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4 薬学の授業(下)

 一度目の人生。

 リリアは、舞踏会の壁際に配置されたソファで、赤らんだ頬をそのままに、もたれかかっていた。近寄るだけで酒気が香り、相当飲んでいることがわかった。


「リリア、飲みすぎじゃないか」

「う、うーん」

「誰だよ、リリアにこんなに飲ませたのは」


 軽く非難するように、傍で飲んでいたカイルを睨む。返答したのはカイルの隣にいるマリーナの方だった。


「今日は飲みたい気分なんだって。止めはしたけど止まらなかったのよ。これも、貴方が女子生徒に構っているせいじゃない?」


 五年生。最高学年のエスターは、学園の舞踏会で踊る最後の日である。同級生から下級生まで、エスターと踊りたいという女子生徒は大勢いた。リリアがパートナーとして出席しているのはわかっていたが、彼女がダンスを然程好きでないのもあり、いつになくエスターに詰め寄った。


 最後の思い出を作ろうと奮起する女子生徒と踊ってやれ、と言ったのはリリアである。リリアなりに、卒業する先輩から、後輩へのプレゼントのつもりだったのだろう。


「あれは、リリアが言うから踊っただけだ。僕の優先順位は、いつだってリリアが一番だよ」

「わあ、甘ったるい~酔ってるのはリリアだけじゃないのかもね」

 エスターの差し出した水をこくんと飲みこみ、リリアは目を開いた。

「エスター?」

「うん?」


 まだ意識が朦朧としているのだろうか、リリアの瞳は中々焦点を結ばない。


「私たち、もう一年もしない内に卒業するのね」


 気をきかせたマリーナ達がリリアを見守る任をエスターに譲り、席を外した。あの二人はまだ踊り足りないのか、絶え間なく響く音楽の中に手を取り合っている。


「そうだね」

「そうしたら、エスターと私はすぐに結婚するのでしょう」

「うん」


 いつもは気恥ずかしくて言えないことも、酒の助けを借りれば簡単に口に出せた。そんなリリアのことをエスターは重々承知しているのだろう。


「私たち、幸せになれるのかしら」

「リリアのことは僕が幸せにするよ」


 躊躇いなんて隙もなかった。当然だ。エスターは、とっくにリリアと結婚する覚悟を決めている。リリアに優しく、リリアのために生き、リリアの願いを叶える。

 自分の人生をどう消費するか、もう決めてしまっているのだ。

 例え、リリアを愛していなくても。


「うん。……ありがとう」


(ねえ、私のこと好き?)


 例え酒に酔っていても、リリアの理性はその質問を口に出させない。エスターの覚悟を侮辱することを恐れているし、何より、リリア自身が、エスターに愛されていないと自覚することを恐れていた。


(でも、私は、私も、エスターを幸せにしたいの)


 リリアが幸せにしてもらったように。今度は自分がエスターを幸せにしたかった。

 例え、エスターの幸せに、自分が居なくても。



「パートナーはまだ、決めていないわ」


 レティシアの微笑みに、リリアはそっと胸を撫でおろした。それならば、まだエスターには勝機があるだろう。

 会話の一段落と同時に薬が出来上がる。リリアが先生に提出し、一番を貰うことができた。


「あれっ、リリア、どこ行くの?」


 リリアはもう今日は授業を取っていない。体力に自信のあるマリーナとカイルはこれから最後に体育を取っているようだが、リリアにとっては放課後。過保護なエスターは、女子生徒達を宥めながらリリアに質問を投げかける。きっと、授業が終わったら迎えに来てくれるし、女子寮まで送ってくれるのだろう。


 エスターは紳士だ。

 想い人であるレティシアを前にしても動じず、リリアを優先するように振る舞う。


「エスターに内緒にしたいこともあるの」

「だが、もう秋だ。空が暗くなるのも早くなってきているし、君が一人で寮に帰るのは心配だ」


 ままならなくて気が焦る。

 レティシアの前でリリアに構わなくてもいいだろう。

 レティシアが勘違いしたらどうするんだ。


「私ももう十五よ。いつまでもエスターに頼るつもりはないわ。私達は婚約者でもなければ、今月末の舞踏会のパートナーでさえないのよ。あまり私に介入しないで」


 言った後に、自分が失敗したことを知る。

 エスターの寂しそうな顔。違う。そんな顔をさせたかったわけじゃない。何を言えばいいかわからなくて、胸が締め付けられる。けれど、自分の発言を撤回することもできなかった。


(私には、エスターを突き放す覚悟が必要なんだわ)


 戸惑うレティシアとエスターを置き去りにして教室から飛び出した。リリアの発言を聞いた女子生徒達が、興奮気味に騒いでいる。それもそのはず、一番のライバルであったリリアから、舞踏会でパートナーにエスターを選ばない、と宣言されたも同義なのである。自分が選ばれる確率が上がったと、そう喜ぶのも無理はなかった。


(何処、何処へ行こう)


 飛び出したのはいいものの、一度目の人生よりはマシと言えど、二度目の人生でもそれなりにエスターとべったりの生活を送ってきた。エスターとの思い出は数多く、学園の中でエスターを思い出さない場所を見つける方が困難だった。


 迷った挙句、リリアの足は学園の外れにある、立派だが日の当たらない、地味な建物に向いた。

 予想通り、まだ放課後の早い時間、ただでさえ沈黙が推奨される場所ということもあり、非常に静かだった。温かみのある木製の机と椅子、気が遠くなりそうなほど本の詰まった本棚がところせましと並んでいる。

 ステイロットが国一番の蔵書量を誇る、図書館である。


 元々本は嫌いではなかったが、よく喋るマリーナ達と共にすることの多いリリアは、静かな図書館は肌に合わず、滅多に通わなかったのである。一年生の頃、学園見学と称して見に来たのが最初で最後かもしれない。

 本が傷まないよう、日光の当たりにくい場所に建設された図書館は、どことなくひんやりした空気で、インクの匂いがした。

 入ってすぐのところに突っ立っていたせいで、後ろから来た生徒にぶつかられてしまった。


「あいたっ」


 軽く悲鳴を上げ、後ろを振り返ると、リリアと変わらないくらいの身長をした男子生徒が、本を抱えてむすりと立っていた。タイの色を確認する。水色なら、一年生か。記憶力は悪くないと自負しているが、流石に入ったばかりの一年生は把握しきれていない。


 銀色の髪に藍色の目をした美少年だ。エスターと違ってまだ体格もしっかりしておらず、成長段階という印象を受ける。十三歳なのだから伸び代があって然りだろう。ほそっこい体に幼さの残る顔立ちは、ぶすっとした不満げな表情でも可愛らしさがあった。右手には読みかけの本があり、前を見て歩いていなかったせいでリリアにぶつかってしまったことが察せた。


「先輩、邪魔」


 あまりにもな言い様に、リリアは思わず絶句してしまう。

 リリアの周辺にいる男子生徒と言えばエスターかカイル。どちらも良い家の子息であり、幼い頃から紳士であれと叩き込まれている。クラスメイトの男子も、エスターの前ではあまり話しかけてこないが、基本的に物腰柔らかで、間違ってもリリアを邪魔だなんて言わない。リリアが男子生徒にぞんざいな扱いをされたのは、これが初めてだった。

 衝撃で固まっているのを面倒くさそうに避け、後輩は図書館に入っていく。


「ちょ、ちょっと待ってよ」


 このままでは先輩の面目丸つぶれだ。リリアはほとんど反射で後輩を呼び止めた。

「まだ何か?」


 心底面倒くさそうに、後輩はこちらを振り返る。一刻も早く手に持った本に視線を戻したそうだ。名前を聞くのも、謝罪を要求するのも、リリアにとっては当然のことに思えた。エスターだったなら、怪我がないか確認し、必要なら保健室まで連れていく程度のことはやる。自分が彼にいかに甘やかされたかを自覚すれば、謝罪を要求するべきだという自分の中の常識も怪しく思えた。

 目の前の後輩があまりにも堂々としているから、リリアの方が間違っているのでは、と。


 悩んだ挙句、リリアはどうにか一つだけ、言葉を絞り出した。

「前を見て歩かないと、危ないわよ…!」

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