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15 罠

 アッシュが来ない。

 辺りは既に暗さを増しており、舞踏会の一番盛り上がる夜の部に向けて遠くに見える会場の光が輝いているように見えた。


 流石に、リリアもこれがただの寝坊ではないことはわかっていた。


「アッシュとは仲良くなったつもりだったんだけど」


 もしかしたら、リリアと舞踏会に行くことが嫌になったのかもしれない。知り合って一月しか経っていない、昼休みと異能の時間だけを共にした先輩なんて、どうでもよくなったのかも。

 重く、暗い気持ちが頭をもたげる。


「でも、もしかしたら、アッシュは何かがあってここに来られないのかもしれない」


 意を決し、立ち上がる。

 一度目の人生のリリアならここで不貞寝したっておかしくないが、今日のリリアは一味違った。パートナーもいないのに男子寮付近をドレスで歩き回るなんて、きっと恥をかく。

 けれど、自分の恥よりも大切なものがある。


 エスターも、リリアが舞踏会に来なかったらリリアが約束を破ったと判断するかもしれないし、そうでなくともリリアへの責任を果たさなかったからとアッシュに近づくことを否定されるかもしれない。

 この舞踏会には、リリアとエスター、アッシュの今後がのしかかっていた。


 手早く鏡でメイクがよれていないか確認し、リリアは緊張で眩暈がしそうな状態のまま、部屋から出た。廊下は酷く静かである。一年生、二年生、及び三年生以上の舞踏会に参加しない生徒はその殆どが校舎に行って自習という名目で自由時間が与えられている。


 部屋に戻りたいのを我慢して、階段を降り、女子寮から外へ出る。

 そこへ、丁度一人の男子生徒が壁にもたれかかっているのが見えた。もしかしてアッシュかもしれないと近くを通ってみたが、見たことのない男子生徒であった。

 いや、見たことはあるかもしれない。

 どこかで、どこかで。


 頭の奥で痺れるような感覚がある。喉奥に引っかかった小骨があるような、もう少しで思い出せそうなのに思い出せない感覚。


「やあ、リリアさん」


 優しい声。さっきの男子生徒が親し気に話しかけてくる。

 普段なら、適当に合わせていたかもしれないが、リリアは今余裕がなかった。


「ごめんなさい、どちら様かしら」


 冬の近さを告げる、冷えた空気が立ち込めている。


「ああ、これは申し訳ない。やっぱり、眼鏡をかけていないと誰だかわからないよね。だから、眼鏡をかけたかったんだけど妹がダサいって聞かなくてさ」


 肩をすくめ、彼は一歩、一歩とリリアの側に寄ってきた。


「有名人の君からしたら、ぼくは記憶にも残っていないかもしれないけど、図書委員の四年生、普段を眼鏡はかけている、って言ったらわかるかな」


 首をかしげる仕草。

 何故、四年生で舞踏会に出席している彼がここにいるかはわからないが、ともかく誰なのかはわかった。過敏だった神経が収まっていく。


「すみません、眼鏡がないのも似合っていますね」

「そう? それなら、妹のアドバイスも偶には役に立つってことだね」


 苦笑しながら、彼はごく自然に、リリアの腕を掴む。


「さあ、行こうか」

「えっ?」


 痛くはないが、強く手を引かれて戸惑った。

 男子生徒に、このように無理矢理手を引かれたことはない。頭の中で警鐘がなるが、努めて冷静に対応した。


「すみませんが、私は至急の用事があるんです。先輩の用事があるのなら、明日にしていただけませんか」

「……一年の、アッシュ・トライトンが図書館で待っているよ。案内しよう」


 息を呑む。

 従わないという選択肢は、消えてしまった。


「わかりました」


 図書館は普段から静かだが、今日は一段と静寂に包まれていた。生徒達が一人もいない上、先生も舞踏会か自習する生徒の見回りに駆り出されているのだろう。耳を澄ましても、頁をめくる音さえ聞こえなかった。

 ごく自然に鍵を掴んだ先輩は、談話室の扉を開け、リリアに入るよう促す。


「あのっ、アッシュはどこなんですか?」


 ガチャリ、とドアが閉められる。嫌な予感がして振り返ると、不気味な笑顔の男が、目だけはまったく笑わないまま、こちらを見下ろしていた。


「先輩?」

「男の名前に釣られ、挙句折角ぼくと二人きりになった瞬間また男の名前を出すんだね」

「なに、を」

「アッシュ・トライトンは此処にいない。勿論、此処に来ることもない」

「……」

「いいね、その顔。君、誰かに騙されたことなんてないだろう。騙される前に、誰かに守ってもらっていたんだろう」


 一歩、一歩、こちらに歩いてくる先輩に、リリアは後ずさりする。


「此処は密室だし、防音性能もある。いくら助けを呼んだって、誰にも君の声は届かないよ」

「どういう、つもり、なんですか」


 背中が壁に触れた。

 先輩は、ぎらつく眼差しでこちらを舐めるように見まわした後、鼻で笑った。


「君は、自分の価値に無関心すぎる。先輩からの特別授業とでも思ってくれ」


 特別授業。


「まずは、ぼくの名前を覚えてもらおうかな。ぼくは、クライス・ライナスだ」


 ライナス。その名前には覚えがあった。

 以前食堂で、騒ぎを起こした女子生徒の名前。

 ライナス伯爵家の令嬢、クリス。確かに彼女には双子の兄がいるという噂があったが、実際に見たことはなかった。


「思い当たる節があったみたいだね」


 逆恨み。

 リリアが以前騒ぎに口を出したことを目の敵にしていたとしたら。

 クリスが親族であるクライスを巻き込んで、仕組んでいる。


「アッシュは関係ないわ。彼に何もしていないでしょうね!」

「彼のことはいいじゃないか。まずは自分のことを考えて、どうかな、ぼくのことも見てくれ。家柄も悪くないし、容姿だって案外褒められることが多いんだよ?」


 ふざけたことを。


「何を言ってるのよ!」

「クリスが何を欲してるかは知らないけど、ぼくの目的は君だ」

「よくわからないわ」

「端的に言えば、君と既成事実を作りたい」


 声が出なかった。

 暴れたり、もっと抵抗すればいいのに。


 男の目線が気持ち悪くて、怯え切ってしまった体は動くことを止めた。


「君は侯爵令嬢で、そんな顔と体を持っていながら、今まで本当に危機感を持ったことがなかったのか? 大抵の男子生徒からすれば、君は学園で一番甘い果実であることは自明の理なのに」


 彼の目に愛情も恋情もない。

 ただ、己の野心を成就させるため、道具としてリリアを見ていた。


「ち、近づかないでっ」

「流石のぼくでも傷つくよ」


 突き飛ばしても、びくともしなかった。

 それほど筋肉がついているとは思えないのに、力では全く敵わない。


「ねえ、リリアさん。取引をしよう。ぼくとの婚約に頷いてくれるなら、ぼくも乱暴を働かないよ。君は、今特に誰かと恋人関係にあるわけではないんだろう? 家柄は多少劣るかもしれないけど、ぼくも十分エンダロイン侯爵家の夫としてやっていけると思うよ。ぼく、別に嫌がる女の子に無理矢理迫って興奮するタイプでもないから受け入れてくれると嬉しいな」


 自分がいかにも人道的な提案をしているとでもいうような言い草だ。

 けれど、リリアはほんの少しだけ、揺らぎそうになった。


 いずれ、エスター以外の男と恋人になり、婚約し、結婚しなければいけないのだ。それが、クライスではいけない理由があるだろうか。

 初め、リリアは誰でもいいからエスターにリリア離れをさせるのに都合の良い存在を探していたのではなかったか。


 しかし。

 それは、過去の話である。


「絶対に、お断りよっ」


 リリアの頭の中をよぎるのは、小生意気な後輩だ。いつも敬語を使わないし、異能オタクだし、愛想だって良くない。けれど、可愛い後輩。

 アッシュへの想いがマリーナの言うところの新しい恋であるのかは自信がなかったが、アッシュとの舞踏会を台無しにしようとしたこの男と結婚するなんて御免だった。


 力いっぱい股間を蹴り飛ばし、一瞬の隙をついて腕の中から抜け出すと、部屋の椅子を持ち上げ威嚇する。


「ふ…、そうか、それは残念だよ。今日は帰してあげられそうにないな」

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