3 薬学の授業(上)
「そこまでにしてください」
凛とした強い視線に、さしものクリスも握り込んだ拳を緩めた……が。
「あんた、男爵家でしょう。伯爵家のあたしに立ち向かって、無謀だとは思わないの? それに、あたしよりも年下よね? あんたみたいな小生意気で礼儀のなっていない貴族がいるから、平民達がつけ上がるんでしょう!」
怒りの矛先は、容易くレティシアに切り替わる。
「後輩の私が出過ぎた真似をしたことは謝ります。しかし、身分を盾に怒りをぶつけるのは、如何なものでしょうか。この学園内では身分の差異はなく、生徒達は皆平等に学びを得ることができるはずです」
レティシアも、クリスに負けず一歩も引かない。
「っ! このっ」
クリスは強く唇を噛み、拳を握り直した。
最早激情に染まったクリスに理性は期待できないだろう。このままでは、レティシアは殴り飛ばされてしまう。こういった騒動に首を突っ込みたくはないのだが、レティシアの顔に傷ができるのは、こちらとしてもまずい。
「クリス・ライナス先輩」
クリスとレティシア以外の誰も喋らない、静まり返った食堂に、リリアの声はよく響いた。大海を割るように、人の波がリリアとクリス達の最短距離から引いていく。心配そうなマリーナに目線で此処にいるよう伝えた。
「……」
「私のクラスメイトがご迷惑をかけたようですね」
ここで、クリスの怒りを逆撫でするのは得策ではない。しかし、あちらが身分を持ち出すと言うのなら、今現在リリアの家よりも大きな貴族家出身者はいない女子生徒間において、リリアは絶対の権力者として君臨する。彼女は権力を振り翳さないだけで、持っていないわけではないのだ。
レティシアの袖を引き、蹲っている方の生徒も助け起こした。
「私から注意しておきますので、ここは私の顔を立てて頂けませんか」
クリスは、悔しさを抑えきれない様子でリリアを睨むと身を翻し、取り巻きについてくるよう合図した。
「クラスメイトに恵まれたわね」
舌打ちしなかっただけ、クリスも育ちの良いご令嬢だと言えるだろう。
こちらの様子を気にしながらも、取り巻きたちは食堂から消えていくクリスの背中を追った。痛いほどの沈黙は徐々に薄れ、やがてざわめきが大きくなり始める。
騒ぎを聞きつけた先生が来るより早く、ここを離れなければいけない。目をやれば、蹲っていた生徒は既に逃げを打っていたらしく、リリアの傍にはレティシアだけが残っていた。
「レティシアさんも早めにここを離れた方がいいわ」
向こうでやきもきしているマリーナが見える。リリアも早くあちらへ行かなければいけない。
「っ、あの!」
レティシアの声に、進みかけていた足を止める。
入学してからこれまで、リリアはこのように目立つようなこと、権力を持ち出す真似はしなかったし、クラスメイトを窮地からわざわざ救ったことはない。レティシアと特別な親交があるわけでもない。リリアの唐突な行動に疑問を持つのは自然なことだろう。
リリア自身、食堂での騒ぎがこの時期、レティシアに関係するものでなければ首を突っ込んだりしなかった。しかし、レティシアの口から飛び出したのは、問い詰めとは違う、心のこもった礼。
「助けていただき、ありがとうございます」
レティシアは、深々と頭を下げた。
「そうかしこまらないで。レティシアさんの言う通り、私たちは生徒として学園にいる以上、皆平等よ。ましてや先輩後輩でもないのに、そのように敬語を使う必要もないわ」
リリアに、レティシアと仲良くなる意図はない。
この騒ぎでレティシアに罰則がくだり、彼女が舞踏会に行けなくなるようなことがあれば、レティシアとエスターをパートナーにしてしまいたいリリアの目論見が叶わぬものになってしまう。リリアが行動したのはリリアの目的の為であり、レティシアの為ではない。改めて礼を言われると、逆に申し訳なくなってしまう。
それ以上足を止めることもなく、心配そうなマリーナのもとへ歩を進めた。
背中に、レティシアからの視線を感じながら。
※
ステイロット学園は、歴史、数学、言語等の基本科目の他、薬学、体育、剣術や槍術、乗馬、ダンス、料理等、無数の応用科目をいくつか選択し、自分に合ったカリキュラムを組めるようになっている。一度目の人生で興味のあるものは受けてしまい、二度目ともなれば容易に点数が取れてしまうリリアは、先生からも一目置かれる優等生。そのリリアよりも悠々と良い点を取るのがエスターで、つくづく彼の頭の出来には舌を巻く。
今日は薬学の授業。
四人一組になり、班を組むことになる。
成績優秀者のエスターとリリアが同じ班になると、その班だけが有利になってしまうので、二人は意図的に班を別々にしていた。
リリアがエスターと離れるめったにない機会をのんびり見ているクラスメイトではない。我先にとエスターを囲む様子は、さながら肉食獣である。
騒ぎに巻き込まれないよう、こちらに避難してきているカイルとマリーナ、リリアで固まっていると、躊躇いがちにレティシアが話しかけてきた。
「あの、私も、入れて、ほしい」
敬語を使うなというリリアの言葉を忠実に守ろうとしたが、どうも使い慣れない様子で、無理しているのが伝わってきた。
「いいわよ、さあどうぞ」
班で最も気さくなマリーナが笑顔で対応する。
ほっとした様子のレティシアがリリアの隣に腰かけた。丁度、エスター達の班も、肉食獣の争いは決着をつけたらしく、エスターの周囲には女子が三人集まっていた。いっそあそこまで行くと、見ていて面白い。エスターも笑顔は崩さないが、辟易しているのが見て取れた。
「男子からすると、エスターさんにあれだけ女子が集まるのは不満なんじゃないの?」
「そんなことが言えるのは、遠くで見ている間だけだ。近くで見ればあれの恐怖がわかるよ。俺はごめんだね」
カイルが肩を落とし、マリーナの疑問に答える。
「それに、俺だって傍から見れば、十分ハーレム状態だぞ。それも、学年でもとびきりの美人さん三人だ」
片目をつぶり、気障な仕草をしてみせるカイル。
これが寒くならないのは、カイルが見せる軽薄さはあくまで冗談で、彼の行動はどこまでも紳士、更に整った顔立ちなのに浮いた話も持ち上がらないためだろう。
「きゃーっ」
手を叩いてマリーナが喜んだ振りをする。おだてるのが上手い。
今日の授業では風邪薬を調合するらしい。薬学は応用科目といっても若い学生に学ばせる科目なだけあって、基本的に毒草の見分け方や簡単な薬の調合が主である。
この班で一番の戦力は勿論リリアで、次点は平均的な点数をそつなくとっているレティシア。後は、要領は悪くないのに勉強が好きではなく、よく手を抜くマリーナとカイルだ。どちらも不器用なわけではないので大きな失敗はしないだろう。
マリーナとカイルの温和で人好きのする空気のおかげもあってか、レティシアもまるで以前から仲が良かったかのように班に馴染んでいた。
「それにしても、レティシアさんって勇気があるわよね。あのクリス先輩にどかんと言ってやったんだから」
「昔から無鉄砲なだけよ。すごいのはリリアさん」
レティシアからの羨望の眼差しが痛い。
「私は、別に。あの時レティシアさんが飛び出していなかったら、見なかったことにしていたと思うわ。レティシアさんの勇気に感化されたようなものよ」
正直にレティシアとエスターを舞踏会で踊らせたいということもできず、言葉を濁す。
「そう言ってもらえると、無鉄砲な私も救われるよ」
にこり、と微笑むレティシアは可愛らしい。彼女の明るさ、優しさ、少し接しただけなのに、エスターが好きになるのもわかる気がした。
風邪薬は順調に完成に向かう。
この分だと、クラスで一番は貰えそうである。ライバルと目していたエスターの班を見れば、エスターの気を引こうとするあまり、女子たちは互いに互いの足を引っ張っていて、まともに作業できているのはエスターだけという有様だった。
「いつにも増して大変そうね」
「彼女たちも舞踏会が近いから躍起になっているのよ。もしかするとエスターさんの心を射止められるかもしれない、って期待しちゃうんでしょうね。そう言えば、レティシアさんはもう舞踏会の相手は決めた?」
マリーナの何気ない質問に、リリアは気づかれないよう息を呑んだ。
こんなに可愛くて優しいレティシアのことだ。もう誘われていてもおかしくない。固唾を呑んでレティシアの返答に耳をすました。




