8 告白ってやつなんじゃ…
「名前」
「え?」
「俺の名前は、アッシュ・トライトンだ。好きに呼んでくれて構わない」
まさか、自分から名前を教えてくれるとは思わなかったので、一瞬固まる。すぐに、じわりと嬉しさが広がった。アッシュは、自分のことを教えてもいいと思うほど、リリアに心を開いてくれたのだ。
懐かない猫が初めて自分の膝に乗ってくれたような感動である。
「私はリリア・エンダロイン。よろしく」
猫がそっぽを向かない内に、自分の紹介も滑り込ませた。いつの間にか背後に立っていた双子先輩からも握手を求められる。
「我々のことは双子先輩と呼ぶように」
「ちゃんと敬うのだぞ」
この二人、仲が良すぎて共にいないことを想像する方が難しい。寝るときは女子寮と男子寮に分かれるはずだが、不思議なまでにバラバラで寝ている姿を想像できなかった。
こちらも挨拶を返せば、たった四人しかいない教室は自己紹介が終わってしまう。
「では、我々は行くのだ」
「戸締りまでするのだぞ、三年生女子、一年生男子」
悠々と出ていく二人に、アッシュが苦笑を漏らした。
「あの先輩方は、他人の名前を覚えることも自分の名前を覚えさせることも関心がないんだ」
「楽しい先輩たちね」
予想よりも、雰囲気は良い。突然参加のリリアも温かく迎えてくれた。アッシュも、きっとこの教室が好きなのだろう。もう少し仲良くなれば、一緒に舞踏会に行ってくれるかもしれない。
授業を受ける前のリリアが聞いたらびっくりするだろうけど、それほどに、アッシュの醸し出す雰囲気は柔らかくなっていた。
言いつけ通り、戸締りを確認していると、リリアのノートが目に入ったらしいアッシュからありがたい申し出を貰う。
「俺も習い始めたばかりだけど、わからないことがあれば教えるぞ」
リリアがつけていた印が気になったのだろう。
けれど、その必要はない。単語がわからないだけで理論的な部分は理解できていると思ったし、あとで辞書を使えば事足りるのである。
「ありがたいけど……いや、やっぱり、一つ教えてもらいたいことがあるの」
「なんだ?」
断ろうとしたところを急に方向転換した。
「今日習った異能の種類は、何もない場所に火をつけたり、雷を起こしたり、人の心を読んだり、色々あったけれど、時間を遡る、なんて異能はあると思う?」
「……そんな大規模な異能は聞いたことがない、が、あり得ない話ではないと思う。……勿論、数千年前のことをあれこれ言っても仕方ないが」
「なら、質問を変えるわ。現在も異能は存在すると思う?」
アッシュの目が見開く。これは、突拍子もないことを言ったリリアへの呆れ、というよりは。
「……その答えは、俺の口から教えることじゃない」
解答しないことこそが、質問の答えであることはわかっているはずだ。
「わかった。教えてくれてありがとう」
「待て」
丁度戸締りも終えたことだし、解散しようとしたのをアッシュが引き留める。まだ暗くなるまで時間があるとは言え、二回連続で夕食の危機を迎えるのは御免である。
「どうかした?」
「明日、異能の授業前に話がしたい。いつなら会える?」
まさか、授業外でも会う約束を取り付けにくるとは。
真剣な眼差し。良いムード。
これは、まさか、まさか、リリアの(一度目の人生も合わせても)初めてのっ
(告白ってやつなんじゃ…!?)
展開が早い。早すぎるが、一目惚れという言葉もある。リリアも自分の容姿が整っている自覚はあるため、余計にあり得そうに思えた。
「昼休み、なら」
「わかった。昼に図書館で待ってる」
何でもない風を装って出した答えに軽く返されてしまう。動揺を悟られないよう、今度こそ足早にその場を去った。胸の奥がざわめき、甘酸っぱい物を口いっぱいに食べてしまったような気分だ。
※
「どうしよう、マリーナ!」
「昨日と随分テンションが違うじゃない」
さっきから緊張してしょうがない。大きな声でも出さなきゃ、窓から飛び出してしまいそうだった。リリアが空を飛べるなら、きっと天高く舞い上っている。
ネグリジェが乱れるのも気にせず転げまわるリリアに、マリーナはため息をついた。
「舞踏会のパートナーが見つかったってこと?」
「それはまだ…だけどっ」
もしかすると、明日告白されるかもしれない。
浮かれポンチなことを口走ることはできず、唇をまごつかせる。
「ふ~ん、リリアの一番の親友で一番の味方のマリーナちゃんにも言えないことなの?」
「うっううっ」
可愛い。マリーナはいつだって可愛いけど、顎下にグーに握った手を当て、小動物のような表情とくりくりの目で見上げられると、破壊力に悶絶してしまう。
「マリーナかわいい~っ」
「知ってる~」
それでも話せない。話せないのだ。
「うん、でもまあ、リリアが楽しそうなら良かったよ。最近は一人でも寮に帰ってきているし、今日は夕食にもちゃんと間に合ったものね」
「マリーナが乳母みたいな顔してる…」
「マリーナちゃんはリリアが立派に育ってくれて嬉しいな―」
マリーナに育てられた覚えはない。
「立派なリリアを見てたら、やっぱりエスターさんのは過干渉だって気がしてきたのは本当だよ。リリアの安全のためと言いながら、リリアの自由を奪っていたんじゃないかって。それを今まで気にしなかった私も私だけどね」
マリーナはそう言ってくれるが、実のところ、リリアはエスターを責めるつもりはなかった。婚約者でない関係であっても、リリアを気にかけ、優先してくれる姿は、嬉しい。
エスターとの結婚生活がなかったことになってしまっていても、リリアにとってエスターは大切な人だ。今日の行動だって、リリアはエスターのために、エスターがリリア離れできるよう取り計らっているのだから。
(エスターが好き)
この人生で、何があっても口に出さないと決めた言葉を心の中で呟いた。
(エスターを幸せにしたい)
エスターがレティシアのことを見ていると気づいたのは、リリアがエスターのことを見ていたからだ。リリアはずっと、エスターに恋をしていた。愛していた。自分を幸せにしてくれた彼を愛さない理由はない。
リリアの恋心は健在だ。
流れていく時間と共に、いつか消えゆくものだと思っても、簡単に取り払えるものではない。しおらしくなったリリアを心配して、マリーナが顔を覗き込んでくる。
「リリア?」
「うん…何でもないっ」
マリーナに背を向ける。今の自分の顔は見られたくなかった。
(もし、本当に告白だったら断ろう)
リリアは瞼を閉じ、眠りに落ちていった。
※
翌日。昼休み。決戦に臨む戦士がいたら、きっと今のリリアのような表情をしていることだろう。
左手と左足が同時に出ないように気を付けるのでいっぱいいっぱいである。
エスターも相変わらず女子生徒に囲まれており、難なく教室を出ることができた。夕方とは違う、朝の清涼感もわずかに残る図書館。入り口前で腕組みしている男子生徒がいた。
リリアに気づくと、片手を上げ挨拶する。
(やっぱり、ちょっと格好いいかも?)
急激に意識し始めた体。熱が頬に集まる。
「なんだ? 顔が赤くないか?」
「走ってきたの、よ!」
「そこまでしなくてよかったのに」
淑女であるリリアが学校内で走ったりするわけないのだが、上手く騙されてくれたようである。
「そ、それで、話って?」
「ああ、図書館の中に談話室があって、もう予約してあるからそっちで詳しいことは話すつもりだが……」
ごくり。
「現在も異能は存在するのか、という話についてだ」




