったですわ。主人公たちの恋の行く末よりも隣国との戦いに焦点が当てられていて、先が読めずに胸が高鳴りましたわ」
「恋愛シーンでも高鳴るべきだと思うが、まぁお前が好きそうな内容だと思った」
まさか僕好みの演目を選んでくれたのか。
なんだろう。そのスマートさが少し腹立だしい。
「それで、ワタクシは役目を果たせましたの?」
「役目?」
「ジーン様に群がる虫よけですわ。虫どころか美しい蝶ばかりでしたけど」
「ああ、さてどうかな。いつもより突進される頻度は少なかったと思うが」
真面目な顔で告げられた内容に、劇場での出来事を思い出した僕は吹き出してしまった。
「やだ……食事中に笑わせないで、ふふふ」
目尻の涙をぬぐいながらユージーンへと視線を向けると、なぜか呆けた表情でこちらを見ている。肉が刺さっていたであろうフォークの先には何もなく、口の手前で静止していた。
「どうしましたの?」
「あ?いや、何でもない……失礼」
慌ててフォークを口に運びカツンと音をさせる姿に、僕は改めて怪訝な顔を見せた。
「本当に変ですわよ」
「いや、今のはお前が悪いだろう。急に素で笑うから」
「は?おかげさまでワタクシはいつも天真爛漫に暮らしておりますわ。誰か様のように仮面をかぶる必要もございませんの」
「本気で気付いてないのか?お前は自分の伴侶選びでさえ他人事のような顔をしていたぞ。あれなら仮面をかぶることを勧めるな」
そうおどけた口調で顔をあげたユージーンから笑みが消えた。
――ああ、きっと僕は笑えていないのだろう。
事実、彼の言葉で冷や水を浴びせられたように全身が凍り付いてしまったのだから。慌てて「失礼ですわよ」と返したが、動揺は隠せていない。
他人事のように?
果たしてどっちが?
「ワタクシはそんなに無関心でしたか?」
「あ、いや、あー、悪い。話題を変えよう」
「ジーン様」
「……少なくとも、俺が見た限りでの話だ。家族や友人の前では知らん」
少し突き放したような言い方をするのは、大した話ではないと暗に思わせるためであり、詮索はしないという意思表示だろう。なるほど、彼がモテるのは容姿や地位だけの力ではないらしい。
対して僕は、情けなくも感情を立て直せないでいる。お得意の笑顔も引きつり、軽口の一つもこぼせない。僕は一体、何に動揺しているのだろう?
「おい、もう食べないなら飲みに行くぞ」
そう告げて、目の前の男が立ち上がった。
* * * * *
「いかがわしい酒場にでも、連れていかれるのかと思いましたわ」
ふかふかのソファに身を沈めながら、僕は両手で抱えたカップに息を吹きかけると、ゆっくりと褐色の液体を口に含んだ。ホットチョコレートの温かさと香りが全身にいきわたり、程よい甘さが舌に残る。
「お子様を連れて行くわけがないだろ……って言うか、それでよく付いてきたな」
腕が触れるぐらいの距離で腰掛けるユージーンが、手元のグラスに入った氷をくるくる回しながら呆れたように笑った。生意気にも蒸留酒を頼んだらしい。エドワードはアルコールが苦手だったので、酒の名前はよく分からないのだ。
薄紫色を基調としたこの個室は、オースティン伯爵家のカフェ、つまり僕とレナードが密会した二階にある部屋の一つだ。馬車がこの店の前に到着した時は我が目を疑ったが、あの給仕長にわざわざレナードの在否を確認した時は耳も疑った。
不在と聞いた時の残念そうな表情を見るに、たぶん、いや絶対に、僕を見せびらかしに来たのだろう。
「随分と子どもっぽい」
「まさか俺のことではあるまいな?」
じろりと横から見下ろすくせに、視線が甘い。僕を落ち着かせるために連れて来てくれた行動が、なんだか落ち着かない。濃厚なチョコレートの甘さと苦味で、頭がふわふわする気がした。
「おい、あまり飲み過ぎるなよ。これも子どもには刺激が強いからな」
そう言いながら手を伸ばすと、「少しは血の気も戻ったな」と僕の頬に触れた。咄嗟にその無礼者を見上げるが苦情の言葉が出てこないのは、その感触に不快さが伴わない所為だろう。
「お前……他の男と一緒の時は、ホットチョコレートは口にするなよ」
「ジーン様の目線が近い」
「座っているからだろう。座高はそれほど差がないということだ」
「ふふ、足が長~いって自慢して……ふがっ、あばばばば」
いきなり口の中に冷水を流し込まれ、ぽわぽわした気分が一気に冷めた。
「もっと飲め。ほら、その小さな口を開けろ」
「ごほっ、は、やめ、本当に!本当にどこまでも無礼な男ですわね。何をなさいますの」
「こちらの台詞だ。目を潤ませて男を見上げるなど百年早い」
「は?誰がいつそんなこと。今、目が潤んでいるとしたら、無作法野郎に水を一気飲みさせられたからですわ」
「よし、戻ったな。しかし、お前は本当に口が悪い」
「それは……もう一人のワタクシの所為と言いますか……」
聞き覚えのある苦情に我に返ると、差し出されたハンカチで口を拭って衣服を正す。思わず余計なことを口走ってしまったが、ユージーンは聞こえなかったかのように「ほら」と自ら淹れた紅茶を手渡した。やはり目が優しい。そして、なぜか飲みかけのホットチョコレートは、テーブルの奥へと移動していた。
「――ワタクシ、自分がキャスリン・リッチモンドではない妄想に囚われることがありますの。ワタクシは公爵令嬢ではない別の誰かで、今日の観劇のようにキャスリンの人生を観客として見ているような感覚を覚えるのですわ」
なぜ、彼に話してしまったのか。
エドワードの存在を明かすつもりもなく、事情を知らないユージーンに話したところで得るものもないし、かけて欲しい言葉があるわけでもない。自分でもよく分からない。よく分からないが、誰かに話してみたくなったのだ。
「ジーン様が仰る無関心なワタクシは、その妄想に囚われているワタクシなのかもしれませんわね」
「なるほど。で、その別の誰かは口が悪い?」
予期せぬ質問にうなだれていた顔が上がり、にやけた意地の悪い視線とぶつかった。思わず自然と笑みがこぼれる。
「ふふ、そうかもしれません」
「……お前は無関心なぐらいで丁度いいかもな。俺以外には今までどおりでいろよ」
「俺の女扱いはやめていただけます?」
「そういう契約だろ」
「お断りしたはずですわ。ワタクシの婚期をこれ以上延ばさないで」
「その時は俺が責任を持って……良家の男を紹介してやるさ」
一瞬、ぎこちない空気が二人の間を流れたが、僕はすぐさま笑顔で「信用できませんわ」と返した。自身の発した言葉に驚いたように見えたユージーンも、何事もなかったように笑いながら酒を口に運ぶ。
彼がなぜ僕にかまうのか分からないが、少なくとも僕と結婚するつもりがないことに嘘はないのだろう。彼にも彼の事情があり、それを知りたいわけでも巻き込まれたいわけでもないが、こうやって過ごす時間は悪くないようにも思えた。
そしておもむろに彼は言ったのだ。
「ところでエディって誰だ?」と。
【今話のクマ子ポイント】
ユージーンが「エディ」を知っているのは、レナードのせいです。は?って思った方は、エピソード10をご覧ください。ʕ๑•ɷ•ฅʔ




