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11. 悪魔の所業ですわ

重い。苦しい。何より無礼にも程がある。


淫らな水音を響かせて、僕の口の中をユージーンが好き勝手に貪る。対抗して何度も顔を背けてみるが、驚くほど動けない。それならばと、覆いかぶさる上半身に攻撃を加えようと試みるが、磔の刑に処された僕の四肢もまったくもって動かせなかった。


コイツ、石像かよ。


こうなったら奥の手とばかり、石像の舌を噛もうとするが――なんか、もうどれが石像でどれが僕のものか分からなくなってきた。口は大きくこじ開けられて顎が痛いし、怒りと羞恥で視界は滲み、頭の芯もぼぅっと痺れている。


反発する力が消えたことに気付いたのか、華奢な乙女の手首を開放すると、ユージーンは僕の耳元から首筋にかけて、つーっと舌先を這わせた。だらりと僕の片手が落ちる。


――瞬間、自由になった手を振りかぶり、奴の頬めがけて力任せに振り上げた。


パンっと、小気味良い音が車内に響き渡ると同時に、僕は自身の体を回転させてユージーンの片腕に体当たりした。結果、不愉快な拘束から解放されたが、勢いづいた僕の身体はそのまま座席から転がり落ち――そうになったところを、再びユージーンに受け止められた。


振り出しに戻った気もしたが、それれどころではない。

頭が沸騰してどうにかなりそうだ。


「ふんっ!」と、その手を乱暴に振り払うと、僕は体勢を整えて反対側の座席に飛び退いた。そしておもむろに自身の袖で口元をゴシゴシと拭う。お気に入りのハンカチを使うことさえ汚らわしい。


「いい加減になさいませっ!」

「そんなに乱暴にすると唇に傷がつくぞ。あと、俺も多少は傷つく」


「唇ごと切り落としたい気分ですのよ!気持ちが伴わない口づけをしたところで、不快以外の何ものでもありませんわ」

「へぇ、随分とご理解があるようで」


ご理解も何も「妻」がいた身なのだ。

すべてご理解している。


キャスリンのような年頃の淑女が、性について詳しく学ぶことはほぼない。繰り返されるのは「旦那さまに任せておけ」という指示のみ。とはいえ、身近な女性陣からその手の話は耳にするもので、それぞれ置かれた環境により耳年増もいればコウノトリを信じる令嬢もいる。


そしてキャスリンの場合、幸か不幸か一番身近な講師がエドワードだった。


もちろん彼が男女の睦み事を教えることはないが、記憶として覚えてしまっている。結果としてキャスリンは耳年増どころか、生々しい記憶だけを兼ね備えた公爵令嬢になってしまった。


「坊やよりは、存じ上げていることも多いかもしれませんわね」

「ほぉ、では経験豊富な令嬢には、あれだけでは満足いただけなかったかな?」


ゆらぁと立ち上がる敵の体に反応して、僕は咄嗟に防御をとった。両腕で頭を覆って上半身を折り曲げるポーズだ。悔しいが、この狭い車内では体格的にもキャスリンが勝てる見込みはない。


一瞬の沈黙の後、次に訪れるであろう衝撃がまったくないことに、そっと目を開ける。


なぜかユージーンは元の位置に座っていた。座っていたが、何かを我慢するように口に手を当て、窓の外を向いていた。体が小刻みに揺れているところを見ると、たぶん、いや、信じられないことだが、笑っているようだ。


「悪魔の所業ですわ。乙女の唇を三度も奪っておきながら」

「……ふっ、いや、確かに、はっ、悪かっ……何その格好、はは」


こうしてみると年相応な18歳の少年に見えるが、だからと言って許しはしない。エドワード時代に経験があったとしても、キャスリンとしてはすべて初めての体験なのだ。許せない。あと、自分からするのとされるのでは全然違う。


「貴方はいったいワタクシにどんな恨みがあって、このような破廉恥極まりないことを……」

「勝手に俺のことを分かった風に言われたので腹が立った。だが、反省している」


「腹が立っただけで唇を奪われていたら、対価が釣り合いませんわ。お茶会の時もですけど、ワタクシ初めてでしたのよ!」

「経験豊富なのに?」


小馬鹿にしたようなユージーンの態度に、またもや腹の底から黒い感情が吹き出す。もう何を言われても絶対に許しはしない。リッチモンド公爵に言いつけて抗議はおろか、あらゆるコネを使って貴族裁判を起こしてでもこの男の非道な行いを白日の下に晒して――


「分かった、責任を取ろう」

「許しますわ」


摩擦で少しヒリつく唇を手で隠しながら、もう片方の掌を広げて「やめろ」の仕草でユージーンを制す。


「誰しもが羨む大公夫人の座だぞ」

「誰しもではない、ということですわ」


「何がそんなに不満なんだ?俺だぞ?」

「それですわ!その自信過剰なところも、強引で礼儀知らずなところも、何よりワタクシに興味もないくせに好意があるかのように振舞うところ……」


「興味がないのはそっちだろう」


ん?いきなり馬車の中の温度が下がったのか、僕は肌寒さを感じて身震いした。僕は今、何か踏んだか?


「茶会も、夜会も、今も、お前が俺に目を向けるのは唇を交わした時だけだ」


んー?


空耳だろうか?コイツは僕が今まで目を瞑って生きてきたとでも言っているのか?いや、それよりもだ。なんだ、今のは。僕の興味を引きたくてキスをしたと言ったのか?


「言ってない」

「や、いやだワタクシ、また声に出てました?」


「……言ってないが、言ったも同然だな」


僕の問いかけへの返答ではないらしい。ユージーンは何やら一人でそう洩らすと、耳まで真っ赤に染めて、小さく「くそっ」と呟いた。


「そんな汚い言葉を、淑女の前で使わないでくださいませ」

「淑女の情緒を備えてから言え。お前は耳も聞こえないのか?」


「耳はいたって健康ですわ。目もですけど」

「では情緒が死んでいるのだろう」


んんー?


「つまり、ジーン様はワタクシに懸想されていると……」

「それはない」


ユージーンは大げさに溜息をつくと、乱れた服を正し、優雅に座席へ座りなおした。


「もういい、詫びはしよう。先ほどの様子から、キティはオースティン伯爵との婚約を望んではいないのだろう?今の彼に勝てる独身は、皇太子か俺ぐらいだ。俺を使え、男除けにはうってつけだろう」


これが詫びる者の態度なのだろうか?

何よりこれは詫びになるのだろうか?


確かにアーガイル大公の肩書は、男除けなどという可愛いものではなく、鉄壁の守りと呼ぶにふさわしい。彼と親交があると聞いてなお、キャスリンを口説く令息はいないだろう。


「父上の喪が明けて周りがうるさくなってきたからな。ちょうどいい」

「つまりジーン様にも、仮初めのお相手が必要だということですわね」


「交渉成立だな」


不敵な笑みを見せつけると、ユージーンはキャスリンに向かって右手を差し出した。手袋を外しているので、筋肉質で骨ばった指がよく目立つ。


先程まで僕を苦しめたその手を見つめると、僕はゆっくりと顔を上げ、彼の正面を捉えてから微笑んだ。


「お断りいたしますわ」

お読みいただきありがとうございました。

続きが気になるよって方は、ぜひ「ブクマ」をお願いします。


あと、評価も★★★★★ ʕ๑•ɷ•ฅʔ

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